化け物の腹の中 (1)

「なんて空の色だ。高度が上がった――まだ四階なのに……いや、三階か。はじめに三階だと思った場所は、二度目の二階だったんだっけ――ややこしいな」


 イーシャルが、歩きながら手帳に文字をしたためて、窓の外を見てはため息をつく。


 螺旋階段を登りきると、見慣れた造りの円形の塔室が現れる。ただ、窓の向こうに見える空の青色は、ほんのり薄くなっていた。





 上の階に着いてまずするべきは、全員の到着の確認。たかが階を一つ移動するだけでも、実は、別の空間と空間をまたぐようなものだ。深い谷底に続く裂け目にかかった丸太橋を渡るようでもあり、また、孤塔が危険視されている理由の一つは、通り過ぎた道を戻れないこと。内部は常に変化するため、不明者が出た場合の捜索は困難――と、カシホは、塔師局の講堂で習っていた。


 危険リスクがあるなら、全員の無事を確認するのは必須。それは、身体で覚え始めた。


「みなさんいますね。では、次に行きます」


 はじめこそ「のろま」「うすのろ」と罵られたが、体験してしまえば手順は身についていく。

螺旋階段を登りながら左右に目を光らせ、階段の途中で立ち止まり、長銃を肩から下ろし、構え、背後に伝えた。


「次の〈反復〉階の脱出口を見つけました。道を開きます。待機してください」


 他と変わらないように見える塔壁の一部をじっと見据えて、狙いを定める。背後にいるギズに声をかけることも忘れなかった。


「撃ちます。ギズ教官、針弾の援護をお願いします」


 「磁界の切れ目」と塔師が呼ぶものは、普通の人の目には見えない。それを見つけて突破の指示を出すのは、先頭を務める塔師の役目だ。銃弾を撃ち込まれて「磁界の切れ目」に裂け目ができると、それまであった均衡が崩れて、切れ目からそよ風が生まれる。切れ目はもとに戻ろうとするので風はすぐに弱まるが、針弾という特殊な弾を撃ち、風の切れ目を抑えつけて、閉じないように動きを留める。それは、後方の塔師の役目だ。


 弾丸が命中して、壁の表面を覆う薄い膜がうねると、ギズに場所を譲った。


「お願いします」


 ギズが「ああ」と長銃を構えて、撃つ。ふと、背後でマオルーンが笑った。


「あの、なにか間違えたでしょうか」


 不安になって、笑った理由を尋ねると、マオルーンは「違うよ」と苦笑した。


「仕草が板について見えたからだ。さすがは今期の首席だと感心したんだ」





 カシホの足が止まったのは、六階へ向かう階段の途中だった。


「今までと違います――」


 壁を見つめるカシホの肩を、ギズの掌が後ろから掴む。「そこをどけ」と命じていた。


「同じことの繰り返しは孤塔の中では起こらねえんだよ。次は二割弾の出番だ。分かるな? 分かったら準備しろ。やるのはおまえ一人だ。――マオルーン」


 最後尾を守るマオルーンは階段の下にいた。マオルーンは、ギズを見上げてうなずいた。


「ああ、ギズ。とんでもない『塔』だな」


 列の中から、学術調査隊長のアボットがつぶやく。


「あの、何がとんでもないのでしょうか」


「今な、ここは、普通の建物なら三十階くらい――いや、もし計測できたならもっと高い場所にいるかもしれない」


 武者震いをするように笑って、ギズが手元を見下ろす。手首には磁力計がついていた。


「磁力は六度――外界の正常範囲内を示しているが、ここを抜けたら一気に上がるはずだ。そうしたら、他の孤塔の二十階あたりとほとんど変わらない数値になる。そのあたりでよく見られる孤塔の構造が〈移動〉階だ。階を包む磁界が、移動するんだ」


「〈移動〉階――」


 アボットが眉をひそめる。「なんのことだ、説明しろ」と、不機嫌な目がギズを向いていた。


 カシホは長銃をいじっていた。カシャッと音を鳴らして銃倉を納めて、ギズを振り仰ぐ。


「済んだか」


「はい」


「二割弾の次に針弾を入れたか」


「はい」


「他の弾は抜いたか」


「はい」


「対処法は覚えてるみたいだな」


 「はい」とカシホがうなずくと、ギズもうなずいた。


「〈移動〉階では、二割弾での創傷と、針弾での縫付を一人で行う。塔師が三人いる場合は分業するが、二人で行う場合もある。当然だが、二人で行う場合のほうがそれぞれの仕事量と危険リスクが増す。だから、難しいほうから覚えろ。おまえがやれ。今ならおれが援護できる」


 神妙にうなずくカシホを見届けてから、ギズは下で待つマオルーンに声をかけた。


「下を頼む」


「了解。カシホを任せるよ」


 マオルーンは笑って、背を向けて階段を下りていった。かつ、かつと靴底が床を踏む音が鳴り、それが遠ざかっていくと、学術調査隊の一行はゆっくり顔を見合わせた。


「マオルーン塔師はどこへいったのですか」


「壁に奇襲をしにいったんだよ」


「壁に、奇襲?」


「〈移動〉階の磁界は、その中に入り込んだ人間の動きに合わせて動くことがわかっている。つまり、次の階へ向かう出口が、中で動く人間から遠ざかる仕組みになっているんだ。だから、マオルーンがおれ達とは逆方向へ動いて攪乱する。あいつが遠ざかれば遠ざかるほど、出口はこっちに近づいてくる」


