八階の草原 (2)

「おまえさ、しばらくおれ達のそばにいなかったろ。その間、どうしてたんだ」


『そんなこともわかるの?』


 少年は驚いたようで、両目を上げた。疲れているからか、そういうものなのか、あどけなさが残るつぶらな目は、隈で囲まれている。


 ギズは嗤った。


「なに、そんなにびびってんだ?」


『じゃあ、僕が何をしてたかも知ってる?』


「そこまでは知らねえ。なんだ、訊いてほしいのか?」


『――』


「興味ねえよ。話したいなら聞くけど、わざわざ訊かねえよ」


『――何度か、消えかけた。でも、消えなかった』


「消える? ――そっか。大変だなぁ」


 「ふうん」と相槌を打って、ギズは、短くなった煙草を地面に押し付けた。


「じゃあな、おれはいく」


 少年がはっと顔を上げて、身を乗り出した。煙草の紙箱を衣嚢ポケットに戻し始めたギズの腕に取り付くように、青白い手を浮かせた。


『待って。僕を消してくれないの』


「消してえけど消せねえんだよ。おれだって、カシホにくっついてるごみ屑は払い落としてやりてえよ」


『ごみ屑?』


「てめえのことだよ。塔師になろうって奴が、意思付きの磁波にまとわりつかれてたら、どうしようもねえよ。あいつの将来に差し支える」


『僕が、ごみ屑……』


 ギズを見上げる少年の顔が赤らんでいく。みるみるうちに目が充血して、涙で潤んでいった。


「カシホにとってはな。いや、今のカシホにとっては、か。昔はそうじゃなかった、んだろうな」


 付け加えると、少年はゆっくりと息を吸う。同情されたと気づいたようで、落ち着こうとしているのか、懸命に息を整え始めた。でも、声は震える。


『僕は、カシホにくっついてるの?』


「ああ、知らなかったのか」


 ギズは、背後に小さくなった大岩を振り返って見せた。カシホとマオルーンが待つ大岩は、二人が使う電灯の灯かりに彩られて、ほんのりと黄色に染まって見えている。


「あそこから地面を伝って、おまえの足元まで、おまえの一部が尾っぽみてえに細く伸びてんだよ。その先はカシホにくっついてる。霊能者って奴がおまえの姿を見れば、と呼ぶと思うぞ。少なくとも、おれにはそう見える」


『僕が、カシホにとり憑いてる、悪霊――』


「そういう呼び方をする奴もいるだろうなってことだ」


 少年は顎を引いて、手の甲で目元をぬぐった。白い指に隠れた頬から、涙の雫が垂れていく。少年は涙声で『僕が、カシホにとり憑いてる悪霊……』と何度も繰り返した。


『でも……ギズさん、僕はどうしてこうなったのか、わからないんです。どうすればいいのかも――』


「おれもわかんねえな。消してやろうと思ったけど、できねえし」


『僕だって、早く消えてしまいたいんです。カシホの邪魔なんか、僕、したくないし――早く、消えてしまいたいんです……』


「さあね。ここにいるってことは、心底そう思ってないんじゃねえ? おまえは、ほんとはカシホの邪魔をしたいのかもよ? 死んだけど忘れるなって、カシホに自分の存在を見せつけたいのかもよ?」


『そんなことは――!』


 少年が大声を出した。その瞬間。びゅっと風が唸って、少年の身体から白い光が溢れて弾き飛ぶ。


 でも、少年は光を放っていることに気づいていない。さらに身体中に力を溜めるように背中を丸めて、小さくなった。


『じゃあ、僕はなんですか、化け物ですか? 化け物なら、消してくださいよ。あなたは世界最高の塔師なんだろう? 僕はカシホの邪魔なんかしたくないんです。僕を消してくれよ!』


 声の余韻が薄れる前に、少年の身体が後方に吹き飛んでいく。少年の腹を殴りつけたのは、ギズの拳だった。


 光をまとったまま黄土の地面に転がって咳込む少年のそばに寄って、ギズは呆れた。


「だぁから、その癇癪をやめろってば。てめえが今こうなってんのは、てめえが聖人じゃなくて、心のどっかに『ふざけんなクソ野郎』って思ってる部分があるからだろうが」


 ギズは少年のそばに腰を落としつつ、背後を確かめた。時折風が唸る夜の草原の中で、一か所だけほんのりと光る場所がある。カシホとマオルーンが残る野営だが、二人のそばで灯る電灯は固定されたままで、ふわりとも揺れない。どちらかが異変に気付けば、電灯で気になる方角を照らすはずだが――ほっと、息を吐いた。


