34.誰にだって聞かれたくない事はあるものだ。
いつでも笑顔を絶やさないし、傍から見ていると悩みごとなど無いように見える。人と話すことに全く躊躇がなく、相手が初対面だろうがなんだろうが、大人だろうが、子供だろうが、男だろうが、女だろうが、とにかくお構いなしに会話を試みる。
そして、少し目をはなせばすっかり打ち解けている。何か頼みごとをしても全く嫌な顔はしない。勉強で困ることはあまり無かったが、一度だけ宿題を片付ける際に助け舟を求めたら、二つ返事で快諾し、 一緒にやってくれた、ということもあった。
完璧超人だと、ずっと思っていた。
そんな彼女みたいになろうと思った。
中学校に上がる少し前、天城はそう決心した。
最初は上手くいっていたのだ。天城だって頭の回転は悪くない。明日香のことも親を除けば、この世で一番良く知っている自信がある。ずっとその背中ばかり見てきたのだ。どうしたら彼女に近づけるのかくらいは分かっている。きっと大丈夫。
そのはず、だったのだ。
◇ ◇
天城は探りを入れるように、
「都筑明日香……って名前は知ってるよな?」
「ええ。確か幼馴染……ですよね?」
「そう。まあ、幼馴染っていうよりは姉って言ったほうが良いかもしれないけどな」
「姉?」
「姉。まあ学年は一緒だし、誕生日だって向こうの方が後なんだけどな。でも、俺の中で明日香はずっと姉みたいな存在だったんだよ」
鷹瀬は言いたいことを掴みかねるような様子で、
「本当の姉、ではないんですね?」
「まあな。一応妹はいるけど、姉はいないよ。明日香とは血の繋がりもないし、同じ親に育てられたわけでもない。ただ単純に俺が姉みたいに慕ってたってだけの話」
「……誰かを姉のように慕う天城征路……というのがちょっと想像出来ないのですが」
天城は苦笑して、
「だろうな。と、いうか、想像出来たら困る、とも言える」
「隠している……っていうことですか?」
天城はふっと視線を花壇の方に移し、
「隠してるといえば、隠してるのかもしれないな。ただ、別にそれだけを意識してるってわけではない、って感じか」
鷹瀬は疑問の色濃く、
「……どういうことですか?」
花壇の付近を虫が飛ぶ。どこかで車がエンジンをふかす。
「……俺は、さ。昔、ずっと明日香の後をくっついて歩いてたらしいんだよ」
「らしい……と、いうのは?」
「あんまり覚えてないんだよ。小学校に上がるより前の話だからな」
「ああ」
鷹瀬は納得し、
「覚えている時期はどうでしたの?」
「流石に背中ばっかり追っかけて……ってことはしてなかったと思う。俺もまあ、一応男だからな。いくら何でも、男子が、誕生日だって自分よりも遅い、女子の背中ばっか追ってるのはおかしい……みたいな気持ちもあったと思う」
間。
「ただ、それでもやっぱり、家とか、学校外ではずっと後をついて歩いてた気がする。何かあったらすぐ明日香に相談。そうすれば何でも解決する……ってのが、あのころの俺の認識だった気がするな」
鷹瀬は疑いの視線を天城にぶつけ、
「……なんだか、信じられないですね」
「まあ、そうだろうな。でも、そういう時期が確かにあったんだ」
天城は空になった缶を手元で弄びながら、
「いつだったかな……小学校高学年のどっかだったと思うんだが、親戚に言われたんだよ。いつも明日香と一緒にいるなぁって。それ自体は多分、何の気ない一言だったと思うんだけど、それで思ったんだよ。明日香に頼らなくても大丈夫になろうって」
覚えている。本当に淡くて微かな記憶だが、あの時の天城が感じた感情は恥ずかしさのようなものだったことを。
別に一年に一度会うか会わないかも分からないようなその親戚も、何か意図をもってそんなことを言ったわけでもないはずである。友人同士、幼馴染同士、仲よくしている姿をみて、ぽろっと零れ落ちた、純粋な感想だったのかもしれない。
