終章 孤塔は人を食らう化け物の腹の中
ギズの足が砂に着地する頃には、迎えの救護隊が駆けつけていた。先に下塔していたカシホとマオルーンも、すでに落下傘を身体から外されて、ギズのほうへも、救護隊が走り寄ってきた。
地上は、大混乱だった。
「孤塔が……見てください、孤塔が……」
ゴゴゴゴ……という地鳴りはまだ続いていた。砂嵐が起きていて、四方八方から黄色い砂が降り注ぐ。でも、想定した最悪の状況ではない。
「うるせえ、騒ぐな。磁嵐は起きてねえだろ。――誰か、車に乗せてくれ。軍病院へ行く」
ギズは、孤塔の頂上からジェルトの魂を連れてきていた。周囲の磁波が強く、姿がくっきり見えていた上と違って、地上に戻った後のジェルトの姿は見えたり隠れたりで、おぼつかなくなっていた。それでも時おりは姿が見えるのは、ジェルトがまだ生きているからだ。肉体が磁波を維持していた。
(こいつを身体に戻してやらなきゃ――そうしたら、視力だけでもリイトが残るんだ)
+ + +
ジェ・ラームの孤塔が崩れ落ちた後、跡地には巨大な砂山が残った。クロク・トウンの街から見えるものは、天へと続く細長い孤塔から、美しい三角錐をつくる黄色い砂の山に変わった。
しかし、見事な砂山を眺められたのは、ほんの数日のことだった。それから長い間、クロク・トウンには豪雨が降り注いだ。
乾燥地帯で、雨に慣れていない市街地は大半が水に浸かり、広大なジェ・ラーム砂海のあちこちでは地下水脈が活発に動き出し、各地で勢いよく水が噴き上がり、池をつくった。
雨期に現れる川が出現して、広大な黄色い砂の大地には、いつか水が戻ることを見越して種を残していた植物が芽吹いた。
磁嵐の影響を避けるため、孤塔の周りではよほどのことがない限り飛行機の使用を避けるのが鉄則だ。しかし、日を追うごとに、空を飛びかう機体が増えていく。
「ごらんください、不毛の大地が緑に覆われています。塔師局の報告では、孤塔の上には、千年の間に孤塔が大地から吸い上げた大量の水が保管されており、孤塔が破壊されたことが引き金になって、その水が大地に戻ってきたそうです。一方、砂漠の民ジェラ達は、十日間に降り注いだ雨は孤塔の涙だと訴え、抗議活動をおこなっています」
「塔師局の説明は眉唾です。連中はいつも、重要なことを隠しているのですよ。あの古代遺跡の上に水が保管されていたなど、信じられますか? 豪雨や水脈の活性化は、孤塔が破壊された際に発生した磁波が、周辺の水蒸気や水脈に影響を与えた結果では――だとすれば、来年以降や、周辺への水不足が懸念されます。この不都合な事実を知っておきながら、追及を逃れようと、事実を隠ぺいしているのでは――」
「謎は深まるばかりですね……国民を代表して、一刻も早い原因究明に向けて最善を期して欲しいと望みます。では、次はお天気情報です。放送局のアリマさん!」
「はあーい! ジェ・ラーム地方の今週のお天気は、広い範囲で晴れ後雨。今週も雨が降る日が多そうです。街の雑貨店では雨具が品切れ中で、雨具として利用できそうな撥水性のありとあらゆるものが棚からなくなっており……」
ブツッ。鈍い音を立てて、
ギズが、手元の操作盤をいじっていた。脚を組んで椅子に座り、背もたれに体重を預けて伸びをした。
「憶測ばっか。テキトーに報道しやがって。孤塔が千年間地面から水を吸い上げていただぁ? まだ調査中だっていうんだ」
「それにしても、ギズ、塔師局は情報をそこまで公開してたかな。いったいどこから漏れたんだか」
塔師の拠点となった、宿のリビング。
ギズの向かいの席で頬杖をついていたマオルーンに、ギズはけっと笑った。
「誰かが金に釣られたんだろ? その他のちまちました情報には見向きもしねえくせに、嘘か本当かわかんねえ幻想話にばっかり飛びつきやがって。結局、真面目に考える気なんかこれっぽっちもねえくせに、民衆って奴は――ああいやだ」
「塔師局も悪いんだろう。秘密裏に進めたがって情報を出し渋るから」
ジェ・ラームの孤塔が崩壊してから、三週間後のことだった。
大量の砂を降らせながら孤塔が崩れ、クロク・トウンの街は大混乱に陥った。数日後から降り注いだ豪雨は、美しい三角錐の形に積もった塔の跡地の砂山をなだらかなまるみをもった堆積物にしてしまったが、砂の内側には、塔の骨格だったはずの繊維質の物質も大量に混ざっていた。
崩壊後に発生するかもしれない磁嵐に備えるためと、報告と、検査を兼ねて、塔師一行はクロク・トウンに三週間滞在したが、それも今日まで。これから、王都エクルに戻る長距離列車に乗る。
