玉の汗と恵みの水
サウナで何もすることないから、腕の毛穴から一粒の汗ができる様をじっと見ていたら、思い出した。
中学生のころは“打順1番でセカンド”だった。たまに、 “敗戦投手”としてリリーフでマウンドに立ったときもあったけど、基本的にはセカンドだった。
“足が速く、出塁率が高いのが1番” “プレーが上手で、頭を使うのがセカンド”と言われるが、僕は、そのどちらでもなかった、と思っている。補欠の選手は、レギュラーの倍以上の人数がいるわけだから、僕自身の実感と顧問の先生の採用意図との間に大きな差があった。
また、それが、当時、プレッシャーとなって毎試合圧し掛かっていた、と記憶している。
当然のことながら、夏休みは秋の新人戦のためのまとまった練習ができる格好の機会となる。お盆中は休みがあったが、あとは休み無しの練習三昧の日が続く。
まず、ユニフォームを着て中学校へ歩いて向う間に、すでにバテている。見上げれば、頼んでいないのにもう真っ白になって光を発散する太陽。目を伏せれば、暑さでところどころ油が浮き出しているぐにゃぐにゃのアスファルト。
アップのランニングとラジオ体操、そして柔軟体操をこなした頃にはアンダーシャツが汗で重くなっている。次のダッシュで、ほぼ死ぬ。「あぁ、まだボールを触っていないのに…」
僕が所属していた中学校の野球部は守備重視だった。打撃練習は、トスバッティングと一人10球程度のフリーバッティングで終了。あとは、全部守備練習に当てられた。この守備練習が地獄以外の何ものでもなかった。
顧問の先生は、“ボールファースト(ゴロを補給したらボールをファーストに送球する)”においても、セカンドの僕に、セカンドベースに入るように指示した。1球1球、全部だ。セカンドが二人いる場合は、守備もローテーションでインターバルがほんのわずかあるが、一人の場合は、セカンドベースに入って、次の守備のためにポジションに戻るかどうかのときにノックのボールが打ち出される。要するに、守備練習という名の“反復横跳び”もしくは、“シャトルラン”を永遠にするのだ。溜まらずに、セカンドベースに入るマネだけをしようものなら、顧問の先生からどやされた。セカンドベース⇔ポジションの移動でくたくたになった頃に、僕にノックのボールが飛んでくる。
そして、ファースト、キャッチャーへのノックが終わったら、今度はダブルプレーの練習。試合でも滅多に成功しないダブルプレーの練習を死ぬほどやる。今度は、ベースに入るだけでなくて、ファーストへ送球しなければならない。このあたりになると、送球フォームも何もあったものじゃない。ノーバウンドでファーストに送球できれば上出来。アンダーシャツから伸びる両腕には、玉の汗が10万個くらい出ている。もう、意識は、「水」のことしかない。
休憩。
水飲み場でいつもの顧問の先生の声がこだまする。
「いいか。そのコップ1杯の水を何回にも分けて飲むんだ。一気に飲んじゃだめだぞ!」
そう、休憩時間に飲める水の量はガラスのコップ1杯だけ、だった。
当時は、現在と違って「水分の採りすぎ→バテる」の考え方の時代だった。放っておけばいくらでも飲んでしまうのが中学生。それをさせないために、顧問の先生は、冷水を一升瓶に入れて、一人一人コップに注がせて飲ませていたのだ。
さっき飲んだ水のことを考えながら日陰で声も無く休み、ほどなく「集合!」の声… あとは、太陽で焼けただれるか、土に還るかのどっちか、だ。
「ありがとうございました!」とグランドと先生に一礼して終了。
水飲み場に殺到するも、顔や腕は洗っても、水は飲まない。なぜなら、明日の練習前までに飲める水の量も“コップ3杯まで”と顧問の先生から決められているからだ。
現在ではあり得ないこの指導法の中で、それでも、熱中症(当時、その言葉はない)にかからず生き延びることができたのは、僕の体が強靭に作られていったから、ではなく、その先生の教えに従っていなかったからだ。
早速、いつも一緒に帰る友達と目配せをする。目指すは、街にある郵便局だ。この郵便局の中にある冷水機は知る人ぞ知る“名水”だった。なにせ、備え付けの小さなコップで“立て続けに3杯飲むのは不可能”とされるほどの冷たさを誇っていたからだ。
まず、郵便局内に入った時点でパラダイスが僕らの体を包み込む。これでもかと言わんばかりにエアコンでギンギンに冷やされているからだ。そして、待合場の奥に確固たる存在感でたたずんでいる銀色の冷水機へ。局に入る前にあらかじめジャンケンで決めた順番にコップを手にとって飲む。
「うめえぇ…」
誰が飲んでも、この1種類の言葉しか口から出ない。
「つめてえぇ!」
誰が飲んでも、2杯目はこの1種類の言葉しか口から出ない。
「やっぱ、だめだ」
誰が飲んでも、3杯目の途中ではこの1種類の言葉しか口から出ない。
全身泥だらけの汚いユニフォーム姿の中学生が冷水機にたむろしていていても、とがめられることが無かったのは昔ながらのご愛嬌か。
家に帰る前の時点で先生の教えの3杯を飲んでいる僕は、帰宅してからも三ツ矢サイダーの350mlの瓶の栓をポンと毎日抜いた。
でも、そのときは、先生の眼鏡の奥に光る鋭い眼光を思い出しながら、何回にも分けてサイダーを飲んでたりして…
そんなことを思い出しているうちに、サウナの中の玉の汗は滝のように流れ出していた。
ちなみに、の疑問があります。
野球というスポーツは、試合中に肩で息をするような激しい呼吸をしないスポーツです(よほどバテているピッチャーなら肩で息をする場面はあると思います)。なのに、事、練習になると、ゼーゼー言いながら行う練習になります。
それがどうしても解せません。
バスケットボールもバドミントンも、ラグビーも、サッカーも、ほとんどの球技スポーツでは、試合中にゼーゼーするスポーツです。だから、練習でもゼーゼー言いながら練習するのは当たり前だと思います。ところが、野球だけは違うのです。試合中は、普通の呼吸でプレーします。
「試合と同じことを練習で行う」のが基本だと思いますが、なぜに、野球だけ、試合と違うシチュエーションで練習することを求められるのかわかりません。マラソン選手じゃないわけですから守備練習で肺活量を鍛えてどうするんだ?と思います。
だとすれば、やっぱり、ゼーゼー練習は技術よりも精神面の鍛練なのかな~
こういう質問を同世代の野球部顧問にしたことがあります。でも、彼は必要な理由を答えられませんでした。
そして、彼は私に言いました。
「でも、必要なんです」
(笑)
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