造反 (1)

 次に目が覚めたのは、眩しかったからだ。高い場所に作られた小窓から朝の光が入っていて、まぶたの向こう側も、目を開けた時に飛び込んできた寝袋の青色も、やたらと眩しかった。


「ごめんなさい、わたし、寝坊を――」


 普段なら、隊の中では一番か二番目には目を覚ますのに。跳ねるように起き上がって寝袋の封に手を伸ばしたカシホを、そばにいたギズは笑った。


「寝ていていいぞ。新人のくせに、昨日あれだけ働けば疲れるよ。休んでろ」

 

「でも」


「この先が本番なんだ。その時におまえが本調子じゃなかったらこっちが困るんだよ。寝てろ」


 ギズは自分の寝袋を片付けていた。手際よく丸めて、空気を抜いて、背嚢リュックにくくりつけて――カシホはまだ寝袋に埋もれているというのに。


「でも」


「自分でわかんねえのか? おまえの磁波が揺らいでる。回復できてない証拠だよ。動くな。寝てろ」 


「はい――」


 渋々、枕にしていた背嚢リュックに頭をつけて寝転びなおすと、せめてと背嚢の衣嚢ポケットから計画書を抜き取った。


「これ、見直しておきますね。今日でわたしは孤塔を下りるんですものね。うまくできるかな」


 塔室はがらんとしていて、カシホとギズ、昨晩から気を失ったままのサスしかいない。塔壁にぽっかり空いた円穴の向こうには、朝の白い光に溢れた森が覗いている。時折、声が聞こえた。学者たちの調査が始まっているのだ。朝食のスープの香りも漂っていた。


「朝食はマオルーン教官が作ってるんですね。手伝えなくてすみません。せめて、今のうちに流れの確認だけでも」


 計画書をぱらぱらとめくりながら該当頁を見つけて、指を止めた。「下塔(脱出)」と題がついていた。


「『器具を用いて脱出口を固定し、一人ずつ脱出口より飛び降りる。学術調査隊と共に脱出する塔師は一名で、引率は最後尾よりおこなう。落下傘の操作は各自に委ねられる。塔師は背後から確認を行い、不慮の事態に備え――』、ギズ教官、つまり、わたしがおこなうのは孤塔から脱出するみなさんの見守りですよね。それ以外はギズ教官とマオルーン教官の指揮下でできますよね」


 カシホが三人目の塔師として選ばれたのは、途中で孤塔を下りる学術調査隊と共に孤塔を下りるためだ。「あなた達の同行はここまでです。明日の午後に孤塔を下ります」と、マオルーンからの宣告も済んでいる。あと数時間も経てば、カシホも学者の一行と一緒に孤塔から去るのだ。


 ギズが、ぽかんと口を開けた。


「は?」


「違いました? でも……」


 計画書に視線を戻す。何度確かめても同じことが書いてあった。「下塔時引率任:カシホ・オージユ」と名前もある。


「引率――あぁ、そうだな。おまえの役目は最後に飛び降りて連中が全員揃ってるかどうかを確認するだけだ。下塔時に何か起きてもどうせ何もできないから、見届けて報告するだけだ」


 変だなと思いつつも、気を引き締めることにした。


「わかりました。本当だ、わたしにとっての本番は今日ですね。ギズ教官とマオルーン教官に頼れないんだもの。回復しておかなくちゃ。休みます」


 計画書を読み返しながら、寝袋の内側で抱いていた革貼りの帳面のことが気になった。リイトという幼馴染の持ち物だったもので、いまカシホがここにいるのも、塔師を目指していた彼に代わって夢を叶えるためだ。


(そっか、もう下りるのか)


 孤塔を登っている間はなんだか彼がそばにいる気がした。リイトとの思い出に浸るのも、楽しかった。





(森の上の空が明るくなってる。朝が来たんだ。朝に鳴く鳥は、いない……そういえば)


 ギズが森へ行ってしまうと、寝袋の内側からリイトの帳面を取り出した。


(リイトも孤塔に生き物が近寄らないことを不思議がっていたっけ。どのあたりだったかな。たしか)


 どの頁にも小さな字がびっしりと並んでいる。ここは違う、ここでもないと、一頁ずつめくっていると、柔らかな足音がした。森の腐葉土を踏んでやってくる姿もある。イーシャルだった。


「朝から勉強熱心だね。おはよう」


 真円形の穴をくぐり抜けて戻ってきたイーシャルは、森の側から差し込む光を浴びて頬に白の縁取りを作っていた。


「ここは不思議な場所だね。日の出の時間と位置は地上と同じなんだ。方位測定装置が壊れていなければだけどね。ほら、今は午前六時五分。今日の日の出は五時四十分だった。地上とまったく同じで、しかも正確だ」


