13.天城伊織理は見守り続ける。
結局その日の”部活動”は、早いうちに解散となった。
曲がりなりにも鷹瀬と対決するという運びになってしまった以上、もう少しだけでも話を詰めておきたかったというのが正直なところだが、そうは行かない事情もあった。
まず、条件面である。
二人が対決するとひとくちに言っても、ことはそう単純ではない。
腕っぷし比べをしたいのならば日にちを決めて、腕相撲でも、取っ組み合いの喧嘩でもやって決めればよかったし、スポーツの種目が決まっているのなら、一打席勝負でも、PK戦でもやって決めればよかったはずである。
前者は相手に参ったと言わせれば問題ないし、後者なら明確な数字や記録で決着がつきやすい。
しかし、二人が選んだ土俵は違った。
小説なのである。
その”出来”を比べるのである。
そこには色々な問題がある。
そもそも、何をもって、この小説は出来がいい(出来が悪い)とするかという部分ですら、はっきりとしない。
小説を構成する要素は大きく切り分けるのであれば「シナリオ」「キャラクター」「文章」の三つに分類されるが、所謂一流とされる小説家でさえ、どれが優れているかには開きがある。シナリオの面白さで勝負する場合もあれば、個性豊かなキャラクターを売りにする場合もある。時には文章力で圧倒し、読者の心を掴む場合もあるかもしれない。
そして、困ったことに、それらは個別の要素内ですら、単純な比較が難しい。
早い話、二つの作品を並べた上で、「どっちのシナリオが優れてる?」という質問を100人にした場合、100対0のワンサイドゲームになることはそうそうないのだ。
勿論、どちらかに偏るという可能性はある。
ただ、70対30くらいの偏りであれば、後者は「人を選ぶだけでシナリオの構築に問題はなかった」という解釈も出来てしまう。普通ならばそれでいいし、両方面白いねという当たり障りのない結論を導き出しても問題はない。そう、普通ならば。
ところが、今回は普通じゃなかった。
二人は、決着を望んでいるのだ。曖昧な答えは求めていない。
そうとなれば、二人が競った上で「一応こちらの方が優れている」という結論が導き出されるような舞台を用意する必要があった。あったのだが、その設定を任された星生が、
「少し時間が欲しい」
と言いだしたのだ。だからこそ解散にした方がいいと思ったのだが、それ以上の問題がもう一つあった。
久遠寺である。
天城からすれば「自分で喧嘩を売ったんだろう」と思うのだが、どうやら当の本人はあまりそうは思っていないらしかった。
鷹瀬が去ってからしばらくの間は「どうしよう」とか「やっちゃった」とか、そんなことをぽつぽつ呟いていたのだが、そのうち、悩んでいても仕方ないと、少なくとも頭では思ったらしく、天城にアドバイスを求めてきた。
が、
「えっと……なんだっけ?」
久遠寺が、このフレーズを何度使ったか、天城は良く覚えていない。
最初のうちは軽く突っ込みつつももう一度説明していたのだが、そのうちそれも面倒になり、思いっきり煽り倒してやったのだが、それすら上の空で聞いていないという重症具合だったので、解散にしようと天城から切り出したのだ。
今は一刻でも時間が惜しい。久遠寺も初めは乗り気でなかったのだが、星生にも「今日は休んだ方がいい」と諭され、結果的には折れる形となった。
そんな日の夜。
「……って事があったんだ」
天城は妹の
一応補足をしておけば、天城自身にはそのつもりは全く無かったし、夕食を食べ終わり次第、自室に引っ込み、これからの事について模索するつもりだった。
漸く久遠寺や星生と連絡先を交換したこともあり、コンタクトも取りやすい。出来れば、早い段階で、久遠寺達の勝負が、どういう条件のもとに行われるのかを知りたかったというのもある。傾向と対策とまではいかないが、場合によっては「受けにくい話」と「受けやすい話」が出てくることは覚悟しておきたかったのだ。しかし、
「ちょっと、いい?」
止められた。
リビングを出て、階段を上がり、自分の部屋の扉を開けて入り、鍵を閉める。その一連の流れは、最初の段階でストップがかけられた。
