孤塔 (2)


「かいつまんで話してくれねえか。まさか、おれ相手に考古学談義をする気じゃないだろう」


 ギズが言うと、ドナルは黙る。それから、おもむろに唇をひらいて、歌い始めた。旋律はまだ耳に懐かしい、さきほど現れた少年が歌っていた歌だ。


「この歌はジェラがとくに大事にしている歌で、〈母の歌〉と呼ばれています。歌詞の意味をかいつまんで訳しますと、こうなります。


  おお、水の母

  地の果てまで続く砂世を潤す唯一の母なり

  母の水瓶に水をたたえよ

  苦しみを流し去る嵐の時を待て

  母のもとへ願いの石を運べ、祈りを捧げよ

  道行く死者は、生者の使者なり

  母は温かく、水気に満ちている

  母よ、子らに水を与えよ


と、こういう歌です」


「で? つまり――」


「そう急かさないでくださいよ。私も半信半疑で、考え中なんです」


 ドナルは、一呼吸置いて続けた。


「この孤塔はジェ・ラーム砂海の楽園都市オアシスのそばに建っていて、ジェラを含めた砂漠の民から、水源を見守る神聖な場所として祀られてきました。私が気になったのは、さっき現れたあの少年がどうしてジェラの顔をしていたのかということです。それで、塔師の皆様に聞きたいのですが、今のように土地の魂のようなものが、その、なんというか、孤塔の守り手のように住んでいるものなのでしょうか。その、ジェラは孤塔を『死の国への道』と呼ぶこともあります。レサルや他の地方でも孤塔の調査はおこなわれているはずですが」


 「あの――」と、ドナルの言葉を遮ったのは、カシホ。


「口を挟んでしまってすみません。でも、お伝えしたいことがあって。さっきの男の子は孤塔を守る魂ではなくて、今も生きている子です。つい三日前にわたしがここで――孤塔の二階で、お父さんと一緒にいるところを保護したんです。七歳の男の子で、名前はジェルトです。生まれた時から目が見えない病気をもっていましたが、ここに入ってから目が見えるようになったと喜んでいて――。そうですよね、マオルーン教官、ギズ教官」


 ギズは、「はん」と笑った。


「そうだったな、。だが、今は生きてないかもしんねえよ? ああやってここにいるんだから」


「ギズ教官――」


 カシホを宥めるように、マオルーンも言った。


「ギズの言う通りかもしれない。アボット教授、あなたへの回答ですが、死んだ人間が孤塔に寄ってくることは少なくありません。『孤塔の守り手のように住んでいる』というよりは、ここへ集まってきて、階段を登ります。その――我々が登ってきたその階段です」


 マオルーンの目が、塔の外側をぐるりと囲む螺旋階段を向く。学者たちの唇から「死者が登る階段――『死の国への道』……」と、気味悪がるふうな呟きが漏れた。


「孤塔の内部にはよく人が現れます。さっきの少年のように、どう見ても生きている普通の人間ではない人が、です。特徴を記録して帰還後に調べたところ、似た姿をした人が少し前に死んでいたという話は、塔師の間では有名です」


「あの、マオルーン教官。わたしも噂は聞きました。孤塔はお化け屋敷なんだって――でも、あの子は……」


「ない話じゃないだろう。事実、俺たちはあの子が近衛兵に捕まるところを見た。侵入罪程度では死罪にならないだろうが、孤塔の中で磁波を浴びたなら、その影響で死に至ったとも考えられる――」


「待て、孤塔がお化け屋敷? 死んだ奴が現れる? そんな非現実的なことが――」


 声を荒げたのは、イーシャル。ギズが冷めた目で見た。


「噂くらい聞いただろ? 報告書に書くわけがねえだろ。書いたところで上の奴らがせっせと削除してんだよ。非現実的だの経費の浪費だのとケチをつけられるのが目に見えてるからな。今のあんたみたいに。それとも、『孤塔特有の特殊な磁波の影響で、集団で同じ幻を見た可能性がある』とでも言ってれば納得してたか? しねえよ。学者ってのは――」


