第7話 深まる秋に心を重ねて②

 数日後。さくらは、空を見上げながら歩いていた。

 キャンパス内のいちょうが、見事に黄色く色づいている。


「いたいた、さくらちゃーん!」

 

 首に巻いたマフラーをおさえながら振り返ると、橋本が走ってきた。

 

「こういう講演会があるんだけど」


 息を弾ませながら、橋本が渡してくれた一枚のパンフレット。

『京町家の再生と課題』とある。


「さくらちゃん、まじで古い町家に住んでいるでしょ。興味あるかなって思って」

「あります!」


 講演会は一週間後、アルバイトもない日だった。会場は、四条烏丸にある『京都芸術センター』という会場。学校帰りに寄れそうな時間帯と場所。


「ゲストは、沖田カケル……建築事務所、所長」


 経歴を見たが、京都の町家再生……リノベーションを主に扱っている、建築事務所の所長らしい。さくらと同じく東京出身で、大学の先輩でもあるらしかった。


 町家の夏は、暑くてしんどかった。どうにかなるものならば、なんとかしたい。いい話が聞けるかもしれない。


「行きたい。行きます、私絶対に」

「と思ってチケット、取っておいたよ」

「ありがとう! さすが橋本くん。頼りになります」

「ありがとう! おれはね、『お兄さん派』になったんだ」

「……は。おにーさん、は、あ?」

「あっ、しまった。当事者は知らないのか。でも、いいや。ネタばれね、これ。どーん」


 もう一枚、違う紙を取り出した。『レース出走表』と、大書きしてある。


「『柴崎さくら記念(GⅠ)って……」

「さくらちゃんが誰とくっつくのか、クラスで賭けをしているんだ。現金じゃなくて、学食の回数券だけど」


 一番人気、本命は北澤ルイ。

 対抗に、お兄さん。玲のことだろう。

 大穴が以下、そのほか(ハシモ含む)と書いてあった。


「悪趣味!」


 さくらは断言した。というか、いろいろともう、バレバレらしい。

 隠していたのに、義理のきょうだいってことも。よく、マスコミに漏れないものだ。いじられ……いや、愛されキャラに、自信を持っていいのかもしれない。


「でも、さくらちゃんがルイくんと結ばれたら、大学も途中で、東京へ帰っちゃうかもしれない。だったら、おれはお兄さんを応援する。講演会に触発されて、町家の再生エキスパートになっちゃって!」


***


 講演会当日は、午後四時に自由の身となったが午後七時からの会まで、多少時間がある。かといって、帰宅するほどの余裕はない。


「講演会の前に、軽く食事をしたいけど、その前に寄りたいところがあるんだ」


 橋本に言われてついて行ったのは、お寺。


「金戒光明寺?」


 大学から徒歩でも来られる圏内のお寺。けれど、さくらはまだ来たことがなかった。少し歩くからと橋本は言い、大学前から203系統のバスに乗った。


「京都の人は『くろ谷さん』って呼ぶらしいけど」


 観光客の波は、さくらたちとは逆に、徐々に坂を下ってゆく。閉門時間が迫っている。


「すごい、紅葉きれい。真っ赤!」


 中でも、目立つのはカエデだった。

 お寺は低い山の中に建っている。ふたりは、懸命に石段を上る。段を上り切ると、京都の市内が足もとに広がった。


「天気がいいと、大阪の、あべのハルカスまで見渡せるらしいよ」


 くろ谷さんは、山城のようだった。

 東海道の発着点である三条大橋が近く、不審者を見下ろせるように建っているため、幕末には会津藩の藩士が駐留し、拠点に使ったという歴史を持っている。


「桜もきれいなお寺だけど、やっぱり紅葉が映えるね」

「橋本くんは、春にも来たの?」

「うん。京都に住みたくて、京都の大学に進学したんだ。もちろん、ひとり暮らしに憧れていたっていうのもあるけれど、京都は特別。違う町に住んでみたら、生まれ育った町も違うふうに見えてくるかもしれないし」

「卒業したら、実家の相模原に戻る?」

「それは、まだ分からない。京都、というか関西で就職するかもしれない。東京に出るかもしれない。でも、志望は大手建設会社。大きなものを作りたい。ビル、タワー、駅、空港や橋でもいい」

「夢、大きいね」

「ルイくんには遠く及ばないけれど、意外と優秀な物件だと思うよ、おれはどう? 誰も、期待していないけどさ」


 いつかの答えを、橋本はほしがっていた。下唇を噛み、さくらは頭を下げた。


「橋本くんの気持ちは、とてもうれしい。だけど、ごめんなさい……」


 そう、返事をするしかなかった。橋本には、もっといい子が見つかると思う。

 どうしようもなく優柔不断の自分よりも、素直な子がきっと。


「うん、いいんだ。最初から、望みないなって、分かっていたことだし。きょうだいバトルに疲れたさくらちゃんが、おれを頼ってくれたらって思うこともあったけれど、そんなわけないね。こういう、雰囲気のいい場所で告白したら、もしかするかもって思って誘ったんだけど。お兄さんもルイくんも、魅力たっぷりだもんね!」

「うん……玲も類くんも、ほんとうにステキなの。だから、困っちゃって。のろけみたいで、ごめん……ほんとごめん」

「ふたりとも、いい男だもんね。ま、おれのことは気にしないで、今日を楽しもう!」


 山門をくぐり、阿弥陀堂と庭園を見学し、ふたりは繁華街へと向かった。



 いつもは食べられないものを……というさくらのリクエストで、橋本はさくらをラーメン屋さんに連れて行ってくれた。


「ほんとにラーメンでいいの?」

「あんまりおなかいっぱいになると、眠くなっちゃうかもしれないし。玲とは外食なんてほとんどできないし、類くんはおいしいお店を紹介してくれるけど、個室がある静かなお店ばかりで」

