2-6:デパート地階:囮2
うっすらと予想はしていたが、高野さんは遅れた。テーブルや椅子に腹が引っ掛かり、ショーケースを乗り越えるのにも失敗したのだ。仕方なく、通路に飛び出そうとしたがゾンビの一団は洋菓子店の中に入ってきていた。
俺は高野さんの手を握ると、ショーケース越しに思い切り引っ張った。
ぎゅーっという音と、汗の跡を残して、高野さんは洋菓子店から脱出できたが、着地に失敗。何とか起き上がったが、足を捻ったらしく、ううっと呻きながらケンケン状態になってしまった。
「っつ……君、安達君、先に行きなさい! ほら! 早く!」
ゾンビは、さらに増えて、続々とやってくる。
「おい、おらっ! こっちだぞ、こっち!」
俺は洋菓子店のショーケースに飛び乗ると、手をばんばん叩いた。
高野さんが、何を――と言いかけ、くそっとか言いながら、足を引きずって歩き出す。俺はショーケースから飛び降りると、ゾンビの群れに近づいた。
「よっしゃ、こいこい! おらっ! こいよ、おらっ! いらっしゃいよ!」
イキってる魚屋みたいな掛け声だな、とぼんやりと思いながら、俺はショーケースを叩き、隣の和菓子店に走り込むと、どら焼きの袋を手当たり次第ゾンビに投げつけた。
群れは俺を追いはじめた。
高野さんはエスカレーターの横を通り抜け、反対側の食品店舗街に入って見えなくなった。
俺はまたもショーケースに飛び乗ると、天井にぶつけないように頭を下げ、その上を思い切り走った。
バリッバリッと音がして、足元が下にずれる感触、すかさず店内に飛び降りると、大きな音を立て、ガラスケースの上部分が落下した。ガラスが砕け、更にすごい音が響く。
俺は和菓子を乗せるお盆を掴むと、それを両手で掴んで、アメコミヒーローのごとく、ハンマー投げの要領でゾンビに向かって投げつけた。ごつっという音を立て、先頭のゾンビが頭をのけ反らせ、将棋倒しのように大勢を巻き込んで倒れた。
俺は和菓子店を飛び出すと、目の前にある休憩所の隅にある消化器に飛びつき、ゾンビの方にホースを向けて――使い方が判らない事に気がついた。確か横に説明が書いて――
ゾンビが休憩所横の植木の影から現れた。
ふわっと伸ばされた手が、俺の鼻を掠める。
瞬間、俺は消火器を両手で持つと、振り回していた。水っぽい音を立て、ゾンビは体を捻って植木に倒れ込んだ。同時に、消火器のホースから勢いよく白い粉が吹き出す。
ああ、そういや泡とかじゃなくて、薬剤を出すんだっけ。これじゃ目つぶしとかにはならないか……。
俺は肩で息をすると、消火器を床に置いた。
重いな……。
額を拭うと、汗がやけにねっとりとしている。しかも、息の乱れが収まらず、足まで震えだした。
あ、あれ? なんか、体が……急激にだるい。
噛まれた?
い、いや、痛みとかはないし――もしかしなくても、体力の限界ってやつ?
それとも、脳内麻薬を出し過ぎて、賢者タイムに入ったとか?
俺は両ひざに手をやると、下を向く。肩で息をしていると、冷房がやけに冷たく感じ、手足が痺れてきた気がした。
一瞬、なにもかもどうでもいいや、という思いが頭の中を過った。
大体――こんな走り回って、人助けなんて俺のキャラじゃないよ。
でも、まあ――それなりにうまくやれたみたいだし?
俺は顔を上げる。
ゾンビ達に包囲されつつあった。
息の乱れが治らず、体が、足が、ともかく、だるすぎる。
俺にしちゃ、よくやったよな?
ちょっと楽しかったし……。
でも、なんかもう、めんどくさいな……。
チン! と甲高い音が遠くから聞こえた。
「ダチーっ! 太ったオッサン、オッケーだから! 早く来ぉぉぉいっ!」
脳につつき刺さる二瓶の声に、はっとして飛びのくと、覆い被さるように襲ってきたゾンビが、床に転がった。
俺は植木鉢を掴むと、横にいた奴に叩きつけた。そいつは、この暑いのにスーツをきっちり着込んだサラリーマンゾンビで、深緑色の植木鉢で頭を殴られると、よろけて膝をついた。
俺はその上を飛び越える。
体が重い。
「あああああああああああああああああああああああっ!」
だから、声を出さなければ走れなかった。
ついさっき、自分が命を投げ出そうとしていたのが、とてつもなく怖かった。
だから、俺は喚き続けた。
階段を通り抜けると、すぐに扉が開いたエレベーターが見えてくる。
こ、こんなに近かったのか!
色々な意味で、俺は泣いた。
エレベーターの中には、一緒に隠れていた面子が待っていてくれた。
だが、連中の唸り声が聞こえる。
後じゃない。
前からだ。
ショーウィンドウ越しに、エレベーターの左からゾンビが数体、近づきつつあるのが見て取れた。
「扉! 閉めて! ゾンビ! ゾンビ!」
俺の声に、二瓶はゾンビに気がつく。
交互に俺とゾンビを見ながら、二瓶はエレベーターの内側、多分開閉ボタンに手をかけた。
俺は全力疾走しながら、国民的ロボットアニメ最終回よろしく、逃げ込める場所があるなんて、こんなに嬉しい事はない、と叫ぶ。
アホかっと怒鳴りながら、二瓶は体を引っ込めた。
閉まりゆくエレベーターに向かって、俺はヘッドスライディングで滑り込んだ。
床は、俺が予想していたよりも、よく滑った。もしかしたら、さっきの消火器の薬剤が、服についていた所為かもしれない。
ともかく、俺は扉が閉まる寸前に、華麗にエレベーター内に滑り込んだ。
小さな女の子が、目を丸くして、カッコいい! と叫ぶ。
俺は、止まれなくて、そのままエレベーターの壁に激突して、カエルがつぶれた様な声を上げ、逆さまになった。
モップを持った女子高生が、短く、ダサッ! と叫んだ。
妊婦さんとタオルおばさんが、やったわ! と手を取り合って喜んでくれた。
携帯を耳に当てたまま隅で縮こまっている気弱リーマンの近くにいた高野さんが、は~、と大きく息を吐くと、足を引きずりながら、隅から歩いてきて、俺に手を差し出した。
俺は、大丈夫っすよと跳ね起きる。
高野さんは俺の肩を強く叩いた。
「安達君! ……ありがとう! 君は、命の恩人だよ! 本当にありがとう!!」
ボタンパネルの前にいた二瓶が、振り返って溜息をついた。
「……頭、ぶつけなかった?」
俺はへらりと笑う。
「ぶつけたけど、まあ、大丈夫かな」
「……まったく、キャラじゃない事やるから、そうなるんだよ……。
ま、君の『そういうトコ』、ちょっと『好き』だけどね」
俺は目を瞬かせた。
今――もしかしなくても、俺のこと、『好き』って言った?
嬉しさが爆発するように体に溢れた。
顔がへにゃへにゃになりそうになる。
いや、まだだ!
ここからだ!
さあ、言え! はっきり言うんだ、俺!
「あ、あの~二瓶さん、わ、私、実はですねえ――」
チン! と扉が開き、俺はそれ以上言葉を続けられなくなってしまった。
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