「攪乱? まるで人みたいじゃないか、そんなことが――」


「知らねえよ。実際に起こるからそう言ってるんだ。目の前で起きる現象をお高く言い変える言葉やら屁理屈やらを探すのがあんたらだろうが。おれ達はそうじゃなくて、取扱説明書よりも経験を優先しているだけだ。そっちのほうが、ここでは役に立つからだ」


 アボットとの話を切り上げると、ギズはカシホに念を押した。


「へまをするな。一度でうまくいかなかったら、移動したマオルーンとの間に別の壁を作ることになって、マオルーンが新しくできた壁の中に閉じ込められる」


「――はい」


 長銃を構えて、銃口を壁に向ける。その背後から、ギズは助言を続けた。


「磁界を見ろ。人の目には見えない磁界の動きを正確に把握できなかったら、おまえは塔師として失格だ。見えていれば、磁界の動きはもともと遅いから、おまえが撃つほうが早い。一度で済ませろ」


「はい」


 照準穴に目を近づけて、片眼をつむる。カシホの目には、水の層に似た透明な靄が見えていた。塔師が「磁界」と呼ぶものだ。


 片目を開いて、照準穴の奥を見据える。目には、水に似た靄が、塔壁の円みに沿って流れていくのが見えている。大きな歯車がゆっくり回るように、靄も動いていた。靄には分厚い部分と薄い部分があって、他より薄くなって見える部分が、ギズが言う「磁界の切れ目」だ。


 それが、近づいてくる。目の前に来た。今だ――。引き金にかけた人差し指が動く。


 ドウッ、ドウッ! 空砲に似た射撃音が二度続き、銃口を下ろすと、カシホが撃ち損じた時のために同じものを狙っていたギズの銃口も下がっていく。ほうっと息をついて背後を振り返ると、ギズと目が合った。ギズの鋭い目がすこし緩んだ。苦笑に似た笑顔を見せた。


「なかなかサマになってるじゃないか。ガキのくせに、銃の連射なんかどこで覚えたんだ」


「塔師局の訓練室です、ギズ教官」


 ギズを見上げて、カシホも笑顔になった。





 かつかつと聞き慣れた靴音が響き、マオルーンが戻ってくる。笑っていた。


「うまくいったって顔だな。普通なら、教本と現実に見たものがすぐには結びつかなくて戸惑うものだが、ここまで手落ちがないとはさすがは首席だ。――待たせたな。いこう」


 一行が再び歩き始めると、ドナルは背後を進むマオルーンにちらりと目を向けた。


「マオルーン塔師、少し教えてもらってもよいでしょうか。塔師は長銃を使うと聞いていたのですが、使い方は、今のように道をつくるためなのでしょうか」


「他にもいろいろあります。銃弾の種類はいくつかありますが、よく使うのが一割弾と二割弾と呼ばれているものです」


「一割弾と二割弾――その名は資料で読みましたが、いったいどう使うのですか。実は、資料を読んだだけでは理解できませんでした」


 かつ、かつんと靴音を響かせつつマオルーンは階段を登り、ドナルと目を合わせることなく答えた。


「人工的に小さな磁嵐を起こして、そこにある磁界を狂わせるんです。一割、二割というのは、起こす磁嵐の強さを表しています。二割弾は、一割弾よりも衝撃を与える時に使います」


「それも資料で読みましたが、なんというか、畑違いの技術というものは実際にその場に居合わせないと理解しにくいものですね。聞いただけでは、もう少し何か光ったり、爆発したりするものかと想像していました」


「我々塔師の目には、光ったり爆発したりして見えているんですよ? ――そろそろ話は慎みましょうか。先頭で次の出口を探し始めています」


 ドナルとのやり取りを終わらせると、ギズを見上げる。ギズとカシホは、階段の途中で立ち止まっていた。


「また〈移動〉階みたいだな。俺は下にいってくるよ」


「いや、いいよ。マオルーン。次は違うようなんだ」


「違う?」


「一度こっちに来てくれ。意見を聞かせてくれ。どう思う」


 かつん、かつんと靴音を響かせて、マオルーンが学者の列を分け入って階段を登っていく。


 階段を登るにつれて、マオルーンの黒眉もしかめられていった。


「これは――か?」


「次はなんだ、どうしたんだ」


 塔師が先頭に集まると、アボットたちは目配せを交わした。


? なんだ、その生き物みたいな扱いは――塔師が見てるのは磁界なんだろ?」


 若い学者、イーシャルが気味の悪いものを見るように眉をひそめる。


 たしかに、磁力や磁界に使う言葉ではなかった。でも、カシホは納得した。


(これは「」だ。孤塔って――)


 はっと、頭上を振り仰ぐ。目に映るのは、一階に入った時からまるで変わらない煉瓦造りの景観だ。円い塔室の大きさも、壁や床に敷き詰められた煉瓦の重なり具合も、はじめからまったく変わらない。同じ場所にいるような錯覚もあった――けれど、違っていた。上にのぼるごとに、生き物の気配を強く感じるようになった。煉瓦の壁が、無言のうちにどくどくと脈打っているような――まるで臓器の内側に取り込まれたような錯覚すら、今はあった。


(まるで、生き物の中にいるみたい――)

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