孤塔 (3)

 寝袋を片づけてからマオルーンにそのことを話すと、マオルーンは苦笑した。


「金縛りかな。孤塔の中じゃ俺もたまにあるよ」


「マオルーン教官もそんなことがあるんですか」


「ああ。孤塔の中は常に磁波が強いだろう? ここの磁波は脳を混乱させるからな。脅えや願望が幻になって現れることがある。――なあ、ギズ。おまえも何度かあるよな」


 ギズは、丸めた寝袋を背嚢リュックの上にくくりつけているところだったが、話をふられると眉根を寄せてひどい渋面になる。マオルーンは笑った。


「本当のことだろうが。打たれ弱い奴だな」


 ギズは不機嫌になったが、マオルーンにからかわれて拗ねたふうだ。カシホも笑った。


「ギズ教官にもそんなことがあるんですね」


「同類を見つけて慰められてんじゃねえよ。幻やら感傷やらにいちいち反応していたら身が持たねえし、いつかしくじるんだ」


 ふてぶてしくギズはいい、背嚢を背負うと、カシホを見下ろした。


「カシホ、今日はおまえが先頭を歩け」


「えっ」


「隊の先頭を行って、進路を決めろ。塔師の調査隊は二人以上で組む。先頭の役割は局内研修で習ったろ?」


「はい、それは――」


「実地研修を始める前に、まずはおまえの力量を見させてもらう」


 意味は分かった。指導方法を考えるために、 研修を受ける側の知識や判断力を見極めるというのだ。つまり、予備試験が始まるのだ。


「でも――今回の調査には塔師だけでなく学者の皆さん――一般人も含まれています。見習いの自分などが先頭に立ってよいのでしょうか」


「うるせえ。口答えするな。おれがおまえの後ろについて援護する」


「――わかりました。でも――」


 本当にいいのだろうか。心配になって、マオルーンを振り返った。目が合うと、マオルーンは口角を上げる。反対する様子はなかった。


(マオルーン教官とギズ教官の間では決まってたこと、みたい? ――そうよね、そのために孤塔に入ったんだもの)


 実地研修の場が有名なジェ・ラームの孤塔だと聞かされた時、カシホは面食らった。そんな場所へいきなり向かうのか、と。しかし、一緒に向かうのが敏腕と名高いギズとマオルーンだと聞いて、胸を落ち着かせた。経験豊富な二人と一緒なら自分の出番は回ってこないだろうし、ついていって、二人の仕事を間近で見てしっかり勉強させてもらおうと、心構えをつけていた。でも、現実は思ったほど甘くなかった。


(研修とはいえ、いきなり厳しいな。ね、リイト)


 目の裏に、リイトという少年の顔が浮かび上がる。物心がついた時は背丈が同じだったはずなのに、いつの間にかリイトの背は伸びて、男物の毛織の外套が似合うようになっていた。カシホが思い出したリイトは、外出用の灰色の上着を着こなして、カシホをじっと見下ろしていた。


『塔師になったら、新米でも給金が近衛兵団の中級憲兵と同じくらいもらえるらしいよ。ハーツの家賃の相場を調べたんだけど、その給金があれば、三人で住める家を借りて生活できそうなんだ。その、僕と、おばあさんと、その――』


(本当だね、リイト。わたしも塔師局でそう聞いたよ)


 寮や給金など、待遇の説明したのはコーラル・カーマインという名の若い女性局員だった。その人は、こうも言った。


『入局する人の目的はたいてい塔師になることだから、あまり訊かれないんだけど、大事なことだから話しておくわ。塔師は、王に仕える近衛兵団と同級で、給金や待遇もそれに準じます。支給される住居は、階級と家族の人数によって考慮されるわ。カシホちゃんの家族は合わせて三人ね? まあ、ハーツの一般的な家よりはいい場所に住めるし、家族を王都に呼び寄せて一緒に暮らしてもいいわよ。待遇面で近衛兵団と大きく違うのは、塔師は階級が上がっても、領地や貴族階級が与えられないことかしらね。近衛兵団には風格っていうか、宗教的なことや精神的なことも要求されるからなんだけど――それでもいい?』


(もしかしてリイトも、コーラルさんから給金のことを聞いたのかな?)


