第6話 深まる秋に心を重ねて①
十一月に入り、類は高認の検定試験を受けた。
類は頭がよい。
けれど、万が一の可能性もある。さくらは、巫女アルバイトのシフトをずらしてもらい、類を試験会場まで送ることに決めた。
「幼稚園の子どもじゃないし、ついてこなくていいって言ったのに」
「でも、前回失態の責任は果たさなきゃ」
「あれはぼくも同意の上だったから、さくらのせいじゃない。責任を感じているなら、今夜一緒に朝まで寝てくれればいいよ。『類くん、試験おつかれさま。ごほうびに私をあげる』って、布団にもぐりこんできて」
「あっ、あれが会場だね」
「……聞いていないし! 最近、妄想癖あるねとか言われるんだけど! さくらのせいだよ?」
「じゃあ、がんばって。明日は打ち上げ、しよう。みんなで」
さくらがほほ笑むと、類は機嫌を直した。
「仕方ないなあ、了解。お弁当、ありがとう。さくらもアルバイト、しっかり」
「うん、行ってきます」
ふたりはしっかりと見つめ合った。
類は、さくらの両手を包む込むようにしてきゅっと握り締めた。
「いい機会だから、言っておこうかな。ぼく、大学に合格したら、あの町家を出るよ。学業は京都、仕事は東京。往復生活になるだろうから、もっと便利なところへ引っ越したいんだ。でもそうなると、ぼくをサポートしてくれるしっかりした人が必要。ここまで、意味は分かる?」
さくらは頷いた。
西陣の町は落ち着いていているけれど、京都駅までのアクセスが少しよくない。
新幹線を頻繁に使うとなると、それこそ京都駅前か、地下鉄の通っている京都中心部付近が、住むには都合がよい。繁華街には、類の好きそうなマンションも増えている。
「さくら、ぼくについてきてほしい。もちろん、ぼくの妻か、婚約者として。姉とか、一応の同居人じゃなくて、ちゃんとした形をとりたいんだ」
重大発言をさらりと言ってのけたくせに、類は答えを求めずに左手の指輪をさくらに向かってかざすと、建物の中へと消えて行った。
後姿も、いつも変わらず姿勢がよい。
類の正体に気がついたかわいそうな受験生が、驚いた顔で類の姿を注視している。
……また、プロポーズされてしまった。
一年前、柴崎姓になるまでは十八歳で結婚するかもしれないなんて、考えてもいなかった。
アルバイトに集中しようとしても、類のことを考えてしまう。
撮影の小道具だったマリッジリングを今でも大切に、はめている類。
挑発的かつ思わせぶりな笑顔で、さくらのすべてを甘くねだる類。
退屈なときの、拗ねた幼い類。
かわいいい寝顔。素直な愛のことばの数々。
どんなに否定しても、類はさくらの心をかき乱してゆく。苦しい。とても。
***
その夜。
眠れなくて、さくらはひとり、夜中にそっと町家を出た。
近所のコンビニでアイスを買い、公園で食べている。
この前、この公園でアイスを食べたときは五月。涼一と類が一緒だった。たった半年前のことだけれど、ずいぶん昔のように思えてならない。
こういうときの相談相手は玲しかいない。メールで呼び出した。玲はすぐに来た。三分もかからなかったと思う。
ブランコに乗っていたさくらは玲の姿を認めると、手招きをした。
「若い女が、こんな遅くに出歩くなって。しかも、こんな時間にアイスとか寒いし、太るぞ」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。玲なら、すぐに来てくれるって信じていた」
「わけの分からない信用は置くな。気が済んだら帰るぞ。寒い。そろそろ十一時だ」
厭きれながらも、玲はさくらの隣のブランコに座る。ブランコがきしんで、きぃっと音を立てた。
「類くんに、外出を悟られなかった?」
「もう寝ていたようだ。明日も、試験が続くんだろ」
「来てくれてありがとう。わがまま言って、ごめん」
さくらは感謝を述べたつもりだが、玲は眉をひそめた。
「今度は素直に認めて謝罪か。情緒不安定」
「うん、そうかも……」
「俺たちきょうだいに挟まれているせい、か。言いたいこと、あるんだろう。話せるなら、全部吐き出せ。聞いてやるから」
「うん。このアイス、食べ終わったらね」
言いたいけれど、心の整理がついていない。今の気持ちを、どうやって説明すればいいのだろう。
玲は、一生懸命にアイスを食べるふりをしているさくらの頭を撫でてやった。
「そこの自販機で水を買ってくるから、少しだけ待っていろ。ひとりは危ないから、ついて来るか」
玲は公園の脇に設置されている自販機の光を指し示した。三十歩もあれば着く距離だ。すぐそばなので、さくらは首を横に振った。
「ここにいる」
「分かった」
玲は灯りの下まで高速で走って行き、戻るときもダッシュした。息を切らして、額には汗を浮かべていた。
「危険なんてないのに。すぐそばにいるのに」
「その油断がいけないんだ。だからお前はいつも類に……いや、なんでもない」
ペットボトルのキャップを開いた玲は、とりあえずひとくち、ふたくち、喉を鳴らして飲む。そのしぐさがとても男らしくて、さくらは息を止めて見守っていた。
「飲みたいのか?」
じっと見ていた件を、水が飲みたいのだと勘違いされたさくらはあいまいに頷いた。玲は素っ気なくペットボトルを差し出す。
