29.友達の形は色々だ。

 赤川は尋ねる。


「えっと……結局鷹瀬さんとその……勝負してたのは、誰?」


 さあ、困った。


 正直なところ天城は、素直に全てを話してしまってもいいような気はしていた。

まだほんの少しの会話しか交わしていないが、赤川にそこまで口が軽そうな雰囲気は無かったし、もし仮に彼がその話を言いふらしたとしても、勝手な妄想として処理されるに違いない。


 もしかしたら鷹瀬がそれに便乗する可能性もあるが、鷹瀬は鷹瀬で、久遠寺に「突かれたらまずい部分」があるような気配がするし、あからさまなことはしてこないような気がする。


 全ての可能性を100%起こり得るものとして断定し、安心しきるのは良くないだろうが、少なくとも赤川一人が事情を知っていたとしても、どうすることも出来ないし、天城が他言無用だと言い含めれば、きちんと守ってくれるのではないか。そんな感じは確かにある。


 と、いうことで、


「えーっと……だな。このことなんだけど、ここだけの秘密にしておいてもらえるか?」


「秘密、ですか?」


「そう。変な話かもしれないけどさ」


 赤川は一切の迷いもなく、


「いいよ。そのかわりっていっちゃうとなんだけど、」


 天城は言葉を引き継ぐように、


「鷹瀬に関しても広めないでくれってことか?」


「そういうこと。お願い……できるかな?」


「分かった。別にそんなことしても俺にはメリットが無いしな」


 一つ間を置いて、


「久遠寺って知ってるか?」


 赤川は二、三度瞬きをし、


「久遠寺さん……って、あの?」


「あの……ってのが良く分からんが、俺と同じクラスの久遠寺だ。久遠寺文音」


「知ってるもなにも、有名人じゃない?」


「まあ、そうか。そうだよな」


「え、もしかして、彼女?」


「そうだ。つまり君は、あいつと鷹瀬の喧嘩に巻き込まれた形になるわけだな」


 赤川は大分驚いているようだった。


 そりゃそうだろう。鷹瀬と久遠寺。どちらともかかわりのない人間からみたら、両方ともおおよそ高嶺の花である。


 それでも鷹瀬はそこまで隠すようなことはしていなかったのだが、久遠寺はといえば、天城が普段見ている姿と、それ以外での姿は全くの別人ではないかと疑ってしまうほどの差があるくらいだ。


 二人はここまで同じクラスになったことはなかったし、関わり合いもあるとは思われていないだろう。外から二人を対比して見るものはいたかもしれないが、まさか当人同士がそんな勝負をしているとは夢にも思っていないはずである。


 赤川は突然の情報に消化不良を起こしつつも、


「ってことは、え、久遠寺さんもなんか書くわけ?」


「まあ、そうだな」


「しかも、鷹瀬さんよりもいい評価ってこと?」


「そういうことになる」


 赤川はやや身を乗り出し、


「それ、教えてもらってもいいかな?」


「また何で」


「いや、単純に気になったから。だって、鷹瀬さんのよりも面白いって評価をされてるワケでしょ?」


「まあ、そういうことになるな」


「だったら、読んでみたいかも。駄目かな?」


 天城はそのまま星生にトスをするように、


「ってことらしいけど、どう思う?」


 星生は一言で、


「天城次第」


「俺?」


「そう」


 即答。


「元々、ルール的にグレーだったのは鷹瀬。だから、その是正と考えれば、教えてしまってもルール上の問題はない」


 ルール上の問題はない。


 ではどこに問題があるのかといえば、


「……勝手に教えちゃっていいのかねぇ……」


 そもそも天城が久遠寺の名前を出し渋った理由はまさに久遠寺本人が「自分が小説を書いている」ということを、どちらかといえば伏せておきたい事実として認識していることを知っていたからに他ならない。事ここに至ってしまえばそんなことを気にする必要はないような気もするし、そもそも赤川には口止めもしてあるのだから大丈夫だろうという気はするのだ。


 一方で不安もある。


 胸の奥底に広がる。なんとも言いきれない淀み。その淀みは日に日に範囲を広げているような気がする。自分は間違いを犯していないか。そんな自問自答にはっきりと無罪を主張することが、今現在出来るかどうかといわれればかなり怪しい。


 正々堂々、実力だけで勝負する。


 久遠寺と誓った前提はもう既にぐずぐずに崩れ去っている。


 その事実が、天城の中に根を張り、大きな不安感を育て上げる。


 このままでいいのだろうか。


 とはいえ、ここまできて教えないわけにはいかないような気もするし、何よりも相手は久遠寺に対して、どちらかといえば好意的に思える。最終的に天城は、問題はないものとして処理し、


