10-2:対決2

 重三さんが足を止める。

「ちょっ――」

 二瓶が言葉を詰まらせた。

「君! それを返しなさい!」

 自衛隊員の声を無視し、俺は手榴弾のピンに指をかけた。

「二瓶、扉を開けて隣に行け」

「は? ちょっとダチ! 何言って――」

 じりじりと重三さんが、俺に近づいてきた。

「君は――それを爆発させるかもしれんな」

 重三さんは二瓶に語りかけているようだった。

「自分を犠牲にして、彼女を守る。言うは易し行うは難し、というやつだ。君は追い込まれると、馬鹿力を出すタイプ――」

 俺はヤケクソ気味で叫んだ。

「早く行ってくれよぉぉっ! これ以上近づかれちゃったら、これ意味ねーんだってばよぉ! これ時間稼ぎぃ! わかるぅぅぅ!? もうちびりそうなん――」


 重三さんが猛然と駆けだした。

 俺は踵を返すと、手榴弾のピンを抜いた。安全レバーが外れ、それを見た二瓶と自衛隊員が扉を開けて、隣の車両に飛び込む。

 重三さんは前に跳ぶと、俺の両足にタックルをした。

 流れるプールで大きな波に押されたような圧倒的な力で、俺は持ち上げられ、そして押し倒される。

「勇敢だったが――詰めが甘い。君はずっとそうだ。違うかい?」

 重三さんの言葉に、俺は笑った。

「い、いやあ、違うんじゃないすかね? 二瓶! 扉から離れろぉぉぉっ!!」

 そう、狙い通り、手榴弾は貫通扉の間、連結部分に収まっていた。

 俺は頭を庇い、重三さんの下に潜り込んだ。


 爆音とともに、車体が揺れ、扉が吹き飛んでくる。世界が回転し、硬くて重い物に頭をぶつけて、ぼーんという音以外に何も聞こえなくなる。

 電気がぱっぱっと明滅しているのは現実なのか、俺の頭が揺れてる所為なのか。

 いや、間違いなく明滅している。非常用のバッテリーで動いている。

 つまりは――


 俺は立ち上がった。

 吹き飛んだ扉の向こうには闇が拡がっていた。

 車両は徐々にスピードを落とし始めている。


「切り離した、か」

 電気が消える。

「やはり君は、真っ先に殺しておくべき存在だった。あの最初のエレベーターで、私は重三に注意したのだ。君は『私達』の邪魔になる、とね」

 闇の中から声が漂ってくる。

「……私『達』?」

 俺の質問に、意外なほど近くから答えが返ってきた。

「私は重三の父親だよ。彼が孤児院で物心ついた時からずっと一緒にいる。ありていに言えば、もう一つの人格だな」

 足に衝撃があり、闇の中、天地が逆さまになる。咄嗟に頭を両手でカバーしたが、背中を打ち息が詰まる。


 ごそっと馬乗りになってくる重い物体。


 電気が明滅し、俺の上に馬乗りになった重三さんが眩しそうに頭を振った。

 またも電気が消え、闇の中から声が降ってくる。

「……私は重三をいつも導いてきた。その果てが、こういう結果になるとは思わなかったよ。重三には幸せになって欲しかったからね。私は、あくまでも、日陰の存在で良かった」

 脇腹に固い物が打ち付けられた。激痛と衝撃で、肺に残った息が絞り出される。今や車両は完全に静止したようだった。

 俺は重三さんを押しのけようとした。シャツが破れ、血が流れているようだった。脇腹の辺りに大きな傷があるようだったが、そこに触っても何の反応も無い。

 またも固い物が、脇腹と胸にドスドスと打ち付けられた。

「だが――今は全てが私の思う通りに動く。まあ――体が死んでいるから、一部の感覚も消えてしまっている。だから、君のアバラを砕く感触が味わえないのは、残念ではあるけどね」

 生臭い息が、俺の顔に吹きかかった。

「あんた――ゾンビなのか?」

「そうだ。私は今ゾンビなのだ。だが、消滅したのは重三の人格だけだ。

 つまり私は生きているのだ!」

 重三さん、いや父親は笑った。

「重三が死んだことによって、私は生き始めた!

