第30話
そして時は過ぎ夕飯時、獣騎士隊の面々が一堂に会するこの場においてナルは絶句していた。
出てきた料理があり得ない程豪華だったからだ。
軍の食事というのは大抵の場合量が重視される。
ごく少数の国家では味も重要だと言われているが、それでも量が多い。
満足に料理ができない場での食事が多い軍は不味い料理でも満足できるように訓練を受けている。
故にグリムがおいしいと称した事に対しても懐疑的だったナル、だが目の前に出てきた料理は味、量、そして見栄えの全てが完璧なものだった。
貴族の食卓に紛れ込んだかのような錯覚を覚えたナルだったが、遠慮していてはグリムが全てを食べつくしてしまうかもしれないという危機感と、久方ぶりに食べる御馳走に集中することにした。
「よう、食ってるかい? 旅人さん」
「ん? おぉ、すげえ飯だな。こんなに豪華なのは久しぶりで明日からの食事に満足できるか不安だ」
唐突に話しかけてきた獣騎士隊員に、それでもいつも通りの返答をしたナルはスープで喉を潤す。
透明度の高い黄金色のそれは、飲めば飲む程味の奥行を舌に伝えてくるものだった。
「いや、俺達もこんなに豪華なのは久しぶりなんだがな。我らが期待の新星リオネット大隊長様が大手柄を挙げたってことで料理人が張り切ったんだよ」
「あぁ……なるほど、そういう事か」
つまり普段からここまで豪勢な食事ではないという事だ。
それにしても限度というものはあるが、楽しんでいる以上野暮な事を言う必要も無いだろうと丸焼きにされた子豚の肉を切り取って自分の皿へとよそる。
「俺はミーシャ、今夜からあんたの護衛に着く事になったんだ。大隊長から直々の命令で挨拶も今のうちに済ませて来いって言われてな」
「ナルだ、そっちの色々小さいのがグリム。よろしく頼むよ、護衛さん」
「おう、任せておけ……と言いたいところなんだがな。申し訳ないことに俺はこの手の仕事は初めてなんで迷惑をかけたらすまんな」
先程までの笑顔から一転、不安げな表情を見せたミーシャをナルは観察した。
赤毛は短く切りそろえられている。
鎧は勤務時間外だからか着用していないが、随分と筋肉質だ。
脚の太さがグリムの胴体ほどあり、背も高い。
髭も相まって熊のような様相は無意味に威圧感を与えかねない、なるほど余計なトラブルを寄せ付けないという意味では護衛としても十分な働きをしてくれるだろう。
対して本人は自分の人相の悪さが原因で問題を起こすのではないかと心配しているように見えた。
「大丈夫だろ、あんたを見て喧嘩を売ろうと思う奴はいないだろうからな」
「おいおい、それじゃあ俺が化物みたいじゃないか」
「化物は言いすぎにしても熊みたいだぞ、怖がられる方の」
「お、いいやがったな。まったく大隊長様の言ってた通り遠慮しない性格らしいな」
「まぁな、そんな物は親の墓に供えてきたから残ってないんだよ」
そう言ってミーシャにコップを手渡し、近くに置いてあった葡萄のジュースを注ぐ。
そして自分もコップを持ち、ジュースの便を手渡して注がせた。
何をするのか察したのだろう、ミーシャはにやりと笑う。
そして、小さな音を立ててコップを打ち合わせた二人は中身を一気に飲み干した。
「これが酒だったら最高だったんだがな……」
「まったくだ、しかしあんたの護衛に着けたおかげで今夜からは飲めそうだ」
「獣騎士隊は禁酒って聞いたが? 」
「酔った状態、あるいは酒の匂いをつけたまま詰所に入らなきゃいいって取り決めになっている。つまり、あんたが晩酌に付き合えと命令してくれたなら……わかるだろ? 」
「ははは、なるほどなるほど。ところで美味い安酒を出す店は知っているかな? ミーシャ君」
「おうよ、こっそりと通ってるお薦めの店が一軒ありますぜ。ナルの旦那」
「お主も悪よのう」
「旦那こそ」
「はっはっは」
「けっけっけ」
声高々と笑う二人は一瞬で意気投合した。
酒飲みの友情というのもあるのだろが、この場においてそれを注意できるものはいない。
一人を除いて。
「何やら悪だくみが聞こえたな。こっそり通っている店が、なんだって? ミーシャ准尉」
「げっ」
