第14話

「さて……この二股の道を左に進めばレムレス皇国だ……世話になったな」


「あぁ、たった数日だったが楽しい時間だったよ」


 とある草原の道端で二人の男が熱い握手をした。

 その隣にはどうでもいいと言わんばかりに空の雲を眺める少女の姿。

 明らかに不審者と言った装いの三人だが、通報する者も受け付ける者もいない。


「それじゃあな、生きていたらまたいつか会おう、ナル」


「あぁお前も元気でやれよ、ニルス」


 熱い握手の後は熱い抱擁、その後に別れを惜しむように見つめ合ってから互いの手を叩きあって乾いた音を周囲に響かせた。

 互いの性別が違っていたら抱擁以上のことまでしていたかもしれない様子をグリムは冷めた目で見つめていた。


「ナル、行かないの」


「そうだな、ぼちぼち行くか」


「ん」


 去り行くニルスの馬車を見送ったナルは煙草に火をつけてグリムの言葉に答えた。

 少し寂しい気もすると思ったナル。


(わかれってのは何度経験してもなれないなぁ……)


 そんなことを考えながら整備された道を歩く。

 定期的なメンテナンスが行われているのだろう、道は踏み固められ歩いている限りでは凹凸を感じる事は無い。

 馬車はそれなりに揺れていたが、不快というほどでもなかった。

 それだけにアルヴヘイムとレムレスの国交が盛んであるという事が見て取れる。

 人の行き来が多ければそれだけ道は整うのだ。

 馬車の車輪痕すら残らないほどに踏み固められた道がそれを物語っている。


「しかしまぁ、本当にきれいな道だな」


 ところどころに設置された街路樹は魔獣が嫌う臭いを発するものだ。

 その全てが一定間隔で並んでおり、この道を通る魔獣はほとんどいないだろう。

 あるいは魔獣の生活圏を縮小させることを踏まえての道なのかもしれない。


「ん、歩きやすい」


 グリムもそう言いながら足元を眺めている。

 背丈の問題で歩幅が狭い分、ナルがそれに合わせている為随分と遅い速度での移動だったがそれがまた平穏だった。

 しかし平穏というのは時に狂乱以上に厄介でもある。


(……何を話せばいいんだ)


 沈黙である。

 あまりに平和すぎて話すことがないのだ。

 そして下手な会話を試みると大抵の場合失敗する。

 先日のように失言を連発しかねない。

 だからナルは慎重に話題を選ぶ。


(昨日の食事……駄目だ、特筆する程美味いものじゃなかった。馬車の乗り心地……ごく普通の荷馬車だった。天気の話……晴れてるけどそれだけだ)


 このように思考が堂々巡りを続けていた。

 一方のグリムと言えば。


(眠い……)


 この調子である。

 この手の沈黙を苦としない性格をしているグリムにとって今重要な事は先ほどまでぐっすりと眠っていたという事実である。

 ナルと出会って数日、何年も魘されてきた悪夢から解放され心地よい眠りというものを思い出して以来睡眠欲が振り子のように戻ってきたのだった。

 その為ナルは備蓄用にと刻んですらいない薬草の葉を裁断して紙で巻くという作業を延々と続ける羽目になったのだが、居眠りついでに刃傷沙汰を起こされるよりはよほどましであると割り切って作業をしていた。


 先日になってようやく数日は困らない程度の量を確保したことで、今はその作業に追われることも無いがある意味ではグリムにとってナルの重要性が跳ね上がっていた。

 また食事に関しても、ナルは特筆する程の事は無かったと言っているがグリムにとっては十分満足できる味の物だった。

 そもそも腐りかけの安い干し肉ばかり口にしていたのだから、普通の食事が美味いのは当然の事である。


 比較対象があまりにも悪すぎるというだけの事。

 そしてそれを原因に、睡眠欲同様食欲も増していた。

 美味しいものを食べたいという気持ちを理解した事で、グリムの食欲は底知れないものになっていた。

 三日間の断食という事例も含めて、空腹の辛さというものも味わっている。

 だからこそ満足するまで食べられるという幸せをかみしめていた。


(いい天気……木陰でご飯、食べて……お昼寝……できたら最高)


(ちくしょう、なんか話題はねえのか! 考えろ俺! なんかあるはずだ! この微妙に重苦しい空気を打開できるだけの話題が! )


 二人の考えは完全に別の方向を向いていた。


「あ、そういえばグリム! 最初会った時俺の占い、声かけたら足止めたけど好きなのか? 」


「……別に? 」


 そうして会話が途切れる。

 グリムとしては好きでも嫌いでもなく、声をかけられたから普通に立ち寄っただけに過ぎない。

 その心中は何も考えていないに等しかったが、表情筋の動きが鈍いグリムの顔からナルは機嫌を損ねたのではと勘違いする。

 人心掌握に長けたナルには珍しい勘違いだった。


(やべえ、なんか俺地雷踏んだか!? でもそれを聞くのもなんか気が引ける! どうしろっていうんだこの針の筵! )


(ナル、なんか大変そう……? )


 他人を見ない事に定評のあるグリムでさえ見抜けるほどナルは焦っていた。

 もとより話し好きの男である、過度の沈黙に耐えかねて暴走している節もあるが今は何か会話をしなければと表情の操作をおろそかにしていたため気付かれたのだ。


「占いは、あまりしたことがなかった……傭兵は、ジンクスは気にしても、まじないは気にしないから」


「そ、そんなもんか? 俺も昔傭兵やってたことあるけど酒の席で何度か占いを披露したこともあったぞ」


「それ、何年前? 」


「えーと……60年くらい前、かな」


「ナル、そのうち、今どきの若い者は、とか、いいだしそう」


 ぎくりと、ナルの心中で何かの音が響いた。

 言われてみればここ数年そんなことを思うようになった気がしないでもない、いや確実に考えてたわ、あとは口に出すだけだったわ、と慌てふためくナルを見つめるグリムは少し顔をしかめる。


(図星……? ナル、おじいさん? )


(やばい、やばいわ……沈黙以上に俺の精神状態やばいわ……なんでこんなに動揺してるんだ……)


 ナルは気づいていない。

 ここ数日、連日連夜に渡る煙草を巻くという作業とニルスという優秀な弟子との会話によって自分の体調が乱れている事を。

 不死の存在である以上体調の良し悪しはあまり関係ないのだが、それは気にする必要がないというだけで精神に影響を及ぼすのだ。

 風邪をひいたときに人が恋しくなるようなものだが、今現在ナルを襲っている不調もその類である。


「そうだそうだ、そういえばこのロングソード。切れ味はどんなもんなんだろうな! 」


 ナルが腰から下げていた剣を叩いて、グリムに話題を振って見せる。

 先日グリムが購入したもので吊るせば引きずり背負えば抜けないという難点からナルが携帯することになったものである。


「切れ味は、あまりよくない。でも鍛造製で、頑丈。切るよりも叩き潰す、盾ごとへし折る、鎧ごと圧殺」


「へぇ……まぁ使う機会はしばらくないことを祈ろうか」


「ん」


 地雷の気配を察して、そして無事に回避した事に胸を撫でおろしたナルはこの後も空回りをつづける事になる。

 そして後日体調を崩していたんだなと気付いて、ようやくいつも通りのナルに戻ったのだった。

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