第二章

第12話 王都入り




 ここはグランドクロワ王国王都。


 建国二百年を誇るグランドクロワ王国において、かつては百万人都市と呼ばれて大いに栄えた都市である。


 しかしそんな大都市も今は見る影もなく、人々に活気は失われ衰退の一途をたどっていた。


 

 二百年という月日は王国を腐敗させるには十分な年月であり、王侯貴族達は民から富を吸い上げる事に執心し続けた。


 人間たちは寝る間も無い過酷な労働と、増え続ける借金に疲弊し窮迫する。



 そこは一見すると普通の街並みであっても、人間たちの表情からは笑顔が消え、常に苛立ちと猜疑心が渦巻いているのである。





「――おい、聞いたかあの話」



 そこは王都の冒険者ギルド。


 腕に覚えのある冒険者が集うこの王都のギルドでは、今持ち切りの話題がある。


 いや、このキルドだけでなく、いま王都のあちらこちらである噂が広まりつつあった。

 


「ああ、聞いた聞いた。なんでも、百卒長のロイズが片腕失って帰ってきたらしいな」



 ロイズ・グーデン、王都では知らぬ者がいない程の歴戦の勇士である。


 そのロイズが、主君であるグーリー・レイ・カルメンとその娘イザベラを守ることができず、しかも自身も深手を負って帰ってきた。


 この噂は、ある者にとっては衝撃を与え、またある者には恐怖を与える。



 そしてまた多くのある者達にとっては、胸のすく思いを与えたのだった。






「もうあの話ばっかりね。いい加減、聞き飽きたわよ」



 冒険者ギルドには、冒険者が交流、談笑するためのスペースが設けられている。


 そこにはテーブルや椅子が置かれ、冒険者たちの情報交換の場となっている。



 そのギルド一角で、一人の女が耳に入って来る話に辟易としていた。



「そう言うなアイリ、みんな貴族様が嫌いなのさ」


「ダン……。まあ、私も好きじゃないけど……それよりお得意様が減るのは死活問題なのよね」



 アイリと呼ばれた女は、一つ溜息を吐く。


 黒髪を後ろでまとめてそこから垂らした髪が、アイリの着るローブのフードの中に納まっている。アイリ自身はその事に気づいてはいないが、周りの人たちはそれがアイリのトレードマークだと思っているのだ。



 そのアイリの髪を、ダンと呼ばれた男が指でくいっとフードの中から抜いた。



「――ん? どうかした?」


「ああ、髪に糸くずが付いてたんだ。それよりも、俺も新しい情報を仕入れてきたんだけど、聞くか?」



 ダンは頬のこけたその痩せた顔に、企みを込めたような笑みを浮かべる。



「新情報? ちゃんとした筋からの情報なのそれ? いい加減な妄想も飛び交ってるからね、一体どれが本当なんだか……」


「俺の知り合いにカルメン卿の所で兵士してるやつがいてな、そいつから聞いたんだよ」



 ダンの言葉にアイリの目に好奇の光が宿る。



「あら、関係者の情報じゃないっ! そういうのを聞きたかったのよ、そういうのを!」


「ははっ、俺の人脈も無駄じゃなかったろ? その知り合いは、件の現場にいたらしいからな確かな情報だぜ」



 ダンはふふんと鼻を鳴らす。



「ふふ、しょうがないからダンの事を見直してあげるわ。それで、どんな情報なの?」


「しょうがなしかよ……。いやそんなことより今回の件なんだが、どうやら噂の吸血鬼が関わってるらしいぞ」



 ダンは他には聞かれまいと小声で話した。


 冒険者ギルドが情報交換の場となっているとはいえ、無条件に情報を晒すわけではない。冒険者にとっても情報は武器である、故にここではお互いに有益と判断されたときのみに情報は交換されるのである。



「――吸血鬼?」


「ああ、なんでも元々カルメン卿は吸血鬼退治をしに、カルメン家の精鋭を連れて森に入ったらしい」


「それで返り討ちにあったと?」


「そういう事だな。まあ、小隊規模の人数しか連れて行かなかったらしいから、完全に舐めてかかってたんだろ」


「はぁ、それでやられてりゃ世話ないわね」



 アイリはやれやれと肩をすくめた。



「それでな、その吸血鬼ってのが恐ろしく強かったらしくてよ、剣も魔法も効かない上にあのロイズが手も足も出ずにやられたらしいんだよ。それでそんな恐ろしい吸血鬼なんだけどな、どんな化け物かと思いきやその見た目は信じられないくらいの美しい女の姿だったらしい」



 アイリは美しい女という部分にぴくりと眉尻を上げた。



「……ん? ちょっと待って、吸血鬼ってブラックヘイズって呼ばれてたやつよね? 黒い靄のような姿だって聞いたことがあるけど……」


「んー、そういやそんな噂あったな。でも俺が聞いた話では吸血鬼は人間のような姿をしていて、しかも絶世の美女だったらしいからな。噂なんていい加減なもんって事じゃないか?」



