第9話 玩具




「……取引きだと?」



 このロイズという男、既に戦意というものが無くなってしまったかのような表情で我に語り掛けてくる。


 なんとも詰まらない。面白味の欠片もない表情である。



 しかも、せっかく少し面白くなってきたものを、この男はその興を削ごうとしている。



 我はこのロイズという男への苛立ちを覚え、まだ何も話さないうちからロイズに対し強い眼差しを送った。



「――うっ、どうか怒りを鎮めてもらいたい。どうだ、少し話をしないか吸血鬼よ」



 ロイズは表情を崩し、まるで我に取り入ろうとするかのような態度をとる。


 それがまた我の苛立ちに拍車をかけるのだった。



「悪いがそういう手に乗るつもりはない、むしろ不快にすら感じるぞ。言いたい事があるなら早く言え、無駄に時間稼ぎをしようとしておるなら今すぐに皆殺しでもよいのだぞ?」



 そう言って怒気を含んだ眼差しを送る。


 たったそれだけの事だが、ロイズは蛇に睨まれた蛙のように全身に脂汗を噴き出させた。



「わ、わかった、待ってくれ。取引きだ、お前と取引きがしたいんだ」


「だから、それを早く言えと言っておるのだが。これだけ我を不快にさせておるのだ、もしその取引とやらが下らないものであればどうなるか判っておろうの?」



 ロイズはごくりと生唾を呑む。



「取引きというよりも、こちらからの要望に近いが……。頼む吸血鬼よっ! この身一つで退いてはもらえないか!?」



「……お前の身一つ?」



「あ、ああ、俺の命はくれてやる。だから他の者は逃がしてやってほしいのだ。そ、それが無理なら、イザベラ様だけでも!」



 我の躰がゆらりと揺れた。



 そして、肩が小刻みに震えだす。



「くっ、くく、ふふっ、はぁははははは。随分と虫のいい事を言うではないか人間よ。その判断は最初にしておくべきであったが、もう遅いな。お前には存分に楽しませてもらわんとの」


「そ、そこを押して頼む。イザベラ様だけでも……」



 ロイズはさらにしつこく食い下がる。



「くどいぞ、人間よ」


「い、イザベラ様は我ら兵士とは違うのだ、……見逃してはくれまいか」



 我はやれやれと一つ溜息を吐く。



「……人間よ、お前たちはこの森に何をしに入ってきた?」


「な、何? ……っ!?」



 ロイズは言わんとすることに気づきハッとする。



「我を狩りに来たのだろう? まさか狩られる覚悟もなしに我を狩りに来たとは言うまいな。それは通らぬぞ、人間よ」



「くっ! ……くそっ……確かに、吸血鬼の言う通りでは……ある……」



 ロイズはすっかり覇気を無くし、騎士特有の眼光の鋭さも消えてがくりと肩を落とした。



 そして、再び一つ溜息を吐く。



 どうやら取引きとやらは諦めたようだな。



 ――っと、そう思った時である。



 我が瞬きを一つした間に、目の前すぐ近くにロイズが姿を現したのである。


 まさに一瞬のあいだに彼我の距離を詰め、我の眼前へと肉薄した。



 そして、ロイズが我にどんと体をぶつけてくると、我の胸に鈍い痛みが走った。



 この我が痛みを感じるとは、それに何だ今の一瞬で移動した技は……。



 ロイズはさっと我から距離を取り、我を見て苦々しい表情を浮かべる。



「ぎ、銀製のナイフも効かぬとは……」



 銀か……、銀には魔を祓う効果があるというそれか。


 確かに幾らかは効いた、しかしその傷は致命傷となるには遠く及ばぬものである。



「いや、そうでもないぞ人間よ。まあ、針に刺された程度には感じたな。しかし油断させておいて攻撃を仕掛けるとは、なかなかやるではないか。ようやくやる気を出してくれたようだのう。ほれ、次は何を見せてくれるのだ?」



 我の反応を見て、ロイズは手に持っている銀製のナイフを地面に落とした。



「このナイフは別名ヴァンパイア狩りといってな、これで刺されると不死のヴァンパイアもその命を落とすと言われている……。 ふっ、これが効かぬとなればもうお手上げだ。もう何も出ぬ、これで万策は尽きた。さあ、好きにしてくれ吸血鬼よ」



「おい、それは無いであろう、今のは随分と面白かったぞ。また油断させておいて何かするのであろう? そうだ、さっき一瞬で移動した技はなんじゃ? もう一度見せてみよ」



 我の心は少し躍っていた。


 魔術といい先程の技といい、次々と我の心を刺激してくれるのである。


 新しい物を見るとつい好奇心が止まらなくなる、思考を得てからというものこの癖だけは治らないのだ。



 ロイズからはそのような我が子供のように見えたのだろう、目を丸くして呆気にとられたような顔をしている。



「……ひ、一つ聞きたいのだが、お前の目的は何なのだ? 俺たちを殺したいのではなかったのか? お前を見ていると段々そうでは無いように思えてくるのだが」



「……目的? ふむ、目的か……。 そんなものは無いな。……しいていうなら旨い人間を喰らい、あとは面白ければそれでよいのだ。まぁそんな事はどうでもよい、それよりさっきの技をもう一度見せてみよ」



 ロイズは此方を窺うような表情をし、我の真意を探ろうとしている。


 そして少し間があった後、恐る恐るその口を開く。

 


「さ、さっきのは縮地というスキルだ……。歩法と呼吸法を応用したもので……そ、そうだ吸血鬼よ、これを教えてやってもいいぞ。その代わり――」


「なるほど、こうか?」


 

