先日、聞いたお話 その2
和歌山県根来(ねごろ)に住み、仏画を書くお坊さんのお話を聞いた。
もともとは、お寺の生まれではなく在家出身で、紆余曲折の半生の末、真言宗の僧侶になった。
僧侶になる前は大学でデザインを学び、卒業後は、昆虫図鑑の作画の仕事に就いた。昆虫図鑑に載っている絵なんて今まで気にも留めたことがなかったが、話を聞いて、それがとてつもない労力が必要であることがはじめてわかった。何しろ細かい作業が要求され、1mm四方の四角に点を10個書ける技術が必要なのだそうだ。
細かい作業のせいで、考え方までも細かく狭いものになり、その反動もあって仕事を辞め、釈迦と同じ生活を通して、釈迦の考え方や宇宙観を体感しようとインドに渡った。栄養失調寸前の状態で日本に強制送還され、その後、本格的に真言宗の僧侶になって仏画を志すようになったということだった。
写仏の写とは「写す」の写。「うつす」は他に「移す」「映す」などがあるが、みんな、何かを媒介にして「移動」させることだ。だから、仏様を紙に写すことは、仏様を自分に移すことなのです。と僧侶は言う。
僕も、僧侶の書いた下絵の上に和紙を置き、細い面相筆で写仏することにした。
下絵は、大日如来、観音様、不動明王の3枚があったが、どれも、10分くらいでできそうに思えた。
が、当然、そんなに甘いはずがなかった。
道具は、ペンでも鉛筆でもなく細い筆だ。描き始めてすぐに、その難しさがわかった。
まず、線の太さが一定にならない。描き始めはまだしも、手元に筆を運ぶうちにどうしても線が太くなってしまう。今一度、和紙の下の下絵を見る。同じ筆で描いたにもかかわらず、僧侶の下絵の線は一定で、しかも、細い。精神を集中させて再度、線を引き始める。吸って吐くというあたりまえの呼吸すら指先を震えさせる感じがする。
席を回っていた僧侶が僕の席に来たら、2秒くらい僕の写をみたあと、僕の筆を取って、大日如来の髪の線を引き始めた。音もなくシャープな細い線であっという間に3本の髪を引いた。僧侶の線と比べれば、僕の線はゴボウのようなものだった。
結局、1時間45分かかって、いちばん簡単な(僧侶曰く)大日如来が完成した。線のつなぎ目がはっきり判り、太さが一定しない仏画になったが、描きあげたときのなんともいえない気持ちは今まで味わったことがないものだった。
僧侶は、最後にこう言った。
写仏を実際やっていろいろなことをわかったと思います。呼吸を整えることが大事。深く息を吸ったり吐いたりすること、普段の生活でありますか?今のみなさんの生活、浅い息でやってませんか?コンピュータや機械の方が正確な絵を描けます。だけど、同じ絵しか描けない。人間は違う。何回描いても同じ絵は描けません。わたしたち僧侶は、時代にむしろ逆行してでも人間ができることの大事さを伝えていかなければなりません。
是、すなわち、納得した次第です。
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