同じ 鍵を 持っている 3
fujimiya(藤宮彩貴)
第1話 女心と秋の空①
「さくら先生。うちに隠してはること、あらしまへんか」
数学の復習がひと段落したあと、教え子のあかりはそう断言した。
突然の質問に、さくらは持っていた教科書を取り落としそうになった。
「どうしたの、急に? あかりちゃん、落ち着いて」
「しらばっくれないで。うち、もう一度だけ聞きます。うちに隠してはること、あるやろ」
「いきなり、隠していることって言われても」
困惑したさくらは、あかりの頭をよしよしと撫でた。
「かーっ、童(こども)扱いか。許せんわ。うち、先生のこと、きれいですてきな人やと思うて憧れとったのに、ただの嘘つきやったなんて。これや、こ・れ!」
怒り心頭のあかりが突きつけてきたのは、例のブライダルフェアのパンフレットだった。表紙からして、ベール越しで横顔のさくらと新郎の類が、らぶらぶで見つめ合っている。は、恥ずかしい。
「これ。どうして、あかりちゃんが持っているの? まだ、結婚するような歳でもないのに」
これを突きつけられるとは、まったく予想もしていなかったさくらは、うろたえた。対して、あかりは追及する気満々で、軽く裁判状態だった。
「お休み中のルイくんの、最新写真が載ってはるゆうさかい、ネットで取り寄せたんや。現在、品切れ中の激レアパンフやで。先生は、ネットオークションで、これがいくらか知ってはるん?」
「いいえ……まったく」
「うちは幸運にも、送料ぐらいの良心的価格で正規のルート……北野リゾートのホームページアンケートから手に入れることがでけたけど、今は一冊五万円からやで。最低価格が、ご・ま・ん!」
……そんなことになっているのか。涼一も、パンフレットが全然足りないと、こぼしていた。今後は完全有料で受け付けるらしいけれど、それでも数ヶ月待ち。
ん、待てよ。うちに、開けていない新品のパンフレットが、十部もある。
ごまん×10部=500,000円? いや、50万だ、50万円!
玲には、絶対内緒にしなきゃ!
「ルイくんの仕事は、ひとつも見逃しとうない。テレビでも、さかんにコマーシャルしてはるやろ。新郎姿のルイくん、ほんま素敵。けど、もっと驚いたんは、花嫁モデルがさくら先生やったことや。先生、東京ではモデルしてはったん? こないなおいしい仕事、なしてうちに教えてくれへんの。薄情もん」
すっかりばれている。弁解のしようもない。ここで下手に嘘をついたら、家庭教師を解約されそうだ。さくらは腹をくくった。
「ごめんね、あかりちゃん。実は、世間を騒がせている北澤ルイって、私の弟なんだ。それで、夏休みに花嫁モデルのアルバイトを引き受けたんだけど。ほら、類くんの相手役ともなれば、いろいろ騒がれるでしょ? だから、姉の私が出ることになって。ほんとうは私だってこんなこと、したくなかったんだけど、どうしてもって言われて。ごめんなさい、今まで黙っていて」
「ルイくんのお姉さんやて? さくら先生が、姉」
あかりは目を見開いて、繰り返した。
「正真正銘、姉です。ルイくんの本名は、柴崎類。私のひとつ年下」
「おとうと? こないに濃厚な視線の絡め合いをしはって? うちには、理解できひん」
「演技だよ演技。類くん、一流モデルだから」
「きょうだいで新婚モデルなんて、おかしゅうおす。さくら先生、まだ隠してはることある。きょうだいやのうて、ほんまもんの夫婦やないやろか。あれからルイくん、ずっと指輪してはるし。写真を見れば全部分かる。ルイくんは、この花嫁はんのことが大好きや。これは、演技やあらへんえ。まさか、ピアスしはった……桜の形の……さくら、あっ!」
「あかりちゃん、推測はやめよう。私は、ルイくんの相手役をアルバイトで務めただけ」
「そやかて、ルイくんはさくら先生が好きなん? お姉さんやのに、本気? うちには理解できひん。ルイくんに会いとうおす。先生、うちをルイくんに会わせておくれやす。勉強、うんと気張るさかい。ほんの少しでええねん。本物のルイくんに会いとうおす。さくら先生!」
「あのね。今まで黙っていたのは、類くんって実は女の子にすごく手が早くて。あかりちゃんみたいなかわいい女の子には、お勧めできない男子なんだよ。かわいい顔して、中身はエロ猛獣」
「ルイくんなら、別にええでうちは。遊ばれて捨てられても」
「だめよ。そんなことになったら、私も困る」
「じゃ、取り引き。うち、二学期のテストで全科目九十点以上を取ったる。そしたら、会わせてや。学業をすれば、さくら先生は満足なんやろ」
「仕事をしていても、類くんは一応受験生なんだよ。時間が」
「そないに時間はかけなくてええねん。ルイくんと、同じ空気を吸えたら、うちはそれで満足。な、な?」
