2-3:デパート地階:封鎖1
俺は反対側の、登りエスカレーターに走った。
上の階に出よう。
そうすれば、きっと――
だが、先に到着した中年の太った男性が、上を見上げたまま固まっている。俺は手摺に飛びついて――それが動いていないのに気がついた。
「……まずいぞ」
中年の男性が呟く。その視線の先では、大きなソファーや椅子が、バリケードのようにエスカレーターの中程を塞いでいた。
俺は下りの方を見る。
こちらによろよろと歩いてくる、多分ゾンビ連中越しでも、手摺が動いているのが判る。
……まさか。
俺は中年男性と顔を見合わせ、その目の中に、同じ最悪の想像が渦巻いているのを感じた。
悲鳴が上がる。
だだだっとまた落ちてくる音がして、俺はエスカレーターから離れた。
地階は、大きな階段が中央にあって、その両隣にエスカレーターが設置されている。悲鳴と音は、その中央の階段からだった。
階段から何人かの人が走り降りてくる。最期に尻餅をつく形で、二瓶が床に転がった。俺は彼女に駆け寄ると、階段を見上げた。
上の階に繋がる、大きな防火扉が、ゆっくりと閉まろうとしている。
階段には、連中がたくさんいた。
倒れている奴、起き上がろうとしている奴、こっちに向かって血まみれの口を開け、唸り声を上げる奴。
あれも――全員ゾンビ――なの?
閉まる扉越しに、上がちらりと見えた。
大勢の人達がごったがえし、悲鳴と、叫びと、足音と、押さないでください、落ち着いてください、という落ち着きのない拡声器の声。
「……上に来るな、って言われちゃった」
俺は、ゆっくりと二瓶を見た。
「上の――フロアチーフが、誘導が終わるまで、下にいろって、上には絶対に来るなって……」
ごごんっと音がして、再び上を見ると、防火扉は完全に閉まっていた。
閉じ込められた。
体が冷たくなるような感じなのに、汗がどっと吹き出し、生まれて初めて歯がカチカチいうくらいに体が震えだした。こめかみや胸の筋肉がつっぱるくらいに、またまた鼓動が激しくなってくる。
「ど、どうしよう……」
俺は、消え入りそうな二瓶の声に我に返った。
二瓶は泣いていた。
その後ろには、真っ青な顔の小さな女の子が拳を握りしめて、立っている。
その隣には妊婦さんが胸に手をやって、息苦しそうにしている。さっきの、タオルおばさんも呆然とした顔で、階段を眺めていた。
相変わらずがたがた震えている気弱リーマンに、さっきエスカレーターを一緒に覗いた中年の太った男性が、血走らせた目をあちこちにやっている。
一番後ろには、制服の女子高生がいた。メイクバッチリのきつい感じの彼女は、落ち着いてるように見えたが、物音がする度に、肩をびくりと跳ね上げている。
男は俺を含めて三人――
階段を見上げると、連中がじりじりとこちらに降りてくる。
上りのエスカレーターの方からも、何人か現われた。
誰も、動かない。
動けない。
顔を左右に動かしたり、頭を抱えてしゃがみ込んだり、立ったまま震えているだけだ。
二瓶も口をパクパクさせてるだけで、さっきと同じく尻餅をついたままだ。
足音が、唸り声が、近づいてくる。
な、なんとかしなくちゃ……。
俺が、なんとかしなくちゃ……。
「み、みなさ~ん、と、とりあえずぅ、かかかか階段から離れみゃしょうか?」
ちょっと声が甲高かったかもしれないし、少しばかり噛んだかもしれない。
タオルおばさんと女子高生、そして小さな女の子がぶっと吹き出し、中年男が、は? と声を上げた。二瓶は目を瞬かせると、涙ぐんだ目で、ふふっと小さく笑った。
彼女は、ゆっくりと立ち上がり、俺の肩を軽く叩いた。
「……ダ~チ~、中々カッコいいんじゃないか?」
