第13話 年☆末☆年☆始➂
「さくら?」
玲の声がとても近くで響き、さくらは我に返った。
「あ、ううん! なんでもない、ごめん。残りあと、三段だね。ようやく着きそう。ありがとね、玲。おかげで助かった。たどり着けた!」
鼓動の高鳴りが止まらない。どうして、ごまかしてしまったのだろう。
町家再生の事業を学ぼうと考えていると、はっきり玲に言えなかったのだろうか。玲なら、絶対に喜んでくれるはずなのに。
「そんなら、お願いごとは各自、声に出して、神さんに聞こえるよう、言うこと!」
本殿に着くなり、祥子はわりととんでもない提案をしてきた。
「なにそれ? 聞いたことない流儀だな」
「初詣って新年のあいさつで、お願いする場じゃないんだけど?」
「いちばん声が小さかった人が、お昼ごはんを全員におごること! 嘘や、本心を繕った、うわべのお願いごともあかんよ?」
それは、大変だ。
まずは玲が飛び出していった。さすが守銭奴、もとい倹約家と呼ばれるだけある。
「仕事、上達! よろしくお願いします」
参拝の礼も省略し、とにかく手をばちばちとたたいてお辞儀をした。隣の参拝客が驚いている。無理もない。
「お金のことになると、イノシシか……あいつ」
類があきれたように玲を見ていた。
「さくら、これ。ご縁がありますように」
用意してきてくれた五円玉を、類はさくらに渡した。手を包むように、きゅっと。どんなときでも、濃い接触は忘れない。ぶれない類がいる。
「あ、ありがとう。気が利くね」
「今のやり取り、なかなか恋人どうしっぽかったよね? このあと、いちゃいちゃモード全開?」
「あっ、次は祥子さん」
「無視かよ……」
とても優雅な二礼二拍手。今度は美麗すぎて、隣の参拝客がまぶしそうに驚いている。無理もない。
「世☆界☆平☆和!」
でも、声はめちゃくちゃ大きくて。うわあ、やってくれました。見た目との、ギャップありすぎ。
「……じゃあ、類くんお先にどうぞ?」
「さくらから行きなよ」
促されて、さくらはお賽銭箱の前に立った。こんなに緊張する初詣は初めてだ。二礼、二拍手。
「近所に住んでいます、柴崎さくらです。家族みんな、今年も健康でありますように」
最後の一礼をしたあとも、さくらは手を合わせたままだ。
できたら、父さまたちのところに赤ちゃんをください。玲の仕事がうまくいきますように。類くんが志望大学に合格できますように。祥子さんの研究も進みますように。それからそれから……。
「たったの五円で、どんだけ長い時間、お願いしてんの? はい、強欲者は下がって」
類はさくらを押しのけた。
アイドルモデルの神社参拝。丁寧に頭を下げている。隣の参拝客に正体を悟られた。無理もない。
境内にざわめきが走る中、類は思いっきり息を吸い込んだ。
類のお願いごとは聞かなくても分かっている、合格祈願だ。
しかし……。
「さくらが、欲・し・いーっ!!!」
本殿を揺るがすような大きな声だった。
さくらは固まってしまった。欲しい、って……欲しい?
「相変わらずの演出好きやね、類は」
「恥を知れ、バカめ。学業成就じゃなかったのかよ、万年発情期のエロモデルが」
あきれる祥子の隣で、玲は苦々しそうな顔つきで類を睨んだ。
「聞こえた、さくら?」
けれど、類はお構いなしで、天使のほほ笑みを振りまいてくる。
「き、聞こえました……よ。じゅうぶん過ぎるぐらい」
どきどきが止まらなくて、倒れそうだ。
「かわいいなあ、首筋まで赤く染まっちゃった。どのへんまで染まっているのか、確認してみたいよ。じゃ、行こうか。このままだと、面倒くさいことになる予感」
類はさくらの手を取った。
「下りのほうが、あぶないからね。一段ずつでもいいよ? なんなら、お姫さまだっこで」
「勝負、あったで。さくら、あんさんの声がいちばん小さかったさかい、お昼はさくらにおごってもらうに決定!」
「でも、祥子さんの『世界平和』っていうのも、壮大過ぎてうわべっぽいですよ?」
「平和さかい、恋もでけるんやで。さくら?」
う、言い返せない。
「もう。ぼくのさくらをいじめないで。ぼくが出すよ。さくらのものは、ぼくのもの」
「類くん、ごめん。ありがとう」
巫女アルバイト代が入ったら、返そう。類に借りを作るのはあぶない。
「この中でいちばん稼いでいるのは、お前だから同然だろ。初めから、お前がおごると言え」
「けち、玲」
きょうだいが、いがみ合っている。さくらは、割って入った。
「あの、お昼の前にお願いがあるの……私、早く着替えたい! もう、げんかい……」
着物をギブアップしたさくらは祥子と高幡家に戻り、もとの服を着てからお昼ごはんを食べに出かけることになった。
柴崎きょうだいは、先に洋食屋さんへ向かった。
高幡家までの五分間。
「祥子さんは、私が町家を出て行ったほうが、うれしいですよね」
「は? なして、そないなこと聞くん? さくらがおらんようなったら、さみしゅうなるわ」
「でも、玲を独占できますよ」
祥子はげんこつを作り、さくらの頭をぽかんと打つふりをした。
「あほか。あんさんが出て行ったら、玲は悲しむ。あないな広う家にひとりなんて、想像してみなはれ」
それはきっと、すごくさみしいと思う。
明かりのついていない、暗い家。誰も待っていない家。自分で鍵を開ける毎日。
「うちは玲が好きや。好きな人には、いつでも楽しゅうあってほしいねん。玲が、さくらを好きでも構わんし。玲は、いつもさくらのことを見てはる。いつも考えてはる。焦ったように仕事に明け暮れてはるんは、さくらのために、早う世間に認められとうおすさかい。けど、最近のさくらは、類と仲良うしとるし」
胸の奥が、ちりちりと焼けるように痛い。
「この帯だって、ほんまはうちが締めとうおすよ。けど、その色に仕上がった。言わへんかったけど、玲は、さくらに使うてほしかったはずや。うちは、さくらには、なれへん。玲、めっちゃ喜んどったやろ」
「は、はい……」
さくらには、いけずばかりの祥子だが、玲に対してはとてもやさしい。
「そやから、さくらは迷わんでよろしい。嘘ついたらあかんえ。心の答えをきょうだいに遠慮のう、ぶつけたらええねん。ま、さくらで毎日遊べなくなるかもしれへんのは、うちも残念やけど、大学で会えるやろ」
笑顔で、祥子はさくらを見た。今は、頷き返すのが精いっぱい。
「あの。もうひとつ、ついでに聞きたいことがあるんですけど、類くんが言っていた『ヒメハジメ』って、なんですか?」
「あほか。グーグル先生に聞きよし。処女で鈍感な、さくららしい質問やね。ま、ええわ。耳、貸しなはれ。新年に、男女が……」
「ええっ!」
さくら、今日いちばんの大声だった。
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