神の樹の種 (2)

(石ノ子か――高い孤塔のそばには似た伝説が残っていたらしい。けれど、今はもう――)


 かつて、高い孤塔の近くには、そこで暮らす一族固有の神話や伝説があった。けれど、今は地名がわずかに残る程度で、伝承は残されていない。王国全土を巻き込んだ〈赤戦争〉に関わったからだ。


(争いは破壊を生む。少数民族の稀少な文化だけでなく、教会や王族に関わる教えや伝統すら――)


 〈赤戦争〉の影響を受けなかったジェラ族は古い文化を残しており、多くの学者の研究対象となっているが、残念ながら目立った成果はない。ジェラ族の協力が得られないからだ。


(仕方ないか。今や迫害を受けているようなものだ)


 ジェラ族はかつて、ジェ・ラーム砂海最大の楽園都市オアシス、今のクロク・トウンに住んでいた。しかし、今は土地を追われている。クロク・トウンには代々の墓碑もあり、彼らの大切な拠点だった。街を返すべきだという嘆願書は送っているが、進展はなかった。


(石ノ子か。秘儀だとかで、儀式に使う石の採石場も明かされないが)


 嘆願書を作るためにドナルは何度かジェラ族のもとを訪れていたので、知人は少なからずいた。集落への行き方も知っている。


 街を出てしばらく歩くと、昔からある井戸を中心にぽつぽつと草が群れる緑地帯が広がる。ジェラ族の今の拠点はそこで、砂と同じ色に染められた天幕の布がなびいていた。


 近づいていくと、集落の入り口に数人の姿が見える。ドナルは自分から手を振った。


「勇敢な族長ジェルトーラの弔いをと――」


 死者への祈りに来たのだと用件を告げると、祈りの場に通された。


 ジェラ族の方法で祈りを捧げた後は、集まった男達に囲まれることになった。


「おまえさんは孤塔に登っていたんだろう。なぜここにいる。計画が中止されたのか」


「一般人が登れる限界に達したので、下りてきたんです」


 「塔師はまだ上にいますよ」と教えると、男達は肩を落とした。


「なぜここに来た。あの塔を破壊しようとする塔師の一行に参加していたなら、おまえも破壊を願うのではないか」


「いいえ。私も、調査に参加した研究者の誰も、破壊を望んではいません。私たちにとっては貴重な遺跡ですし、あなた方にとってはもっと大切なものです」


 「実は、お聞きしたいのです」と、ドナルは話題を変えた。


「もしかして、石ノ子が、いま、塔を登っていますか」


 尋ねた相手は、グルという男。身体の細い壮年の男で、首に薔薇の形をした塩の石を連ねた飾りをつけている。ラムジェと呼ばれる呪い師で、一族の医師であり、賢者であり、呪術者だ。


 グルは、微笑んだ。


「さあな。なぜそう思う」


「不思議な少年の姿を見かけたので、もしかしてと。塔師が言うには、あの塔の中で、例えば幽霊のような、人の姿をした何かに出会うことは珍しくないそうですから、不思議なものを見ただけかもしれませんが」


 ドナルは慎重に言葉を選んだ。


「もしかしたら、母神の御許へと塔を登る族長ジェルトーラともすれ違っていたかもしれませんね。今頃はきっと、ずっと高い場所にいらっしゃるでしょうが」


 祈りを捧げたばかりの祭壇を振り返ると、グルはうなずいた。


「ああ、きっと、一族のために勇敢な死を遂げた族長ジェルトーラは孤塔を登り、〈母〉に力を与えてくださっている。塔は力を得て、きっと今に嵐を起こす。早く嵐が起きればよいのだ。破壊をもくろむ塔師も諦めるだろう」


「磁嵐のことですか」


 磁嵐が起きれば、先日の飛行機墜落事故のようにまた大勢が被害をこうむるだろうし、内部にいる塔師もただでは済まないだろう。


「でも、また大きな被害が起きれば――」


 グルは怒った。


「なにが被害だ。あの嵐は恵みの嵐だった。あの嵐は我々の喜びだ」


「水が増えるからですか」


 磁嵐が起きた後は、周辺の水位が増減する。水かさが増える場合が多かったので、レサルでもジェ・ラームでも、磁嵐は水神からの祝福とされている。


 呪術者ラムジェのグルは、我慢がならないという風に早口になった。


「水だけじゃない。あの嵐は神からの啓示だった。吉凶を占う大切な嵐だ。浴びると力がみなぎった。わからないのか。あの嵐に脅えるのは、鉄の機械を使うおまえ達だけだ」


「それは――」


 たしかに、磁嵐が悪災扱いをされるようになったのは、最近のことだ。通信機などが誕生する前には、おそらくその苦しみはなかった。


「湖と塔を返せ。あの塔のそばには一族の墓所がある。よもやおまえ達はわが祖先の骸を暴いてはいないだろうな」


 苛立ち交じりの声には涙も交じりはじめる。


「昔と同じ暮らしをすればよいだけなのに、なぜ防ごうなどと考える。なぜ壊さなければならんと考える。昔と同じように暮らせばよいだけなのに――」


 グルの顔が悲嘆に暮れる。ドナルは「はい、その通りです」と繰り返すしかできなかった。その通りだからだ。






 頭の中にどす黒い雨が降りしきっているような、靄が残るような、複雑な心境だった。


 ジェラの集落を出てクロク・トウンへ戻る道のりを歩きながら、ドナルは、風に囁かれたと思った。女の涙声が何かを叫んでいる。


 砂漠の中だ。人の気配などないのに――と、あたりを見回して、はっと目をしばたかせる。ちょうど向かう先――クロク・トウンの街影が見える方角に、ふらふらと砂の上を歩く女がいた。化け物に憑りつかれでもしたような奇妙な歩き方をしていて、よろけたり、砂に膝をついたりして、まともに歩こうという意志が感じられなかった。そのうえ、同じ言葉を繰り返し叫んでいる。涙声だった。