振り向けば伊織理がソファーに腰掛け、「ちょいちょい」と手招きしている。
こういう時の伊織理は難しい。
別に伊織理は天城が忙しい所を引き留めるつもりは無いし、忙しいならば忙しいと言えばあっさり引き下がってはくれる。くれるのだが、どういう訳か、こうやって呼び止める時は大抵天城に「すぐに取り掛からなければならない用事」が無い時が殆どで、どうもそれを分かってやっているフシがある。
だからこそ天城としても断りにくいし、実際断らない方がいいことが多い。身内びいきになるつもりはないが、伊織理はミョーなところで鋭い。話を聞いておいた方が良いだろう。そう判断し、Uターンして伊織理の元まで行くといきなり、
「今日、何があったの?」
などと言いだしたのだ。初めは「特に何もない」とかわしてみたりもしたのだが、結局伊織理の目からは逃れることは出来ず、その日一日――特に「現代文化研究部の部室内部」で起こったことについて説明することになったのだ。
全てを聞き終わった後、伊織理は顎に手を当てて考え込んでしまった。
伊織理は基本、落ち着いている。
はしゃいだり、騒いだりということは滅多にないし、学校で何かやらかして親が呼び出されるということもまずない。
たまに呼び出されることがあっても、その内容は学校全体で親と面談をしているという時か、なんらかの賞を取ったときくらいのもので、それ以外の時は、親の手が必要になるという事はほぼほぼ無い。
成績も完璧という程ではないものの優等生の部類に入り、友人も少なくはない。両親が時折困っていることはないかと聞いても大抵は「ない。大丈夫」としか返ってこない。天城とは二歳差で、現在中学三年生ではあるが、正直なところ、明日から同じクラスに通うことになってもそれなりになんとかしてしまうのではないかと天城はひそかに思っていた。
そんな伊織理だが、こうやって隣で見ていると、やっぱり年相応だなとつくづく思う。
ソファーに座っているからというのもあるかもしれないが、身長差もあって、天城から伊織理の顔を見ようとすれば微妙に見下ろすような格好になる。
それなりに伸びた黒髪と。左右対称の小さな三つ編み。愛嬌を感じさせる整った目鼻立ち。そこだけならば幼さは余り感じられないのだが、身体が未発達なことだけは隠せない。
身長だって天城より大分低いわけだし、胸も正直殆どないに等しい(本人はこれから成長すると主張している)。考え込む仕草も、かっこいいというよりは可愛く見える。やはり、まだまだ中学三年生であり、天城の妹に他ならないのだ。
やがて、考えがまとまったのか、顔をあげて、
「お
天城は腕を組んで、
「応援……まあ、そういうことにはなるのか?一応、どっちにつくのかって言われたら、久遠寺の方になるが」
「その久遠寺って人、お兄が去年、ちょっかい出した人だよね」
「ちょっかいとは人聞きが悪いな。少し、本性を暴いてみただけだ」
伊織理はふぅと息を吐いて、
「そういうのをちょっかいっていうんだよ。いったいその人のどこがそんなに気に行ったのさ」
「気に入った、って訳ではないけどな。ただまあ、そこそこ良いものを書くんでな。それが気に入ったと言えば、そうなのかもしれないな」
伊織理は暫く天城の顔をじっと見つめ、
「お兄はさ」
「なんだ?」
「もうちょっと、素直に生きてもいいんじゃないの?」
天城は笑い飛ばし、
「何を言うんだいきなり。俺は本音で生きてるぞ。そのせいで余りモテないがな」
しかし、伊織理は全く納得せずに、
「本音で生きてるねえ」
「なんだ。そう見えないか?」
「見えないねえ」
即答だった。天城は深追いする。
「具体的にどの辺がだ?」
「具体的にって言われても難しいけど……例えばさ、その……何ていったっけ。プロの作家さん」
「鷹瀬か?」
「そう。作家さんとしての名義は南野円?だっけ?その人だって良いものを書くんじゃないの?だって、曲がりなりにもネット小説大賞を取った人でしょ?」
「それはまあ、そうなんだろうな。でも、」
「信頼できる人が駄目だって言ってたから、そっちの応援はしない、と」
「……まあ、それだけではないが、そういう面もあるな」