 勿論、いずれはこの体は腐敗していくだろうが、脳が健在のうちは動ける!

 ならば、やることをやるだけだ。それが私の生きている証なのだからね!」

「あんた――あんたが狂ってるから重三さんはおかしくなったんじゃねえのか?」

 父親は再び笑うと、俺のアバラをグイグイと押した。痛みが酷すぎて、声も出ず頭が真っ白になる。

 その白の向こうに、音があった。


 足音だ。


 大勢が、こちらに向かってくる。

「君はどうだね? 昨日まで本当の意味で生きていたのかね? ん?」

 父親の質問に俺は答えず、耳を澄まし続ける。

 二瓶の声が聞こえた。

 俺の名前を呼んでいる。

「どうやら、応援が来たようだが――安心したまえ。君も含めて全員、ゾンビにしてやろう。私はこの騒動を絶対に終わらせないつもりだ。私にはそれができる」


 俺は震える体を、何とか一本に絞り上げると、拳をゆっくりと持ち上げた。


「……君、一体何をするつもりだね?」

「ぱ……パンチですぅ。これが、躱せるか……なんてね」

 俺は父親の脇腹の傷に拳を叩きこんだ。ごぼりという音ともに、腕が生暖かい体内に、手首までめり込んだ。

「聞いていなかったのかね? 私の肉体はゾンビなのだ。だから、痛みは感じないのだ」

 父親の顔が近づいてくるのが判る。

 涎が喉にぽたりぽたりとかかり、生臭い匂いが近づいてくる。


 つまり、狙い通りだった。


「こ、ここを――照らしてくれ!」


 俺の叫びに、さっと強い光が二つ走った。

 強力な懐中電灯二つの光。

 俺の喉に噛みつこうとしていた父親は、呻き、手で顔を隠す。

 俺は脇腹から手を引き抜きながら、父親を蹴り飛ばし、扉の方に転がった。

「あ――あんたは、ゾンビだ。だから、体は反応しないのに、いてえ! くそっ――強い光に『眩しい』と思ってしまう……」

 父親は目を擦りながら立ち上がった。

「成程……瞳孔が収縮できないのが、これほどとはね。だが、まあ、判ってしまえばどうとでもなる。感覚器官はまだ生きているからね。目も見えるし、臭いも嗅げる。私の勝利は揺るがないと思わないかね?」

 俺は脇腹を抑えて、息を荒げながら立ち上がった。

 ライトが俺の背中を照らしている。父親はにやりと笑う。

「君が邪魔で、外の自衛隊員達は銃も撃てない。だが、君はアバラが折れて満足に動けない。全く人間の体は不便だな。そう思わないか?」

「つ、つまり、ゾンビの体の方が凄い、と?」

 俺は父親の方に手を掲げた。

 父親は笑った。

「待ってくれ、と言って待つと思うかね?」

 俺は、はへっと痛みのあまり気の抜けたような笑い声をあげた。

「お、俺が思うに……あんたは――ゾンビとしても人間としても中途半端なんだよ。

 痛みを感じない? すげーよ。俺は、今ヒデーことに――いててて……だけどさ……」

 そこで父親は、ようやく俺の指にぶら下がっている物に気がついた。


 ピンだった。

 自衛隊員が持っていた、二つ目の手榴弾のピンだ。


 父親は脇腹に手をやるが、その傷から手榴弾の安全バーが飛び出した。

 俺は、ぎゃあとか叫びながら、持てる力の全てを振り絞って、扉から外にしょぼいダイブを敢行した。そして、爆発するぞとカッコよく叫ぼうとして

「ば、ばくはつするにょ!」


 噛んだ。


「こ、こんな――」


 ライトに切れ切れに照らされた父親は、言葉を終えることなく、鈍い音と共に木っ端微塵に吹き飛んだ。

 爆圧が俺の貧弱な体を吹き飛ばし、世界はぐるぐると回り、やがて黒一色になった。

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