第10話 クリスマス気分とその代償➂

 ふたりの唇がはなれた、あと。


「……歩いて帰りたい」


 タクシーを呼び止めようとした類に、さくらはわがままを言ってみた。

 当然、類はいやそうな顔をする。


「は、歩く? 寒いのに? しかも、歩くには遠いよ?」

「……もうちょっと、類くんと話をしながらゆっくり歩いて帰りたい、って言えばいいのかな」


 類が喜ぶように、さくらはことばを付け足した。

 愛らしく、類は首を傾げて少し考える素振りを見せたが、すぐに笑顔になった。


「ふうん。ま、それならいいか。こっちの条件も聞いてくれる?」

「条件?」

「そ。ただ歩くだけじゃつまんないし、ゲームしながら歩く」

「ゲーム……」


 なんだか、いやな予感もする。

 じゃんけんでもしながら歩くのかと考えた。『グリコ』『パイナップル』『チョコレート』とか。大学生と受験生が? うーん、アイドルモデルと?


「いやならいいよ。車……」

「分かった! やる」


「よし、言ったね」


 類は、さくらの肩を抱き寄せて歩きはじめる。


「見て。御池通」


 ふたりは町家のある、西のほうを向いた。


「信号が、ずらっと並んでいるでしょ。道幅は広いし、歩道も整備されているし、電線も地中化済で、町の景観はきれいなんだけど、信号多すぎ。だからぼく、いつもは歩かないんだ、この道」

「うん、分かる」

「赤信号で止まるたびに、じゃんけんして……」

「じゃんけん、して?」


 やっぱり、さくらの読みは当たり?


「勝ったほうが、負けたほうに、ひとつ命令できる」

「でも、そしたら類くんは!」

「しっ。声が大きい」

「絶対、いやらしいことを要求してくるでしょ……!」

「ゲームやるって、言ったでしょ。全部、さくらが勝てばいいじゃん。ほら、行こ!」


 小さい雪が、降っている。

 さくらの髪に、肩に乗って融ける。

 類の髪にも、まつげにも降っている。

 雪が乗っかるほど長いまつげなんて、初めて見た。


 とても寒い。


 でも、類のぬくもりはあたたかい。すごい。ふたりでいるって、こういうことなんだ。


 ひとつ目の信号、赤。


「はい、勝負」


 さくら、グー。類、パー。


 初戦から破れたさくらに、出された命令は……。


「ぼくたちのマリッジリング、出して。持っているよね」


 素直にさくらは、首にかけてある指輪を取り出した。持っていなかったら、とんでもない事態になっただろう。助かった。


「あったまってる、さくらの熱で。はい、指」


 類は、すいすいとリングをさくらの左手薬指に、はめた。


「よし。本来あるべき位置に、しなきゃね。帰るまでは、外しちゃだめだよ?」


 そこで信号が青に変わった。類はさくらをやさしくうながして、また歩きはじめる。


 ……なんだか、拍子抜け。こんな命令が続くなら、まあだいじょうぶかも? さくらは警戒をゆるめた。


 でも、やっぱり次もさくらが負けた。


「ほら、さくら! 類くんに、抱きつく!」

「えええっ?」


 やっぱり、来た! 身体的な接触命令!


「早く、赤信号終わる! さっきは、自分から抱きついてきたじゃん。やればできる!」

「さっきのは……さっきの!」

「は・や・く!」


 仕方なく、さくらは類の身体に両腕を広げてむぎゅっと包み込んだ。


「これでいい? 満足?」


 さくらは類の顔を見上げた。


「んー。コート越しじゃ、さくらの肉体を堪能できないなあ。しかも、ただ拘束されているだけみたいな格好だし……雰囲気ないし」


 次こそは。てか、信号多すぎ。しかも、負けるし! 自分って、じゃんけんが弱かったのかな?


「さくら。類くんにキスして」


 やっぱり、そう、来たか! でも、さくらにも考えがある。


 類の左腕を持ち上げると、手の甲にちゅっとした。これぐらいなら、気合でできる。どうだ!


「うわあ、ずるい!」

「場所指定は、ありませんでしたのであしからず」


 何度勝負しても、さくらが負ける……じゃんけんの謎。


「類くんの、く・ち・び・るに、ちゅうして」


 とうとう、きた!