さくらは自分も立ち会うという条件つきで、とうとうあかりに押し切られてしまった。
九月に入ると、ようやく京都の町の暑さもやわらぎはじめ、蝉の鳴き声よりも虫の声のほうが耳に届くようになってきた。
午後十一時過ぎ。
さくらはおふろを出たところだった。
「乱れ、なし。OK」
髪を乾かし、紺のTシャツとジャージの部屋着に戻った。やはり、義理とはいえきょうだいとの同居。今さらだけどれも、気をつかわなければならない。
色気にはほど遠いさくらとはいえ、下着の線が透けていないか、肌は露出しすぎていないか、東京にいるときよりも隙を見せないよう、注意が必要だった。
玲にも指摘されたが、聡子の選ぶパジャマは甘くてかわいすぎる。でも、せっかく買ってもらったし、たくさん着てあげたいので、パジャマ姿になるのは二階の自室でベッドに入る直前、もう誰にも見せないと自分に誓った。
一階の部屋には、きょうだいと祥子がいた。
玲は開け放された自分の部屋で、織物の大型本を食い入るようにしながらじっと読んでいる。図書館で借りてきた、絶版ものだと教えてくれた。古い本で、どうもさくらたちが生まれる以前に出版されたものらしい。そっと扱わないと、壊れそうだった。返却はさくらの仕事なので、責任重大。
類は土間に持ち込んだテーブルセットで、勉強をしている。手足の長い類は、和室が苦手。畳に座るより、椅子に座る生活のほうがしっくりくるとのこと。ほかの部屋よりも土間がいくらか涼しいので、類の定位置はいつもここ。しかも、雑音があるほうがはかどると言い、テレビをつけている。器用だ。
そして、なぜか祥子。最近、居候率が高い。
今日は、スパークリングワイン持参でご機嫌だ。室内がお酒くさくなるので、ほんとうは遠慮してほしいのだが、さくらの意見をいっこうに聞いてくれない。
玲の隣にしどけなく寝転んだりして、色気をまき散らしている。今夜も胸もとが大きく開いた、濃い赤のワンピース。悔しいけれど、似合っている。
「類くん、おふろあいたよ」
町家でのおふろの順番、さくらの次は類と決まっていた。
帰りが遅くなることもある玲は最後。
玲の在宅時は、さくらが二階に上がって部屋の鍵をかけ、安全を確認してからおふろへ、という徹底ぶり。類が『さくら』と再び呼びはじめてからの慣例となった。
でも、類の特技は、鍵のピッキングなんですけどね。
「うん、分かった」
問題集から顔を上げた類は笑顔だった。うーん、かわいい。やっぱり天使のほほ笑みは最高、と感心。さくらもつられて笑顔になる。
「そうだ、さくらに渡すものがあるんだった。このまえの撮影のときにもらって……これこれ。ね、隣、座って。目を瞑って?」
とりあえず、長椅子に腰かけたが、類の目の前で瞼を閉じて無防備な姿をさらすのは、いろいろと危険である。さくらの警戒している様子が丸わかりだったのか、類は苦笑した。
「だいじょうぶ。今は、キスしないって。ね? 今は。あっちに、めちゃくちゃ面倒くさい外野が二匹もいるでしょ」
「おい。面倒くさい外野ってなんだ。聞こえているぞ!」
本から顔を上げた玲が叫んだ。
「まったく。地獄耳とは、あいつのことだね。さあ、さくら、目を。むしろ、安全だよ」
そこまで言うなら、とさくらはそっと目を閉じるふりをした。類が妙な動きを示したら、すぐに退散できるように。
「だめ、薄目も禁止。全身の力、もっと抜いて」
両目を、おさえられてしまった。現役売れっ子モデルには、表情のごまかしがきかないらしい。さくらはおとなしく、類を待った。
類の身体が近づいてくる気配。さわやかな、すっごいいい香りがする。どんな香水を使っているんだろうか。さすが、大人気モデルは違う。
すいすいっと、唇を流れる感触。また、口紅を塗ってくれている。
「できたよ。どうぞ」
類は、さくらに手鏡を差し出した。
「秋冬の新色、ヌードピンクだよ。あげる。どう?」
春のピンクもよかったけれど、こちらもいい。つやつやに濡れたピンクである。さくらが口を動かすと、あやしく光るので、どきどきした。
「きれいな色だね。ありがとう」
「たくさん使ってね。名前もいいでしょ、ヌードピンク。いつか、さくらのこともぜーんぶ、脱がせちゃいたいなー」
「また、そないなこと言うて。へえ、ええなあ。かいらしゅうおすえ。さくらの分だけか。うちのは?」
祥子が、類とさくらの間に割り込んで座った。
「あるよ、祥子のぶんも、あるある。ぼくが、そのへん抜かると思う? さくらの分しかなかったら、このタイミングでは出さないよ」
もったいぶってから、祥子の分も取り出した。
「ほんまか? おおきに!」
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