しかし、それが当時の天城には深く深く突き刺さった。学校ではそこまでべったりでなかったこともあって、「明日香に頼りきりの自分」を、どこか無視していた部分もあったのだろう。実際は全くそんなことはなくて、一歩学校の外に出れば相変わらずべったりで、何かあったら明日香に頼る部分は全く変わっていなかったのだが、それを改めて現実として突きつけられた。そんな気がしたのだ。
「とはいえ、小学校の途中からいきなり変わる勇気も無くてな。だから、中学校に進学したら変わる。そう決めた。んで、中学校に上がってから、俺は都筑明日香になろうとした」
「なろうとした?」
「そう。俺にとっての理想はずっと、明日香だった。だから当時の俺は、明日香みたいになれればきっと、一人立ち出来るって思ってたんだろうな」
「あぁ」
鷹瀬は苦笑する。
天城もつられて笑う。
「俺はさ、てっきり久遠寺は中学校の俺と同じだと思ってたんだよ。外面必死に作って、どんな相手でも嫌な顔せずに応対して、皆から好かれて。そういう、完璧な仮面を被っておけば全て上手くいく。そういう考えがあると思ったから、俺はその化けの皮をはがしにかかった」
「だから、告白の場、だったのですね」
「ああ」
そう。当時の久遠寺といえば、学年を問わずに大人気であったし、愛の告白を受ける機会は一日に一度ですまない場合もあった。それでも彼女は全ての告白を律儀に聞いたし、相手の要望も出来る限り叶えてみせた。
天城はそれを逆手に取った。
「全員に平等で、優しい女の子っていう仮面を外すことが無いとすれば、こっちの要望は取り敢えず聞いてもらえる。逆に、それ以外の時間だと会話するのは難しい。だから、告白という形を取って、一対一で話せる場面を作った。ただ、あいつはあいつでガードが堅いからな。きっと単刀直入に言っても交わされるだけだろうと思った。だから、俺は誰かがあいつに告白する場面があったら、出来るだけ見にいくようにしてた」
「それは、久遠寺という人間を把握するため……という訳ですか」
「そういうことになるな」
鷹瀬がふうっと息を吐く。
「……貴方も大概ですね」
「まあな、それでも何となくは分かった。あいつは趣味の話をされることを凄く嫌がるってな」
「趣味、ですか」
「そう。まあパッと見は嫌がってるようには見えないし、あいつもその素振りは見せないようにしてたけどな。ただ、俺から見るとどうも嫌がっているようにしか見えなかった。少なくとも避けてるのは確かだった」
一つ間を置いて、
「だから、俺はそこを執拗に追求してみた」
鷹瀬は「やれやれ」といった塩梅の笑いを見せ、
「性格が悪いですね」
「知ってる。それでも、それしか思いつかなくてな。まあ、とにもかくにも方針を決めた俺は、あいつと趣味の話をしようと試みた。ただ、俺も、何で趣味の話をされるのが嫌なのかは分かってなかったし、どの話がヒットするのかは分かってなかったからな。とにかく適当に、それっぽいやつでカマをかけまくった」
鷹瀬が言葉を繋ぐように、
「その結果、見事に仮面をはがすことに成功した、と」
そう。
天城が適当に「完璧美少女にそぐわなそうな趣味」を並べ上げ、対話を試みようとしていたその時、久遠寺は天城の手首をがっしりと掴み、グイと引き付け、周りには聞こえないような声で、
"それ以上やるなら、帰り道でどうなっても知らんぞ"
びっくりした。正直少し怖かったことも覚えている。
確かに、久遠寺の仮面を剥ごうとしたのは天城だし、その方法も決して間違ってはいなかった。事実その企みは成功したし、天城としてもそこまでは想定の範囲内だった。
問題は、思っていたよりもずっと、分厚い仮面を被っていたということだった。
正直なところ天城は、いかに仮面を被っていたとしても、その外面が完璧に塗り固められたものであったとしても、もう少し”マシ”なものが出てくると信じていた節がある。天城自身もまた、自分を偽り、外面を作り、中学校生活を乗り切ろうと画策していた経験があるものだから、それとほぼ同じくらいのものを想定するのは自然なことで、それを遥かに上回る粗暴ぶりを見せられるのは完全に予想外だった。