「――今だって、てめえが今みたいに磁波を増幅させたら……」


「増幅……?」


 少年はぽかんとしている。ギズは舌打ちをした。


「ああ、そうだよ。おまえは今、自分の磁波を増幅させてたんだよ。てめえは無意識だったかもしれねえが、そりゃもう、誰が見てもここに何かがあるって分かるくらいに目立ってた。おれが何もしなかったら、向こうにいるあいつらだって必ず気づいてたぞ。カシホにバレたいのかよ、それともバレたくねえのかよ?」


 少年の表情がさっと凍りついて、細い身体に残っていた青白い光が消えていく。


 見届けると、ギズは、宙に浮かせていた右腕をそろそろと下ろした。


「そのまま這いつくばって感謝しろよ? てめえが磁波を帯びる前に壁を作っといたから、あいつらは今のを感じなかったはずだ――とにかく、これでも同情してんだよ。可哀想な奴だなあって――」


 地面に倒れこんでいた少年の頬に再び、つつつ……と涙が落ちる。背中を丸めて、地面に抱きつくように、少年は涙ごと頬を地面に押し付けた。


『きっと、あなたの言う通りなんだ。僕はカシホの邪魔をしてまで自分を誇示するような、身勝手で嫌な人間なんだ』


「――おいおい、急に沈むなよ」


『いいえ――僕は、もう……。癇癪持ちで、普段はいい人間っぽく振る舞ってても、いざという時になったら汚い本音が出てしまう嫌な奴なんだ。だから、今もこんなことになっているんだ』


「――そうは言ってねえんだよ」


 「あぁあ、うざってえな」と小さく漏らしつつ、ギズは続けた。


「だいたい、おまえが言ってるのって普通のことだろ。――言ったろ? 聖人みたいな奴はいねえんだよ。人間なら、嫌な思いをしたら『ふざけんなクソ野郎』って思うし、身勝手なことも考えるし、おれもべつに、おまえが悪人だって責めてるわけじゃねえんだよ。おれだって、おまえと同じ状況になったら同じになるかもしれねえし」


 ギズは手のひらを浮かせて、地面にうずくまった少年の頭に乗せた。蜂蜜色の髪は、見た目通りところどころが汗や砂で固まって細い房を作っている。その房をほぐすように撫でてやると、「うっ、うっ」と、押し殺した泣き声が聞こえる。そばに腰を下ろして、ギズは天を仰いだ。


「一個だけ訊いとこうか。おまえがこうなった理由はなんだ。カシホか? あいつに恨みでもあるのか?」


『ないです、ないです……カシホは僕の――』


「なら、いいよ。おまえがこうなってる原因は、ほかの何かなんだな」


『原因? そんなのわかりませんけど……』


「ふうん? なら、おまえって、いい生まれじゃねえんじゃねえの? 例えば、親が病気だったとか、もしくはいなかったとか、酷い環境で育ったとか――」


 少年は、黙った。ギズが手のひらで撫でつける頭も、ぴくりとも動かなくなる。呼吸すら止めた風に、少年の身体の硬さがじっと考え込むように変わった。


「当たってたか? もしかして、カシホはおまえの幼馴染か何かか? カシホは、おまえの救いだった?」


 少年の肩が揺れて、そろそろと顔が傾く。涙で潤んだ眼が、地べたからギズを見上げていた。


『……どうしてわかるの』


「なんとなく。――つっても、自分の身の上を言っただけなんだがな」


 少年の頭から、ギズの手のひらが離れる。その手で筒服ズボン衣嚢ポケットを探り、煙草と火具を取り出して、次の煙草に火をつけようとするが、突如、ギズは、その手のひらを見下ろした。


 あたりは真っ暗で、腰から提げていた小型電灯がほのかに淡く光るだけだ。夜空には月も星もなく、上空からの灯かりもなかった。暗かったが、いくらか目が闇に慣れていて、手のひらの輪郭や、そばで倒れこむ少年の姿くらいはわかる。


 手のひらを見下ろしたのは、指と指の隙間に違和感を感じたせいだった。そこにの髪の毛が一本絡まっているのを見つけて、そいつの髪が絡んだのか――と、捨てようとした。しかし、凝視する。奇妙なことが起きていると気づいた。


 なぜ、髪が抜けているのだ。

 前に会った時、この少年は姿が鮮明ではなかった。

 ぼんやりと影が見える程度で、「そこにいるだろう」と呼び掛けて、ようやく影が濃くなっていく程度だった。

 それなのに、今は涙を流して、髪は砂まじりの風に煽られてごわついている。しかも、その髪は抜けた。


(こいつ――)


 しばらく、黙った。


 けれど、少年の目が、救いを求めるようにギズを向いている。その目に耐え切れずに、唇を開いた。まるで、過去の自分を写した鏡を見ているような――そんな気がして、たまらなかったからだ。

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