第8話 吸血鬼の驚異




「カ、カルメン卿ぉっ!!」



 地面に横たわった、でっぷりとした首の無い体。


 その突然起こった出来事に事態が呑み込めずに茫然とする者が殆どであった。



 そんな者が多数いる中、男の側近たちはその周囲に集まり慌てふためいている。



 自分たちの主人が突然何者かに殺害された。


 その事が周囲の者に認識されだすと、口伝えにこの現場が見えない者にまで伝播していく。



 次第に辺りは騒然としていき、瞬く間にこの集団全体へと広がっていった。



 そして、それまで統率のとれた集団であった兵士達も、その動揺から混乱が生じ始めたのである。




 その光景を肴にしながら、カルメン卿とやらの頭を喰らっていく。


 その肉を、その脳髄を、その骨を、噛み砕き嚥下する。


 その度に全身を雷のような刺激が走るのである。



 やはりそうだ、悲痛や憤怒のような負の感情よりも断然に旨い。


 恋愛感情の味には及ばないが、今まで食した中でもかなりの上玉である。



 こんなものを覚えてしまっては今後の嗜好も変わってくるというものだ。




「おい貴様っ! 貴様が吸血鬼か!」



 先ほど少年を鞭で打っていた騎士がこちらに剣を向けて誰何する。



 食事を邪魔された我は、その問いに対し不機嫌にその者を睨みつけた。



 すると男は、眉根を寄せて我に対して更に警戒心を顕にする。



「くっ!! な、何という魔力だ!」



 まりょく?


 この者は今、魔力と言ったか?



 そうか、感情ある人間を喰らう度に強くなっていたこの不思議な力は魔力という物であったか。



 疑問には思っていたのである。


 この不思議な力を全身に巡らせると、躰が信じられないほど強靭で素早くなる。力を周囲に広げれば感覚も鋭くなる。


 躰の全ての機能がこの不思議な力によって強化されるのである。



 なるほど、人間はこの妙な力の正体を知っているという事か。



「総員っ、すぐに配置に着け!! カルメン卿の仇を討つぞ!!」



 男は周囲の兵士達に檄を飛ばすが、動揺の収まらない兵士達の動きは鈍い。中には全く動くことが出来ない者までいる始末である。



「思ったより兵達が……。くそっ、この強烈な魔力のせいか、……使えるのは十人程だな。俺の声の聞こえる者っ!! すぐに吸血鬼を囲むように陣取れ!!」



 男の声に反応する事ができた兵士達が槍や剣を構え、我の周りを囲み始める。



 どうやら我の魔力とやらの影響で思うように動けなくなっている者が多数出たらしいな。


 この程度の人数で我をどうにか出来ると思うとは舐められたものよ。



「人間よ、我はお前らなどには興味はない。立ち去るなら見逃してやるぞ」



 その我の言葉に男はしかめっ面を浮かべた。



「……吸血鬼よ、あまり人間を舐めると後悔する事になるぞ」



 その男の言葉に自然と我の口角が上がる。



「ほう、お前ら人間ごときに我が後悔とな」



「ワーニング殿ぉ! イザベラ様をお頼み申すっ! この吸血鬼は我らで食い止めるゆえこの場を離れられよ!!」



 イザベラというのは、さっき我が喰らった男の娘か。


 主人が死んだというのに随分と忠義者のようだな。



「わ、わかりました、ここはお任せ致します! ロイズ殿もご武運を」



 ワーニングと呼ばれた黒服の男は、数人の兵士と共にイザベラの下に集まる。


 そして、腰を抜かして座り込んでいるイザベラを「失礼します」と言って強引に肩に担ぐと早々にこの場を離れようとしている。



「あの娘を逃がす事が我の後悔なのか、人間よ?」



 我の問いに、今度はロイズと呼ばれていた男が口角を上げる。



 ロイズが「今に解る事だ」と言いながら左手を上げると、我を囲む兵士達が一斉に身構えた。



「かかれっ!」



 ロイズのその掛け声と共に、周囲から槍や剣が無数に襲い掛かってくる。



 ビュンッという音が鳴るとまず肩に一太刀、一人の兵士の剣が我を襲う。


 その太刀筋は見事なまでに速く、我の肩はその一振りで抉られた。



 さらに槍の鋭い一突きが我の腹から背に貫通する。


 

 そこから剣と槍が風を切る音がどんどんと増していく。



 実によく訓練された連撃と連携に、前から後ろからと何度となく我の躰を切り刻む。



 相手が反撃をする隙を一切与えない剣と槍の連続攻撃。



 人間相手のものではない、まさに魔物を相手にした時の戦い方であろう。



 ――しかし。



 その攻撃が我に効くことは無かった。


 いくら躰を切り刻んでも、その傷口は黒い靄となりすぐに元の状態へと再生される。


 痛みすらも感じない、まったく無意味な攻撃と言っていい。



 必死に剣や槍を振るっている兵士の顔を見ると、まったくご苦労な事かと思ってしまうほどだ。



 さて、少し反撃してやるか。



 と、そう思い身構えようとした時である。



「やめいっ、一旦距離を取れ!!」



 ロイズの合図で兵士達の攻撃が止まる。



 ふむ、何かを察したようだな、それほど無能という訳でもないということか。



「ほう、随分と良い勘をしているな。それで、この後何かあるのか? そろそろ我も反撃してやろうかと思うのだがな」



 我の反撃という言葉にロイズはピクリと反応した。



 冷や汗を流して、明らかに顔色も変わってきている。


 それほど恐怖を与えるような事は言っていないはずなのだが、人間とは何とも感じやすい生き物のようだな。



「……化け物め……。そ、総員、攻撃を切り替えるぞ!」



 ロイズがそう声を発すると、後ろに退がる兵士達と我に斬りかかる兵士とに別れた。



 しかし、連携して我に攻撃を仕掛けてくる兵士は二人だけだった。

 

