第24話
それから二人は風呂屋でしばしの休息を経て、ようやく目的地である軍の詰所へと向かう事になった。
途中グリムがよそよそしい態度を見せる事があったが、それ以外はいたって普段通りの何気ない光景、しかし二人は忘れていた。
カードの所有者は引かれ合うという事を。
「……死神か? 」
突如、吹聴した覚えのない呼び方をされたグリムは酷く驚いた。
そして同行していたナルも、警戒心を最大にする。
グリムを側に置いていたことで【愚者】のセンサーがうまく働かないのは【悪魔】のカードで実感していたにもかかわらず、再び同じ過ちを繰り返したと内心舌打ちをしながら とっさに腰に手を伸ばし、もう片方の手を懐に入れてカードとナイフを抜けるように身構えた。
それは、間違いなくカードの気配を発している人物の声だった。
「……リオネット? 」
「あぁ、そうだ。すまんな突然、不躾だった」
「グリム、リオネットってまさかあの……? 」
「ん、獣騎士隊大隊長リオネット・グランドレーン」
そこに現れたのはグリムが話していた人物だった。
簡素な鎧を身にまとい、腰には汚れ一つない剣が吊るされている。
燃えるような赤髪は後頭部で一本にまとめられ、肩甲骨まで延ばされていた。
そしてなにより、ナルが目を奪われたものがあった。
(でけえ……)
豊満な胸部である。
鎧は体型に合わせて作られるが、ある程度の余剰と体格に合わせた調整の両立が求められる。
余剰がなければ攻撃を受け止めた際の衝撃が直接体に伝わり、また変形した鎧が肉体を傷つける事もある。
逆に余剰がありすぎる場合は動きを阻害してしまう。
男性であれば起伏を気にする必要は無いが、女性が身に着けるそれは大半がオーダーメイドになる。
つまり胸のサイズとウエストのくびれが問題となるのだ。
胸と腹部、それは急所であり命を守るという目的の為には金を惜しまないというのが定石であり、特に軍人や傭兵はその点において妥協をすることがない。
そして、ナル達の目の前に現れたリオネットという女性もその例にもれず体型に合わせた鎧を身にまとっていたのだが……。
一つ例え話をしよう、比較的という言葉が用いられるが何と比較するかという問題がある。
世間的には『平均』に対して比較する物だが、その『平均』とは標準、あるいは慣れ親しんだものを意味する場合基準はあいまいになる。
そしてナルにとっての『平均』とは、つい最近旅の道中を共にするようになった女児と見紛うグリムであり、標準というものが下方修正されていた。
結果的に、リオネット女子の胸部は並外れて大きく見えてしまったのだ。
男というのは哀れな物で、目の前にたわわに実った果実があれば自然と視線を誘導されてしまう。
それが女性にとってどのような感情をもたらすか、その事をよく知っていようとも本能にはあらがえないのだ。
「ナル……すけべ」
「……まぁ、そう言った目で見られるのは慣れているのだがな。ここまで堂々とされると逆にすがすがしいものだ」
「すまんな、旅仲間が絶壁で久方ぶりに見事な物を見せられて年甲斐もなく」
そう謝辞を述べるナルだったが、やはり視線は胸に集中している。
ここで無理に目を逸らして話をしようにも、自然と視線は下がってしまうとわかっている以上無駄なあがきを辞めて堪能することにしたのだ。
なおさりげなく絶壁と呼ばれたグリムからは怒気を通り越して殺気が発せられていたが、当のナルと言えばその形状を内心で賛辞すること以外に興味が向いていないのだった。
「いつも思うのだが、男というのは鎧の上から胸を見て楽しいものなのか? 」
「楽しいかどうかは別として本能で見てしまうのだからしょうがないと思ってくれ、所詮男なんてのはそんなもんだ」
「いや、初対面の人をこう呼ぶのも気が引けるのだが……君が人よりも性欲旺盛なだけではないのか? 私の周りはどちらかというと目を背けるぞ」
「それは対応能力の差だな、俺みたいに隠す必要のない男は凝視するが、免疫がない奴や恋愛感情を抱いている奴なんかは逆に直視できないもんだ」
「ほう……なんとも気恥ずかしいな。やはりあまり見ないでもらえると助かるのだが」
そう言って胸の前で腕を組み、ようやくナルの視線はリオネット本人へとむけられた。
「挨拶が遅れたな、ここ数日グリムと旅をしているナルだ。家名は無いから好きに呼んでくれ」
「ふむ、そうか……私は獣騎士隊の一員、リオネットだ。というのは先ほど……グリムが言っていたな」
危うく死神と言いかけて、すぐさま名前で呼びなおした。
それはリオネットという女性が、グリムの性格を理解してそう呼ばれることを嫌っていると理解していたからである。
先程死神と呼んでしまったのはとっさに名前が出てこなかったからだ。
「それで、こんな辺境に来たのは旅路の途中か? 」
「いや、あんたに会いに来た」
「……私にか」
今度はリオネットが警戒心を露にする番だった。
先程までの安穏とした雰囲気はどこへやら、いつでも剣が抜けるよう半身に構えをとっている。
さりげなく行われた動作だったが、常に死線と隣り合わせの生活を送っている者特有の、達人の身のこなしをしていた。
「警戒しないでくれ、べつに何かしようという訳じゃなくて交渉というか……お願いに来たんだ」
「引き抜きは遠慮させてもらうぞ」
つまり亡命のお誘いとリオネットは考えていた。
ナルはどこぞの国の人間であり、リオネットを勧誘しに来たのではないかという想像をしていた。
「違う、まぁこんなところじゃなんだ。人に話を聞かれない場所があれば案内してくれないか」
「リオネット、この人は、大丈夫」
ナルの厚かましい頼みに顔をしかめたリオネットだが、久方ぶりに再開した戦友の言葉に警戒を解いて、そして大きくため息をついた。
「わかった、巡回の途中だから詰所で待っていてくれ」
そう言い残してリオネットは手を振りながら雑踏の中へと消えて行ってしまった。
残されたナルたちと言えば……。
「ナル、絶壁って、どういうこと」
「……すまない、本当にすまない、失言だった」
「すけべ」
「……はい」
「へんたい」
「…………はい」
「ばか」
「………………誠に申し訳ありませんでした」
「ごはん、お肉、大盛り」
「奢らせていただきます……」
グリムの抱いていた桜色の感情はどこへやら、いやある意味では現在進行形で桜色なのかもしれない。
周囲から見れば兄妹、下手をすれば親子ほどの差がある二人だが、見る者が見ればそれは痴話げんかのように見えただろう。
これが波乱の前の一幕とならない事を祈りながら、ナル達は詰所へと向かうのだった。
道中グリムの言葉攻めを受けながら。
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