第5話 都に・恋の・火花・舞う➂

 アルバイトを終えたさくらが私服に着替えて出ると、きょうだいふたりが待っていてくれた。家の中ならともかく、屋外で揃っている姿は珍しい。玲は梅の木の脇に立っていたが、類は石塁の上に座り込んでいた。


「お待たせしました」


 さくらは明るく笑った。


「おつかれさま」


 玲はさくらをねぎらった。けれど、類は不機嫌だ。


「待たせ過ぎー。玲と周辺観光する羽目になっちゃったじゃん、もう。でも、言いたいことは言えたし? ま、いいか?」


 類は、玲に目配せした。とても意味ありげに。なにか、困ったことでもあったのだろうか。さくらは首をかしげた。


「……俺もこの歳になって、お前とお茶をするなんて思ってもみなかった。とにかく、今日はさくらの巫女さんアルバイト初日だったんだ。勉強もしないで、袴姿を拝めただけでも類は大満足だろうが。さくら、今日は外で食事をして帰ろう」

「ほんとに?」

「ああ。初日で、いろいろ疲れただろう。さくらとふたりの予定だったけど、こいつも含めてきょうだい三人で」


 三人でというのは、初めてだ。

 さくらは両手を挙げて賛成した。類は愚痴をこぼしていたが、さくらと玲をふたりきりにするのはまずいと思うのか、渋々あとからついてくる。


「うれしい、すごくうれしい。ありがとう、玲!」


 さくらは幼い子どものようにはしゃいだ。仕事の疲れも吹っ飛んでしまうほどに。力を使うわけではないけれど、数時間ずっと立ちっぱなしだったので、脚がだるい。


「なにか食べたいもの、あるか」

「そうだね、なんでもうれしいけど」

「カロリー高い食事は勘弁してよ」

「口先だけなら、なんとでも言える。お前は最近、食べ過ぎなんだ。受験に向けて仕事を減らしているからって、気が緩んでいる証拠。今日は、さくらの日。さくらに合わせる。いつも、俺たちきょうだいに気を遣わせているぶん、休ませてやろう」

「類くん、食べたいものがあったら言って。一緒に考えよう」

「わあ、さくらはやさしいな。勉強は、けっこうエネルギーを使うんだよね。玲がもっと高給取りだったら、こんなに働かないで済むのに、はあ。不憫」

「別に無理していないよ、私。巫女さんバイトなんて、そうそうできないもの。いい経験」

「でもさ、家庭教師のほうもあるし」


 約束通り、あかりは中間テストで全科目九十点以上を獲得した。北澤ルイへの執念だろう。十一月にある類の高認受験が終わったら、一度ふたりを会わせることになっている。類は面倒がったが、さくらの頼みごとなので、めいっぱい厭味を投げつつも了解してくれた。


「あのお店、どうかな。うちの町家の近所の、鳥料理屋さん」


 ランチでは手ごろな価格で親子丼を出しているが、夜営業では水炊きの高級料理店に変わる。店構えも素敵で、さくらは通り過ぎるたびに憧れていた店。


「ここぞとばかりに、高い店を要求するのかー。やるねえ、さくらも。月給十万円の男に向かって。ぼくが、いつもいいお店に連れていってあげているからって、調子に乗っているんじゃないの」


