第17話 ロキの激昂
どこを見るでもなく、まるで魂を抜かれたように立ち尽くす男が二人。
その男の目の前でアンナが恐る恐る手を振っている。
「ほんとに何も反応しないね……」
無理やり工房に侵入してきた警備隊の二人は、クルフストスの作った魔道具により自我を失ってしまった。
それはまるで人形のように、ただぼーっと立ち尽くすだけになってしまっているのだ。
「人間の脳みそっていうのはねある伝達物質の信号によって動いているってのが俺の仮説でね、その信号を魔力によって変えてやったり遮断してやったりできないかとずっと研究して……」
多少アンナが興味を示したとみたか、クルフストスは延々と自身の作った魔道具の説明を始めた。
動かなくなった二人には興味津々だったアンナも、クルフストスの説明にはうんざりした顔を浮かべている。
っと、そこにロキが我に顔をよせ耳打ちをしてくる。
「すみません、エルレナ様。親方は魔道具の説明をしだすと長くて……」
ロキはロキで、毎度の事であるとクルフストスの説明を軽く受け流しているようだ。
「いや、なかなか興味深いぞ。これは魔道具として簡略化しておるが、魔術としても応用できるということであろう? 実に面白いではないか」
「エルレナさん、あなた話の分かるひとだね。ははは、そうなんですよこれは、…………」
少し軽はずみな事を言ってしまったか、ここからクルフストスの話が一層止まらなくなってしまった。
ロキとアンナはそれを見て一つ深い溜息を吐いた。
ここから暫くクルフストスの話が続くのかと思いきや、そこはアンナも慣れたもので合間に話を割り込ませてクルフストスの話を打ち切らせる。
「クルスその話はまた今度にして、今はミイナの話に戻しましょ」
「――っあ、ああ、そうだったね、いやぁ、ごめんごめん。その為にこの魔道具を出したんだったよ、忘れてたな。ははは」
アンナはクルフストスが取り出した魔道具を訝し気に見た。
「その魔道具って、元には戻せるんでしょうね? まさか、ずっとあのままなの?」
そう言いながらアンナは警備隊の二人を横目に見る。
今も虚ろな目をして立ち尽くす男が二人。
まるで廃人のようだが、クルフストスは大丈夫と頷いた。
「この道具でちゃんと元に戻る、はずだよ……。まあ、試したことは無いから戻らないかもしれなけどね、ははは」
「ははは、じゃないでしょあんた……」
頭を掻きながら笑うクルフストスに、アンナは呆れた顔を向けた。
「それで、この者らはどうするのだ? なんでも訊きだせると言っておったが……」
この状態になった者は自我を失い訊かれた事に何でも答えると言っていた、恐らくミイナの行方に関する事だろうが……。
「ああ、そうでした。奴隷商の事を訊くんですよ。闇で取引きを行っている奴隷商も、法をすり抜けるには警備隊の協力が必要でしょ? だからこの二人から何か情報を引き出せないかと思いましてね」
その言葉は、一気に皆の興味を引いた。
「そうか……、確かに警備隊と闇社会の繋がりは前から噂があった……」
アンナが呟くようにそう言うと、クルフストスは一つ首肯する。
「お、親方、早く訊きだしましょう。早く、ミイナの事をっ」
逸る気持ちを抑えきれないといった様子のロキ。
クルフストスはその気持ちを抑えるように、まぁまぁと手でロキを宥める。
「まだ、ちゃんと効いてるかわからないからね。まずは、普通の質問から――」
そう言ってクルフストスは警備隊の前まで行って、二人の眼前に先程の魔道具を取り出した。
「――さあ二人とも、俺の質問に答えてもらうよ。君たちはここに何をしに来た?」
クルフストスの質問に、二人は抑揚のない声でぼそぼそと応える。
「大通りで……、獣人が殺された……」
「俺たち……、それを調べるために、この辺で聞き込みをしている……」
たどたどしく喋っているが、確かに訊かれた事に答えている。
どうやら魔道具は正常に作用しているようだな。
クルフストスも自身が作った魔道具の出来に満足げな笑みを浮かべておる。
「じ、獣人が……? そんな事が起こってたの?」
驚いた声を上げるアンナだが、クルフストスの方は何かを察したのか此方をチラリと横目に見てきた。
我はその視線を逸らし、その答えとした。