「ギズ、またおまえは――大人げない」


 先手を打って釘をさし、マオルーンは、全員の顔を見まわした。


「まあ、今夜のように、人間の姿をした者が現れることは孤塔の中ではよくあることで、想定の範囲内です。小さな磁嵐を発生させる場合があるので、現れれば警戒しますが、いなくなれば普段どおりに過ごして構いません。とにかく寝ましょう。明日以降のために体力を温存したい」


「しかし――マオルーン塔師、さっきの少年は戻ってこないだろうか」


「ないと言いきることはできませんが、経験則で、一度上にのぼったが下へ戻ってくることはほぼありません。どちらにせよ、現れれば俺かギズが気づいて、あなた方に注意を促します」


「――頼もしい」


 早速寝袋にもぐったギズとマオルーンに倣って、アボットも寝袋の中へと身体を滑り込ませた。


「ほら、みんな。マオルーン塔師の言うとおりだ。体力を回復させるのも大事な任務だ」


「はい、教授」


 寝袋へ戻りながら、ドナルは薄暗がりの中でぽつりとこぼした。


「気になって眠れないので、塔師の皆様、すみませんが教えてください。孤塔の中で人間が現れる理由は明らかになっているのでしょうか。どうしてさっきの少年は〈母の歌〉を歌っていたのでしょうか。何かを訴えたかったのでしょうか」


「ふむ、どうして〈母の歌〉を、か――たしかに、気になるが」


 答えたのは、アボット。暗闇の中で交わされる学者同士の会話に耳を傾けながら、マオルーンは、寝袋の口に通された紐を引っ張って自分の身体に合うよう調節していた。


「恨み言や忠告、願望のようなことを口にしていたという話はよく聞きますから、生への未練といっていいのか、来世への願望というか、そういうものがあるのかもしれません。でも、俺は死んだことがないのでね、わかりません。何か理由があると考えたほうがわかりやすいのでしょうが、わからないのが孤塔です。わかったと錯覚するほうがかえって危険なので、俺はわからないとしか言えません。おそらく、どの塔師もそう言うでしょう」


 「そういうものなのですか」と、ドナルが息をつく。


「もう一つだけ教えてください。孤塔はわからないことだらけだが、磁波が強くなるのは上のほうの階で、そうなるにつれて不思議なことが起こりやすいと聞いています。私たちがいるのはまだ二階ですが、低層階でも、こういうことは起こるものなのでしょうか」


 「いいえ――」と、マオルーンはため息をついた。


「俺が知る限り、孤塔の中で何かが起きた事例のなかで、最も階層が低かったのは九階です。それが、二階ですでに起き始めているということは、このジェ・ラームの孤塔は磁波がすこぶる強いといっていいと、俺は思います」


「そうですか」


 ドナルは口をつぐみ、「お疲れのところ、ありがとうございました」と几帳面に礼をした。しかし、話し声が止んでしばらくして、ドナルはもう一度声をかけた。


「あのう、お休みのところたびたび申し訳ありません」


「申し訳ねえって思ってるなら、喋んなきゃいいだろうが」


 暗闇越しにギズが舌打ちをする。マオルーンはため息で牽制しつつ、ドナルのほうへ目を向けた。


「はい、どうしました」


「実は、気になったことがあるのです。出発前に行われた開門の儀でのことです。孤塔の前に集まったジェラ達が、さっきの歌を歌っていたんですが、歌と歌の合間に、歌詞とは違う言葉を繰り返し言っていたんです」


「どんな言葉ですか」


「それが、少々不穏で――呪いの言葉に、私は聞こえたんです」


「呪いの言葉?」


「はい。ジェラは、病気になったり怪我をしたりすると、ラムジェと呼ばれる医師のもとへ行くんです。医師とはいえ、都市の病院とは違って投薬や手術をおこなわず、祈祷や薬草で怪我や病気を治す、いわば呪術師です。ラムジェが呪術を行う時に使う言葉に、似ていたんです」