「できないから、こっちから行くよ? ただしその場合、濃厚なのに路線変更。舌入れて、シャツの中に手を差し込んで胸もんじゃう。さくら、きっと気持ちよすぎて、正気を失って立っていられなくなるから、ふたりでホテルに直行だね。そして、その続きを……ふふふっ!」

「し、します! 類くんにキスします」

「できるもんなら、やってみな。さあ!」


 うわあ、類くんのキス顔……まじまじと見ると、ほんとに天使みたいで、かわいいんですけど。


 けれど、負けない。

 一応、周りに人がいないのを確認したさくらは背伸びして、類の胸倉をつかみ、類の唇にキスをお見舞いした。


 その時間、一秒以下。お互いの唇が、ぶつかった程度である。


「はい、終わった」

「えー。もうおしまい?」

「信号、青だよ」


 さくらは青信号を指差した。


「情緒も趣きも、なにもないじゃん。さくら、男女の機微ってもの、分かってんの?」

「分かりたくない。知りたくない!」

「子どもだなー」

「類くんに言われたくない」


 ごちゃごちゃ言い合っていると、『あれ、北澤ルイに似てない?』『ルイくん?』という声が挙がってきた。ま、まずい。


「時間切れだ」


 類はさくらを抱きかかえると、タクシーをつかまえて車に乗り込んだ。


***


「西陣までお願いします」


 タクシーの中。あたたかい空間に避難できたので、ふたりともほっとした。

 けれど、ゲームが途中だったので、類は不機嫌だった。さくらも、心残りがある。


「ぼくの膝の上においで、さくら」


 そう命令すると、類は自分の太ももあたりを、ぽんっとたたいた。


「いやです」

「だめ。さっきのキスは、ぼくが満足できなかったから、無効」

「私、がんばってしたのに?」

「あんなの、キスじゃないよ。ただの衝突じゃん。歯がぶつかりそうになって、あぶなかったよ。ぼくのお顔が、ケガでもしたらどうすんの。あのね、キスっていうのはね、もっとやわらかくて甘くて、心が溶けそうになるものだよ。ほら、こっちおいで」


 さくらの身体は類の膝の上、というか、股の間に挟まれてしまった。類の熱を感じてしまう。あ、あつい。とても熱い!


「もう、類くんとはじゃんけんしない」


 ふてくされる、さくら。


「だって、分かりやすいんだもん。次になにを出すのか、だいたい予想つく」

「ひどい」

「じゃあ聞くけど、さくらはぼくに勝ったら、なにをお願いした? 欲しいものとか、あるの?」

「お願い……欲しいもの……」


 そう言われると、すぐに思いつかない。さくらは、ちょっと考えた。


「……ええと、他の女の子と、仲よくしないでほしい。あと、あんまり私をどきどきさせないで、かな?」

「なにそれ……ウケるんですけど……まじウケ……はっはっはははhhhhh!」


 類は、きれいな顔をゆがめて爆笑した。


「聞かれたから言ったのに。そんなに笑うなんて、相変わらずの性格だね」


 さくらは怒った。


「ごめんごめん。あまりにも、さくらがかわいくて。かわいい、だいすき」


 ぎゅっと抱き締められると、どきどきするけれど、ほんとうにあたたかくて。

 心地よい車の揺れも手伝ったのか、自分の身体と頭がとても疲れていたことに気がついたさくらは、一気に眠くなった。


 知らないうちに、どこかへ連れ込まれたらどうしよう?

 まずい、だめだ……玲にも、あかりにも、失礼だと思いつつも。

 五分もしないうちに、さくらは類の胸の中で寝てしまった。


***


「……運転手さん、ぼくの奥さんが寝ちゃったから、三十分ぐらい市内をゆっくり流して走ってくれる?」

「へえ。了解しましたで。お客さん、若うおすけど、夫婦なん?」

「うん。世紀の大恋愛結婚です」


 類は、さくらの髪を撫でた。寝顔を見て、ほほ笑む。


「どきどきするのが、恋なんだよ。さくら」


 三十分後。タクシーが停まり、さくらは目を覚ました。 

 暗いけれど、よく見ると、この景色は町家の近くだった。


「……ん、着いた? ありがとうございました」


 さくらは目をこすりながらもお礼を言って、タクシーを降りた。


「おやすみなさい、若奥はん」


 確かに、そう言われた。『若奥はん』? 誰の? どう考えても、類の?


 お会計を終えた類も車から降りてきた。タクシーが走り去る。


「ね、類くん? 今、『若奥はん』って言われたんだけど、なんのこと?」

「さあ? 左手の指輪でも見たんじゃない?」

「暗くて見えないって」


「じゃあ、あれだ。運転手さんには、新婚の雰囲気たっぷりに見えたんだ。よかったねえ、さくら。類くんと新婚さんで。今夜もお楽しみですね☆」

「よくないって! 運転手さんに、類くんがなんか言った、絶対言った!」


「さくらが、ぼくにじゃんけんで勝ったら、教えてあげるよ」

「うわあ、ひどいっ」


 夜中ゆえ、声を低くしながらも、走って逃げる類をさくらは追いかけた。

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