第20話 同じ 鍵を 持っている①
「うわー、ええマンションやね。広いし、最上階でメゾネットとか。ここに十代の若造カップルが住むと思いとうないわ。買うたわけやないやろ。家賃、玲の町家の三倍ぐらい? もっとか。類がおらへんときは遊びに来よ」
「別に、類くんがいるときでも私は構いませんよ」
「あんさんたちの、新婚いちゃいちゃを見とうないうちの気持ち、分からへんの。鈍感は治らへんねえ」
今日は、玲と祥子がさくらたちの新居に遊びに来てくれている。類は、仕事でいないけれど。
天井から床まではめ込まれている大きな窓からは、京都の町を包む山々が見渡せる。
「こっちの部屋は、寝室。うわ、ベッドが広おすなあ。いやらしいわあ」
「それは、類くんが背高いからって、わざわざ海外から取り寄せたんですよ」
「いやいや、毎日ええ仲なんやろ。ね、玲も見よし」
「……興味がない」
「次は、バスルームや。寝室から続いとるなんて、ほんまいやらしゅうおすなあ。こっちもまあ、広うバスタブで。一緒におふろに入って、そのままベッドになだれ込むわけか。若いふたりが、毎晩毎晩。さくらは、在学中に絶対孕むで。類、危険日だろうとなんだろうと、お構いなしなんやろ。ああそうや、これさくらに誕生日プレゼント。そのうち、必要になるさかい」
祥子は、さくらの手のひらに載るほどの、やや横に長い形の箱を差し出した。軽い。丁寧にラッピングされているので、中身は想像できない。
「あ、ありがとうございます」
「おい、そろそろはじまるぞ」
玲は、革張りの赤いソファに座ったまま、動かない。リビングに入ってソファを見るなり、赤革なんて悪趣味と言い切ったのに、座ったら意外と心地よくて気に入ってしまったらしい。
「包みは、あとでゆっくり開けたって。さくらはウブやし、買いづらいやろ思うて」
中身はなんだろう、と思ったけれど、さくらは笑顔で、しかしおずおずと、玲の隣に座った。
「さくらお前、婚約同居の件、涼一さんの説得に失敗しただろ」
話しかけてくれた。玲が、さくらに!
今日、よかったら遊びに来ませんか、というのも直接、玲には誘いづらくて、祥子のほうに連絡を入れて、玲を誘ってもらったのだ。
玲のことばがうれしくて、でも少し動揺もしたけれど、さくらは玲の顔を見て答えた。
「し、失敗っていうか……反対された……けど、ほんとうは分かってくれたと思う」
「連日、俺のところへ連絡が来るんだ。電話、メール。『さくらが変わってしまった』だの、『さくらと類くんとのいちゃつきが目に余った』、『玲くんには分かるだろう、わたしの気持ちが』って、同情をひくための泣き落とし攻撃」
「この前、うちで夕ごはんを食べとったとき、いきなり電話がかかってきて、三十分以上相手してたもんな、玲。ごはん、冷めてしもうてあたため直したんやで」
「ご、ごめんなさい……!」
ひどい、父さまってば。玲に八つ当たり? 血迷うにもほどがある。いい年して。
「ま、いいよ。涼一さんに対して、類がひどいこと、言ったんだろ。だいたい、想像がつくよ。人を煽るような」
「それもあるけど、類くんを悪く言わないで。私が、いけなかったんだ」
「……それも、分かっているって。母さんからも、詳細は聞いたし。涼一さんのことは、俺に任せておけ。さくらは、類をフォローしろ」
「ありがとう、玲」
今日、類は東京で芸能活動再開の記者会見を行う。それに先だって、生放送のテレビ番組に出演し、インタビューに答える予定となっていた。
「けど、なしてわざわざ国営放送なん。類のイメージは、軽い民放やけど」
「類くんが自分で選んだそうです。この番組がいいって。もちろん出演依頼は、ほかにも多数あったみたいですが」
「ふうん、類が。あ、女子アナウンサー狙いか。さっそく浮気やん。今、この子、人気あるさかい」
穏やかでないことを、祥子は指摘した。
「活動再開最初の仕事だから、意味があるはずだろう。あいつのことだ、悪知恵を働かせているに違いない」
「同感。絶対に、なにかあるで……放送事故になるかもしれへんね」
「ふたりとも。類くんを信じてください。一応、キャラクターイメージはさわやか男子なんです。テレビに映るのは、『北澤ルイ』です。柴崎類ではありません」
さくらは不安をはぎ取るように熱弁をふるったが、ふたりはまるで聞いてくれなかった。
「はいはい、そうやね。さくら、静かに」
土曜日の昼下がり。
トーク番組がはじまって三分後、司会進行役の女子アナウンサーが類……北澤ルイの名を呼んだ。拍手が起こる。公の場に姿を現すのは、実に八ヶ月ぶりだった。
北澤ルイは、清楚な黒のスーツ姿。髪を少し切ったらしい。涼やかな印象を受けた。また背が伸びた気がする。定番になった、桜のピアス。マリッジリングも……左手に、している!
