8-2:K橋2
人の話し声が大きくなってきた。
誰かが、おおっと叫んだ。そちらを見ると、三人の男性がコンビニに駆け寄っていく。私も後に続いた。
コンビニの前に、大きな青いタライが置いてあった。横には『無料! ご自由にお取りください』と書かれた白い紙が貼ってある。
三人の男達はタライを覗きこんで手を入れると、がごがごと音を立て掻き回している。私達が到着すると、顔を上げ、笑みを浮かべた。
「まあ、ありがたいけどね。来るのが少し遅かったみたいだ」
私達もタライの中を見て、少し笑ってしまう。
ぬるい水の中に入っていたペットボトルは、銘柄は控えるが――甘いお茶『だけ』だった。どうやら、不人気一位の飲み物のようだ。
張り紙の反対側には、やはり『ご自由にどうぞ』と食べ物が並んでいた――らしいのだが、あるのは、某メーカーのバランス栄養スナック系食品だけだった。
疲労にはもってこいだが、と私達は苦笑いを浮かべたまま、それを皆で分け合い口に入れる。たちまち口の中がパサパサになるが、甘いお茶で潤した。
美味い、と心底思った。
「おい! あんたら!」
私達は驚き、その場から飛び退った。ペットボトルが、がろんと音を立てて落ちる。
「いや、すまん。驚かせちゃったかな。こっち来なよ!」
頭にタオルを巻いた日焼け男が、コンビニ横の車の向こうから手を振っていた。
私達はそちらに近づいた。
タオル男は一歩下がると、そこ上がっちゃっていいから、と言った。
「俺の車だから、乗ってもOK! どうせ買い替えるつもりだったしね!」
私達は、コンビニの壁にぴったりと着けて停めてあった車のボンネットを乗り越えた。振り返ってみると、周囲の車は、前後を微妙に被せて駐車してあるのに気がついた。
「こうすると、ゾンビは来れないんだぜ? こんな簡単な事で足止めできるんだぜ?」
タオル男は笑いながら、ほうっと叫んで手を打った。
前方に人ごみが見えてきた。
大きな安堵感が溢れてきて、同時に足にぐっと疲れが襲ってきた。
私は、手近にあった車にもたれると、お茶をあおった。一緒に来た面子は、ばらけると人ごみの中に消えて行き、もう誰が誰だかわからない。
人ごみの先にはK橋があった。
タオル男が煙草を奨めてきたが、私は吸わないので丁寧に断った。
「どっから来たの? 俺は原宿の方から来たんだけど、あっちは酷かったねえ。もう、いつの間にか、ゾンビうじゃうじゃでさ!」
タオル男の煙草は震えていた。
私は某デパートの名前をだし、そこから東京駅を経由してここに来たと言った。
「ああ、やっぱ東京駅ダメか。いや、そこに行こうって話あったんだけどさあ、人が多いとこはやべえってみんなが言うから、俺は嫌だったんだけど、ここに来てさ――」
タオル男はK橋を親指で指した。
「あんたも、K橋が上がってるって聞いたんだろ? 上がってないぜ? バリケードはあるけどね」
私は、しばらくタオル男を見た後、頷いた。そして、さっきの車、君のじゃないんだろうと聞いた。
タオル男はにやりと笑うと、手を振って、小走りで人ごみの中に消えて行った。
私はお茶を全て飲み干すと、バッグにペットボトルを突っ込み、橋に向かった。
右手には白い塀――工事用の仮囲いが並んでいた。『工事中』の看板で、ああ、ここはT市場かと納得する。
道路の真ん中で、車によじ登ってみると、成程、橋の真ん中で三台のバスが横づけで壁のように停めてあるのが見えた。大勢の人がバスの横腹を叩いたり、叫んだりしているが、向こうからの反応は無いようだった。
多分、さっきの車の壁を作った人達が作ったんだろう、と私は思った。
良い悪い、ではなく、ああ、そうなんだと淡々と思った。
橋の横の、隅田川が見渡せる場所に移動する。
涼しい風に溜息をつきながら、川を眺める。ひしめき合うゴムボートに警笛を鳴らしながら、水上バスが通り過ぎる。
その時、どぼん、と音がした。呆けていた私は、驚いて小さく、うわっと声を出してしまった。私の隣にいた金髪の男性が、ああ、またかと呟いた。
「馬鹿が飛び込むんだよ。水の中が涼しいと思ってるらしいんだわ」
私は、ううんと唸った。
しかし、いつでも陸に上がれる場所があるし、いざとなればボートに乗せてもらう事もできるんじゃないか?
金髪はスマホを取り出すと、写真を撮った。
「いやあ……隅田川は意外に流れが速いんだ。それに、そら――」
金髪の指差す方を見ると、私はまた、うわっと小さく叫んでしまった。
水に浮かんだ男性の方へ、人が流れてきた。長い黒髪をざわざわとなびかせた女性で、左肩と頭を出したまま、ゴムボートにぶつかりながら、ゆったりと男性の方に近づいていく。
ゴムボートの上の人達が騒ぎ始めた。顔を拭っていた男性に、近くのゴムボートの人達が速く逃げろと叫ぶ。男性は辺りを見回すが、ゴムボートが邪魔で判らないらしい。女性は浮き沈みしつつ、男性の方へと近づいていく。
「あれ、判ってると思うが、ゾンビだ」
泳げるのか! と私は驚いた。
「いや、泳いでるってよりも、浮いてるだけだな。で、手足を動かしてるんで前に進んでる。ゴムボートが多いから、行き過ぎて流されずらいってだけさ」
男性は近くのゴムボートに掴まると、何とか乗り込もうとした。だが、先に乗っている人達に、手を引き剥される。どうやら、ゴムボートは既に限界まで人が乗っているようで、男性が乗ろうとしただけで水がどっと入った。慌てて皆が水を手で掻き出す。
男性は悲鳴を上げて、土手の方に泳ぎ始めた。
ゴムボートの影から黒髪ゾンビがぬるりと現れた。
人の体は、何もしなければ浮く。
ゾンビは、まだ肺の中を含めて、体の中に空気があるはずだ。だから、浮くのだろう。
ゴムボートに乗っていた一人が、女性の頭を後ろから叩いた。
その勢いで、女性はくるくる回り始めた。手足がゆっくりと水から出入りするが、どんどんと流されていった。
よかった、と思ったのもつかの間、土手を目指して泳いでいた男性は、ふいに沈み、それっきり浮いてこなかった。
「この下、水飲んで沈んだゾンビが、うろうろしてんだよ」
金髪はそう言うと、スマホを仕舞った。
「あんた、どっから来たの?」
私は何も言わず、金髪の顔を見た。
知っているなら、男性にここから警告できたんじゃないのか? こいつは、あの男性を見殺しにしたようなもんじゃないか?
金髪は口の端を上げた。
「俺は、こうやってスマホで真実を集めて、皆に報せてんだよ。だから、ああいう馬鹿は良い教訓になるってわけ。わかる? あんただって、ここに来るまで犯罪の一つや二つやってんだろ? 偽善者ぶんなって」
私は何も言わず、金髪から離れた。
「皆さん、準備ができましたので移動してください!」
K橋入口の道路の真ん中に、自衛隊員一人とと警察官一人が立っていた。
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