「……へ? ホント?」
「嘘だよ……」
「……あ、そう」
「まあ、それはともかく……あたしが言えた事じゃないけど……君、涙拭けよ」
「う、うるせーよ! こえーんだよ!」
俺がそう叫ぶと、皆はざわざわと体を動かし始めた。
「こっちに!」
二瓶はそう言うと、皆の先頭に立って、店の奥に走り始めた。
俺達は、洋酒専門店ブースに入ると、カウンターの後ろに身を隠した。
「お、おい、あんた! どうなってるんだ、これは!? あんた店員なんだろ! 何が起きてるか説明してくれ!」
座るやいなや、太った中年男は、二瓶に詰め寄った。
「わからないです。あたしは、ただのバイトですし」
二瓶は落ち着いた、というよりはメンドクサイという感じで答えると、固定電話の受話器を中年男に向けた。
「内線も外線も繋がらないんです。携帯も駄目だし、他の店員達もどっか行っちゃうし……」
女子高生が手を挙げた。
「他の店員さんなら、あたし達と同じく、どっかに隠れてると思う。通路にみんなで逃げ込んでいくのを見た」
中年男は、今度は女子高生に食って掛かる。
「はあ!? お前、それを見てたんなら、さっさと言えよ! 俺達もそっちに合流――」
俺は堪らず、中年男の前に滑り込んだ。
「おっさん、もっと静かにしてぇ! 来ちゃうぅぅっ! ゾンビ来ちゃうのぉ!」
必死の説得の甲斐あってか、中年男は俺をじっと見つめてから、下を向き、顔をごしごしと擦った。
「……申し訳ない。動転していた。馬鹿な態度を許してほしい」
タオルおばさんが、いいんですよ、と苦笑いした。
「あなたが言わなかったら、あたしがヒステリーしてましたから」
中年男は、女子高生と二瓶に頭をもう一度下げると、俺に顔を近づけた。整髪料と汗の匂いが、ぐっと強くなる。
「しかし、ゾンビって……あのゾンビか? あの――死体がうろうろして人を食べる、あれか?」
「そ、そうっす。多分……だって――」
俺はカウンターの端まで行くと、そっと通路を見た。
さっきの首の折れた女性が、近くの精肉店の前をすり足で歩いている。
「……あそこの女性、どう見たって死んでる怪我ですよ? なのに動いてるんですよ? あと、指も噛み千切ったし」
「ドラッグの可能性は?」
中年男の言葉に、女子高生が顔を近づけてきた。
「んなわけねーっしょ。一人二人なら、ありえっかもだけど、あんだけいるんだよ?」
妊婦さんが不安そうな声を出した。
「あの……何が起きてるか正確に判る方はいらっしゃらないの? 何で、階段のドアが閉まっちゃったの? 上で何が起きてるの? あの人達は――」
段々と声が大きくなる妊婦さんの口を、中年男が素早く、そして優しく手で塞いだ。
「落ち着いて。なあ、誰かネットで調べてみてくれないか? 俺のスマホは、さっきの騒ぎで落としちまった」
俺は二瓶と顔を見合わせ、手をポンと打つジェスチュアをやりあった。
そうだよ、そうだよ! こういう時のネットで、スマホじゃん!
女子高生が、さっとスマホをこっちに向けた。
「ネットやSNSだと、ゾンビだってみんな言ってる。電話は繋がらない。メールは送れるっぽいけど、送らない方が良いかも」
「え? 何で?」
俺の質問に、女子高生は、スマホを軽く叩く。
「だって、向こうでも隠れてて、そんな時にメール送ったら、向こうの人が着信音で気づかれちゃうかも、でしょ?」
全員が女子高生を見つめ、ぽかんとした後、凄い勢いで携帯を取り出すと、マナーモードにし始めた。
女子高生は、やってなかったんかい、と呆れた様な声を出した。
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