第19話

 グリムは村を散歩していた。

 武器の大半を酷使して鍛冶師に預けている今、できる事は限られている。

 更に間が悪いことに普段ならば沈黙を嫌って適当な話題を投げかけてくれるナルがいないのだ。

 昨晩、夕飯の後この先必要になりそうな物資の調達という名目で村長が集めた各管理者と商談という名の宴会を開いて今朝になって二日酔いでもだえ苦しんでいた。

 それを見て、否、見なかったことにして散歩に行ってくるとだけ伝えて村に繰り出したのだが……。


「旅のおねえちゃんだー! 」


「旅のお話きかせてー」


「おねえちゃん強いってほんとう!? 」


 その選択を後悔していた。

 村長の家でおとなしくしていれば、あるいはナルから薬煙草を分けてもらって昼寝をしていればこのような事態にはならなかっただろう。

 一言で纏めるならば、今現在グリムは子供に絡まれていた。

 彼女自身子供と見紛う体系であったのも災いして、まだ農作業などの手伝いができない年頃の子供に即効でなつかれたのだ。


「えと……」


 ここで子供に囲まれたのがナルだったらうまくやれたのではないかと思いながらもグリムは初めての経験に戸惑う。

 人付き合いに慣れているわけではない、むしろ傭兵として生きていくにはそれなりのコミュニケーション能力が必要だった。

 だがそれは大人相手の話であり、子供の世話というものには無縁だったグリムにとって未知の経験だった。


「ねぇねぇ、旅のおはなしきかせてよー」


「俺もききたーい! 」


「俺も俺もー! 」


 村のど真ん中で大声を上げる子供たちに、大人は微笑まし気にそれを眺める。

 中には不安げな表情を見せる者もいたが、グリムの姿を見るとすぐに笑みを浮かべて家の中へと去っていった。

 またしても、ナルならばという考えが浮かんだグリムだったが今は一刻も早くこの子供たちを満足させて村長の家に戻るのが賢明だと判断して相手をすることにした。

 グリムはまたしても判断を誤ったのである。


「どんなお話が、いい? 」


 そう、誤ってしまったのだ。

 子供というのは熱しやすく冷めやすい。

 例外もあるとはいえ、ここでグリムが適当にあしらえばつまらないと言って子供同士でいつものように遊び始めただろう。

 それ以外の選択はどのようなものであっても、グリムの首を絞める事になるのだ。


「魔獣と戦ったお話がいい! 」


「えー、他の国のお話がききたいよー」


「俺は美味しいご飯の話がいい! 」


 子供たちは口々に各々がききたい話を上げ連ねる。

 それはとどまることなく、グリムから旅先での出来事を余すことなく聞きたいという結論に至ったのだった。


「えっと、この前までいたのがアルヴヘイム共和国。美味しいご飯は……魚の燻製がおいしかった、かな」


 まずは最近の事と木陰に座りながら話し始めたグリムはすぐに子供という生き物の奔放性を知る事になる。


「しってる! この前お父さんが買い物に行ってお土産にくれたの! 」


「いいなー」


「俺も食ってみたい! 」


 グリムの語ったわずかな話をきっかけに好き勝手に話し始めた子供たちに、グリムは振り回されていた。


「それでそれで、そのあるぶへいむ……? って国はどんなところだったの? 」


「人がいっぱいいて、色々なものが売ってた、よ。でもいい鉄がないのかも、剣は粗悪品が、多かった」


「剣! そういえばさっき親父が研ぎなおしてたけどあれってお姉ちゃんの!? 」


「わー見たい見たい! 」


「俺も見たい! 」


「ねえおねえちゃん! これから一緒に見に行ってよ! 」


「え、えっと……いいけど……」


「わーい、やったー! 」


「俺持ってみたい! 」


「私振ってみたい! 」


 思いつくままに願望を口にする子供たちは、戦場では百戦錬磨のグリムを翻弄させる。

 ある意味ではナル以上にやりにくい相手だった。

 ナルを相手取る場合、グリムは確実に負けるだろうという自信があった。

 それは不老不死で殺しきれないというだけでなく、彼の話術やのらりくらりとこちらの攻撃を避けながらの挑発の類、実際に対人戦闘を見た事は無いが先日の魔獣掃討戦でその一端を見たグリムはナルが格上だと認識していた。