もちろん、そこで引いてしまう、ということも出来た。相手の出方が出方だけに、本当に帰り道で襲われるかもしれない。天城自身そこまで運動神経が悪いわけではないが、恐らくは久遠寺の方が上である。不意打ちなんかされようものならばひとたまりもない。もし、そんなことをしたという噂が広がれば、久遠寺にとっても都合が良くないはずだが、たかが天城一人がそんなことを言いふらしても「根も葉もない噂」として処理され、天城は「酷い嘘をついて久遠寺さんを陥れようとするやつ」に早変わりするだけだろうから、実際に手を出してくる可能性も否定は出来ない。
しかし天城は、その可能性はほぼ無いと見ていた。
なにも楽観視していたわけではない。天城は最初から久遠寺のことをどこか”自分とおなじ”だと考えていたし、もしそうであれば、例え人が見ていないところであろうとも、すぐさま暴力に訴えかけることはないと見ていた。
という訳で、
「俺はあいつの脅しを完全に無視して、話を続けてやった」
鷹瀬はとんでもないものを見るような目で、
「……貴方、ホント良い性格してますね」
「まあ、否定はしない」
鷹瀬は何かを諦めるようにふっと息を吐き、
「それで?結局久遠寺はその後どうしたんです?」
「帰り道に呼び止められて、こう、ガッって、胸倉を掴まれたよ」
天城はそう言いつつ、ジェスチャーを加える。
「それで?」
「どういうつもりだって問いただされたよ」
「どう答えたんですか?」
「ただ会話をしただけだろうって言ったな」
「わぁ」
「ちなみにそれを言ったらちょっと持ち上げられた」
「うわぁ」
鷹瀬の声に、「ドン引き」の四文字が混じる。
「貴方、一体何がしたかったんですか。久遠寺の仮面をはがすんじゃなかったんですか」
「いや、そうなんだけどな」
全くもって鷹瀬の言う通りだった。
天城は久遠寺をけしかけ、その分厚い仮面を引きはがしたかった。そこには全く間違いはない。
しかし現実というのはままならないもので、久遠寺の被っていた仮面は天城が想像していたよりも遥かに分厚かったし、久遠寺の出方もまた、天城が想像していたよりも大分荒々しかった。
結果として、あの時の天城は、冷静な判断を下せるような状態では無かったし、何よりも正直に意図を伝えるということはつまり、天城の過去に何が有ったのかを全て伝えることに他ならないわけで、流石の天城もそれだけは出来ないという判断を下したのだ。
そこまでは良かった。
問題はその後だった。
「で。結果として彼女は今の今まで猫っかぶりで、貴方の評価はついこの間までは最低に近かったと。何一つ目標が達成できていないじゃないですか」
鷹瀬が呆れかえる。全くその通りだと思う。天城は笑って、
「まあ、俺には荷が重かったんだよ、きっとな」
「そうでしょうか」
天城はふっと鷹瀬に視線を向ける。
その先には思っていたよりもずっと、真剣な表情があった。
その目はまっすぐに、ただただ天城だけを見つめている。
吸い込まれそうな瞳の色はブラウン。天城は今の今までその事実を知らなかった。
何でそう思うのか。その一言が、言葉にならない。
鷹瀬は視線を逸らし、
「まあ良いです。その辺はまあ、そのうち分かることでしょう。それで?そんな状態だったのに何でまた久遠寺にちょっかいを出したんですか?」
「俺もそのつもりは無かったんだけど、まあ、色々あってな」
「色々、ですか」
そう呟くだけで鷹瀬は追及をせずに、
「貴方、言いましたよね。久遠寺は自分と同じなんじゃないかって。だから仮面を剥ぎにいったと」
「ああ」
ここまでくれば、事の本質は見えてくる。
なぜ、久遠寺はあそこまで完璧な外面を作っていたのか。
なぜ、天城との関係がここまでこじれてしまったのか。
そして、
「結論から言いましょう。貴方が考えていたのとは真逆、だったんですよ。あの子は」
どこかで再び車がエンジンをふかす。運動部の連中が、外周をジョギングする掛け声が遠くから聞こえてくる。
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