第21話 交錯




「あ、おかえりなさい……って、どうしたんですか!?」



 工房に戻った我らを出迎えたロキだったが、クルフストスの姿に驚きの声を上げた。



「うむ、今戻った。ロキ、朗報もあるが、今はクルフストスの治療を優先させたい」


「は、はい、わかりました。では、私はアンナさんを呼んできます。ここには治療の道具とか無いので」



 ロキは事情も訊かずにすぐさま行動に移す。


 裸足だったロキは、すぐさま靴を履き外に出る準備を終え工房を後にする。



 ミイナの事もそうであったが、ロキは自分以外の事となると判断が早い。


 自分のことは後回しか……。



 我はそんな事を考えながらロキを見送った。



 ロキが工房を去ったあと、扉はばたんという音を立てて閉じられる。


 我はその音を聴くと、クルフストスをまず寝かせなければと工房の二階へと上がった。



 クルフストスは工房の二階を寝室としているのだが、この部屋が使われる事は殆どない。


 一度魔道具作りに没頭しだすと一階の工房から出なくなるらしく、次第に工房で寝起きをするようになったらしいのだ。



 なので、我らが来てからはこの寝室は我とロキで使わせてもらっていた。



 その寝室に入った我は、ベッドの上にクルフストスをうつ伏せに寝かせる。


 背中に短剣の傷と、腕と足に未だ刺さったままの矢があるために仰向けには寝かせられないのである。



 矢を抜くと血が噴き出しそうだったのでこのままにしてきたが、アンナが治療道具を持ってくるまでまだこのままにしておいた方が良いか……。



 となると、アンナが来るまでに出来ること……。



 と考えても、人間の治療に何が必要かあまりよくは判らないので、とりあえず血を拭う布でも用意しておくことにした。



 ベッドの脇に数枚の布を置くと、ふとクルフストスに目がいく。


 毒が体に回ってきているのだろう、呼吸を荒げ、苦しそうに表情を歪めるクルフストス。


 

 我はクルフストスの寝るベッドに腰を下ろすと、持ってきた布を一枚とり、汗の滲むクルフストスの額を拭いてみた。



 そうして、クルフストスの温度を感じるほどに側に寄ると、矢の刺さった所から染み出る血の匂いが漂ってくる。



 この血の匂い……。



 何とも言えない懐かしさ、我はこの匂いを知っている……。



 確かに、何処かで……。



 クルフストス、お前は一体……。



 自然と吸い寄せられるように、クルフストスの傷口に顔を寄せていた。



 そのときだった。



『ただいま戻りました! アンナさん連れてきましたよ!』



 一階から聴こえてくるロキの声にはっとなる。


 

 一体どれくらい……。


 そう思うほどに我を失っていたような気がする。



「クルス、大丈夫っ!? 怪我の具合は!?」



 余程心配だったと見える、アンナが寝室に走り込んでくる。



「アンナか……。腕と足に矢を受けたのと、背中に刺し傷が――」



 我が言い終わる前にアンナはクルフストスに駆け寄って傷の具合を確かめる。


 そのアンナの顔はクルフストスよりも青くなっているのではないかと思うほど、その容貌からは血の気が引いていた。



「一体、どうしてこんな……?」



 アンナはクルフストスを心配する声を上げながら、すぐさま自分の持ってき鞄を取り出し傷の手当てに入る。



「刺客に襲われたのだ。それよりも、矢を抜くので血止めの用意をしてくれ」


「し、刺客って!?」


「すまぬが説明は後だ、早く治療をするぞ」


「あ、はいっ」



 そこに遅れて寝室に入ってきたロキと共にクルフストスの怪我の手当をする。



 幸いにも怪我のほうはそれほど大したものではなかった。


 背中の傷も、矢の傷もそれほど深くは刺さっていたわけではなかったので、血もすぐに止まる程度のものだった。



 しかし、その背中に受けた短剣の傷を見たロキとアンナは絶句していた。


 

 傷口を中心に黒く変色し、明らかに普通のものとは思えないその傷。


 クルフストスの顔色は益々悪くなり、呼吸も荒くなっていく。

 


 そんな姿に、ロキとアンナに不安が走るのである。



「エ、エルレナさん、クルスのこの傷……、それに様子が変なんですけど、何があったんですか!?」


 

