第10話 眷属のロキ




「ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」



 森に響き渡るロキの声。



 体を反らし、全身の筋肉が痙攣を起こす。



 ロキはがくがくと体を震わせながら、まるで体中の皮膚を剥がされたかのような痛みにもがき苦しんだ。



「ロキ、意識をしっかり持つのだぞ。そして、お前をこの境遇に追いやった者の事を考えるのだ」


「うあああああああああああああ!!!!」



 影に拘束されているイザベラや兵士たちはこの光景に歯を打ち鳴らしている。


 次に自分に起こるかもしれない姿に恐怖心が止まらないのである。



 それに我はにやりと口角を上げた。



「よく見ておくがよいぞ人間どもよ。この小僧次第でお前たちの命運が決まるからのう」



 そして、再び苦しんでいるロキに目を向ける。



「……ああ、……あああ……、に……憎い……、……憎い、憎い、憎い……ぅぁぁぁああああああ!!!」



 ロキの中に激しい憎悪や憤怒といった感情がぐるぐると蠢きはじめ、やがてロキの心を支配していく。



「……苦しい……あああああ……、……憎い……、殺す、殺す、殺す、殺す!!! ああああああ!!」



 やがてロキを黒い靄が覆い始めた。


 ロキの全身を包み込むように、ロキはその靄の中へと消えていく。



「……ああ! あ……ああ……ミイナ……」



 ロキが最後にそう呟くと、ロキの体は完全に靄の中に包まれた。



 それは黒い蛹にでもなったかのように、まるで静かに羽化の時を迎えようとしているようだった。



 やがてその黒い靄が晴れていくと、中からロキが蹲った状態で姿を現す。


 一見して変わった様子は無いが、失っていたはずの右腕が元に戻り体中の傷も綺麗に無くなっていた。



「ロキよ、気分はどうだ?」


「……ぅぅうううう……、ぐぅぅあああぁぅぅう……」



 まるで理性を失った獣のように唸り声を上げるロキ。



「見ろロキ、ここにいるのはお前の憎しみの元だ。……そこの首のない死体がお前を飼っていた主人で――」



 そう言いながら我はイザベラの近くまで歩み寄る。



「――この女がその娘のようだぞ。どうだ、こいつ喰らってみぬか? 美味そうではないか?」


「ひっ!! ま、ままま待ちなさい。わわわたくしなど食べても美味しくはありません! どどどうか、どうかお見逃しを!」



 イザベラの体はがくがくと震え、涙と鼻水が化粧を落として醜く彩られている。



「んん? 謙遜するでない。そなたの恐怖する匂い、なかなかそそられるぞ。ふふふ」



 ロキは我に促されるようにイザベラに近づくと、その躰の匂いを隅から隅まで嗅ぎ始めた。



「ひいぃぃ!! や、やめっ……」



「ぐぅぅぅうぁあぁぁぁぁ……、憎い……憎い……」



 我はロキの首を掴んでイザベラの首元にその口を充てがった。



「い、いやああぁぁ!!」



 イザベラの恐怖は極限に達し、スカートの裾から大量の体液が漏れて流れ出てきた。



「ほれ、喰らえ」


「ぐぅあああああああああぁぁぁ!!」



 ロキは我の言葉に反応したかのように、歯を剥き出しイザベラの首に喰らいつきその肉を引きちぎった。

 