 アイリの眉尻は再び美女という部分にぴくぴくと反応する。



「べ、別の吸血鬼ってこともあるんじゃない……?」


「さあ、どうだろう? それだと新な吸血鬼があの森にすみ始めたってことか? 美女吸血鬼の方はお目に掛かりたいけど、ブラックヘイズのほうは御免被りたいね」



 アイリの眉尻はぶるぶると震え始めた。



「ど、どっちもお目に掛かりたくは無いでしょ、ダン?」


「うん? そうか? まあとにかく、カルメン家もこのまま黙ってるわけにもいかないからな。美女吸血鬼に懸賞金を掛けるとかって話に今なってるらしいんよ、美女吸血鬼に」



 アイリはテーブルに立て掛けていた自身の杖を手に取った。



「おいおい、おーい。さっきから美女って所をいやに強調してくるじゃないか。おい、そんなに美女がいいのか、おーい!」


「はうっ! ちょっと、杖で脇腹突くのはやめてくれっ! はうっ、悪かったからやめっ、はうっ!」



 このダンとアイリは同じ冒険者パーティーであり、恋人同士でもある。


 冒険者という危険の伴なう仕事をしていると、自然と恋愛に発展する事が多い。この二人もその例に漏れないわけである。



 しかし、恋愛は諸刃の剣でありパーティーに害を為す事も多々あるのも事実である。


 なので、多くのパーティーでは恋愛を禁止したり、異性が入る事を禁止している。




「お前ら、さっきから何イチャついてんだ。……ちょっとは周りを気にしろ」



「――なっ!? なんだゴーランか、驚かすなよ。てか、イチャついたりとかしてねぇし」


「そ、そうよっ。変な事言わないでよねっ」



 ゴーランと呼ばれる、筋肉質でがっしりした体格の大柄な男。


 ダンやアイリと同じパーティーに所属する、普段は無口で頼りになる男ではあるが。



 このゴーランという男、生まれてこの方二十五年、恋人のいた試しはただの一度も無いのである。



 故に、彼の前でいちゃつき行為は暗黙の了解で禁止となっている。



「ゴーラン、フェリクスの奴はどうした? あいつ全然姿見せねぇじゃねぇか、俺らのリーダーって自覚あんのかね」



 ゴーランは椅子に座りながら懐から何かを取り出した。



「……そのフェリクスからの伝言だ」



 そう言ってゴーランが二人の前に差し出したのは一枚の紙。


 ダンとアイリはその内容に釘付けとなる。



「まだ正式のものじゃないらしい。……他より早く俺らがやるぞ」



 そのゴーランの言葉にダンとアイリの表情が引き締まる。



 

 『吸血鬼討伐依頼。達成報酬、金貨五百枚也』







   ☆






 王都の一角、とある大通り。



 多くの人が行き交う王都の主要道路の一つである。


 主要道路と言ってもここは王都の中心からは外れた下層民が住む街区となっている。



 往来を行き来する人間たちの表情は暗く、街角の談笑というものも見当たらない。


 その一方で我が物顔で大通りを闊歩する存在も……。



「……妙な光景であるな……」



 町の光景に気を取られていると、隣のロキから妙な声の漏れるのが聞こえてきた。



「どうかしたのか、ロキ?」


「あ、……いえ、……まだ人間を食べるのに慣れてなくて……うっ」



 王都に入るとき、王都門で守衛に止められ一悶着があったのだ。



 すんなり街に入れるのかと思ったが、身分証がどうのと色々と面倒くさい事を云うもんだから、その場で喰らってやったのである。


 その際にロキにも喰らわせてやったのだが、どうもそこから口数が減ってしまった。



「口に合わなんだか?」


「いえ、味は良かったんですけど……、なんというか……」



 ロキは顔色を青くしてお腹を擦っている。



「ふふ、直に慣れるであろう?」



「……そうですね……。それにしても、良かったんですか? 守衛の人食べちゃって、大騒ぎになるかも……」



 ロキは目をきょろきょろとさせて周囲を警戒する。



「構わぬ、我の邪魔をするなら排除するだけだ。……それよりも、街に入ってからやたらと我を見てくるものがおるの。何か我に珍しい物でも付いておるか?」


「ああ……えと、それは多分、みんなエルレナ様に見惚れているからでは……ないかと」



 我に見惚れているのか……。


 まあ、悪い気はせぬが見世物のようになるのは不愉快であるな。



 周囲を見渡すと何人かの男と目が合う。


 どうやらロキの言う事が正しいようではあるが、此方を見る衆目の中に妙な気配も混ざっている。



 この街に入ったときから気になっていた、我が物顔で往来を闊歩する存在。



「のうロキ、あれはなんだ?」



「あれは――」





 ――それは、獣人である。


 

 


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