「もう一時間が過ぎたんですか?」


 学者達が森側に足を踏み入れるのは、一度につき一時間まで。イーシャルが戻ってきたなら、彼らは一時間以上前から起きていたのか。それなら、ひどい寝坊だ。


「違う違う。入ったのは十分前くらいだよ。僕らも起きたのは空が明るくなってからだ」


 イーシャルがカシホのそばに腰を下ろす。寝袋にくるまったままだが、カシホも起き上がることにした。 


「実は、きみに話したいことがあったんだ。昨日はサスを助けてくれてありがとう。サスは学士院時代からの友人なんだ」


 急性中毒で発作を起こしたサスに応急処置をしたことを言っているのだろう。でも。


「わたしはギズ教官に言われたとおりにしただけで――」


「やり遂げたんだから手柄はきみのものだろ」


 イーシャルは手に手帳を持っていて、パラパラとめくるとカシホの前に差し出してくる。手のひらより少し大きい程度だが、リイトが遺した帳面と少し似ていた。黒い革の表紙がついていた。


「僕の手帳だ。読んでみる?」


「いえ――」


 意図がわからない。「読みたい」と言ったほうがいいのか、「結構です」と断ったほうがいいのか。イーシャルは「つまり」と、ある頁を開いた。


「僕の調査対象はきみが持っていた友達の帳面ノートに書かれていたのと似てるんだ。ほら」


 カシホは手帳を覗き込むふりをした。紙面は小さな字で埋まっている。流れるような筆致で、まず思ったのは「リイトの字とは違うな」ということだった。


 イーシャルの指が、ある場所を示した。


「七階の土の成分を調べていたんだ。ここ――そうしたら、孤塔の壁を削ったものとほとんど同じだった。違っていたのは水の量、湿り気だけだった」


「それが何か――」


「驚くべきことだよ。七階は森に見えているだろう? でも、成分そのものは塔の壁と変わらない。この黄土の石だよ。つまり、いま僕達が見ている森は森じゃない。幻と言ってもいいのかもしれない」


「すみません、ええと」


「森の生態系を考えてみれば分かりやすいと思うんだけれど、普通、森には無数の生き物がいる。獣に鳥に虫に、微生物もいる。森の土が栄養豊富なのは、落ち葉を分解する微生物がいるからだ。生物の死骸の有無も重要だ。土の成分だって変わる。それなのに、その森の土はこの壁と同じなんだ。見た目には普通の森と変わらないのに、生き物がいる気配が微塵もないんだ」


 「貸して」とイーシャルはカシホの手から帳面を取り上げて、頁をめくった。


「あった、ここだ。きみの帳面ノートを前にちらっと覗いてしまっただろ? 僕の担当だと思って覚えていたんだ」


 「勝手にごめんね」とイーシャルの手から、カシホのもとへと帳面が戻ってくる。イーシャルが開いた頁にはこんなことが書かれていた。



◆孤塔と生物

 孤塔を巣にしている生き物はいないのだろうか。

 ⇒なぜか

 ○孤塔の磁波が昆虫には合わない?(未解明の電磁波の可能性は?)

 ○なぜ人間は塔師なら孤塔に入れるのか?(磁制本能は人間固有のものか。劣性遺伝子?)



「この問いに対する僕の結論だけど、孤塔に生物の痕跡は一切ない。こんなに豊かな森があるのに、だ。この塔だって生き物が巣を作るには格好の場所だ。それなのに、虫一匹いない。なぜか? しかも、この森は他でもないハジェールの森にそっくりだ。王都ハーツを囲む森だよ。なぜだ? ――と、まあ、今は標本サンプルの採取が済んだところで、今後の調査は研究所に戻ってからじっくりやるけどね」


 ようやくカシホは、イーシャルが手帳を差し出した理由を理解した。


「あの、ちょっと見せてもらってもいいですか」


「ああ、いいよ」


 「ここなんかどうかな?」と、イーシャルはわざわざ頁を開いて見せてくれた。



  ◇なぜ孤塔は磁制本能をもつ人間だけを受け入れて、他の生物を拒絶するのか。

  ◇磁制本能とはなんなのか。


 〈サスより〉

 ハーシ大学院の研究室で、人間の受精卵に、いわゆる「磁波」に近いものが存在することを突き止めた。受精後、受精卵はで覆われる。その後、急速に感知しづらくなる。

というのは、我々の装置では詳しく感知できない強力な磁波という意味である。「磁波」は物理学で定義される磁力、磁場とは異なり、電気信号に近いものである。

※塔師局には未確認。確認要請中。

  


「”サスより“って」


 目が、塔室の隅を探す。昨日の夜に急性中毒の発作が起きてからずっと、その男は壁際すれすれの場所に寝かされていた。時折意識は戻るが、暴れないようにとロープで身体を固定されている。


「ああ、サスだ。昨日僕に話してくれた――いや、もっと前か。今回孤塔に登った連中はもともと顔見知りで、選ばれた後はなおさら何度も会ってる。詳しく理解したのは昨日だが」


 イーシャルの手が筒服ズボン衣嚢ポケットに伸びる。再び手のひらが現れた時、指の内側には小さな機械があった。真っ黒で、卵のような形をしていた。


「これを持っていってくれないか」


「これは――」


「サスの実験道具だよ。サスは物理学系の調査項目の担当なんだ。きみらの仕事にも貢献してるはずだよ。彼は王立磁波研究所の研究者だから。きみらが使う対磁弾を作ってる機関だよ」


「対磁弾――」


 はっと顎に力が入って、下を探した。背嚢リュックの奥に大事に置かれた武器――長銃が目に入った。

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