 一度黙ってから、ドナルは続けた。


「その言葉ですが、こう言っていました。セイラゼス・ナ・ジェラ・イス・ジートル・ド・ネス・ジャス・ドー……意味は、『〈母〉よ、あなたのもとに使者を贈ります』。使者というのは、死者のことです。ジェラは、死者のことを〈母に贈る使者〉と呼ぶのです。また、生贄を意味することもあります」


「生贄?」


「はい。ジェラは、孤塔を壊すと決めた王府に抵抗していますから、孤塔を残すためにあらゆる手段をとるでしょう。きっと呪術的なこともおこなったでしょうね。――あぁ、言えてすっきりした。実は、ずっと気になっていたんです」


 ドナルは大きく息をつく。


「それでは、寝ましょう。お疲れのところお時間をとらせて、すみませんでした」






 まどろみの中、カシホは「あぁ、よく寝た」と思った。身体はすっかり休んだと満足していたので、きっと明け方だろう、と。


 朝だものね、起きなくちゃ――。と、起きる心構えをつけていると、腕を引っ張られた。


『カシホ、起きて。朝だよ』


 そばに誰かがいる気がして、寝ぼけながら気配を探した。耳元で聞こえたと思ったのは、聞き覚えのある少年の声だった。


(リイト?)


 「レサルの磁嵐」を機に、カシホは憲兵学校に入学するための試験勉強を始めた。塔師という言葉を知ったのは塔師に憧れていた友人、リイトからだったし、リイトがいなければ、カシホは孤塔にも塔師にも興味をもたなかった。


 でも、ある時調べてみたら、リイトに備わっていた塔師に必要な才能はカシホにもあって、そのうえ、リイトが勉強しているところをそばで見ていたせいか、入試のための勉強は懐かしい絵本をめくるようで、すぐに夢中になった。夢中になっていると、ほっと胸が落ち着いた。


 リイトが細かな字で書きこんでいた帳面は、リイトのおばあさんから、彼の形見としてぜひもっていてくれと託されることになった。紙面は几帳面なほど細かく書かれた文字や絵で埋まっていて、その帳面がリイトの持ち物だった頃、カシホは、読んだところで意味がよくわからなかった。


『こんなに細かな文字じゃ、読み直す時に虫眼鏡がいるね』


 そういってリイトに呆れたものだったが、帳面が自分のものになって、使い込んだ革表紙を手の中におさめてひらいてみると、リイトが満足げに笑った意味がわかった気がした。


『文字を書いているうちに、文字が手から腕を通って僕の頭に入るんだ。だから、じっと見なくても書いたことを思い出せるんだよ』


 たしかにそのとおりで、彼が書いた字を指の先でたどるだけで、リイトがそばにいる気がした。その文字が、鉛筆をもったリイトの指から腕を伝って彼の頭の中に入ったのだと思うと、リイト本人と一緒にいる気もした。


『カシホ、起きて。早くしないと教官たちが起きちゃうよ』


(ありがとう、リイト。そうだよね、早く起きなくちゃね。新米なんだから、マオルーン教官やギズ教官より先に起きて支度をしなくちゃ。ここにいるのがリイトだったら、そうするよね。本当だったら、ここにいるのはわたしじゃなくてリイトだものね)


 ぼんやりとうなずいてから、カシホは目をつむったままぎくりとした。


(夢? リイトがいるわけがないわ。リイトはもう、いないもの。でも、誰かが腕を引っ張ってる――)


 奇妙なことが起きている――そう思った。怖くなって、かえってまぶたをあけられなかったけれど、カシホの腕を掴む手のひらは、まだそこにあった。


(誰かに腕を掴まれてる――ううん、できるわけないわよ。だって、わたしは寝袋の中にいるのに。じゃあ、もしかして、本当にリイト――)


 そこにいるのが彼なら、夢でも幻でもいい――。ついにカシホは唇を噛んで、手首を掴む誰かの手を捕まえようと、手を伸ばした。


(この手がリイトなら、つれて帰る。死んでいてもいいから、つれて帰る。それが駄目なら――)


 思い切って手を伸ばした。でも、カシホの手が掴んだのは、もう片方の自分の手首だった。ぬるまった寝袋の中で、カシホは自分の腕を捕まえていた。


「あれ――?」

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