 しかしそれは裏を返せば戦術の話、理論に基づいた話だ。

 対してこの子供たちは理論などという面倒なものは持ち合わせていない。

 直感だけで行動しているのだ。

 だからグリムは困惑している。

 そしてそのわずかな隙を突かれて、いつの間にやら手を取られて鍛冶工房へと連行されていたのだった。


「おやじー、お客さん連れてきたー! 」


「工房では親方って呼べっつってんだろ! 」


 元気に扉を蹴り開けた少年の声以上に大きな声が村はずれの工房に響き渡った。

 鍛冶場というのは鉄を打つため音が響く。

 その為人里から少し離れた場所に構える事が多い。

 だからこそ親方、つまりグリムを連れてきた少年の父親も遠慮することなく声を張り上げる事ができたのだ。


「そんで、あんたが旅人さんか。うちには代わりになるようなもんは無いし、まだ研ぎも途中だぞ」


「あ、えっと……子供たちが、話を聞きたいって……それで、剣を見たいっていうから……」


「連れてきたってか? 」


「ちが、その……連れて、こられました……」


「はぁ……あのなぁ、別に断ってもいいんだぞそういうのは。だいたい剣なんか見せたら持ってみたい振っ

てみたいっていうにきまってるんだ。包丁だの斧だの鉈だのさえ危なくて持たせられんって遊ばせてる子供に触らせられるもんじゃねえだろ」


「それは……はい……」


「まぁ、嬢ちゃん気が弱そうだし押し切られたんだろう。おい坊主共、どうしても剣が見たいっていうなら嬢ちゃんにちゃんとお願いしろ。そして絶対に触るな。いいな、約束破った奴は拳骨だぞ」