「世の中ってものは、どれもこれも汚いねえ。まあ、おれは塔師を辞めてやるから、塔師局とはもう無関係だけどな。ほら、退任届」
ギズが、
「駅で、ウースーに渡すんだよ。おれが辞めるっていうことはあいつも周りもとっくに知ってるくせに、こんな紙切れがねえと退任を認めないだとか、古いよなあ」
「まあ、ギズ。塔師局を辞めても、おまえは近衛兵団で塔師をやるんだろ?」
「知らねえよ。あの団体は女王陛下の私物だ。女王がやれっつったらやるしかないんじゃないか?」
「でも、ギズ。それでも、おまえは塔師局のほうが良かったんだろう? ――おまえがいないと、寂しくなるよ。なあ、カシホ」
マオルーンは笑い、隣のソファーに腰かける少女に目配せを送った。
カシホの格好は、男物の制服に戻っていた。少女の身体には大きいぶかぶかの制服をまとって、カシホははにかんで、蜂蜜色の眉をひそめた。
「本当にそうですね。寂しくなります。でも、想像してみても、近衛兵団の制服は上品過ぎて、なんとなくギズ教官には似合いませんね」
塔師局も、近衛兵団と同じく女王直属の組織だ。制服はほぼ同じで、色違いだった。
郊外に赴くことが多い塔師と違って、近衛兵団の制服は豊穣の実〈カリス〉の鮮やかな青色で、宮殿に居つくのにもふさわしい高貴な色をしていた。
「それに、もしかしたら、女王のそばに仕えるには素行不良過ぎて、すぐに塔師局に戻ってくるかもしれませんよ」
「あのなあ、このガキ……」
ギズが舌打ちをする。カシホはくすりと笑って、「冗談です」と言った。
「だって、わたしは、ギズ教官にはすぐにここに戻ってきて欲しいんです。でも、我慢しなくちゃ。――ギズ教官、わたしね、この前コーラルさんに会ったんです」
カシホは椅子の背もたれに背中を預けて、男物の制服に包まれた両膝の上に白い指を置いた。
「ギズ教官の恋人さんって、コーラルさんだったんですね。美人ですよね。わたしもリイトも、塔師局に来たばかりの時に、局内の案内をコーラルさんにしてもらったんです。いつもハキハキして格好いい女性だなあって、憧れていました。――この前、女王陛下のところに報告に出かけた時にコーラルさんに会って、お腹を触らせてもらったんです。お腹の中に、赤ちゃんがいるんだって――」
カシホはにこりと笑って、ギズの顔をじっと見つめた。
「ギズ教官はお父さんになるんですね。頑張って、近衛兵団にちゃんと馴染まなくちゃ駄目ですよ。コーラルさんと赤ちゃんを幸せにしてくださいね」
ギズは渋面をして、ふいっと横を向いた。
「おまえに言われると、重い」
しばらくして、「そろそろ行こうか」とマオルーンが切り出し、三人は椅子から腰を上げた。
しばらく続いた豪雨もやんで、クロク・トウンには晴れ間の多い日々が戻っていた。
真っ青な空のもと、この街特有の黄色い煉瓦造りの宿屋を出ると、道へと続く庭には桃色や紫色の花が咲き誇っている。雨の後で地面は湿り、水をたっぷり吸って、葉も花もいきいきと青空を見上げていた。
「孤塔ってなんだったんでしょうか。食虫植物みたいなものだとか、ジェラの言い伝えをもじって、大地が育っていくのを見守る大地の母神だとか、死の世界につながる道とか、いろんな風に言われていますが――ううん、いまとなっては、どのいい伝えも全部当てはまっていた気がします」
庭を囲む色とりどりの花々を眺めながら、カシホははにかんだ。
「本当に長い間この街の水を吸いあげていて、崩壊したせいでその水を戻してくれたのだとしたら、この水は大事に使わないといけないですね。どんなに欲しくても、もう戻らないものも、あるから」
庭を出て、駅への道を歩いた。
歩きながら、マオルーンが尋ねた。
「なあ、カシホ。今でもあいつを――リイトをそばに感じることはあるのか」
「いいえ――」
「ということは、あいつは、孤塔と一緒に消えることができたのかな」
「はい、きっと……」
「なら、それはそれでよかったんだから、早く立ち直れよ、カシホ」
「はい」と、カシホは眉根を寄せて、じっと遠くを見つめた。
行く手には、朝の青空が広がっている。前はジェ・ラームの孤塔がそびえたっていたが、いまはがらんとして、青空だけが広々とのぞいていた。
カシホは一度きつく唇を結んだ。
「わかっているんです。もしもあの孤塔の中でリイトが蘇ったり、わたしがリイトのそばに居続けたとしても、失ったのと同じ時間は戻ってこないんです。リイトは一度すべてを失くして、そのすべてをわたしにくれてしまったんだから」
男物の大きな
