第7話
「しかし、死にたいなら俺に頼る必要もないだろうに」
勝手に自害すればいい、戦場で手を抜いてもいい、ただそれだけの事を少女が思いつかないはずがない。
そう考えての質問だったが、少女の曇らせた顔がナルの口を止めた。
「最初に、人殺しの才能があると知ったのは、8歳の頃……酔っぱらった男に、乱暴されそうになった時、近くにあった酒瓶で、脳天を一撃、割れた瓶で喉を一裂き、それで男は絶命した。でも私は、罪に問われなかった。正当防衛って、家族も私を、責めなかった。けどそれから、毎晩その男が、夢で私を責め立てた」
俺を殺したな、欲も俺を殺したな、お前に平穏なんて許さない、そう何度も語りかけてきたと少女は呟くように語りはじめた。
「10歳になるころ、私は死のうとした。あらゆる方法で」
断崖絶壁からの投身、首つり、切腹、あらゆる自殺の方法を語る少女の瞳はまさしく死人のそれである。
「でも死ねなかった、誰かが、私が死ぬことを許してはくれなかった」
「誰かって……親とかか? 」
「違う、新品のロープが千切れた。崖から落ちた先には必ずクッションになる何かがあった、自分を刺そうとしたナイフは錆びて柄を残して崩れ落ちた」
「……死神が拒んでいた、と言いたくなるな」
「そう、だから傭兵になった。戦場なら、誰かが私を殺してくれると、そう思って」
でも、と漏らしかけて少女は黙り込んでしまう。
逸話通りならば、そして目の前で古傷一つ残さない少女の身体を見る限り彼女を傷つける事が出来た者はいないのだ。
「切りかかってきた相手は無意識のうちに切り捨てていた。そして切り捨てるたびに、知らない誰かが夢で私を責め立てた。その数は日に日に増えていった」
「そりゃまた、難儀な悪循環だな」
「本当に……自殺の為に、たくさんの人を斬った……そして、その相手が、私を夢で責める」
「それでいい加減に死にたいと思ったわけだ……しかし死神は引退したと聞いたが? 」
ここ半年、死神と称される傭兵の活動記録は無い。
世間では死んだという噂も飛び交っていたが、その噂は同業者達によって否定されたことで数日と経たずに霧散してしまった。
故に死神は引退したと言われていた。
「私を殺せそうな人、結局見つからなかったから。だからもう……」
「確実に死ねる場所と方法を探していた……という訳だ。それで、何日食ってない」
「……三日、飲まず食わず」
「じゃあ俺は運が良かった、そして君は運が悪かったわけだ」
「なんで……? 」
「君が万全の状態で俺を切りつけていたら、その時は剣を取り上げるような真似はできなかったからな。そしたら君を殺さなきゃいけなかったし、俺としては死神のカード保有者をしっかり見つける事ができた。しかもちゃんと生きているんだから交渉ができる。ものすごく幸運だったろ」
少女はその言葉に歯噛みする。
結局、自分のしている事は全て裏目に出てしまうのだと。
自分の中にいる死神は自分の死を許容してはくれないのだと。
「さて、そんじゃあお前の頼みを聞かずにカードを受け取れる方法を……まて」
「……? 」
「ルナ、この気配……わかるか? 」
懐から取り出した【月】のカードを発動させてそう呼びかけたナルは、壁に立てかけられていた剣を少女に放り投げた。
「はいはーい、呼ばれて飛び出てルナちゃん登場! って、あらまぁ女連れ……ナルちゃんも隅に置けないね! ……とか言っている場合じゃないね、昨日はこんな気持ち悪い気配なかったよ。でもこれって……」
「あぁ、カードの気配……けど……」
先程まで何かに阻害されたかのように感じ取る事ができなかったそれは突然現れたとしか称する事の出来ないものだった。
挙句、その気配からは明確な殺意を感じ取れるとなればなおさらである。
伊達に生きながらえてきたわけではないナル、そして戦場に身を置いて着た少女が気づかないはずのないそれを、今の今まで気づけなかった。
その事実が三人を困惑させていた。
「なに、この……気持ち悪い感覚……殺意、だけじゃない……」
「カードの気配、俺のタロットを受け継いだ奴らは引かれ合うもんだが……いや、そういう事か」
過去、カードの保有者が同じ町にいるという事態は何度かあった。
それは主に大国の重鎮が会合に参加している場合や、強靭な兵士が戦場で相まみえた時の出来事だった。
ナルはその場で手出しをすることができずに引き下がるしかなかったが、複数のカードの気配を探るという事態には慣れていた。