「だったらさ、もし。もしだよ。その人が久遠寺って人を褒めなくて、南野円の方を褒めてたらどうしたの?南野円を応援した?」
「それは……」
少しの間。
「そもそもあそこが出会う事は無かったんじゃないか?」
「まあね。だから、もしってこと。なんなら南野円は置いといてもいいよ。久遠寺って人がもしも、その人にダメダメだって言われてたら、お兄はどうした?見捨てた?」
やや長い間。
「……それは……それでも、久遠寺を見捨てるって事は無いだろうな。最初にあいつの書くものを見た段階で、そこは変わらんと思う」
「それなら、南野円って人がもっと良いものを書く人だったら?その時はそっちに寝返る?」
「それは……」
言葉が止まる。伊織理がため息をつき、
「まあ、そんな単純なことじゃないのは分かってるけどさ。けどさ、お兄」
「……なんだ?」
「その久遠寺って子はさ。多分、お兄の事結構信頼してると思うんだよね。だから、あんまり軽く扱わない方がいいと思うよ」
天城は鼻で笑い、
「あいつが?ないない」
「そう思うよね。でも、多分お兄が思ってるより、ずっと信頼してると思う。じゃなかったらアドバイスなんて頼まないよ。最近知り合ったばかりならまだしも、お兄と久遠寺って人は前に色々あったんだから。普通なら、ね」
間。
伊織理が続ける。
「お兄はさ、変わったよね」
「そうか?」
「うん。変わった。凄く変わった。でも本質は変わってない。お兄はもっと心をゆるして、素直に生きた方がいいと思う」
「なんのこっちゃ?」
抽象的過ぎる。
伊織理も分かっているのか、
「私の感覚でしかないけどね。まあ、頑張って」
あっさりと話を打ち切る。
天城は苦笑しながら、
「なんでそんな上から目線なんだ」
「上から目線じゃないよ。妹として、応援してる」
「そうかぁ?」
伊織理はふっと微笑んで、
「そうだよ」
いつも思う。
この笑顔がもっとみんなにも向けられたらいいのに。
天城は一度だけ、友達を家に連れてきた時に出くわしているから分かる。伊織理は友達の前ではまずこんな笑い方はしない。
どころか、笑うということすらないように見えた。別に仏頂面をしているわけではないが、余り表情を変えず、感情を出さずにいたのは今でも覚えている。自分と話しているときはそんなことも無いのだが。
天城は立ち上がり、
「さて、と」
「部屋、戻るの?」
「戻るのってか、引き留められたんだろ?」
「まあ、そうだね。ありがと、付き合ってくれて」
「どういたしまして」
部屋へ戻ろうとし、
「そうだ」
たところで呼び止められる。
「なんだ?まだ何かあったのか?」
「うん。大したことじゃないんだけどさ。
喉が鳴る。
二、三回瞬きし、
「そ、そうなのか?」
「らしいよ。なんか、お母さんが言ってた。連絡、あったんじゃない?」
「そう、か」
沈黙。
父親が新聞紙をめくる音が、母親が食器を片付ける音が、時計の秒針が時間を刻んでいく音が、テレビに出ている芸人の漫才をしゃべる声が、火の用心を告げる消防団の声が、走り去るバイクの音が、全て鮮明に聞こえる。
どれくらいたっただろう。数分かもしれないし、数時間かもしれないし、もしかしたら数秒も経っていないかもしれない。天城は直前の話など無かったように、
「じゃあ、部屋、戻るわ」
伊織理もあっさりと、
「ん。じゃあね」
意識をテレビ画面へと移していく。そんな姿を確認し、天城は忍びのような慎重さでリビングから退散する。
伊織理がぽつりと、
「……久遠寺さんは、明日香姉みたいに優しいとは限らないんだよ、お兄」
そんな、聞き手のいない語りかけはテレビから溢れる、漫才に笑う観客の声にかき消される。伊織理はその辺に転がっていたクッションを引っ張ってきて抱え込み、ずり落ちそうな位に深く、ソファーに座り、決して笑うこともなく漫才を見つめる。漫才師が、その難敵を攻略せんと、手を変え品を変え、笑わせにかかる。
食器の整理が終わった母親がやってきて後ろから、
「それ、面白いの?」
「さあ?」
内容など、どうでもよかったのだ。
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