第18話 ご報告につき(前)②

「……結婚って、事実なんだ?」

「うん。結婚は、お互い大学を卒業してからになると思うけど、婚約して同居する」

「ふーん。義理の弟のルイくんと、結婚前提で同棲。まだ大学生なんだし、急がなくてもいいんじゃない?」

「類くんの希望なんだ。春からは大学生モデルだから、類くんはこの町家よりも、動きやすいところで生活をはじめることになったから、ついていく。なんとなく一緒に住むよりも、きちんと形にしたいし、婚約する。類くんと一緒にいたい」


「……そう。捨てたんだね……お兄さんを。けっこう、したたかだったんだ」


 現状を丁寧に説明したが、さくらを見る橋本の目は冷たいままだ。玲を、気遣ってもいるようだった。

 どうしたらいいのか困ったさくらは、苦笑いを繰り返す。

 非難されるのは仕方ない。自分ですら、類に惹かれ過ぎていて、たまにあきれるときがある。いくらことばを並べても、言い訳にしかならない。玲を裏切って類を選んだのは、事実だ。


「さくらに絡まない、ハシモ。いい子にしてはったら、今度女の子を紹介したる。追加でおまけのさくらなんかよりも、数段美人の女の子をやで」

「別におれは、顔だけじゃありません。やさしいとか、気がきくとか、一緒にいて落ち着くとか、そんな女の子のほうが好みです」


「よう言うわ。ほんまは、さくらに未練たらたらなんやね」

「いえ、相手がルイくんなら、おれは、まるでかないません。悲しいですが諦めます」


「ねーねー、たまごやき。これおいしいよ、さくら。食べさせてあげる。あーんして、あーん」

「みんないるのに。恥ずかしい、類くん」

「いやいや、もっと恥ずかしいこと済ませたよね、ぼくたち?」

「うわー。こっちが恥ずかしゅうて草生える、草!」


 みんながいてくれて、よかった。きょうだい三人だけだったら、南極みたいな氷の世界になっていたかもしれない。


 祥子が輪の中心になって話を進めている。

 上から目線でちょっかいを出すのが類。

 さくらはたまに反論をするのがやっと。

 橋本は、ほぼいじられ専門。


 会話に加わらず、テレビばかり観ている玲は黙っていた。


 意を決したさくらは、玲のそばににじり寄った。でも、口実がないと話しかけられない。


「れ、玲。これ、おみやげ。時期的にも、やっぱりチョコレートかなって」


 玲はテレビ画面から視線を外したけれど、さくらのほうを向いてくれない。


「ああ。気を遣わせて、悪いな。フッた男にチョコレート。イヤミか。義理か。義理の兄だもんな、お似合いだな」

「ご、ごめん、そんな意味じゃない! 玲、これまでたくさん守ってくれたのに、ごめんなさい」


 さくらは、玲に頭を下げて謝った。

 昨夜、さくらは類のものになってしまったのだ。玲とは、越えなかった線を、類と越えてしまった。


 玲はおみやげの包みを遠慮なくびりびりと破き、説明書きも読まずに、両手でチョコレートの粒をがしっとつかんだ。口へと放り投げて、吸い込んでゆく。まるで、掃除機のよう。

 三条通に店舗を構える、人気のチョコレートショップで買ったのだが、今のさくらの立場を考えると、『もっと味わって食べて』なんて、絶対に言い出せない。


「別に、謝ることじゃないさ。早く、東京の親どもに報告しろよ。あいつの気が変わらないうちに」

「でも、玲」

「しつこい。身も心も類のものになったなら、あいつをしっかり支えることだけを前向きに考えろ。類の存在は、想像以上に重い。さくらがしっかりしないと」

「う。うん」


「お前の能天気さなら、どんな壁でも乗り越えられそう」

「あっ。今のは、なにげにひどい言い草」

「……雷雨のとき……お前と結ばれていたら、変わっていたかもしれないのにな……」


 それは、さくらも同意だった。ひとつ、行動が違うだけで、結果も違ったはずだ。


「どうか、わがまなな弟を頼む。しあわせになれ。類、さくらにひどいことをしたら、お前を始末する。さくら、そのときは、遠慮なくここへ戻って来い。あと、避妊はきっちりしろよ。大学生で子どもができたら、笑えない」

「ぼくを誰だと思ってんの。万事、うまくやるって。昨日だって、さくらが安全日なのを分かってて、誘ったんだもん。たとえできても、うれしいだけだし!」


 安全日だったのか、昨日……初めて聞いた。


「その油断が、命取りになることもある。心してかかれ。さくら、おやすみ。チョコレート、美味かった」


 玲は、さくらの前髪をくしゅっと撫でると、自分の部屋に消えた。

 その背中はとても寂しくて、思わずさくらは手を伸ばしそうになった。


***


 その夜、祥子は見事に酔い潰れ、橋本も疲れた様子で寝てしまった。


 さくらと類はふたりに布団をかけてやり、そっと町家を出た。



 その足で、さくらは類に案内されて新居へとやってきた。


 類との新居は、京都市街中心部にある中層マンションだった。京都市は景観に厳しいので、高い建物は建てられない。派手な看板もアウトだ。コンビニもファーストフードも駐車場も、茶色系などの慎ましい色合いを使っている。


 京都駅までは地下鉄で一本、お互いの大学も近い。


「お盆には、五山の送り火が全部見える、市内ではとっても貴重な眺め、だってさ」


 マンションの最上階、北東角部屋。家財一式をすっかり搬入していた。身の回りのものは、まだ町家に置いてあるけれど、徐々に移せばよいだろう。


「さくらはいつから住める? ぼくは、今週中にでも引っ越しを完了したいんだ。町家も風情あっていいんだけど、ぼくは便利なマンション暮らしが性に合っているし」


 西陣の町家を出る日が近づいている。

 さくらの恋人である類がいなくなれば、兄とはいえ玲と住むわけにはいかない。


「なるべく早めに荷物をまとめて、ここに移動するよ」

「お願い。我慢できないんだ。分かるでしょ、ぼくの心。さくらなしじゃ、生きてゆけない。気持ちの上では、結婚したようなものだよ。ね、マリッジリングを出してくれる?」


 言われた通り、さくらは首もとから類の指輪を取り出した。類はチェーンからリングを外すと、さくらの左手薬指にはめた。


「もう、二度と外さないで。それから、この部屋の鍵」


 すでに、『SAKURA』というキーホルダーがついていた。類の鍵についているものとお揃いである。

 うれしいけれど、さくらは複雑な思いに駆られた。玲に、あの家の鍵を返却しなければならない。兄妹なので、今後も町家の鍵を持っていても、それほどおかしいことではないけれど、きちんと整理しておきたい。


「どうしたの、さくら。急に考え込んじゃって。もしかして、ここが気に入らなかったとか?」

「そうじゃない。ただ、町家の鍵を返さないと、と思って」

「ぼくなんてとっくに返したし、悩むことじゃないよ。気になるなら、ポストにでも入れておけば。それより、ベッドに行こうよ。早く、さくらと寝たい。さっきからそればっかり考えている、ぼくの身にもなって」

「類くんってば。急がないで。私の中では、大切なことなの。玲に、鍵を返すこと」

「真面目だね、さくらは。そういうところも、好きだけどさ。ねえさくら、すごく欲しい。いいよね?」


 類にねだられると、さくらは全身から力が抜けてしまった。

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