だがそれも、あくまでおおよその物でしかない。
目の前にいる少女が発しているカードの気配、それがこの街に少し前に訪れたカードの気配を隠してしまっていた。
「これはちょとばかし不味いんじゃない? 私が探しに行ったとしてもナルちゃん一人じゃ荷が重いでしょ! 」
「だよなぁ……おおよそでいいから場所はわかるか? 」
「えーと……」
「街の外壁南東の門、すごい速さでこっちに近づいてきてる……」
殺気を感じ取る事に関しては人並み外れて優れている少女がそう口にすると同時に、ナルはルナを再びカードに戻して【力】のカードを手に取った。
「イヤーな予感がするねぇ」
「…………」
およそ1分、しかし体感1時間にも及ぶ沈黙ののちにそれは宿の壁を突き破って表れた。
黒いオーラを纏い、金色に光る眼をぎょろりと動かしながら、しかし一瞬の事少女を見つけた瞬間に瞬きさえせずそこに佇む異形。
そう、異形だった。
形状は人型、しかし明らかに人ではないそれをあえて人間の言葉で称するならば筋肉達磨だろうか。
「UrAaaAAAAaaAAAAaaaaAAAa! 」
異常なまでに膨れ上がった筋肉は内側から服を引き裂き、壁を突き破った際に負ったであろう負傷は、まるでナルのように再生していく。
その咆哮はガラス窓を粉砕し、ついでのように壁の破損を広げていった。
「……これは…………なあ嬢ちゃん、おまえさんを殺してくれそうな相手、あそこにいるぞ」
「私、にも……相手を選ぶ権利は、ある」
「そりゃそうだ」
ナルは死にたくないと願った者だが、言い換えるならば死に時は選びたいという事に他ならない。
つまるところ少女の言う相手を選ぶ権利というのはそれと同様の物であると容易に察することができた。
「じゃあ、ここは決まりか? 」
「ん」
「よし、ストレングス! 」
短いやり取りの後に二人は一呼吸の間に距離を詰めて必殺の一撃を異形の誰かに叩き込んだ。
全身全霊を込めたナルの拳、そして心臓を貫かんとする一撃必殺の刺突が同時に異形に突き刺さる。
「……あ、駄目だこれ」
しかし手ごたえからナルは飛びのいた。
ゴムタイヤを殴りつけたような、弾力のある硬さとそれによって威力が十分に浸透しなかったことを一撃で見抜いたためだ。
たいして少女はその場に動きを封じられた。
突き刺した剣が抜けなくなったのだ。
それは異形の持つ、異常に発達した筋肉によって剣が掴まれてしまったからに他ならない。
「GARuaaaAaA! 」
「剣を離してこっちに跳べ! 」
慌ててナルが少女に声をかけた事で間一髪、振り下ろされた異形の拳は空を切り床を破壊して階下へと落下していく。
「これ……弁償しなきゃダメなのかね」
「夜逃げ、一番手っ取り早い」
「いやいや、台帳に名前書いてるでしょ。君有名人だから逃げられないでしょ」
「当然偽名、使った」
「うわぁ、手慣れてる……他人事だけど嫌な人生だなぁ」
ついでに人の事を言えないほど嫌な人生を送っているナルは、その事はスルーした。
「それじゃ、今のうちに逃げようか」
全部投げ捨てて見なかったことにして逃げよう、というナルの提案は少女にとっても魅力的だった。
だったのだが、相手は意思をもって少女を狙っている。
簡単には逃がしてくれないもので、階下へ落ちていった穴からすぐさま舞い戻ってきた。
「HuUUuUUuuuu……」
「うーわ、本格的に面倒くさいぞこれ」
そうぼやくナルを余所に、異形は少女へと襲い掛かる。
振り上げた拳を繰り返したたきつけるだけの単純な攻撃だが、一撃一撃が明確な殺意とそれに伴う破壊力を秘めている。
一発でも当たれば、華奢な身体は原形をとどめることなく命を散らすだろう。
「SHI……Ga……」
「あん……? 」
「ShI……NiGA……mi! 」
「……ご指名みたいだけどお知り合い? 」
異形の怪物は確かに死神と少女を呼んだ。
死神はその噂に反して風貌はあまり知られていない。
しいて言うならば小柄という情報が出回っている程度だろうか。
「……恨み、なんて、毎日がバーゲン、だった」
「だよなぁ」
暗に恨みを買いすぎて相手が誰なのか判別つかないと言ってのけた少女は致死性の拳を柳のようにのらりくらりとかわして、更にはついでのように持っていたナイフで突き出された腕を引き裂いていた。