 あとの八人はぶつぶつと何かを呟いているだけでこちらに攻撃をしてくる気配というものが無い。



 どうやら何か仕掛けて来るのだろうが、そのまま誘いに乗るというのも面白くはない。


 この者らの慌てふためく顔というのも見てみたくなってきたしな。



 我は周囲を見廻した後、ロイズの方に振り返りニヤリとしてみせた。



「……み、皆の者、気を付けろ! 吸血鬼が何かをする気だっ!!」



 ロイズがその言葉を吐くより早く、我は自分の影を周囲に伸ばす。



 まず、我を攻撃していた二人の兵士。



「な、なんだこれっ!? 影が体に巻き付いてっ!」


「ぐあっ! 体が動かない!!」



 それと――



「きゃあああぁぁぁ! な、なんですの、これ!?」



 この場から逃げようとしていたイザベラに影を巻き付けて拘束した。



 これでこの場は我が支配する事となった、やはりこの影操作は便利であるな。

 


 イザベラの取り巻きが何とか影を引き剥がそうとしているようだが、この拘束は我にしか解くことは出来ぬ。


 この影操作がある限り、我から逃れる事は出来ぬのだ。



「くっ、人質を取る気か?」



 これには流石に動揺せざるを得ないのだろう、ロイズの此方に向ける剣先に少し震えが見える。



「なに、少し遊びをしようかと思うての」



「あ、遊びだと……?」



 ロイズはこちらを窺うように、恐る恐るといった感じで訊き返してくる。



「先程から何やらぶつぶつと呟いている連中、あれは何かしようとしておるのだろう? その攻撃で我に傷を付ける事が出来たならこの場の全員を見逃してやろう、どうじゃ?」



「……っふ、随分と余裕だな吸血鬼。お前の予想通り、あの者らは今魔術の準備をしている。貴様はこれだけの魔術を防げるというのか?」



 時間稼ぎのつもりか、ロイズは少しもたついて話す。



「その魔術とやらを味わってみたくなっての、さあ早くやってみよ」

 


「……人質を取って優位に立ったつもりなら、すぐにその鼻っ柱が折れることになるぞ」



 尚もロイズは話を引き延ばそうとする。



 やはり時間稼ぎか。


 何があるかは知らぬが、時間が経てば何が変わるというものでもあるまい。



「焦らされるのは嫌いでのう、そちらが来ぬのならここに居る全員を殺すまでだが」


「わ、わかったっ、……特大のをお見舞いしてやるから覚悟しろ吸血鬼」



 ロイズが手で合図をすると、我を囲んでいた者たちが一斉に天に向けて手をかざした。


 

 その者たちの魔力が上空へと注がれているのを感じ、そのかざした手の先を見上げてみると、一つの巨大な火の玉が上空に浮かんでいたのである。



 八人の魔力を結集して作り上げた超極大の火球である。


 火がぐるぐると回転をし、時々弾けるような音を上げながら一つの球体を作り上げている。



 なるほどこれを作るための時間稼ぎであったか。


 森の中でこれ程の火を使うとは、自滅攻撃かこれは。



 そうこうしているうちにロイズが再び合図を送ると、兵士達が一斉に手を振り下ろした。



 するとその極大の火球は轟音と共に我の下へと落下し始めた。


 その熱を周囲にまき散らし 炎の渦を作りながらどんどんと迫ってくる。



 そしてその火球が我に触れるや否やの所だった、火球は激しく燃え上がり眩い光を上げながら猛炎を上げだしたのである。



 大地が揺れる程の爆音を上げながら我の周りを炎が回転し、そして火柱を上げ始めたのだった。



「……吸血鬼め……」



 ロイズは目の前の火柱に焼かれるような熱を肌に感じながらも、その額には冷や汗を流していた。


 あれだけの業火に焼かれながらも吸血鬼の魔力は少しの鈍りも見せていない、ロイズにしてみれば信じられない光景だったのである。



「ワーニング殿、イザベラ様を逃がす事はできないかっ!」



 イザベラに巻き付いた影はその体をきつく締め上げており、ワーニングがどんな事をしようと解けるものではなかった。



「む、無理ですロイズ殿。この影、数人がかりでもびくともしません」



 ロイズはその言葉を聞き歯噛みする。



「な、ワーニング、早くなんとかなさい! 体が痛くてもう限界ですわ!」


「は、はいお嬢様。も、もうしばらくお待ちを」



 主人の娘イザベラをなんとか逃がせないかと思ったロイズだったが、それも絶望的とわかりロイズの中に諦念の気持ちが生まれ始める。




 やがて魔術士達の炎の柱は収束を始め、その炎の中から揺らめく影がて姿を現し始める。



 これほどの業火であっても、我の躰を焼くには至らなかった。


 八人がかりの魔術であっても、我に煤一つ付ける事ができぬとはな。


 

 ただ、剣で斬られるよりは幾分かには効いたが、それでも肌を撫でられるほどの感覚であった。



「く、やはり無傷か……」


「どうじゃ人間よ、どうやら遊びは我の勝ちのようだのう。さて、我が勝った訳だし戦利品を貰わんとの」



 そう言い終わるや否や、再び影を伸ばして先程の魔術を発した八人を拘束する。 



 ロイズは目の前で部下たちが拘束されるのを見て、構えていた剣を静かに鞘に納めた。




「吸血鬼よ、お主と取引がしたい」




 ロイズは重い口を開くようにそう言った。


 


 

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