 類が苦言を述べた。

 玲は苦い顔をしていた。どうやら、類の指摘通りらしい。


「ご、ごめん。予算オーバーだったね。予約もしていないし。じゃあ、ほかのお店を」


 遠慮したさくらだったが、玲は制止する。


「いや。行こう。せっかくだから。こんな機会、ないかもしれないし。今から、電話してみる」

「あーあ。見栄張っちゃって、後悔するよ。お会計は、ぼくと玲で半分こするから、さくらは遠慮しないで。我が家の巫女姫さ・ま!」


 三人は、さくらの希望の店で夕食を食べた。

 お座敷だったので脚も伸ばせたし、卓ごとに衝立で仕切ってあったので類も人目を気にしなくて済んだ。そして、なによりおいしい食事と、きょうだいが揃っているのだ。


 会話は、自然と類の受験話になった。合格すれば、三人の関係も変わるだろう予感はある。


「で、どうなんだ。勉強のはかどり具合は」

「うーん、まあまあじゃないかな」


 類は、はぐらかした。


「まあまあどころじゃないよ。この前の模試で類くん、三科目で全国一位だったんだから」

「全国一位? その模試を受験したのは五人ぐらいだった、とかいうオチか」

「違うよ。大手予備校の全国模試。数万人規模の。類くんなら、絶対に合格できるよ! うちの大学の医学部とかだって、行けるかもしれない」


 かろうじて、おまけの追加で合格した自分よりも、類は勉強ができるのではないかと思うときがある。


「だってね、東京の有名私立大学からも、推薦入学の話がいくつかあったんだよ」


 さくらは類を自慢した。


「へえ、初耳だな。そっちに行けば、受験もラクだな」


 玲は箸を持ち替えた。


「類くん、全部断ったんだよ。即断。もったいないでしょ」

「は、断った?」


 目を丸くした玲に、類は軽く笑った。


「だってさ、ぼくの芸歴に対する推薦なんだよ。大学に通うのは、北澤ルイじゃない。柴崎類なんだ。それに東京の大学じゃ、さくらと離れちゃう」

「大きいこと言うな、相変わらず。ほんとに、京都で進学するつもりなのか」

「まあね。まずは受験資格が得られたら、だけど」


 高認の一回目は、さくらの勘違いで受験し損ねてしまった教科が半分ある。次のテストが、最後のチャンス。これにも失敗してしまうと、今年は大学受験そのものができない。


「だいじょうぶ。今度のテストの日程は、家のカレンダーにも、私の手帳にも記入したから、絶対に忘れない。むしろ、私が試験会場まで送る」

「さくらが、か。心配だな」


 先の件により、信用がないのは仕方がないけれど、さすがのさくらも拗ねた。


「毎日、神さまにお願いもします。なにせ、バイト先は学業の神さま!」

「受験生が殺到して、神さまが困っていなければいいけどな。さっき買った御札、実家のマンションに送るよ」

「じゃあ、ぼくが盗撮した、さくらの巫女さん写真も一緒に」

「お前。犯罪まがいのことばかりするなよ。少しは、品よく生きられないのか」

「だって、境内撮影禁止とか、あり得ないことが書いているんだもん。かわいいさくらの巫女さん姿、写真におさめておきたいでしょ?」

「ルールはルール。この中では俺が年長者なんだから、類は俺の言うことに従う」

「あー、はいはい。相変わらず玲は面倒。玲には、巫女さん写真、あげない。ぼくは今夜、この写真と寝るんだ」

「それより、さくら。俺が神社までさくらに会いに行ったのには、理由があるんだ。実家から封書が届いていて」

「手紙? いつもメールなのに」


 封書はA4サイズ、分厚い。涼一の会社の封筒で、宛名は『柴崎様』になっている。ただし、字は涼一のものだ。


「この書き方だと、全員に宛てたってことかな」


 玲が開けるぞ、と言い、封を切った。類も身を乗り出して様子を窺っている。


 封筒から出てきたのは、例のブライダルフェアの報告書だった。

 パンフレットの資料請求が予定の百倍にもなり、有料販売という形を取るしかなくなった。駅掲示のポスターが盗まれる、という事件も相次いだ。問い合わせで電話がパンク、フェア予約も困難な状況に、ホテル側が謝罪するほどだったという。


 ついては、春のフェアにも北澤ルイを起用したい旨が書かれている。


『これを見ても、玲くんはいい気がしないと思うが、報告だけはしておきたいと思ってね』


 涼一の弁解文がついていた。


「ぼく、もうやらないよ」


 さくらは耳を疑った。あんなに喜んでいた仕事を、断るなんて。


「これから春用の撮影だと、受験と重なるし。ほかの仕事の分は、先月までに全部撮り終えたんだよ。ぼく、三月いっぱいまでは、完全活動休止。言うの、遅い」

「俺も、賛成できない。涼一さんは多分、会社に言われて板挟みになっているんじゃないかな。受験を優先させたい父親心と、業績を上げたい会社の方針に」

「結婚式は一度だけ。何回もするものじゃないよね、さくら」

「う、うん」

「ほらね。この件は、ぼくからきちんと断ろう。あれは、一回限りのフェア用スチルだったからいいんだ。これ以上引きずったら、さくらに迷惑がかかる可能性もあるし、使いたいなら、ぼくだけの写真を使い回してって。ボツになった写真にも、いいのが残っていると思う。なんたって、モデルがいいからね!」

「なんだか、少し勘違いも入っているような気がするな。ここでは、相手役には言及されていないし。とにかく、さくらは使わせない」

「さくら以外とあんなこと、絶対にしない。できない。よく分かった」

「類くん……」

「だいすきだよ。さくら」


 類の目は真剣だった。玲が居合わせていることも関係なく、さくらの手を握って恋を訴える。


「おい、やめろ類。さくらが困っているだろ」


 ぱちんと音がするぐらい、玲は類の手をはたいた。余裕の笑みを浮かべながら、類は玲を睨んだ。


「ふん、どうかな。ほんとうに困っているのは、形勢不利な玲じゃないの?」


 そのタイミングで食後のデザートが運ばれてきたので、三人は姿勢を正し、黙った。

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