「ジェルト、ジェルト、どこ――お母ちゃんよ、ここよ。ジェルト――」


「ジェルト?」


 聞き覚えのある名前だ。慌ててその女のもとへ走った。


「待って、あのう、あなたはその、ジェルトのお母様ですか」


 間近に寄って話しかけると、女が顔を上げる。顔も首も服も砂だらけで、涙に濡れたところだけ肌が洗われて、素肌が覗いていた。


 はじめはなかなか目が合わなかった。でも、そばに寄って見つめ合ってしばらくすると、女の目に生気が戻っていく。どこを見ているのかわからなかった視点が定まって、ろくに力が入っていなかった膝にも力が入る。さっきまでのふらつきが嘘のように、女はしゃんと姿勢よく立った。


「私は、ドナル・レイテ。学者です。ついさっきまで塔に登っていて、その――あのう……なんと話せばよいのか」


 つい話しかけてしまったが、冷静になってみると、おかしなことを話そうとしていたと気づいた。孤塔の中でジェルトという名の少年を見かけましたが、宙を浮いて上のほうへ飛んでいきました、あの子の知り合いですか――など、話して信じてもらえるだろうか。


「ええと、実はですね、塔の中で、ある少年の姿を見かけたのですが、その少年の名がジェルトだったものですから、気になって――」


 ぼそぼそと言うと、女は顔色を変えた。


「ジェルト? あの子は塔の中にいました?」


「はい、おそらく――十歳くらいのジェラ族の少年でした。その、あなたにどことなく似ていました」


「迷子になって?」


「迷子? ええ、まあ」


 いまいちよくわからなかったが、迷子には違いないだろうと、頷く。女は納得したようで、「そう。なら、きっとラムジェ様が――」と唇に笑みを浮かべた。


「失礼ですが、ご子息は軍病院にいらっしゃるのですか」


 ジェルトという少年は、孤塔に侵入した罪で軍に捕まったと聞いた。もしも少年の身に何かあれば軍の施設にいるだろう――と、尋ねるが、女はそっぽを向いた。


「あんなところ――! 面会は二週間に一度だと……!」


 なんとなく、状況は察した。女は軍に対して怒っていて、その理由もなんとなくわかった。


「そうですか、面会が制限されたのですね。なら、私がお連れしますよ。きっと状況は変わっているはずです。私もちょうどジェルトくんのもとへ行くところでしたから、一緒に行きましょう」


 ジェラの居住地に行った後で行くべきはジェルトの居場所だと、ドナルは決めていた。女が訝し気に顔を覗き込んでくる。


「あなたがお連れしてくださるんですか。どうして――。あなたはジェラ?」


「はい、元は。市民権を得ているので今は王国民ですが」


 「私もです」と、女は悔しそうにうつむいた。


「それで――あなたは」


「ドナル・レイテ。民俗学者です。考古学もやってますが。ジェラの文化を主に研究しているんですよ」


 「行きましょう」と女を伴って歩き始めると、女は「私はサラといいます」と恥ずかしそうに名乗った。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。お世話になるのに」


「いいえ。サラさんですね、どうぞよろしく。――私、汚いでしょう? こんな格好ですみませんね」


 孤塔での調査を終えて着の身着のままここにいるので、ドナルの衣服は砂と汗まみれだ。


 「いいえ」と、サラは警戒を少し解いたふうに笑った。


「学者さんなんですね。ジェラの――。なら、あれをご存知かしら。お聞きしたいことが――」


「はい、なんでしょう」


「わからない言葉があるのですが。『ネス』という言葉なんです。どういう意味かご存知ですか」


 ドナルは、息を飲んだ。ネスというのが、日常の会話に出てくるような言葉ではなかったからだ。

 

「どこで、そんな言葉を」


「とある祈りの言葉で――」


「こんな言葉ですか」


 セイラゼス・ナ・ジェラ・イス・ジートル・ド・ネス・ジャス・ドー。


 青ざめながら、唇から糸を紡ぐように言葉を唱えると、サラはぱっと顔を上げた。


「そうです。その言葉です。どういう意味なんですか」


 ドナルは黙った。ぴんと閃いた。このサラという女と、ジェルトと、おそらくジェラ族の誰かとの間で起きた何かが。


「『ネス』は、生贄です。〈母〉なる塔に力を与えるために役に就く子供のことで、その役に就く子供はたいてい生きて戻りません。ですから、死者を表すこともあります」


「えっ、でも」


 サラの足が止まる。砂にまみれた顔から血の気が引いて、土色になった。


「はい――。セイラゼス・ナ・ジェラ・イス・ジートル・ド・ネス・ジャス・ドー。意味は、『〈母〉よ、あなたのもとに使者を贈ります』。使者というのは、死者を意味することもあります。つまり、『ネス』は、〈母〉に仕える子供――生贄です」

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