「……まあ、大丈夫かな。えっとだな……」


 天城はスマートフォンを取り出して、『私の嘘、あなたの音』の作品ページを赤川に見せる。赤川はそれを見ながら自らのスマートフォンを軽く操作し、


「これ、だね」


「そう。それそれ」


「ありがとう。後で読んでみるよ」


 そう言ってくれた。天城はふと気になって、


「そういえば、なんだけどさ」


「何?」


「鷹瀬のやつにポイントって入れたんだよな?何ポイント入れたんだ?」


 赤川は「えーっと」と自分の記憶に探りを入れ、


「確か、2ポイントだった気がする」


「2ポイントか」


 5点満点中の2点。100点換算であれば40点であり、正直高いとはいいがたい点数だ。こういう評価というのは基本、最高評価の半分より下にはなかなか入りにくいものだと思うのだが、赤川はその壁を超えていた。天城は更に問う。


「なんでその点数なんだ?」


「なんでって言われても困るけど……」


 赤川は本気で困った顔をし、


「それくらいの話だったから、としか」


 天城は笑って、


「ってかさ」


「何?」


「あれだよな。一応、鷹瀬のファンクラブ?かなんかの会員だよな?」


「そうだけど?」


 赤川は「何が疑問なんだ」という顔をする。いや、そりゃ疑問だらけでしょうよ。

 だって、


「にしてはその、鷹瀬の扱いが軽い気がするんだけど、気のせいか?」


「ああ」


 赤川はやっと合点がいったようで、


「別に雑に扱っているわけじゃないんだけどさ。評価だって、普通に読んで、普通にしただけだしね」


「けど、」


 赤川が途中で遮るように、


「いや、言いたいことは分かるんだ。外からの印象はどっちかって言うと親衛隊とか、そういう感じ、だよね?」


「……まあな。違うのか?」


「うーん……違わないところもあるんだけど、少なくとも、僕に関して言えば、違う、かな」


「どういうことだ?」


 柳が補足をするように、


「……件のファンクラブとやらは、二層に分かれてるらしい」


「二層?」


「……そうだ。天城も知っている通り、あの集団は基本、親衛隊か信者かといった具合だが、その中に数人、特別な扱いを受けてるやつがいる」


 天城は赤川の方を向き、


「それがもしかして、」


 赤川は一つ縦に頷き、


「僕もその一人……ってことにはなると思います」


 柳は続ける。


「……赤川を含む数人と鷹瀬の間柄は、ファンとアイドルというよりも、単純な友人に近い」


「どういう事だ?」


「……鷹瀬という人間はああ見えて非常に慎重だ。告白を受けようが、一切取り付く島もないのはその辺りが影響している。ところがここに一つ問題がある。お高くとまっていたこともあって、鷹瀬には一切の友人がいなかった。だから、」


「ファンクラブの奴らとお友達になったってことか?」


「……そういうことだ」


 分かりやすかった。


 つまり、


「だから、容赦ないわけね」


「何がですか?」


「いや、評価がさ」


「ああ」


 赤川は漸く思い至る。


 そりゃそうだ。


 いくらその評価を一任されていたとしても、鷹瀬と対等な関係性にいなければ、5段階中の2点などという評価は下さないだろう。あの二木ですら3点なのだ。それより下というのは随分と辛辣だと思う。


 天城は赤川に、


「ちょっと聞いていいか?」


「何?」


「これを君に聞くのは間違っているような気もするんだが、鷹瀬はなんで君を選んだんだろうな?」


 赤川は苦笑しながら、「自分の想像ですけど」と前置いたうえで、


「僕、小説とか、漫画とか、そういうの読むの好きなんですよ。でも、それはあんまり表に出してなかったんですね。だけど、ある日、鷹瀬さんに聞かれたんです。お前、小説はよく読むのかって。その時まあ、ちょっとした話題振りでしかないだろうなと思ったんで、はい、読みますって答えたんですよね」


 一息つき、


「そしたら、まあ、色々と聞かれて。好きなのは何か、とか。どういう所が好きか?とか。最近だと何が好きか?とか。色々。そんな質問に答えてたら、鷹瀬さんか一言、お前、今日から名誉会員だから、って」


 天城はそのまま復唱する。


「名誉会員……」


「今思えば、友達になろうってことだったんだと思うんだよね。でも当時は全然分かってなくて。僕で良いんですか?って聞いた気もするな。でも、お前でいいっていってくれて。それから、まあ色々あって、現在の形に」


 天城は疑問をぶつける、


「今は普通にその、」


「友達、だと思います。こういうのって定義づけるものじゃないとは思うんだけど」

「でも、ファンクラブ会員なんだな」


「まあ、ファンクラブ会員以外が親しくしてたら、他の会員が怒りそうですし」


 なるほどと思う反面、一体そのファンクラブはどんな仕組みになっているんだと不思議にもなった。名誉会員に認定すると言っているのだから、ある程度の権限は鷹瀬にもあるように見えるし、会員以外が鷹瀬と接するだけで会員が怒るというのだから、主体はファンクラブにあるような気もする。