「ぎゃああああああああああ!! があああっ、かはぁっ!! かはっ、はっ!!」



 喉を喰いちぎられた事により、呼吸が出来なくなったイザベラは声を上げる事も出来なくなる。



 空気が漏れ肌の色がどんどん悪くなっていく、そんなイザベラの躰をロキは貪っていく。


 頬の肉を喰い破り、内臓を引きずり出し、まるで飢えた獣のようにその肉を飲み込んでいくのだった。



 痙攣していたイザベラの体もやがてその動きを止め、その瞳にも輝きの色が消え、そして屍となる。



「……イ、イザベラ様……。……申し訳ございません、お館様……」



 ロイズはその光景を見ながら、自分の無力さに涙を流した。


 自分も後を追いたいが、利き腕を失い、今はもう剣を握る力すら残っていない。



 地面に落ちる涙を見るのが、唯々無念でならなかった。




「うぅぅ、……ぐうぅぅぅ……」



 イザベラを喰らい終えたロキは、体をびくんと反り返して全身に走る快感に打ちひしがれた。



「どうだロキ、得も言われぬ快楽であろう? お前もそうやって強くなるがよいぞ」



「あっ! ……ああっ!! ……ああああ!!」



 脈動するように体を震わせるロキ。


 やがてそれも収まり、肩で息をしながら理性を取り戻していく。



「少しは落ち着いたか? ロキ、お前は我の眷属となった。強い躰を手に入れたのだ、我に感謝せよ」



 ロキは何が起こっているか判らず、周囲を見回す。



「……はぁはぁ……。……あ、あなたは……?」


「我か? 我の名はエルレナ。お前の、……そうさな、新しい主人のようなものだ」



 ロキは我の顔を見上げ、何かを納得したような顔をした。



「……はい、わかります。自分の中にエルレナ様の存在を感じます。エルレナ様の一部になったような……」


「うむ、どうやら上手くいったようだな。お前は不死身の吸血鬼となったのだ。身体を確認してみよ、傷が消えておろう?」



 ロキはハッとして自分の体に目を向ける。



「う、腕が元に!? ……これは……」



 ロキは元に戻った腕を見た悦びで少し目に涙を溜める。



「ふふ、これはもういらぬな」



 我はそう言って、ロキの首にはめられた奴隷用の首輪を掴んだ。


 そのまま引き千切るように左右に引っ張ると、いとも簡単に引き裂かれた。



 その引き裂かれた首輪を見てロキは片膝をつく。



「あ、ありがとうございます、エルレナ様。 この救っていただいた御恩は一生忘れません、何なりと私にお申し付けを」


「うむ、一生といっても死なないのだがな。まあそう堅苦しくするな、気軽に我に仕えておればよい」


「は、はい」



 我はうむと一つ首肯すると周囲に目をやる。



 周りには、我の影に拘束されている兵士達と地面に蹲るロイズ、それとイザベラ達が乗ってきたのであろう馬車が数台。



「とりあえず、そのいかにも奴隷という恰好を何とかせんとの」



 何か無いかと、イザベラ達が乗ってきた馬車を物色することにした。



 外から見るとかなり大きめの馬車であったが、中を覗いてみると所狭しと荷物が積み込まれている。



「中身は殆どがあの女のドレスや服飾品ばかりか……。……それにしても、派手な服が多いが……」



 我はその中の一つを手に取り、体に合わせてみる。


 何気なく合わせてみたのだが、何故だか気分が少し高揚した。



「どうじゃ、ロキ? 我に似合うか?」


「は、はい! エルレナ様はお綺麗ですっ」



 ふむ、悪くない気持ちがする。


 ただ、このイザベラの趣味が我に合わぬ。どれもこれもが何ともケバすぎるのである。もう少し落ち着いた感じのものは無いものか……。



 我は数多くあるイザベラの衣装の中で、黒を基調とした比較的シンプルで落ち着いた感じのするデザインのワンピースを手に取った。



「うむ、これは割とましだな。どうかのロキ? ん? どうかしたか顔を赤くして」


「い、いえ、何でもありません。よ、よくお似合いだと思います」



 ロキは恥ずかしそうに慌てて顔を隠す。



「ふふふ、そうか。おおそうだ、ロキの服をどうにかするのだったな」


「私はこのままでも構いませんが……」



 遠慮を見せるロキであるが、我はそんなロキを見て嘆息する。



「お前はもう奴隷ではない、我の眷属だ。そんなみすぼらしい恰好では締まらぬであろう、それに相応しい恰好をせねばの」


「は、はい! ありがとうございます!」



 ロキはまたも目に涙を溜める。


 それを見て我は不思議な感覚に陥った。


 何故だか判らないのだが、ロキを見ているともっと喜ばせたくなるのである。



 我の分身のようなものだからだろうか、不思議な感覚ではあるが悪くはないものである。



「とは言うても今すぐには無理だのう……」



 そう言って我は、影に拘束された兵士達の所まで歩み寄る。



「ひ、ひぃっ!! く、来るなっ!!」



 我が少し近づいただけで兵士達の表情は恐怖に歪む。



「のうお前たち、お前たちの服を置いていくならこのまま見逃してやってもよいぞ。どうだ?」



 少しの沈黙の後、兵士の一人が反応する。



「……ほ、本当か?」


「ああ、もうお前たちには興味も無くなったのでな。どうしても喰らってほしいというのなら別だが?」


「わ、わかった、言う通りにする。……それで、ロイズ隊長も見逃してもらえるのか?」



 そう言われて地面に蹲っているロイズを横目に見る。


 もう動くことも儘ならなくなったロイズを見ると先程の興味などは何処かへ行ってしまっていた。



「かまわぬ、あれへの興味も失せたわ」



 我は嘆息しながら手を振った。



 そして、兵士達を拘束していた影を解いてやると、兵士達は全員服を脱いでロイズの下に駆け寄った。



「き、吸血鬼め……助けたことを……」



 ロイズは去り際に何かを呟いていたが、我はそれを気に留める事もなかった。



 兵士達が去った後、置いていった服を広い上げてロキの背中に合わせてみると。


 

「やはりこの服はロキには少し大きいかの?」


「大丈夫です、折り曲げれば着られますので」



 そう言うロキを見て服の前にするべき事がある事に気が付いた。



「ロキ、お前随分と汚れておるな。服を着る前にまずは体を洗うぞ、我の服も持って付いてまいれ」



「はいっ」



 ロキは元気よく返事をした。



 何故かその声が妙に心地よく感じるのだった。




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