 アンナの声には若干の震えが混じっていた。



「背中を短剣で刺されたのだが、どうやら毒を仕込んでいたようでな。だいぶ吸い出しはしたのだが、幾らか体内に残っているようなのだ……」


「ど、毒……!?」


「うむ、この様子だとこのまま何もせぬのは危険かもしれぬ。アンナ、薬などはないか……」



 そう言いながらロキとアンナの方に振り向くと、二人はクルフストスを見ながらその表情を沈ませていた。



「エルレナ様、……薬は私達のような下層民には手が出ないんです。……当然、医者も……」



 なるほど、人の弱みに付け込んで値を吊り上げているというわけか。



 ふむ、どうするかの。


 強引に奪いに行ってやってもよいが、今はまだ目立つ事は出来ぬしの……。



「エルレナさん、魔術で何とか治せないかしら……?」


「無理だ、我は回復系統の魔術は使えぬ」



 クルフストスから説明は受けたが、回復系だけは思うように使えなかった。


 我が人間ではないせいなのかもと、クルフストスは言っていたが恐らくそういう事なのだろう。



「……そ、そんな」


「エルレナ様、じゃあ親方は……」



 二人の顔から血の気が引いていく。



 この街の人間にとって、こうした毒や病気に罹るのは命取りになる。


 そのことをこの二人の表情がよく表していた。



「クルフストスの体力次第となってくるが、随分と弱ってきておる……。このままでは……」



 クルフストスの呼吸が先程よりも弱くなってきている。


 これは思ったよりも強力な毒であったということか。



 しかし、このまま指を咥えて見ているわけにもいかぬ。


 徐々にクルフストスの魔力も小さくなってきておるしな……。



「アンナさん、私はどこかで薬を分けてもらえないか訊いてきます! そのれまで親方を見ていてください」



 ん……?


 魔力か……。



「あ、ちょっとロキ!」



 ロキは矢も楯もたまらず部屋を飛び出していく。



 アンナは暫く茫然としながらそれを見送っていたが、そのうち自分もこうしてはいられないと体を動かし始めた。



 布を手にしそれを濡らすと、クルフストスの額に滲み出る汗を拭う。

 

 そうしながら苦しむクルフストスの表情に、アンナは涙を浮かべる。



 クルフストスの危機に自分の無力さに涙するアンナ。



 クルフストスの汗を拭きながら、アンナは「クルス大丈夫?」と必死に呼び掛ける。



 我はそのアンナの肩に手を置き、その動きを止めさせた。



「……我に任せよ」



 そう言って、クルフストスの体に手を触れ仰向けにひっくり返した。



「エルレナさん……?」



 クルフストスの顔を両手に挟み、少し顎を上げさせる。



 ――そして。



 我はそのクルフストスの顔に自分の顔を寄せ、そっと唇を重ねた。



「――なっ!? エルレナさん、何を……!?」

 


 クルフストスの口に自分の舌を強引にねじ込み、その口腔内で舌同士を絡ませあった。



 すると、この身が溶けていくような感覚が我の全身を襲ってきたのだ。



 何故そう感じるのか、自分でもよくわからない。


 まるで、自分というものが無くなっていくように、クルフストスと我の境界が消えていくのだ。



 クルフストスを感じる五感が思考を奪っていく。


 何も考える事ができず、ただ唾液が溶けあうように一つのものへと混ざり合う。



 数秒であったか、数分であったか、どれくらいそれを続けていたかわからぬが、吐息を含ませ、糸を引きながらクルフストスの口から離れたとき、ふとアンナを見ると先程よりも青ざめた顔でこちらを見つめていた。



「気にするなアンナ、……これも、クルフストスを救うためだ」


「……ク、クルスを……?」


「うむ、クルフストスが言うには、魔力が強い者というのは体が強靭になり病気にもなりにくいらしいのだ。それでこうやって我の魔力を分けてやったという訳だ。毒に対抗できるくらいに体を強くしてやれば助かるやもしれぬでの」



 いくら説明してやっても、そうそう割り切れるものでもないのだろう。


 アンナは自分の顔を隠すように俯いている。



「……それは、口じゃないと、ダメなんですか?」



 アンナは震える声で訊いてくる。



「皮膚の薄い部分が一番効果的らしくての、特に口腔粘膜による接触がより効果を上げるそうだ」


「い、いえ、具体的には、言わなくていいです……」



 アンナはさらに塞ぎ込んでしまったようだが、クルフストスのほうは少し息が整ってきたように思える。


 効果があるかどうかはやってみるまでは分からなかったが、どうやら効き目はあったようだの。



「見よ、クルフストスの顔色が少し良くなったようだ。このままこれを続ければ心配は無かろう」


「ま、……また、やるんですね……」



 沈んだ声を出すアンナ。



 人間の女というのは厄介なものだのう。


 クルフストスを救いたい気持ちはあっても、感情がそれを拒否するか……。



「とりあえず、今夜一晩は続けなければの。悪いが、アンナの気持ちを憚ってやる猶予は無いように思えるぞ」


「……いえ……それは……。あの、……私は一階にいますので、何かあったら呼んでください」



 アンナは我とは目を合わせないようにして、この寝室から足早に出ていった。



 遠ざかっていくアンナの足音を聴きながら、やれやれと一つ息を吐く。



 まあ、その方がやり易くはあるな。



 そう思いながら、我はゆっくりと着ている服を脱いだ。


 貴族の娘が持っていた服なので、少しごてついて邪魔なのである。


 その服を、部屋の隅に置かれているテーブルの上に無造作に置くと、クルフストスが横になっているベッドの中にするりと潜り込んだ。




「クルフストスよ、安心せよ。お主は我が救ってやるからな……」




 そう言って、クルフストスの頭に両腕を回して優しく抱きかかえた。





 二人が蕩け合うように全身を密着させ、クルフストスの唇をペロリと舐めたあと、その唇にゆっくりと口づけをした。




 

 

 

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ヴァンパイアの恋 憑杜九十九 @rok

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