最低限の力で、相手の腕力を利用し斬っているのだろう。
先程の剣と違い抜けなくなるような事もなく、まるで紙を裂く様に異形の腕に傷が増していく。
しかしその傷もわずか数秒で完治し、まさしく膠着状態へと陥ってしまっていた。
「……どうする? 俺、なんかした方がいい? 」
【力】のカードを使ってもダメージを与えられなかったナルは、手持ち無沙汰だった。
異形の怪物はナルの存在を知覚しているようには思えず、そして少女もこのまま放置していても、決定打は無くとも対処はできる状況だった。
「こいつに、殺される前に、私を殺してくれるのがベスト」
「そりゃ無理だ、というかその攻防に割って入れる度胸がない」
「じゃあ、あの剣、とって」
「割って入る度胸ないって言ったそばから無茶なお願い止めてくれませんかね」
「5秒後、隙をつくるから」
そう言って少女はもう一本、拳の迎撃に使っていたものと比べると小ぶりなナイフを取り出してそのまま投擲した。
それは寸分たがわず、異形の眼球に突き刺さった。
ゴボゴボという気味の悪い音を立てて再生を始めたが、その再生は突き刺さったままのナイフに阻害され、結果として異形の片眼からは常に血が流れ続けていた。
まるで涙のように流れる血を、それでも攻撃の手を緩める事なく少女を狙っていた異形だったが視覚が狭まったせいだろうか、狙いを大きく外してもう片方の目にもナイフを突き立てられることとなった。
「AAaAaaaaaAAaaAaaaAaAaaAaaaaaAaaaaa! 」
流石に視界を完全に奪われては異形の怪物と言えどもただでは済まない。
深々と突き刺さり、脳髄に達しているのではないかと思えるナイフを引き抜こうとしていた。
「今」
「はいよ! 」
少女の合図に合わせてナルが異形の懐に飛び込み、胸に突き刺さっていた剣を手に取る。
「ふんっ! 」
【力】のカードで増強させた膂力、その全てを注ぎ込み剣を引き抜こうとして、しかしなかなか抜くことができない。
わずかに、ほんの少しずつ、抜けている感触はある。
しかし、両目の傷が仇になったのか、激痛が走っているのであろう。
異形はもがき苦しみ、そして全身に力を込めて痛みに耐えているのだ。
幸と不幸、それ故に異形がナイフを抜くことに時間をかけている。
それ故にナルが剣を抜くことに難儀している。
「引いて駄目なら、押す」
ナルが握りしめていた剣の柄に少女も手を重ねる。
その言葉の意味をナルが理解するのと同時に、異形の怪物の両目からナイフが零れ落ちた。
「RGAaaaaaaaAAAaaAAaaaaaAA! 」
瞬時にその両目は金色の光を取り戻し、一瞬得物を探すように宙を漂ってから自分の懐にいる少女を見つけた。
万感の力を込めて拳を握りしめようとした、そのわずかな瞬間。
少女は剣を押し込んだ。
少女一人の力では足りなかっただろう。
ナル一人ではタイミングが合わずに剣が折れていたであろう。
刹那のタイミング、絶無の腕力、二つを合わせた事で剣は異形の心臓を貫いた。
「Ga……gU……」
そしてうめき声をあげて、あおむけに倒れると同時に黒いオーラが霧散した。
あとに残ったのはどこにでもいる普通の男、顔立ちが整っているが先程までのような人並外れた筋肉は人並みという範疇である。
「……し、にが……み……」
最後の力を振り絞るように紡ぎだしたその言葉を残し、金色の瞳から光が失われた。
それと同時に男の胸に突き立てられた剣をすり抜けるようにして光の球が浮かび上がっていた。
過去二度、その光景を見たナルは迷うことなく懐からタロットカードの束を取り出して光の球に掲げる。
「お前は、だれだい? 」
その言葉に光の球は小さく震え、そして一枚のカードの前へと躍り出た。
15番目のカード、【悪魔】。
暴力や破壊を意味するカードに光の球が吸い込まれモノクロだったカードからにじみ出るように色が浮き上がっていった。
先程までの男の暴走はこのカードが原因だったのだろう、そう考えたナルは、すぐにそれどころではないという事に気が付いてしまった。
破壊された壁、床、窓ガラス、そして死体と突き立てられた剣、それを握る自分と少女、そして階下から自分たちを眺める群衆。
「本当に……どうしようか……」
その問いに答える者はいない。
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