「こういうとき、類なら水を口移しさせるんだろうな。やってみるか」
突然の提案に、さくらは持っていたアイスを落としそうになった。
「し、しないよ! 私はしません」
さくらは否定した。
「冗談だって。こんな場所で、できるわけないだろ」
「誰も、いないけど。だったら、玲はどこならできるの?」
「どこ? どこって。そうだな……って、くだらないこと考えさせるなよ」
「そうだったね、ごめん」
「お前には、笑顔がいちばんだ。暗い顔、するな」
「うん。自分でも、そのつもりなんだけど」
明日も、類はそつなく試験を終えるだろう。もっとも、二日間の日程のうち、半分の単位は八月の試験時に取得済み。正式な結果通知は十二月上旬になるようだが、残りの科目も心配なさそうだった。
残すは、年明けの大学受験。これからが本番。希望学部は、商学部らしい。あまり類らしくないけれど、ビジネスの実学を学ぶという点ではよい選択と思う。
さくらは玲に、類の受験のことをひととおり話した。柴崎家の兄と弟、一緒に住んでいるのに実はほとんど話をしない。
「将来的には、母さんの会社を継ぐつもりなんだろ」
「聡子さんの会社を、類くんがほんとうに」
「いつまでも、チャラい若者狙いのモデルなんかできないと知っている類の生き方は、賢いんじゃないかと、最近思う。俺なんか低給で、大学生のさくらにアルバイトを掛け持ちさせるなんてさ」
「そんなことないよ。ふたつぐらい、普通だよ普通。家庭教師も巫女さんも楽しいし、勉強になる。玲が気にすることじゃない」
「俺だって、お前を着飾って街を歩きたい願望ぐらいある。だけど、今はまだ無理なんだ。何年も先になる。十年、いやもっとかも……」
「玲なら、成長しているよ! 見たんだ、フリーペーパーのインタビュー。見た目も発言も、すごくおとなになっていた」
「え。見たのか、あれ」
「うん。早く言ってくれればよかったのに。実家にも、送ったのに」
「あれは若者向けのPR誌だから。織物のイメージ良化を図るための。伝統工芸の職人ってさ、あんまりいいイメージがないだろ。後継者不足。重労働。休みなし。低賃金。潰しもきかない、零細。そのくせ、作品は高価ときた」
「でも、玲はがんばっている。白い糸が、玲の手でどんな色にも鮮やかに染まる様子は、見とれてしまうもの。私は玲の仕事、すき。魔法みたいで」
熱弁を奮うさくらに、玲は一瞬戸惑いを見せた。
「お、おう。そんなに必死でフォローされるとはね。類の仕事のように、派手さががなくて地味なぶん、さくらが味方してくれれば、俺の気が安らぐ」
さくらには、玲の笑顔が痛かった。これから、告白することを思うと、胸が締めつけられる。
「あのね、玲! 聞いて。類くんが、大学に合格したら、きょうだいの町家を出るって。もっと、便利な場所に住みたいんだって」
「だろうね。多忙な類に、不便な町家暮らしは向いていないよ」
「それで……相談、なんだけど」
さくらはことばを区切った。
残りかけのアイスは溶けてしまい、土の上にぽたぽたとこぼれはじめていた。
「一緒に来て、とか言われたか」
「なぜ、それを」
言い当てられた。うろたえるさくらをしり目に、玲は頭をかかえた。
「さくらって、ほんとうに分かりやすいな。ばーか」
「これでも、悩んでいるのに。ばかだなんて、責めないで」
「じゃあ、俺はどうすればいいんだよ! 行くな、さくら。俺のそばにいてくれ。ずっと、離れたくない」
手を伸ばした玲は、さくらを抱き締めた。
「残ってくれ。俺たちの町家に。俺はお前と住むために、あの広い家を借りたんだ。これ以上、類に惹かれないでほしい。お前は、俺を追いかけて京都へ来た。そうだな」
「うん、そうだよ。確かにそうだった」
……類が、来るまでは。
「なぜ、過去形にする? 今もそうだ、と言ってくれ」
「玲のことは、すき。ほんとうだよ。だけど」
どんなに強く玲に抱き締められていても、心のどこかで類を想ってしまう。卑怯だ。
さくらは目を閉じた。
それを承諾だと理解したのか、玲が唇を重ねてきた。長い、キスだった。
「さくら。困らせてばかりで悪い。でもいつか、俺だけのものになってほしい」
玲の願いは切実だった。さくらの胸が痛んだ。応えたい。
……なのに、できない。
「ごめん、玲。答えはまだ、ないの。玲にも、類くんにも、答えが出ないの」
答えを出すそのときが、近づいてきているようだ。
玲か、類か。
それとも、まったく別の選択肢なのか。さくらは迷っていた。できれば、誰かに決めてほしいと願うほどに。
「悪い」
冷静さを取り戻した玲は、身を離した。
「さくらが自分で考えた答えなら、俺は受け入れる覚悟でいる。さあ、帰ろう。寒いし暗いし、手をつなぐぐらいなら、いいか?」
「うん」
そっと、つながれる手。心がちぎれそうに、切ない。
玲だけが好きだよと言えたら、どんなにいいだろう。
類は台風のようなものだったと言い切れたら、どんなによかっただろう。
さくらは、唇を噛んで泣きそうになる自分をこらえ、町家まで黙って俯きながら歩いた。
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