ねずみの力
動物は元々、好きでも嫌いでもなかった。
テレビで自然界モノの番組をよく見るくせに、実世界では犬や猫を嫌い、ペットを飼うことを許さなかった両親の元で育った僕にとって動物は身近な存在ではなかった。
そのせいか、子どもの頃から犬に触るのはいつも何らかの勇気を必要としたし、猫に触るのは嫌われることを怖れながら恐る恐るだった。
庭を歩く猫を大きな声を出して追い出して「あの野良猫めが!」と愚痴をこぼす父親は、僕に『シートン動物記』を買い与え、『ドリトル先生シリーズ』を買い与えて半強制的に読ませた。僕は、本当は大して興味もなかったけれど、「おもしろい」と言うと、父親は「また買ってきてやるぞ」とニコニコするのでなんとなくそれらのシリーズを読んでいった。
大人になって猫を飼ったこともあるけれど、今でも、動物を擬人化する見方はどちらかと言うと好きでない。だから、昔、流行った、動物を主人公にした映画なんかは好きになれない。
人間の気持ちをわかってなんとかしようとする心は、動物にもおそらくあるんだろうけど、なんでもかんでも人間と同じ気持ちをもち、人間と同じ行動をしようとすることを良しとはできない。
でも、子どもが読む絵本はそうはいかない。
動物が出てこない絵本を探すほうが難しい。
動物は服を着て言葉をしゃべり、フォークとナイフで食事をし、洗濯物を干し、大きな声で笑い、涙を腕でぬぐう。天敵同士で汽車ごっこもするし、隣同士で仲良く歯を磨いたりもする。
擬人化が嫌いな僕でも、トルストイが書いた『おおきなかぶ』は今読んでも素直に面白いと思える絵本だ。
親の誰しもが「うんとこしょ どっこいしょ」という掛け声を子どもに笑ってもらえるように言うのだろう。
でも、子ども心ながらとても不思議だったのは、かぶを抜こうとするおじいさんの最後の助っ人がねずみというところだ。助っ人の中でも最も体が小さく、力も弱いねずみが大きなかぶを抜く最後の切り札になっているからだ。
トルストイは次々に登場する助っ人達がだんだん力が弱い“者”になっていくことや、最後の助っ人が弱小のねずみであることに何かの意味を持たせているのだろうか。
それとも 頭の固い野暮な読み手の大人のつっこみなのだろうか。
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