 そんな疑問点を柳は、


「……得てして大きくなった宗教ってのは、宗派が分裂するもんだ」


 とざっくり過ぎる説明をした。その理解でいいのだろうか。


 赤川は軽く笑いながら、


「だから、まあ、表向きファンクラブ会員。裏では友人っていう関係を続けてます。他のやつらも、大体同じだと思いますよ」


「それでいいのかねぇ……」


 赤川ははっきりと、


「良いんじゃないかと思う。少なくとも僕は満足してるから」


 その言葉に迷いはない。


 天城はそんな姿が少しだけ羨ましく見えた。


「取り敢えず、大体の事情は分かった。赤川に関しては読んでもらえばいいとして……星生」


「なんだろうか?」


「なんか他にも数人いそうな気配だけど、どうしたらいいだろうな」


 正直なところ、天城にはもうどうしようもないような気がしていた。


 もちろん、久遠寺も鷹瀬も最初はネット上だけの戦いにするつもりだっただろうし、それを理想とするという部分は今でも変わっていないだろうと思う。


 しかし、現実は、半分以上を鷹瀬の知り合いが占めているという状態であり、それがまた勝敗を分けかねないという状態でもある。


 星生は坦々と、


「問題ない」


「問題ないかぁ?」


 星生はやはり坦々と、


「問題ない。ファンクラブの会員に、無理やり読ませていたのならばともかく、紫乃と保志は友人だという。それならば、問題はない。文音も、きっとそれくらいはしているはず」


「あー……」


 言われて納得する。


 そう。今回のケースは別に、不正でも何でも無かったのだ。


 赤川がファンクラブの会員だったため分かりにくくなっているが、それらの無駄な要素を省いて、シンプルな関係としてみれば、赤川を始めとする数人は、肩書こそ「名誉会員」ではあるものの、その実友人として処理してしまってもいいはずなのだ。しかもそれは、「南野円」として知り合った相手では無く、「鷹瀬紫乃」として出会った相手であり、それならば問題も無かろうという判断である。なるほど、言われてみればその通りである。


 赤川が、


「結局僕はどうしたら?」


「特に何もないな。もしあいつの書いたものを読んでくれるなら嬉しいし、気に入って人に勧めてくれるなら、それも嬉しい。ただ、その時に、久遠寺の名前は出さないでほしい。それでいいか?」


 赤川は一つ縦に頷いて、


「分かった。それくらいなら大丈夫」


「よし、これで取り敢えず問題は解決、かね」


 星生は無言で頷く。天城は締めくくるように、


「んじゃ、そういうことで。悪かったな、時間を取らせて」


「いや、別に」


 そう言って立ち上がる。


「しかしあれだな、そんな面倒なことになっていたとは思ってなかったわ。あのファンクラブ」


 柳が扉の方へと歩きながら、


「……案外そんなもんだ」


 その瞬間。


 油断していれば聞き逃してしまうような小さな物音が確かにした。 


 部室の外だ。


 天城が、


「ん?誰か来たのか?」


 星生が部長机に腰掛けながら、


「どうした?」


「いや、今なんか外から物音がした気がしてな」


 柳が扉の鍵を開けながら、


「……確かめてみれば済む話だ」


 ガラリ。


 音を立てて現代文化研究部の扉があく。そこからまず柳が、続いて天城が、最後に赤川が顔を出す。


「誰もいないな」


 天城は廊下を見渡してそう呟く。


 右手の廊下はずっと奥まで広がっているが、そこには人一人いない。もしさっきの物音が、どこかの部室をノックしたものであったのならば、流石にこの時間でどこかへ消え失せるということは考え難い。ノックだけして、隣か、向かいあたりの部室へと逃げこむ、ピンポンダッシュまがいのことをされた可能性は否定できないが、ちょっと前まで存在すら殆ど知られておらず、今もなお陰の薄い部活動にそんな事をする人間がいるとはちょっと考え難い。


 一方、左手の廊下は短い。すぐ突き当りには階段があり、そこから上にも下にも移動できるようになっている。足音はしないから、もし先ほどまでここにいたのならば、まだ階段に潜んでいると思うのだが、そんなものを確かめたとして何が起きるわけでもない。


 なのに。


「……天城?」


 天城は二歩、三歩と歩みを進め、やがて階段の入り口へとたどり着く。


 入り口の上の方で、非常口の緑色が、こっちからなら逃げられるぞと手招きしている。その奥。階段のある辺りは、昨今は節電だなんだといって、蛍光灯のついていない廊下よりも更に暗い。申し訳程度についている窓から入り込む日差しが、天から伸びる一筋の光のようにも見える。


 天城は思わず手すりから身を乗り出し、下を確認する。やはり誰もいないし、足音も聞こえない。聞こえてくるのは全くの日常である。それはすなわち、グラウンドで、どこかの運動部がランニングをするかけごえであり、背後にあるいずれかの部室から聞こえるどっという笑い声であり、飲み物を買った誰かに対する、自販機が言った礼である。そんな日常の真っただ中に、何が起こるわけでもない階段に、天城は一人、立ち止まりつづける。

 


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