「ううん、そうなんだって、リイトがわたしに教えてくれたんです。リイトがいなくなってからの時間がどんなに悲しい時間だったとしても、なにもかもを失い続けてきたわけではありませんよね。その間に手に入れたものも、きっとあるんです。――ギズ教官が退任届を渡し終わったら、わたしもウースー局長にあいさつをしなくちゃ。見習いを終えたことを認めてもらって、塔師にしてもらわなくちゃ。わたしは塔師になりたいんです」
「それでいいのか? リイトは――」
ギズが言いかけた言葉を、カシホは笑って遮った。
「わかっています。でも、いまはリイトがしたかったことを代わりにやってあげたいんです。いつか、わたしがしたいことが見つかったら、その時はまた考えます」
「弱るな。せっかく育てた新人塔師がまた去ってしまうのか」
塔師局は人材不足だ、と、マオルーンは冗談を言うように笑った。
ジェ・ラーム砂海の玄関口、
雑踏の中に、塔師一行がやってくるのを待ち構える親子がいた。
ジェラの風貌をした一家で、幼い少年と、両親が並んでいる。カシホたちは、その親子に軍病院で会っていた。ジェルトと、その両親だ。
「王都へお帰りになると聞いて、どうしてもお礼が言いたくて――ジェルトを助けてくださって、ありがとうございました」
深く頭をさげたのは、ジェルトの母親。名前をサラというのだと、軍病院で名乗り合っていた。
「ジェルト――退院できたのね。良かった」
孤塔を出てから、三人が真っ先に向かった場所が、その軍病院だった。
その時のジェルトは、磁波になった魂と肉体が離れた状態で、肉体のほうのジェルトはベッドに横たわり、昏睡状態だった。ギズが連れてきた魂は、肉体に近づいたところで吸い込まれていった――と、カシホもその時のことはよく覚えていた。
その日は、用事を済ませた後で拠点へ戻ったが、後日、ジェルトが目を覚ましたという連絡を聞いて、安堵していた。
嬉しい報告も聞いていた。すでに電話で聞いていたので知っていたけれど、目の前に現れたジェルトの顔を覗きこんで、カシホは目を細めて、満面の笑みを浮かべた。
「こんにちは。わたしの顔、見えてる?」
ジェルトは生まれつき目が見えなかった。その治療をしたくて、親子は孤塔に入ったり、ジェラの一族の居住地に出入りをしたりしていたという。
でも、いま。ジェルトの両目はまっすぐにカシホを向いていた。尋ねると、礼儀正しく「はい」とうなずいた。
「これを渡したくて――」と、ジェルトは
受け取って、紙を広げていくと、鉛筆で丁寧に描かれた顔がふたつあった。
「病院で目が覚めた後、ずっと目の奥に見えていたんだ。お母ちゃんの顔やお父ちゃんの顔が見えて嬉しくて、外の景色が見えることや、手や足や、病院の壁や、いろんな色が見えるのも嬉しくて、毎日どきどきしていたんだけど、ずっとこの二人の顔が見えていたの。でも、だんだん、見えなくなってきて、見えなくなったら困るって、急いで描いたんだ。見える目を僕にくれた人が、見たかったものじゃないかなって」
ジェルトは「僕が初めて描いた絵だよ。上手だって、みんな褒めてくれたんだ」と笑った。
カシホは広げた紙をじっと覗きこんで、ぽろぽろと涙をこぼした。
子どもらしい素朴な線で描かれていたのは、一つは少年の顔で、一つは少女の顔。少年のほうは、ぎこちなく笑っていた。でも、幸せそうだ。少女の顔は、愛らしい巻き毛が頬を飾っていて、優しい顔つきをしていて、幸せそうに笑っていた。
リイトと自分の顔だと、カシホはわかった。ううん、そうじゃなくて――。
リイトが見たかった光景。もしくは、リイトがいま見ているかもしれない幸せな光景だ。
「――ありがとう。リイトのぶんまで、いろんな美しいものを見てね」
どうにか声を絞り出すのが精一杯だったけれど、カシホは笑った。
「ギズ教官、マオルーン教官。ひとつだけ、これからやりたいことが新しくできました。わたし、またいつかジェルトに会いに来たいです。ジェルトがどんなものを見たのか教えてもらえるといいなぁって……ジェルトがいろんなことを知って、元気に過ごすのを見守りたいです」
頬を涙で濡らしながら、二人に声をかけた。
ギズとマオルーンは苦笑して、ぽんとカシホの肩を撫でた。
「ああ、次の休暇にな。新米塔師」
「列車が着く。行こう」
砂まじりの風が吹く街に、列車の到着を報せる鐘の音が、遠くから響いていた。
fin.
孤塔は人を食らう化け物の腹の中 円堂 豆子 @end55
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