「確かに、ルイくんがラーメンを食べる姿は想像できないな。しかも、大騒ぎになるだろうし」


 だからといって、ラーメン屋にさくらひとりで行きたいと思うほどではない。


「講演会が終わって、時間があったら甘いものでも食べに行こうか。そっちも、何軒か調べてあるよ」

「行く! うれしい」

「とかいって、超絶美形のナイトが迎えに来るんじゃない?」

「今日は『ちょっと遅くなる』ってしか、伝えていないもん」


 講演会が開かれる京都芸術センターは、廃校になった小学校を再利用した市民向けのホールだった。もとは『明倫小学校』という名前だったらしい。


「一時期、京都中心部は、児童数が減って廃校が相次いだんだ。最近はマンションが増えて、人気の御所南地区なんて、子どもが急増して大変なことになっているらしい」

「そのあたり、都市の課題だよね。子どもが増えても、ずっと続くかどうかは分からないし」


 かつての教室だったと思われる会場は、わりと若い人が多かった。しかも、さくらぐらいの女の子の姿も目立つ。全部で、五十人ほどだろうか。


 講演会のゲストの姿を見て、なるほどと思った。今日のメイン、沖田カケル氏はさわやかな好青年。こういった集まりにもよく登場するらしく、固定ファンがいるらしかった。沖田氏が登場したとき、女子たちの歓声が上がった。


「でも、結婚指輪をしているね」


 左手にマイクを持っているので、沖田氏が発言するたびに結婚指輪が照明に当たってきらきらと輝くのだ。自分はともかく、指輪を片時も外さない類も、周囲にはそういうふうに見られているかもしれない。


 さくらはメモを片手に、沖田氏の話を聞いた。


 京町家の再生を仕事にしていること。

 老朽化。

 世代交代。

 空き家問題。

 マンション人気。

 再建は不可能な町家。


 どれも、共感することばかり。


 さくらが住んでいる町家も、風情はあるけれどかなり古い。階段を使うと、ぎゅうぎゅう、きしんで鳴るし、水回りは作り替えたらしいものの、エアコン設置は禁止など、制約がある。

 町家にエアコンは不似合いだと思う。しかし、夏の暑さは二度と体験したくない。


 勇気を出してさくらは、沖田カケルに質問した。


『特に夏、古い町家にどう住むか』である。


「京都の酷暑を、よく我慢できましたね。町家にエアコンは不似合い、ということですか、なるほど。町家にも、映えるボディのエアコン、今はありますよ。室外機も、剥き出しにしない方法があります。ビルトインのタイプも、有効的だと思います。そもそも、家主さんはご近所の町家にお住まいですか? 相続した家を守りたい気持ちはあっても、意外と、町家の暑さに耐えられなくて、市内の快適マンション住まいの方も多いです。交渉する価値はありますね。連絡くだされば、お話を伺いますよ?」


 な、なんだ。ひと夏、悩んでいた町家の悩みが一気に解消? このあともあの町家に長く住むのなら、ぜひ沖田カケル事務所に仲介してもらいたいと思った。

 さくらは、『まずは、同居人に相談します』とお礼を述べた。


「同居人って、恋人ですか? いや、これは失言です」


 沖田カケルがおどけたので会場には笑いが走ったけれど、さくらは冷や汗をかきまくった。


***


「今日はありがとう。とても勉強になったよ」


 さくらは、橋本に笑顔を返した。


 今は、ふたりでパンケーキを食べている。ふわふわで、はちみつとバターがよく合う。ここぞとばかりに、たっぷりかける。橋本はアイスクリームをトッピングした。


「おれも、知らなかったことがたくさんあった。木造の三階建て町家なんて、あるところにはまだ残っているんだね。今度、外観だけでも見に行こうよ」

「うん、行きたい。新しいものもいいけれど、今あるものを守らないとね」

「うん、そうそう。だから京都はおもしろい」


 談笑しながら食べ終えると、さくらの携帯電話が鳴った。


『さくら? まだ外? 帰りに、新聞を買ってきてほしいんだけど。夕刊。織物の特集が載っているって聞いて』


 玲だった。今夜も遅くまで仕事らしく、自分で買いに行く時間がなさそうとのこと。


 あ……


 不意に、玲と会話をして、思うことがあった。将来、町家の再生を仕事にすれば、京都に残る理由が見つかるのではないか、と。沖田カケルのように。


 古くなった町家を建て直す。

 新しいものを建てるより、大変かもしれない。

 けれど、そこには愛着が残っている。

 人の気持ちがこもっている。

 ……さくら向きの仕事、かもしれない。


 そう思うと、急にどきどきしてきて、パンケーキを食べる手が止まってしまった。


「てかおれ、堅実そうなお兄さん押しだから! ルイくんはかっこいいけど、まじ魑魅魍魎! いつもさくらちゃんにべたべたしてくるくせして、こっちが本気になった途端、あっさり捨てられそうだし! 学食の回数券が惜しいんじゃないよ!」


 なんか……玲に……援軍、登場。

 めんどうな、うるさそうな援軍。でも、力も弱そうな。さくらは笑った。


「ありがとう。心配してくれて」

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