第14話 魔道具技師の男




 下層民街区のさらに貧民街。


 そこは、職を失い、親を失い、人としての尊厳すらも失った者たちが流れ着く、王都の最下層区域である。



 人の捨てた物を食らい、日銭のためならどんな汚い仕事も厭わない。


 そこから抜け出す希望も失せ、ただ毎日の飢えを凌ぐために生きている。


 ここは、そんな者たちが寝起きをする、ひしめく様に密集してあばら屋が並んだ貧民窟である。






「匂いが酷いのう……」



 前を歩くロキに鼻を抑えながら悪臭を訴える。



「す、すいません。でも、もう直ぐそこなので……」



 この辺りには路上で寝起きしている者も多く、この貧民街に入ってからそういった者たちからの視線があちこちから飛んでくる。


 ここにいる者は着るものも酷く、体も黒く汚れている。


 そういった中ではかなり我の姿は浮いたものになっているようなのである。



 しかも、この匂いである。



 なんとも言えない酸っぱい匂いや、色々な獣が綯い交ぜになったような匂いが辺りに充満しているのだ。


 特に鼻の良い我にはこの悪臭は堪らない。


 

 どこかで死体でも腐っておるのではないのか……?



 そんな疑問すら抱かせるほどに、ここの悪臭は酷かった。





「あ、あそこです。あそこで、妹のミイナと暮らしていました」



 そう言ってロキが指さしたのは、家と呼ぶにはなんともお粗末な小屋。


 この区域はこのロキの家と同じような小屋が建ち並んでいる。


 一人でも狭苦しい所に、何人も詰め込むようにして住んでいる者もいるらしい。



「随分と声が弾んでおるの、ロキ」


「は、はい、妹に会うのは一年ぶりですから」



 そう言って我に早く家の中に入ろうと促してくる。



 我はロキに手を引かれるままに、その粗末な家に足を踏み入れるのだった。




「ミイナ! 帰ったよ!」



 家に入るなりそう声を掛けるロキであったが、それに対する返事は無い。


 狭い家の中である、妹のミイナが居ない事は一目で判断できた。



「おらぬようだの……」



「……どこかに出かけているのかもしれませんね。えと、……その辺で訊いてみますっ」



 慌てるようにして表に飛び出していったロキ。


 どうやら、この長らく人が住んでいないように見える家の中を見て焦りが出たようだ。



 我は誰もいなくなった家の中を見渡した。


 寝床のようなものと棚が二つ、それ以外は特に何もない簡素な住まい。



 その棚の上に、木で彫った人形のような物が置いてあった。


 何度も手に取って遊んでいたのだろう、人形の一部が黒く変色している。



 ロキが彫ったものであろうか……。


 我はそれを手に取って、そのような事を考えていた。



 そこにロキが慌てて戻ってくる。



「エルレナ様、ど、どうしましょう。ミイナ、いなくなっちゃったって。どこいったか判らないって」



 よほど妹が大事なのか、大きく取り乱しているように見える。



 我はそれを落ち着かせようと、ロキの頭を一撫でした。



「落ち着けロキ。もう少し情報を集めよう、知っている者がおるかもしれぬ」


「えっ、は、はい、そうですね。エルレナ様の言う通りです。では、急いで色々あたってみます」


「まあ待て、我も一緒に行くぞ」



 逸るロキを落ち着かせると、ロキと共にこの家を後にする。



 ところが、家を出てすぐのことである。


 一人の初老の男が我らの前に立ち、道を塞いできた。



 我の行く手を阻むその男、その男に何かしらの声は発しようとした時、男は予想外の行動にでた。



 男は膝をついて地面にひれ伏し、頭をその地面に擦り付けると。


「どこぞの名家の息女様とお見受けいたします! なにとぞ、なにとぞ、この憐れな私めに施しを、どうか、どうかお願いいたします!」



 そう言いながら、男はごんごんと頭を地面に打ち付ける。



 さすがにこれには呆気にとられた。


 物乞いというものだろうが、ここまで人としての尊厳を捨てられるものかと。



「お願いしますっ! どうか私にお恵みを!!」



 男は尚も地面に頭を打ち付けて懇願してくる。



「ゼ、ゼスタさんっ、やめてください! エルレナ様はそういうのではないですから!」



 ロキは慌ててこのゼスタとやらを制止する。


 どうやらロキはこの男と知り合いであるようだが、ロキの表情は何とも言えない悲しいものになっている。



「ロキ、この男はなんだ?」


「あ、すいません。この人、体を壊して働けないもんだから、いつもこんな事をしているんです」



 ロキはそのゼスタを説得しつつ、なんとかこの場を去らせた。


 ゼスタの方も、毎度の事のようにそれに従っている。



 ここには、あのような物が多いのだろうか……。



 ミイナの情報を集める道すがらそれをロキに尋ねてみると、ロキは先程のゼスタの事を寂し気に話し始めた。



「ゼスタさんは、元は騎士だったんですよ。今はあんな感じですが、あれでも昔は勇名を馳せていたらしいんです。私が小さい頃にそういった武勇伝を聴かせてくれたりしたんで、あの人の事は昔から憧れてたんですが……」



