33.過去の清算をしなくちゃいけない。
「缶コーヒー……」
缶コーヒーだった。
そして、そこから少し離れたところにベンチがある。全校生徒にアンケート調査をしても、恐らくは半数以上がその存在について「知らない」と回答するであろうそれの存在は、実のところ天城も今の今まで知らなかった訳なのだが、どういう訳か
正直なところ、天城は「もっと他の場所があるだろう」と思ったし、実際喫茶店あたりの方がいいだろうとも提案した。ところがこれは、鷹瀬にやんわりと否定されてしまった。そして、少し待っててほしいと言ってどこかへ消えた彼女が、持ってきたのが、
「缶コーヒーよ?」
缶コーヒーなのだった。鷹瀬は口に、「やっちゃった」とでも言いそうな具合に手をあてて、
「あ、もしかして甘いやつのほうが良かったかしら?」
「いや、別にこれでいいけど……」
「じゃあ、何?」
「いや……別に俺は何もコーヒーが飲みたくて喫茶店とか言ったわけじゃないぞ?ほら、ここだとちょっと寒いだろ?だから、その方がいいかなって思ったんだが」
鷹瀬はそんな事は分かっているという感じで、
「ええ。だからほら、あったかいのにしましたよ?」
「まあ、それはそうなんだけど」
何でだろう。どうも鷹瀬には「喫茶店にいく」という選択肢は端から存在していないらしい。
これ以上引っ張っても仕方ない。そう思って天城は話を切り出す。
「……で、だ。鷹瀬。お前は一体何を知っていて、何を知らないんだ?」
鷹瀬は意地の悪い笑いを浮かべ、
「どこまで知っていると思います?」
天城は立ち上がり、
「……帰る」
「冗談です。だから、ほら、座ってくださいな」
天城は振り返る。そこには余裕の色を浮かべた鷹瀬の笑みがある。
ため息。
天城は再びベンチに腰掛け、
「……分かった。ただ、あんまり勿体つけるなよ?寒いには寒いんだから」
「分かりました」
一呼吸。
「まず、そうですね……私の話からしておいた方がいいでしょうね。天城さん」
「なんだ?」
「単刀直入に聞きます。どこまで知っていますか?」
難しい。天城が知っていることと言えば、鷹瀬の父親が自殺したということと、そのペンネームが、母親の旧姓を使用したものであるということくらいのものだ。その二つは恐らく鷹瀬にとってはとても重要な話である。
しかし、それらをここで出してしまって良いのかが分からない。これを天城に教えてくれたのは鷹瀬ではなく、編集者・
と、いう訳で、
「どこまで……って言われてもな」
誤魔化す。しかし鷹瀬は、それもお見通しといった具合に、
「ちなみに、二木が貴方に色々と話したことは、既に知っていますよ」
「……それ以外だと、ファンクラブのことくらいだ。
「ええ」
「あいつを含めた数人とはその、」
「普通に友人関係にある……ということを聞いたんですね?」
「……俺に聞く必要あったのか?これ」
鷹瀬は笑って、
「一応、ですから。それ以外は特にありませんね?」
「ああ、後はうちの生徒なら誰でも知っているようなことだけだ」
「分かりました」
沈黙。
やがて、ぽつりぽつりと鷹瀬は語り出す。
「……実は私も、父の身に何があったのか、詳しくは知らないんです。親子、ではあったのですが、父が忙しい身であったこともあって、物心ついてからは、あまり会う機会が無かったんです。そんな父が私にしてくれたことの一つに、身辺調査がありました」
「……身辺調査?」
「ええ。父は私が高校に進学するに伴って、同じ学年に属するであろう生徒、それから親の素性を調べさせたんです」
「何でまた」
鷹瀬は苦笑して、
「恐らく、過保護だったんだと思います。私は一人娘でしたから。その娘が、変な男についていってはいけない。そう思ったんでしょう」
なるほど。
その感情は恐らくどの親にも少なからずあるものだろう。我が子に、間違った道を進んでほしくない。変な人間と仲良くなってほしくはない。まっとうに生きてほしい。ただ、鷹瀬の父親は、それを具現化する力が備わっていた。だから、身辺調査という形で実践したのだろう。
鷹瀬は尚も語る。
「その中には当然、軽めの調査だけで終わっている人いれば、詳しい調査をしている人もいました。恐らくは中学校時代、なんらかのトラブルに巻き込まれた、あるいはそのトラブルを起こした生徒に関してだけ、重点的な調査を行ったんでしょう」
言いたいことが掴めてきた。要は、
「俺はその詳しく調査された一人だと。そういう訳か?」
首肯。
「そうです。あ、気を悪くしないでください。多分、この調査は、トラブルの質とかは一切無視して行われていますから」
「気にしてないから大丈夫だ。それで?その詳しい調査対象になったのは俺だけだった……ってことは無いよな?」
鷹瀬はふうっと息を吐き、
「察しが良いですね。そうです。その対象には、恐らく貴方の想像通り、
からくりが見えてきた。
天城は先回りをするように、
「つまり、その調査を見ていた鷹瀬の目から見たら、俺とあいつは、今みたいになるように見えた……ってことか」
「端的に言うと、そういう事になります」
天城は思わず、
「なんで今になってそれを言うんだ?」
ところが鷹瀬は全く表情を崩さずに、
「一応、念は押しましたよ?本当に貴方はあの女の味方をするつもりかって」
言われただろうか。
少なくとも天城は余り記憶に無かった。
しかし鷹瀬はそんな反応にも全く動じずに、
「……まあ、私もはっきりとは言いませんでしたし、覚えていなくても無理はありません。それに、貴方たちの協力関係が瓦解してくれるのならば、私にとっては好都合でしたから」
「まあ、実際は鷹瀬にとってなんの旨味もない時期に瓦解したわけだがな」
「そうですね」
鷹瀬がふふっと笑う。その姿はとても“あの鷹瀬”には見えない。
天城は更に踏み込み、
「なあ、鷹瀬」
「なんでしょうか?」
「お前は言ったよな。俺とあいつが、その……今みたいになるように見えたって」
「ええ」
「どうしてそう見えたんだ?まあ、確かに俺とあいつの相性は最悪だったかもしれないが……」
鷹瀬は首を横に振り、
「最悪、ではないですよ。恐らくは」
「そうかぁ?」
「ええ。多分、貴方と久遠寺の相性は、本来的には良いはずです。ただ、上手くかみ合うまでに時間がかかる、というだけで」
「それもその、身辺調査とやらで分かったのか?」
「いいえ」
否定されてしまった。鷹瀬は続ける。
「身辺調査はあくまで上辺を調べただけのものに過ぎません。だから私は、その情報を元にある程度の推測をした、という訳です。貴方や、久遠寺という人間について、ね」
「推測ねえ……」
天城はそこでふと思い出し、
「そういえば、だけどさ」
「はい」
「鷹瀬って確か、あいつに負けず劣らず告白とか受けてたよな?けど、ラブレターの一部は破って捨てていた。それってもしかして」
鷹瀬は実に満足げに笑い、
「恐らく想像している通りです。私が持っていたのは同学年の生徒に関する情報だけ。しかも、詳しいことが分かるのはある程度“目立つ”人に限ります。だから、そうではない、判断する情報に欠ける人から送られたラブレターは、申し訳ないですけど、破って捨てていました」
「……破ることはなかったんじゃないか?」
否定。
「そんなに数が無いのなら、それでも良かったとは思います。ただ、私の場合、数が多かった。それに、私は誰かと付き合うつもりは一切無かった。だから、その意思を、はっきりと示しておいた方がいい。そう思ったんです。まあ、いざとなれば父が何とかしてくれると思っていたところもあるとは思いますが」
なるほど。
確かに撃退法としてはこれ以上ないかもしれない。告白を一度断っただけならば、仲良くなって、もう一度告白すれば成功するかもしれないという可能性を残してしまうだろう。
ところが、ラブレターそのものを破り捨ててしまえば、脈が無いことがしっかりと伝わる上に、同じことをしようと考えていた連中に「お前らも送ってきたらこうなるかもしれないぞ」とくぎを刺すことが出来る。もちろん、その代償として鷹瀬自身にヘイトが向かう可能性も否定しきれないが、鷹瀬の場合はそれがいい方向に向かったようだった。
天城は、ずっと手元で弄んでいた缶コーヒーを開け、一口、
「ちょっとぬるくなったな」
「まあ、冬ですからね」
鷹瀬は自分の持っていた缶コーヒー(こっちは甘いやつだった)を開けて一口飲むと、それを両手で支えるようにして持ちつつ、
「彼女……
天城は視線を動かしながら考え、
「今の俺や鷹瀬ってことは……」
鷹瀬の方を向き、
「え、アレ?」
鷹瀬はこくりと頷き、
「そうです。アレです」
天城は歯切れも悪く、
「いや、だって、え、アレでしょ?あの口も悪ければ態度も悪くて、すぐ暴力をちらつかせる割には、ミョーなところで純粋な感じの、アレだろ?」
「……貴方、普段どういう目で彼女のことを見てるんですか」
「いや、でも間違ってはいないだろ?」
鷹瀬は思わず笑みをこぼし、
「まあ、そうですけど……」
一つ、缶コーヒーに口をつけ、
「彼女は中学校時代、物怖じしない性格だったらしいです。それが具体的にどのようなものを指し示しているのかは、私には分かりません。しかし、中学校三年生のある日、彼女は大げんかをします」
「大げんか……?」
「ええ。細かい内容までは知りませんがね。ともかくそれ以降、彼女は随分と様変わりしたらしいです。記録だけを追うのであれば、学校自体もそんなに行っていなかったみたいですね。それに、高校も、本当は級友たちと同じところに通うつもりだったらしいんですが、全く違うところ……つまりはうちの学校ですね。ここを選択して受験し、合格。そして、今に至る……という訳です」
「……それで、今みたいな感じになった、と」
「そういうことです。ここからは私の推測になりますが、恐らく彼女は嫌がったんでしょうね」
「嫌がった?」
「ええ。中学時代の彼女は全く自らの本音を隠さない性格だった。でも、結果としてトラブルを招いた。だから、彼女はその性格を封印して、言ってしまえば“受けのいい性格”を演じることを選んだ……んじゃないかと私は思ってます」
中学時代のトラブル。
性格。
演じる。
それらのフレーズがざっくりと天城に突き刺さる。久遠寺という人間は、表向き“完璧”に見える。しかし、天城は分かっていた。それがきっと“演じた”ものであるということを。だからこそちょっかいをかけたし、だからこそ今回も、
「……そこまで分かってる……ってことは当然、俺のことも知ってるってことか」
「まあ、そういうことになりますね。この二人は特に念入りに調べたみたいですよ。調べられるもんなんだなって感心したくらいです」
天城はふっと、空を見上げる。残念ながら青空は殆ど見えず、見るからに厚そうな、もうちょっと数が増えたら雨か、もしかしたら雪でも降らしそうな雲がびっしりと広がっている。隙間から辛うじて見える青も、心なしか暗く見える。十二月だからか。あるいは、天城の心がそうさせているのか。
全身でふうっとため息をつく。
頃合いなのかもしれないと思った。
「なあ、鷹瀬」
「なんでしょう?」
「少し、昔話を聞いてくれるか?もしかしたら、殆ど知ってる話かもしれないが」
「ええ、構いませんよ。もしかしたら私は、それを聞きに来たのかもしれませんしね」
「そうなのか?」
鷹瀬は口に人差し指をあてて微笑み、
「さあ、どうでしょう?」
天城はつられて笑う。もしかしたら彼女にはかなわないのかもしれないとつくづく思う。
「俺には分からんな。まあ、そのうち分かるだろ」
沈黙。
二人して手元を眺める。最初は温もりを感じられた缶コーヒーは、すっかり冷めてしまった。
天城は勢いをつけるように自分の缶コーヒーを一気飲みし、
「んじゃ、まあ、はじめるか。昔話を」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。