「ふふふん、この魔道具は実験ができなくて心配だったけど、どうやら成功したとみて良いみたいだね。さて二人とも、知ってる事を話すんだ。君たちは奴隷商の事をどこまで知っている?」
この話を続けるのは不味いと思ったのか、誤魔化すように話を変えるクルフストス。
しかし、この後の警備隊の言葉に息を呑むことになる。
「……知っている。……奴隷商は、俺たちの小遣い稼ぎ……」
「……小遣い稼ぎ? ……どういうことだい?」
クルフストスは何かを予感したのだろう、一筋の汗が彼の頬を通り地面へと落ちる。
「食い詰め者を使って、……適当な子供を攫ってきて、犯罪の濡れ衣を着させる……」
「それを……俺たちが、……奴隷商に引き渡すと、金が入る……」
「何てことを……」
警備隊と奴隷商の繋がりは予想していても、まさか警備隊が率先して子供を攫っていたとは思わなかったのか、アンナは口を抑えて動揺している。
我の傍にいるロキも動揺を隠せず、その体を震わせている。
動揺なのか、はたまた……。
ロキの魔力が漏れ出し、工房内の空気が心なしか冷えていく。
「警備隊は、……みんなやっている、その為に奴隷商は警備隊の運営に……、金を出していると……聞い――」
「ふざけるなぁ!!」
ロキのその叫び声が工房内に響き渡った。
呼吸を荒げ、全身を硬直させ、我を忘れたように目を血走らせるロキ。
その姿にクルフストスもアンナもさらに動揺する。
「……ロ、ロキ?」
「ロキ、落ち着くんだ。とにかく冷静に――」
「お前らが、……お前らが、お前らがミイナをっ!!」
興奮し、さらに激昂するロキ。
それに伴い今まで抑えていた魔力も一気に放出し、クルフストスやアンナを襲う。
拙いな、ロキがどんどんと冷静さを無くしていっている。
早く何とかせねば、この者らを殺してしまう。
情報が引き出せなくなってはミイナの行方を追えなくなってしまう。
「落ち着け、ロキ……」
「お前らみたいなのがいるからっ!! ……許さない、許さないっ、許さない!!」
その激しい怒りを顕にするロキを見て、ロキが吸血鬼となったときを思い出した。
ロキは激しい憎悪の中で吸血鬼となったのだ。
普段はその感情を押し殺しているが、やはり憎悪は消えてはいない。
我が眷属としては褒めてやりたいところだが、今はちと拙い。
さらに呼吸の荒くなるロキは今にも警備隊の二人に飛びかかりそうな態勢になる。
「……ロキ、待つのだ」
我のその声に反応したかのようにロキの体が動いた。
勢いよくその場から飛び出したロキ。
しかし、反応は我の方が早い。
ロキが警備隊の二人に飛びつく前に、ロキの腕を掴んで我のほうに引き寄せた。
引き寄せた勢いのままロキは我の胸の中に納まる。
興奮するロキを抱きしめ、震える体に手を滑らせてロキの興奮をなんとか宥めた。
「落ち着くのだロキ、お前の憎しみは解っておる。……だから落ち着くのだ」
ロキを力強く抱きながらその頭を撫でてやる。
魔力によって逆立った髪に指を絡ませ、殺気だったロキの心をほぐしていく
その我の指が一撫でするごとに、ロキの体の震えが収まっていった。
そして、ロキの額に軽く唇を押し当てると。
「……エ、エルレナ様……」
ロキの呼吸は落ち着きを取り戻し、ようやくロキの目が我と視線を合わせるようになった。
「ふふ、落ち着いたか? この者らに酬いを受けさせるのはもう少し待つのだぞ。情報を訊きだしてからでないとのう」
「は、はいっ……。すみません、取り乱してエルレナ様にご迷惑を……」
「よいのだ、ロキに苦しみを与えた連中だ。我もこやつらは許せぬでの」
ロキの頭を撫でながらそう言うと、ロキはその瞳に涙を溜める。
ロキはそれを見られまいと顔を俯けるのだが、そこでロキのとった行動に我は意表を突かれた。
ロキが我の背に手を廻してきたのだ。
それは触れるか触れないか、力の籠っていない手の感触だった。
とても短い間であったが、初めてロキが我に抱きついてきた事に殊の外嬉しさが込み上げてくる。
「ロキ、もう落ち着いたかい?」
ロキの様子に驚いていたクルフストスとアンナだったが、落ち着きを取り戻し安堵している。
「あ、すいません親方、もう大丈夫です」
クルフストスに話しかけられた事で、我からぱっと離れるロキ。
もう少し抱きついておっても良かったのだがのう。