 これは助け船になったのだろうか、少なくともグリムはお説教が短く済んで助かったと思っている節があるが、同時に体よく押し付けられたと理解していた。

 そして困ったことにグリムにはこれを断るだけの度胸は無かった。

 おねがいしますと声を張り上げてこれでもかと言わんばかりに頭を下げ、そして首だけを上げてグリムの眼を見る少年少女の願いを一蹴に伏せるほど楽な性格をしていないのだ。


「……じゃあ、ロングソードの方なら」


「いいのか? あれは兄ちゃんの武器じゃねえのか? 」


「ん、ナル……お兄ちゃんが使っているけど私が買ったやつだから……鞘に入れてると、使えないし、持ち運

ぶの大変で」


「なるほどなぁ……確かに物は悪くないし使い込まれた形跡もない。最近買ったばかりか」


「ん、アルヴヘイム共和国のミストレスの街で」


「あぁ……どうりで手間暇のかかってる剣だと思った。あの国は鉱山が少ないから武具の質はあまりよくないんだよな」


「ん、あれでも最高級品」


「だろうな、使われてる鉄はよくないがここまで仕上げたのは一級品の腕を持つ職人の仕事だ。こんなもんができる奴が何人もいてたまるかって話だな」


 危うく剣談議に花が咲きそうになった所で、親方がある事に気付いて話が中断される。

 それはグリムの後ろで今か今かと剣を心待ちにしている子供達だった。


「いいか、絶対に触るんじゃねえぞ。お前らの指くらいなら簡単に切り落とせるもんだからな」


 親方の言葉に全員が声をそろえてわかったという。

 本当にわかっているのか怪しいものだと大人組は思いながらも、親方は奥から剣を引っ張り出してきた。

 昨日魔獣を切って以来まともに手入れをしていない剣はその輝きを鈍らせている。

 実際にまともな手入れをすれば子供たちの指どころか腕さえも切り落としてしまいかねない逸品だが、今では深い切り傷を作るのが精いっぱいだろう。

 それでも十分に危険であると認識しているのはこの場に二人しかいない。


「わー、かっけー」


「おっきー」


「俺もこんな剣欲しい! 親父、いつか作ってくれよ! 」


「馬鹿野郎、その鉄買う金があれば母ちゃんに包丁作ってやるわ! 」


「えー」


 約束通り剣に触れようとしない子供達だったが、その表情がすぐに切り替わる。

 大人にはできない、いいことを思いついたと表情だけで察することのできる物だった。

 当然大人からすればろくでもない事だというのは想像に難くない。


「おねえちゃん振ってみてよ! 」


 その予感は大当たりだった。

 親方との約束に抵触することなく、そして一人前の旅人が剣を振るう姿が見られる。

 子供たちにとってこれ以上の娯楽は無い。


「……えー」


 どうしようか、と親方にアイコンタクトを求めたグリム。

 断れと眼力で威圧する親方。

 早くやれと期待を込めた視線を送る少年少女。

 まさに板挟みである。

 あるいはまな板の上の鯉。


「えっと……じゃあ、親方……私の剣、握りを直してほしい……最近調子が悪い、から」


 折衷案というやつだ。

 このロングソードはグリムが振るには長すぎるし重すぎる。

 だからいつも自分が使っている細身の剣を持ってきてほしい、そしてそれの本格的な修繕を頼みたいという。

 職人ならばどのあたりに負荷がかかっているのか現物を見ればある程度は察することができるだろう。

 だが本人が振っている所を見せれば、さらに多くの情報を得る事ができるだろう。

 つまり自分の剣を振るところを親方に見せて微調整に役立ててほしい、そこに子供がいても気にしないという婉曲的な許諾だった。


「まったく……そんなお人よしがなんであんなに剣を酷使してるんだかな……」


 しかし客の注文なら仕方ないと店の奥に置かれていたグリムの剣を引っ張り出してきた親方も人の事を言えない程度にはお人よしなのだろう。

 ロングソード同様魔獣掃討以降ろくに手入れをしてやれず、ほぼ丸一日顔を会わせていなかった相棒にグリムは一時の安らぎを感じていた。


「それがおねえちゃんの剣? なんか細いね」


「でもかっこいい! 」


「あ、結構傷がある。沢山つかったのかな」


 子供というのは意外と鋭い。

 小さな痕跡からさまざまな事に気付く才能を持っている。

 残念ながらその才能は歳を重ねるごとに経験という重荷によって埋もれてしまう類の物だが、この子たちはまだ埋もれさせるには幼かった。

 同時に、使い込まれた剣という意味を察するにも幼すぎた。

 内心穏やかな気持ちを抱いたことに複雑な思いのグリムは、しかし親方に裏に回るように指示されてそれに従う事で志向を放棄した。

 鍛冶場の裏に回るまでの短い時間、剣の細部を確認して血脂を落とし、新たに油を塗布することで錆を防いであるのを見て必要最低限の処置だけが済まされている事に感心していた。

 親方は手間のかかる物を後に回し、まず先に数の多いナイフから手を付けていた。


「あそこに刺さってる杭でいいか、斬ってみろ」


 言われるがままに剣を抜いたグリムは仮想敵として設定された杭を見つめる。

 そしていつしか杭が人の形をとり、まるで本物の人間と対峙しているような錯覚を抱いたところで剣を振るった。

 相手の剣を避けながら懐に潜り込み、足腰のばねを使い浮き上がるように体を伸ばして首元を横一文字に切り裂く。

 戦場に身を置いたことがある者ならばグリムの腕を称賛した事だろう。

 たった一度の動作はそれほどまでに洗練されていた。


「次、袈裟懸け」


 親方の言葉に合わせて左肩から右の腰に向かって剣を振り下ろす。

 一拍遅れて両断された杭が乾いた音を立てて地面に転がる。


「倒れる前に縦切り! 」


 もはや怒鳴り声と称する親方の言葉に、迷うことなく切り落とした杭の先端を傾いていく最中に切り伏せた。

 子供達の視界には四等分にされた杭が写っているだけだったが、親方とグリムの眼には首を落とされ、胴体を斜めに切り裂かれ、胴体を両断された惨殺死体が写し出されていた。


「……すごい」


 子供の一人が思わず声を震わせた。

 憧れという感情の芽生えである。


「すごいすごいすごい! 」


「おねえちゃんかっこいい! 」


「ちょっと怖かったけどものすごかった! 」


 口々に賞賛する子供達、しかし親方とグリムの表情は暗い。

 グリムは今まで切り捨ててきた者達の幻聴を聞き、親方はそれほどまでに卓越した殺人の技術を持つグリムの過去を案じてのものだった。


「……たしかに、握りの調子が悪そうだ。首……じゃねえや、横に切った時刃先がぶれていた。袈裟懸けの時の切り口を見れば刃の通りが悪い。これは刀身の問題じゃねえな……ちくしょう、こりゃ徹夜仕事だ」