「なるほど、ロキも道理の理解できる年になったと」



「……はい、さすがにああいう行為は……」



 悲しい現実というやつか。


 あの男の事はどうでもよいのだが、何故かロキの寂しさが伝わってくる。



 これも、眷属だからなのか……。



「それにしても、なぜ元騎士がああして落ちぶれておるのだ?」


「えと、なんでも戦場で受けた傷が元でもう闘う事が出来なくなったらしいんです。王宮では、使えない者に対しての風当たりが厳しいらしく……。それで王宮を出たんですが、思うように動かせない体では満足に働く事も出来ず、最終的にこの街に流れ着いたそうです」


「それで、ああして食いつないでおると」


「……ここには色んな人がいますからね。他にも汚い事やってる人はいっぱいいるんです」



「なるほどのう……」



 この話はそれ以上は続かず、我らはミイナの情報集めに集中することにした。



 しかし、ミイナに関する有力な情報が入って来ることは無かった。


 誰に聞いても、いつの間にか居なくなっていたというものばかり。



 次第にロキの表情も焦りの色が濃くなっていく。



「これでは、埒が明かぬのう。もう少し範囲を広げてみてはどうだ? 誰かに保護されてるやもしれぬぞ」


「……保護ですか……、ミイナは私以外に頼れる相手は……、あっ、ひょっとしったらエルレナ様の言う通りかもしれません!」


「ほう、何か心当たりが見つかったか?」


「はいっ、私が下働きをしていた所の親方にはミイナの事を話していたんですっ。そこに行けば何か判るかもしれません!」



 そう言うとロキは焦りの色が薄くなり目を輝かせる。



「エルレナ様、早く行きましょう!」



「ふふ、そう慌てるでないロキ」



 ロキは再び我の手を引っ張り、その足を早めるのだった。






  ☆





 そこは下層民街区の外れにある魔道具工房。


 魔道具工房とは、魔術道具を考案・研究・作成する為の作業場である。



 今我らの目の前にあるその魔道具工房は王都でも有名な、という事はなく、下町に存在する極ありふれた粗末な工房である。


 ロキはここの手伝いをすることで給金を貰って生活をしていたらしい。




「ここです、エルレナ様」


「……思ってたより小さい所だのう」


「小さいけど、良い物は作ってるんですよ」

 

 

 そう言いながら工房の扉を開く。



「……親方ぁ、いますか?」



 工房の中に入るとそこは、何とも判らない物で溢れて足場も無い空間だった。



 そんな物置小屋のように乱雑に物が散らかった中で、何処からかカチャカチャという音だけが聴こえてくる。


 何かを作業する音だろうか、どうやらこの何処かしらに人がいるようである。



「クルフストスさぁん!」



 ロキの、ここの主であろう名前を呼ぶ声にも返事はない。



「……返事が無いみたいだのう」


「作業に没頭すると何も聞こえなくなる人でして……。多分、この辺りにいると思うんですけど……」



 そう言って、ロキはその当たりを付けた場所の物をどかせていった。



「あ、いたっ。親方っ! 私です、ロキです!」



 溢れかえる物の中から出現した机に向かって、黙々と作業を続けている男が姿を現した。



「……ああ、ロキか。ロキ、掃除を頼む、こう散らかっては作業が捗らん」


「え、あ、はい、いや親方その前に訊きたい事が」


「…………、…………っん!? ロキ!? ロキか!? お前、本当にロキなのか!?」



 山のように積み上げられた謎の物体たちを掻き分けて、その男はロキの下へと詰め寄った。



「おお、ロキ! お前、今まで一体何処に行ってたんだ!? 随分と心配したんだぞ本当に」



 その男はロキの肩を抱き、その瞳に涙を浮かべて再開を喜んでいる。



 親方というのでもっと中年の男を想像していたが、思ったよりも随分と若く見える。


 恐らくは二十代の半ばくらいか……。


 ぼさぼさに長く伸びた髪のせいで目が隠れておるが、顔の造り輪郭は端正である。


 体躯は細いが意外と筋肉質に見える、本当に単なる魔道具技師なのであろうかと思わせる雰囲気のある男である。



「急にいなくなってすいません親方。実はずっと犯罪奴隷にされてまして……」


「犯罪奴隷……、やっぱりそうだったのか……。どうりでいくら探しても見つからないわけだ」



 その男はそう言いながら胸のポケットからペンシルという黒鉛を使った筆記の為の道具を取り出した。



 そしてその男はロキの額に手を伸ばし、手に持っていたペンシルで何かを書き始めたのである。



「お、親方っ! そこは私のおでこですから! ちゃんと紙に書いてください!」


「あ、ああ、悪い悪い、またいつもの癖が出てしまった……。どうも良い案が浮かぶと何処にでも書いてしまう癖が直らなくてね」



 ロキは「まったくもう」と言いながら額を拭いている。


 男は、はははと笑いながら何度も謝っていた。



 ……なかなか愉快な男のようだな。



「えと、それでその、こちらの御仁はどなたかなロキ?」



 男はそう言って、我とロキに向き直る。



「あ、と、そうでした。こちらの方が私を奴隷から救ってくださったエルレナ様です」



「なんと、奴隷から!?」



「エルレナ様、私が世話になっていました親方のクルフストスさんです」



「ク、クルフストスです、えと、ロキを救っていただいて、なんとお礼を言っていいやら……」




 そう言いながらクルフストスは何とも不器用な笑顔を見せた。




 ふふ、いかにも人付き合いの下手そうな笑顔であるな。





 そんなクルフストスの笑顔に、我も思わず笑みがこぼれるのだった。



 



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