 我はその言葉と共に、ロイズの目の前へと一瞬で肉迫した。



「――っ!!」



 急に目の前に我が現れたことで、驚いたロイズは反射的に剣を鞘から抜いて斬りかかってしまった。


 それは騎士としては正しい反応であったのだが、今回ばかりはその相手が悪かった。



 我の目にはその動きは随分とゆっくりに見え、容易くその剣を振り回す腕を掴んだ。



 ――すると。



「ぐあああああぁぁぁぁ!!!」



 ロイズは自分の右肩を抑えながらその場に蹲ってしまった。



 そんなロイズを眺めながら自分の手を見ると、我の手にはロイズの右腕が今も掴まれていた。



「……ああ、なんだ、取れてしまったぞ? 我はただお前の真似をして縮地とやらをやってみただけなのだがな……」



 地面に這いつくばり、肩から血を噴き出しながらもがき苦しんでいるロイズの横で、我はがっくりと肩を落とす。


 まるで玩具を壊してしまった子供のような、そんな面持ちでその取れてしまった腕をじっと見詰めた。



「脆い……。脆いのう、人間というのは……」



 よく解らない感情が我を支配していた。


 儘ならない事への苛立ちなのか、後悔なのか憤りなのか、そんなものが頭の中をぐるぐると廻っていた。



 一方周囲では、ロイズがやられた事で一気に兵士達に動揺が走っていた。


 特に我の魔力で動けなくなっていた者たちは、その恐怖が極限にまで達しようとしていた。



「お、おい、ロイズ隊長が……」

「ああ、あのロイズ隊長が全く相手にもならないとは……」

「こ、ここのままじゃ、俺たちも……」

「……ば、化け物だ」



 死の恐怖の前に騒然とする兵士達。


 そんな騒然とする声に苛立ちを覚え、我は兵士達に視線を向け睨みつけた。



 その瞬間である。



「に、に、逃げろぉぉぉ!!!!」


「「「うわあああぁぁぁぁ!!!!」」」



 我の魔力で体を硬直させていた者たちが、その極限の恐怖に硬直を解き死に物狂いで逃げの行動に出たのである。



 ある者は地を這うように、またある者は転がりながら、我先にと前の者を押し退けて逃げ惑う。



「殺されるぞぉぉぉ!!」


「ああああぁぁぁぁぁ!!」



 辺りは混乱状態に包まれる。


 そんな光景を我はただぼおっと見詰めているだけだった。



「邪魔だどけぇぇ!!」


「わああああぁぁぁぁ!!」


「ワ、ワーニング! わたくしを置いていくでないっ!! ま、待ちなさいワーニング!!」



 誰もが自分の命を最優先させて逃走する、そんな光景がまるで遊びの終わりを告げるように感じられた。


 

 兵士達が逃げ去り、後に残されたのは我が影で拘束したイザベラと十人の兵士、それと地面に蹲るロイズだけ。


 そこには祭りの後のような虚無感が漂うのだった。



 我はロイズの右腕をその場に投げ捨て、影で拘束した一人の兵士に近づいた。



「ひ、ひぃっ……!!」



 我が近づくと兵士は怯えたような声をだす。



 そんな兵士の耳を掴むと、軽い力で引っ張ってみた。



「がああああぁぁぁ!!!」



 なんとも簡単に、まるで木の葉でも千切るかのように、その兵士の耳が取れてしまった。



「……やはり脆いのう」



 耳から血を流し、呻き声を上げる兵士を横目に千切った耳を放り投げる。



「つまらぬ……つまらぬのう……」



「……うう、……」



 その時、足下から小さな呻き声が聞こえてきた。



 その声のした方に目をやると、腰に布を巻いただけの片腕の少年が地面に這いつくばっている。



 さっき鞭で打たれていた童か……。



「おい小僧、何を寝ておる? 死ぬのか?」



 少年は体中の鞭の跡から血を滴らせ、ぶるぶると体を震わせている。



「う、うう……」



「おい、何か言ってみよ。……そうだ、お前の名前は何というのだ?」



「……………」



 少年の意識は朦朧とし、耳に入ってくる音もどこか遠くに聞こえていた。



「ほれ、名前を言わぬか。小僧、お前の名前を教えよ」



 我がしゃがみ込んでその少年の頬をつつくと、少年はその度に小さい声で呻き声のようなものを上げるのだった。



 意識が遠くなり何処から聞こえてくるのかも判らない声に、少年は妙な心地よさを覚え無意識に自分の名前を口にする。



「……ろ、ロキ……」



「ふむ、ロキか……。よし、良い事を考えたぞ。ロキ、お前は死にたくはないだろう?」



 我が考えた良い事。


 それは、人間が脆いのであれば強くしてやればよいという事だった。


 そうすれば、少しは面白いものが見れるのではないか。さっきのような詰まらないと考える事も無くなるのではないか。



 我はそんな事を考えながら、少年ロキを見て少し心を躍らせるのであった。



「……は、はい……」



 自分で考えて発した返事ではなかった。


 ロキは無意識ながらその返事をしていたのである。



「よい返事だ。よし、お前を救ってやろう。……とは言っても、やった事が無いから上手くいくかどうかは判らんがの」



 そう言うと、我は自分の人差し指を口元に持っていき、その指先を徐に噛み切った。



 その噛み切った傷口から、黒い靄のようなものがゆらゆらと漏れ出す。



「光栄に思えロキ、お前を我の眷属とする」




 我はロキの口を強引に開けると、その口の中に噛み切った指を強引に捻じ込んだ。




「……あ、……うぅ……ああ、……ぅああああああああああああああ!!!」




 ロキは全身を引き裂かれるような感覚に襲われ、森中に響き渡るような絶叫を上げるのだった。

 


 

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