「いや、こっちこそ済まなかったね。ロキの気持ちを考えず無神経な質問をしてしまったよ」
「い、いえ、親方すみません、ミイナの情報を引き出さなきゃいけないのに……」
優しく微笑みを向けるクルフストスに対しロキは恥ずかしそうに俯いている。
「辛い目に遭ったんだね、仕方ないよ。エルレナさんも、ロキを宥めてくれてありがとうございます。あれは俺じゃ無理でした」
「よいよい、我もロキの事となると放ってはおけんからの」
我はクルフストスに対して手を振って応える。
「親方、私に気にせず質問を続けてください」
「あ、ああ、そうだね、取り敢えず先に奴隷商の場所を訊いてしまおうか」
こうして我ら三人が話しているのを訝しんで見ているアンナ。
何か疎外感でも感じたか、そのアンナが我らに対して疑問を投げかける。
「あ、あの、エルレナさんと、ロキって、……一体……?」
☆
王都の下層民街区の大通り。
覇気を失った人々が行き交うその通りを、我はクルフストスと共に二人で歩いている。
警備隊の二人から訊きだした情報によると、奴隷商の場所はこの王都に二十箇所ほど点在している。
とりあえず一カ所ずつ虱潰しにするしかないとなり、それを調べるのに我とクルフストスの二人で当たることにした。
アンナがなにやら不満げな顔をしていたが、工房を留守にするわけにもいかず、勝手のわかるロキとアンナに留守番を頼んだのだというわけである。
「良かったのか? アンナに嘘を吐いて」
アンナには、我は元宮廷魔術師ということになっていて、ロキはその弟子という事になった。
ロキの魔力の高さを見込んで、我が奴隷となっていたロキを救ったという話を、クルフストスはあの場で咄嗟に話してみせたのだ。
こやつ、詐欺師の才能でもあるのやもしれぬの。
「いやあ、ミイナを見つけるまでですよ。後で事情を説明すれば解ってくれると思いますよ」
クルフストスは頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。
やはり幼馴染に嘘を吐くのは抵抗があったのかのう。
「ふふふ、それにしてもお主は優しい男だのう」
「どうしました? エルレナさん」
我が笑っているのを不思議そうにしながらクルフストスは訊き返してくる。
「ロキに奴隷商を見せたくなかったのであろう?」
我の言葉にクルフストスは目を丸くした。
「エルレナさんは何でもお見通しですね」
「我は鼻がいいからの、少しだけ人間の感情のようなものが匂うのだ」
我はそう言って得意げに鼻先に指を滑らせた。
「はは、エルレナさんには敵わないなぁ。いえね、……さっきのロキを見て思ったんですよ。もっと大人がしっかりしないとなぁって……。いや、俺が言っても説得力ないんですけどね、ははは」
何故だかロキに対する愛情が我にも伝わって心地好く感じる。
眷属というものは随分と繋がりが強いものだ……。
「さっき我も思ったぞ、ロキにお主のような者がいて良かったなと」
クルフストスはぴくりと反応して一瞬その動きを止めた。
「は、はは、嬉しい事を言いますねエルレナさんは」
「いや、たださっき思った事を言っただけで、別にお主を喜ばせるつもりはないのだが」
「ええ、酷いなぁそれ、ははは」
クルフストスは楽し気に笑い声を上げる。
「ふふふ、なんだ我に気に掛けてほしかったのか?」
クルフストスを揶揄うようにそう言うと。
「エルレナさんに気に掛けていただけるなら光栄ですね」
クルフストスもまたそう返してきた。
「お、我を口説こうというか。なかなか手の早い奴だのう」
「いやいや、そんなんじゃないですよ。ははは」
この者との会話は悪くはない、むしろ楽しくさえ感じる。
どこかロキと同じような空気を感じるのかもしれぬな。
そんな事を考えていた時だった。
一陣の風がさっと吹いたかと思うと、クルフストスの長い髪を吹き上げて隠れていた双眸が顕になる。
それは、鋭く凛々しい瞳であるが、どこか涼し気で澄んでいるなんとも綺麗な瞳であった。
ふむ、なかなかの色男ではないか。
「クルフストス、お主髪を切ったほうが良いのではないか?」
クルフストスは「はぁ、そうですか?」と不思議そうな顔をしながらそう言った。
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