 自分よりも先に塔師局に辿りついたリイトが、同じ場所に立って、同じ相手から同じ話を聞いていたかと思うと、切ない半面、自分がたどってきた足跡が、リイトの残したものと重なるようで、嬉しかった。






「いくぞ、ガキ。まずは先頭を歩け」


 ギズは、「そら行け」とばかりに長銃の先でカシホの背中をこつこつと叩く。背後からそれを見たアボットが顔をしかめて、文句を言った。


「ギズ塔師、やめてくれないか。その、捕虜を連行するようで、見ていてあまりいい気分ではないのだが。しかも、若いお嬢さん相手に――」


「へえ? 昨日の式典の前にジェラが撃たれた時には何も言わなかったのに、今は文句を言うのかよ? こいつはまだ撃たれもしてねえのに? 嫌なら帰れよ。おれは指示棒を持ってきてねえし、今は長銃これがちょうどいいんだ」


 長銃に装填される実弾は対磁用のものだが、金属片を飛ばす仕組みなので、発砲されれば人体も損傷する。暴発防止のロックはされているだろうが、武器を背中に向けられるのは、あまりいい気分ではないものだ。でも、我慢できた。


(リイトが事故に遭わなかったら、こうやってギズ教官とマオルーン教官に指導されたのはリイトだったろうな。リイトは、今みたいな目にあったら怒ったかな。――ううん、きっと怒らない。リイトは塔師になりたがっていたもの。ギズ教官のこともマオルーン教官のこともきっとレサルにいた時から知っていて、この人たちに憧れていたと思う)


 なにしろ、ギズとマオルーンは塔師局でも指折りの有名人だ。もしもリイトが彼らに会ったら、きっと目を輝かせただろう。――レサルの広場で、初めて塔師に会った時のように。


『僕、塔師になりたいんです。どうすれば塔師になれますか』


 記憶の中のリイトの笑顔はきらきらとしていて、思い出せば、カシホはいつでも笑顔になる。背後を振り返って、ギズに笑いかけた。


「わたしは構いません。では、出発します」


 男と同じ荷物を背負ったカシホは、厚手の撚糸穿スパッツに包まれた脚を動かして、三階へ続く螺旋階段に向かった。十日分の水と食糧が詰まった背嚢リュックは重く、慣れないうちは階段を登るのも苦労する。


(歩き続けていればまだ楽だけど、止まると苦しい。早く次へ――)


 三階に着いて早々にカシホは次の階段を探したが、ギズが呼びとめる。


「待てよ、ガキ。磁力の計測を忘れてる」


 カシホは我に返って、腕に付けた計測器に視線を落とした。


「は、はい――三階の磁力及び磁波は……」


「その前に、全員の到着を確認しろよ。記録をとるのはマオルーンだ。今マオルーンはどこにいるんだよ。記録をとれるような状況かよ、え?」


 三階に辿りついているのはカシホとギズ、それから学術調査隊の先頭を歩くアボットだけで、その後に続くイーシャルや最後尾のマオルーンはまだ階段の中腹にいた。


「あほか、おまえは。なんのための隊で、なんのための先頭だ。周りを見ろよ」


「すみません――」


 慌てて、階段の出口を空けようと円形の広間の隅に寄った。


 最後尾を守っていたマオルーンは、三階に着くと記録盤を胸の前に構えた。


「いいよ、カシホ。記録するから数値をいえ」


「はい、磁力及び磁波は六度で、えっと、外部と同等で、正常範囲です、以上――」


「以上、じゃねえよ。内部の詳細を忘れてる」


「内部の詳細は……」


「見た感じとか、気になったことをいえばいい。マオルーンが書いてるのは、塔師局に持ち帰る記録なんだ。局内の連中のための資料をつくるんだよ」


「はい――見た目は、二階と同じです。円形で、直径ほか構造も同じに見え、明かり取りの窓が二つついています」


「いいよ、カシホ。記録よし」


 マオルーンが鉛筆を走らせるのをアボットは見守っていたが、やり取りが済むと、口を挟んだ。


「塔師諸君、十五分くれないか。三階を調査したいのだが――」


 ギズは、すぐさまカシホに顎で合図を送った。


「断れ、カシホ。進む速さを決めるのは先頭の役目だ。着いた階の状態を見て、急ぐべきか留まるべきかを決めるのもおまえだ。三階は二階と同じで、二階の調査を終えている今、調べるだけ時間と、それに伴う水と食糧の浪費だ。頼まれても断れ」