「玲が贈ったネクタイも、よう似合っとるなー」
「あれが、玲の?」
光沢あるモスグリーンのネクタイは、白いシャツによく映えている。
「大学の合格祝いに選んでやっただけだ。西陣織だが、俺は作ってはいない。いつもいつもさくら色じゃ、あんまりだろ」
玲の選んだネクタイを、大切な復帰番組で使うなんて。
思わず、さくらはことばを失い、北澤ルイに見とれてしまった。目が離せない。あの手が、あの目が、あの唇が、いつもさくらを翻弄するのだ。鼓動が跳ね上がるのが、よく分かった。
「さくら、顔真っ赤。よっぽど、類に惚れとるんやね。かいらしゅうおすなあ」
「祥子さん、からかわないでくださいよ」
テレビの中のルイは、『みなさん、お久しぶりです』とにこやかに挨拶をし、スタジオ内に流れていた雰囲気を一瞬で、自分のものした。
玲はじっと、ルイの言動を見守っている。兄として、弟のことが心配なのかもしれない。
祥子も、冒頭こそはルイのしおらしい芸能人ぶりに、多数の突っ込みを入れていたが、やがて静かになった。
東京にいる両親もたぶん、見てくれているはずだ。
ルイは、休業中……八ヶ月間の話をした。
『仕事はできる限りセーブしてもらって、受験勉強をしていました。ただ、ぼくの場合、高校に通っていなかったので、高校認定を受けてそれから大学受験、という形です。根気強く、ぼくに協力してくれた家族のみんなには、ほんとうに感謝しています』
類はカメラに向かって、笑いかけた。必殺、天使のほほ笑み。
「進学先は、東京の大学ではないと、聞きました」
『はい。先日、無事に第一志望に合格できましたが、四月から平日は大学生、週末に芸能活動という二重生活になります』
「それは大変ですね。若さで乗り切りますか」
『ええ。それに、とっても心強い味方ができました。この休暇中にぼく、婚約しました。彼女が、ぼくを支えてくれます。正式な結婚は、おそらくお互いの卒業後になりますが、不安はありません。奇しくも、今日は彼女の誕生日です。彼女に、皆さんに、誓いたい。一生、彼女を守る、と』
ここで、スタジオが大きくざわついた。聞き役の女子アナウンサーも、絶句してしまった。
「こ、婚約、言うた! 婚約、結婚て」
「おいおいこの流れ、まずくないか? 結婚宣言するつもりだったのか。さくら、なにか聞いていたか?」
さくらはなにも知らない。強く、首を横に振る。
テレビの中では、北澤ルイが勝手に番組を進行し、自身の婚約について滔々と語っている。
『今、ぼくは、しあわせでいっぱいです。生まれてきて初めて、一緒にいたい、守りたいという女性と出逢い、しかも、心を通い合わせることができました。ぼくの活動再開を待っていた、ファンのみなさんの中には、がっかりする方もいるかもしれません。けれど、今後のぼくを見てほしいと思います。落胆するのは、それからでも遅くありません。ぼくは、勉強も仕事も結婚も、自分の持っているもの全部を使って、ベストを尽くします』
さくらの携帯電話が鳴ったが、放心していたさくらは出ることができなかった。着信音にいらついた玲が、仕方なく代わりに取る。涼一からだった。
「涼一さん、俺。玲。うん。さくらは今、魂抜けたみたいになっていて。そう、類を見て。知らないよ、こんな茶番。復帰いきなりで、テレビで、こんなこと言っていいのかよ!」
婚約の件は、マネージャーの片倉を通じて所属事務所へ報告したが、回答は保留だった。
現状、類の進学先が京都というだけでも、事務所は不満をあらわにしている。今まで以上に仕事を増やすつもりでいたのだ。
しかし、類本人には、モデル仕事に未練もなにもないようで、強く出ると辞めると言いそうな勢いだった。
事務所側は類をなだめるために、『協力者』という『姉』のさくらを、単なる同居人として見なして、渋々ながらも認めてはいた。なにかあってもうまくごまかせる範囲で適当によろしく、という意味合いもあった。表向きは『姉』、という思惑が見え見えだった。
「よう言うたなー。生放送を利用しての、出し抜け公開告白! そやけど、北澤ルイの商品価値、大・大。大暴落や。今が旬の、十八歳・アイドルモデルが婚約、結婚なんて絶対マイナス、氷点下やで。どないするつもりなんやろか」
「してやられたな、類に。国営放送には、コマーシャルという逃げ道がない。途中で都合が悪い話題になっても、延々と流すしかないってこと。類は婚約のことを言うために、この番組を選んだんだ」
「ほんまに、類の悪巧みは一流や」
「でも、俺は北澤ルイに初めて好感を持ったね。そこまでして、さくらと結婚したいのかって。これは、類からの宣戦布告だ。どんな圧力にも屈せず、自分を貫くという」
「戦い……なの?」
トーク番組は、ルイの問題発言により、その後の出演時間が大幅にカットされたらしい。
本来の予定ならば、活動休止中のエピソードを写真をまじえてひとつふたつ話すと言っていたが、ルイへのインタビューはぶつ切りで終わり、視聴者にメールなどで募集していた質問コーナー企画も潰れ、ルイは画面から姿を消していた。
間違いなく、一騒動起きるだろう。
「信じられへん。さくらごときのために、こないな思い切ったことしはるなんて」
「私のため、ですか。これが?」
「そうや。このままやと、無理矢理に別れさせられるんは確実。アイドルモデル・北澤ルイの結婚なんか、誰も望んどらん。これまでの、さわやか青春路線を守ってさえおれば、そこそこ稼げるんや。十八やさかい、まだ少年のイメージで行けるやろ。冒険してどないする」
「類くん、復帰後はオトナモデルになりたいって言っていいました。路線を変えたいんですよ、きっと」
「うまく乗り替えられれば、いいけどな。まったく。暴走ばかりしないで、少しは周りに相談しろっての。母さんや涼一さんも、初耳だったってさ。究極のばかだ、類は」
類の婚約宣言に白けたのか、玲はため息とともに立ち上がった。
「ええと、トイレならあっち……」
「帰る」
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