八階の草原 (3)
「おれの親父は、王家の離宮に仕える下男でさ、それも、臭かったり汚かったりする仕事を任される下っ端だった。母親のほうも、親の代から離宮に勤める女中でさ、やっぱり下っ端だった。長年やってりゃ上にのし上がる方法だってあっただろうに、悪賢い奴が大勢いて、いいように使われ続けて、できなかったんだろうなあ」
ギズが話し始めると、地べたに転がっていた少年はよろよろと起き上がって、ギズの真似をするように大岩を背もたれにして腰をつけた。
まだ若い、十五、十六の少年だ。成長途中の身体の華奢さが改めて目に入ると、ギズの口からため息が出た。そんなふうにそいつが磁波の塊になっているのなら、その若さで、そいつが死んだということだ。
「今は、騙すほうじゃなくて騙されるほうだった両親をすげえと思うけど、ガキの頃は親が嫌いでさ。同じ敷地の中に暮らしてるのに、湿っぽい地下室で雑魚寝をして暮らしてるおれ達家族と、お屋敷の最上階で何不自由ない暮らしをしてる王族連中との間にあった差も、おれは嫌いだった。紛争の後で身分制度はなくなったって話だが、金を持ってた奴は持ったままいい暮らしをしてたし、そうじゃない奴は貧しいままだ。ごみ扱いに腹が立って、実力だけが物をいう世界に行こうと思った。つまり、塔師だ」
『……』
「おれにも幼馴染がいてさ。そいつは身分とか家の差とかを気にしない奴で、おれに塔師の素質があるとわかると、憲兵学校に行くべきだって言って、いろいろと世話をしてくれたよ。そいつがいなかったら今のおれはいないし、王族と金持ちの没落ばっかり願って暮らしてたと思う。今も、そいつなしで生きていける自信がない。だから、そいつと一緒に生きるためならなんだってやるし、生き方を変えろと言われるなら変えられる――そういうわけで、なんかおまえに、情が移っちまってさあ」
次の煙草に火をつけて、ギズは、白い煙をふっと夜風に散らした。
「おれは、もしも今死んだら、そいつにくっつくと思うんだよな。そいつと一緒にいるためだけにこれまで生きてきたようなもんだから。そいつを見守りたい……と、口じゃいい奴ぶって言うだろうが、もしも変な男が寄ってきたら多分呪い殺す方法を考えるだろうし、そうやって、死んだくせにそいつの人生に干渉しようとしてる自分に気づいたら、幻滅するだろう。自分を消してくれって、消してくれそうな奴に頼むだろうな――。でも、やっと見つけた消してくれそうな奴に『消すのは無理だ』って言われたら、どうするかなぁ――」
「考えもつかねえや。とりあえず八方ふさがりだな」と笑って、ギズは、トンと灰を落とした。
「どうだ。そんなところか? おまえがここにいる理由と似てるところはあったか?」
少年の表情を探して、隣を向いた。
少年はうつむいていて、はらはらと涙をこぼしている。砂で汚れた頬に、幾筋も幾筋も、新しい涙の筋がついていった。
『はい、ギズさん――僕もです。カシホがいなかったら僕は……僕は、カシホと一緒にいたくて、それで塔師になりたくて――塔師になったら給金がもらえて、立派な仕事に就けて、カシホを迎えに戻れると思ったから……カシホのお母さんにも認めてもらえると思ったから。カシホのお母さんと、おと……おと……』
しゃくりあげながら、少年は嗚咽の合間に言葉をこぼそうとする。「わかった、わかった」と、ギズは少年の髪に手のひらを置いた。
「まあ、珍しいことじゃない。おれもそうだし、マオルーンもそうだし、塔師なんてものになろうと憲兵学校まで来る奴はどこか野心家だよ。わかったから、落ち着け」
また、さっきのように磁波を増幅させられたらたまったものではない。「落ち着けよ? カシホにバレたくないんだろ?」と声をかけながら髪をなでてやる――が、ある時、少年の顔が歪む。あどけなさが残る目が、快楽と共に人を殺し、その死を喜ぶ殺人鬼か人食いの化け物のものに見えた気がして、ギズは怯んだ。ぎくりとして、髪を撫でていた手も止まる。
でも、一瞬だった。憎悪と絶望を宿しただけの化け物のような顔から、年頃のあどけなさを残した少年の泣き顔に戻る。はらはらと涙をこぼした少年は、途切れ途切れに言った。
『思い出した――僕が、ここにいる理由――。あの日――僕が死んで、僕の葬儀があった日、カシホはすごく泣いてくれたんです。だから僕は、「悲しんでくれてありがとう。幸せにね」ってカシホに笑って、カシホのところから去ろうとしました。でも……一人だけ、僕が死んだことを喜んでいた人が――「死んでくれて良かった」ってつぶやいた人がいて――』