 気後れしつつも、カシホは目を丸くするアボットを向いて頭を下げた。


「申し訳ありませんが、調査の許可はできません。ここは二階と同じで、すでに調査された場所と同じ造りになっています。先を急がせてください」


「わかったが――直接、私に言えばいいものを――」


 アボットは気難しい顔でギズをちらりと見やり、カシホに反論した。


「しかし、同じように見えても二階と三階だ。似ている場所を選ぶことで、比較調査ができるものだが――」


「ですが、アボット教授、それは地上の話です。ここは孤塔で、わたしが見たところですが、二階と三階は〈反復〉しています」


「〈反復〉?」


 カシホはうなずき、確認を求めてギズとマオルーンの真顔を交互に見やった。


「孤塔の内部は、構造が〈反復〉することがあります。まったく同じ場所が、何度も繰り返し現れる現象です。二階と三階はまるで同じで少し高度が増しただけ――いえ、高さも変わっておらず、二階に戻ってきた可能性もあります。我々は、迷宮部にすでに入り込んでいるようです。――わたしはそう思うのですが、合っていますか」


 不安げにギズとマオルーンの顔を探すと、二人は腕組みをして小さく笑った。


「合っているよ、カシホ。我々は〈反復〉階に突入したようだ。これでは、ただ階段を登るだけでは上の階に行けない。脱出方法を考えよう」


 ほっとカシホの頬が緩んだ。ギズが、それに水をさす。


「長銃を用意しろよ。この先は、磁壁を破るために銃が要る」


「は、はい」


 カシホは肩から提げていた長銃を手にして、一行に笑顔を向けた。


「いきましょう、皆さん」


 再び列を成して螺旋階段を登り始めるが、もう少しで次の階へ着くというところで、ギズは銃口でカシホの背中を突いた。


「なぜ通り過ぎた。おまえの目は節穴か? 今、磁壁の切れ目があったんだぞ」


「え――」


「のろま。こっちだ」


 ギズの手は、足がよろけるほど強い力でカシホの服を引っ張ると、頬を手のひらで鷲掴みにして塔壁に突きつける。鼻先を押しつけるようにして、壁のその部分だけを見せた。


「このまま気づかずに通り過ぎれば、おれたちはまたさっきの場所に戻るぞ。何度同じ場所を行き来させる気だ? 磁界の切れ目は前にあるとは限らねえんだ。横、もしくは、人が通り過ぎて磁界が揺れることが引き金になって、後方に発生する場合もある。すべての可能性を考えて、見逃すな」


「はい」


「切れ目を見つけたらどうするんだよ。突っ立ってるだけでいいと教えられたのかよ」


「いいえ」


 がたりと音を立てて長銃を構えて、カシホは、ギズが示した場所に銃口を向けた。


「弾はどれを使う気だ」


「一割弾でよいでしょうか」


「基本通りだが、試す分にはそれでいい。撃てよ、うすのろ」


「はい」


 ドウッ。空砲に似た射撃音が鳴り、次の瞬間、生ぬるい風がふわりと吹いた。風は塔壁を撫でる波のようにうねり、そこを覆っていた薄い膜が破れたかのようだった。


「壁が切れた。塞がる前に針弾を撃って止める。おれが撃つから、下がれ」


「はい」


 カシホが場所を空けると、次いでギズが長銃を構えて壁に向かって狙いを定め、発砲する。塔師達の作業を、学術調査隊はぽかんと見ていた。


「磁界の切れ目? そんなものが見えたか? それに今いったい何をしたんだ。壁に向かって空砲を撃ったようにしか見えなかったが――」


「うるせえなあ。凡人は黙ってろよ」


 作業が終わるなりギズは長銃の帯を肩にかけ直し、カシホの背後に下がった。


「お先にどうぞ、先頭」


「はい――」


 場所を譲られると、カシホは唇をきつく噛む。それから、背後を振り返った。


「では、進みます。ついてきてください」


 いま起きたのは、塔師局で習ったことだった。講堂の中で机の上に各自の教本を広げ、黒板に描かれた絵図や数式を指示棒で示す指導教官から、時間をかけて説明を受けた。習ったことは寄宿舎の自室で復習し、後日試験を受け、及第した。及第するからには理解は終えていたが、知識でしか知らなかったことを現実に初めて実践すると、どうしても上滑り感が付きまとう。妙に心もとないし、不安だ。でも、不思議と嬉しい。「この不安は彼のものだった。いまも、彼と分け合っているんだ」と思えば――。


(これが実地研修か――どきどきする。ね、リイト? ここにいたのがリイトでも、きっとどきどきしたよね?)

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