ミーシャをナルの護衛に充てたリオネットだった。
顔はにこやかだがこめかみに青筋を浮かべている。
「詳しいことは後で聞かせてもらうとしよう……そしてナル、私の部下をあまり堕落させんでくれ」
「娯楽は人生のスパイスだからな、なに気にするなミーシャ。新しい扉を開けばリオネットの説教すらご褒美と思えるようになる」
「そんな日が来ない事を望むね……」
「安心しろ准尉、そうなった暁には最前線送りだ」
「まじすか……俺には妻と娘が……」
「いないだろう、貴様の家族構成くらい知っている」
「そのうちできる予定ってことで」
階級の差は随分と激しいだろうに、仲良さげにする二人をナルは感心しながら見ていた。
軽口を叩けるほどに信頼されている、それは行き過ぎれば舐められているという事になりかねない。
しかしミーシャからは尊敬の感情が見て取れた。
対してリオネットは部下の家族構成を把握している等、上司として様々な面で気を配っている。
その信頼関係の熱さを見せつけられたのだった。
何十年も昔、自分が築き上げて一瞬で崩された物を見せられたナルの心中は穏やかではなかった。
嫉妬心が渦巻く。
(……って、俺は何を考えているんだかな。こんな感じは久しぶりだ)
長らく忘れていた何かを思い出したように、嵐のように襲い来る感情の波の中、しかし落ち着いていたナルはふと隣を見る。
死を望み、そして無理やり生き永らえさせた、自分のせいで人生を変えてしまった少女。
初めて見た時は歩く死人、あるいは糸の切れたマリオネットのようにも見えた少女の瞳には生を謳歌している者特有の光が宿っている。
それを見た事でナルは得心した。
(あぁ……そうか、俺はある意味では死んでいたんだな)
感情が死んでいた、人間性が死んでいた、心が死んでいた、生きていたのは肉体のみだった。
その事を実感して、いまだにくだらないやり取りをしているリオネットたちを見て苦笑していた。
「まぁまぁお二人さん、仲がいいのは結構だがせっかくの御馳走なんだ。リオネットもここはひとつ、現行犯じゃないんだから厳重注意くらいにしといてやったらどうだ」
「む……しかし規律というのはだな」
「それともなにか、管理者責任で叙勲取り消しで美味い飯を作ってくれた料理人を泣かせたいとか? 」
「ぐっ、本当に嫌な事を言う奴だな君は……」
「ミーシャも、ばれないようにやるなら最後までばれるな」
「美味い料理食ったせいで口の滑りが良くなってたな……反省しよう」
「違反行為していたことを反省しろ! 」
「まぁまぁ」
久しく忘れていた人間性、あえて遠ざけていた人とのつながり、それが今こうして目の前に、そして手の中に有る。
人とはこんなにも暖かかったのか。
そう思いながらナルは一心不乱に料理をかき込むグリムの頭に手を置いた。
「なに……? 」
「んー? 食べ過ぎて動けなくなるなよ、俺も今日はくたくたなんだ」
「ん、ほどほどに、する」
すでに三人前は平らげたであろうグリムだが、まだ胃袋には猶予があるらしい。
次の料理へと手を伸ばし、しかし背の低さが災いして今にもテーブルの上に倒れ込んでしまいそうな体をナルは押さえて、代わりに取り分けてやった。
「ありがと……」
「おう、感謝しとけ」
そう言って、リオネットの肩を叩き後は任せたと言ってテラスへと出たナルは煙草に火をつける。
獣騎士隊は酒に厳しいが、実のところ煙草にも厳しい。
来客まで縛る事はできないが、詰所内での喫煙は歓迎されない行為だ。
つい先ほどその事実を知ったが、それでも今は煙草を吸いたい気分だった。
(こういう気分で吸うたばこは久しぶりだな……いつもよりも美味い、かな)
慣れ親しんだザクソン産の紙巻きたばこが特別上等なものであるかのように感じて、そして再び旅路を思い出す。
(……いや、だめだわ。碌な思い出ねえや)
そしてまともな記憶が残っていない事に顔をしかめながら、しかし今日の事は今後どれだけの時間彷徨う事になっても忘れる事は無いだろうと決めたのだった。
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