「……無理なら」


「馬鹿言うな、せっかくの仕事を投げられるかってんだ。任せろ、出発は三日後だったな。それまでに完璧に仕上げてやる」


「ありがとう、ございます……」


 おずおずと剣を差し出したグリムは、途中でその手を止めた。

 服の裾を子供に引っ張られたからだ。


「おねえちゃん、お願いします。俺に剣を教えてください! 」


 決意と憧れを胸に宿した少年の言葉は紛れもなく本心だった、

 グリムへの憧れと、いつかそうなれたらという将来の自分への希望が折り重なった願いをグリムは感じ取った、


「ごめんね……」


 それは冷たい拒絶だった。

 絶対に教える気はない、そう思わせるだけの重みがある言葉、たとえ子供であっても踏み入ってはいけない領分があるという事を本能的に理解している。

 だからグリムの決意をまげることはできないとすぐに悟り、そして同時に予想通りだと思っていた。

 もとより三日間の滞在という予定、それに合わせて剣の扱い方を教えて欲しいと言った所で他にやらなければならない事があるだろう。

 自分たちに裂いてくれる時間などない、それは今こうして村の中で自由に遊んでいいと放任されている現状と全く同じものだった。


「私の剣は、人を殺すためのもの、だから」


「え……? 」


「一度目は相手の剣を避けて首を切った、次は袈裟懸け……右上から左下に振り下ろして胴体を切り離した、三度目は地面に落ちた胴体が倒れる前に両断したの。この村で被害があるとすれば魔獣だから……どうしても聞きたいならナル、お兄ちゃんに聞くと良いよ」


 そう言って、今度こそ剣を預けたグリムは呆然とその姿を見送る少年たちを残して去っていった。


「ちぇ、なんだよ……」


「よく覚えておけよ坊主共、どんなに丁寧に頼んでも話を聞いてくれないやからというのはいる。同時に

自分の才能が嫌いだって奴もいる。あの嬢ちゃんは後者だが、どのみちお前たちにはあの剣を使いこなせるようにはなれない」


「やってみなきゃわかんないじゃん」


「無理だ、あれは何人も斬った奴の動きだ。独学であそこまで上り詰めるのがどれほど大変だったことか、いや、それ以上にあんな境地に達しなければ行けなかった人生とは……」


「なぁ親父……あのおねえちゃん、人を斬ったんだよな」


「あぁ間違いなく斬っている。初めて剣を見た時はどんな荒くれものが来たのかと思ったが、まさかあんな子供だとは思わなかった……酷い世の中だな」


 多少の勘違いはあるが、幼いグリムがそれだけの修羅場を潜り抜けてきた、潜り抜けねばいけなかったというのは妻子持ちの親方にとって来るものがあった。

 少し寂しげなその後姿を見送って、親方はこう口にする。


「いいか、傭兵になるなとは言わん。騎士になるなとも言わん。だがあの嬢ちゃんみたいにはなるなよ」


「なんで」


「……なんでもだ、分かったらいつも通り迷惑にならない所で遊んで来い」


「なぁ親父……いや、親方。俺にも仕事、教えてくれないか」


「どうした突然……猫の手も借りたいくらいだからちょうどいいが……厳しくしつけるぞ」


「親方のしつけが厳しくなかった日なんてないだろ……でも、あのねえちゃんになんかしてやりたくなったんだ」


「そうか……だがいきなり客の注文にケチが付くようなことがさせられねえ、仕事の下準備から教えてやる! ついてこい! 」


「おう! 」


 こうして一人の少年は大人への階段に足をかけた。

 それはグリムの剣技に魅せられたからではなく、決して自分が到達できない世界を身近に感じた彼の、いつも通りの子供らしい突発的な行動だった。

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