少年は泣いたが、暴れなかった。自分の身の上を自分で嘲笑うようにぐしゃぐしゃに顔を歪めて、泣きながら笑った。
『カシホのお父さんでした。僕がカシホのことを好きで、カシホを迎えに来たくて――カシホをお嫁さんにしたくて、塔師になろうとしてるってことに、カシホのお父さんは、たぶん気づいていたから。カシホのお父さんは僕を警戒していたんだと思う――だから、僕が死んで、もう帰ってこないとわかって、ほっとしたんだ。でも、「死んでくれて良かった」だなんて、聞きたくなかった。僕の暮らしがあんな風だったのは僕のせいじゃないのに』
静かに続いた嗚咽で、少年はろくに息ができていなかった。息苦しさで上気した顔は少々赤みを帯びて、溢れ出た涙で頬はびっしょり濡れていた。
時々唇をわななかせながら、少年はこう言った。
――あの。
僕は、捨てられ子なんです。
僕が小さい時に、僕のお母さんが僕を置いて家を出ていったので、おばあさんに育てられました。お父さんが誰なのかは、僕もおばあさんも知りません。
お母さんは派手な人で、村の人から嫌われていたので、僕のことを変な目で見る人もいました。「関わっちゃいけない」って、僕に近づかないように親から言われている幼馴染もたくさんいたし、「可哀想に」っていう目で見る人もたくさんいました。
だから、カシホだけが、僕の救いだったんです。
カシホだけでした。僕のことを、僕も知らない「お母さんの子供の僕」じゃなくて、ただの僕だと見てくれたのは、カシホだけだったんです。
すでに、煙草は三本目。それすら、もう短くなっている。
孤塔内部への私物の携帯は許可されているとはいえ、余計なものを多く運ぶわけにはいかないので、持ち運んだ煙草の紙箱は二つだけ。
「はあ……なるほどねえ」
一緒に取り出した火具でカチカチと煙草の先に火をつけながら、ふう……と、煙を吐いた。
「それが、おまえがここに居る理由なのかな」
『――はい、そうです。思い出しました。――カシホのお父さんのその言葉を聞いた時に、殺されたと感じたんです。もう僕は死んでいて、霊魂になったっていうのか……墓地で、自分の肉体が土に埋められていくのを僕も宙に浮いて見ていたんですが、その瞬間に、ばちばちっと閃光みたいなものが散って、気づいたら、カシホのそばにいました』
少年の口調は落ち着いていた。嗚咽もおさまっていて、頬の涙もいつの間にか乾き始めている。まじめな顔をして話していたが、ふと、少年はギズを向いて小さく笑った。
『なんだか、すっとしました。誰かに話を聞いてもらえるって、助かりますね』
「いいのか? おれは、おまえのことを可哀想だと思ってるんだぞ? さっきおまえが言ってた『可哀想に』っていう目で見てた近所の奴らとおんなじだぞ」
『ほんとだ』
少年はくすっと笑って『でも――』と言った。
『気になりません。今は自分でも可哀想だと思うからかな』
「前はそうじゃなかった?」
『きっと、そうなんでしょうね。みんなと同じだって思っていたんだと思います。でも、今は――』
少年は、自嘲気味に笑った。
『今は、自分でも「なんて可哀想な奴なんだろう」って思うし、「こんな奴、早く消えてしまえばいいのに」と思います』
一度、野営の灯かりが揺れた。
ここでじっとしたまま動かない自分をマオルーンかカシホが心配したのだろうと、ギズは帰り支度を始めた。
「そろそろ戻る。まあ、おまえがカシホにとり憑いてる悪霊なのは間違いねえし、カシホのためを思えば消してやるのが一番だと思うが、おれには、どうやってもおまえを消せねえんだよ。たぶん、何か別の方法があるだろう。――しばらく一緒についてくればいいよ。カシホには黙っててやるからさ。どうせ、カシホから離れようと思ったところで、くっついてんだから離れられねえんだろ?」
『ギズさん……』
膝をかかえて座っていた少年の目に、うっすらと涙が浮かぶ。やれやれとギズは突き放した。
「いちいち泣くんじゃねえよ、鬱陶しい奴だな」
少年は唇の端を上げて、手の甲で目元をこすった。
『なんとでも言ってください。口が悪いギズさんに何を言われても、別にぴんときませんから』
「あぁ、そう。生意気な奴だな。やっと本性を出しやがったか。――そういえば、おまえ、名前は?」
『リイトです。リイト・セライス』
「ふうん、リイトね。――なら、いこうか。リイト」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます