22.空回り、遠回り。
二人への意思確認が一人の賛同と、一人の無回答に終わったことを受けて
「さて、それじゃ順を追って話そうか。とは言っても、彼女のプライベートな事も含まれて来るからあんまり踏み込めないし、そんなに多くは語れないんだけどさ」
店員が来て新しいコーヒーを二木の前に置く。二木は店員に一礼し、今さっき入れたばかりと思わしきコーヒーに口をつけ、「あち」と小声でつぶやいてカップをテーブルに戻してから、
「彼女、
天城は首肯し、
「はい。一応は」
「それじゃあ、その大賞を取った時の名前は知ってるかな?」
「……
「うん。その名前を使い始めたのは、それよりちょっと後なんだ」
少しだけ自分の記憶を探った後、
「……多分、知らないです」
「まあ、そうだろうね。その時のページはもう無いし、初期から追ってた人じゃないと多分知らないものだからね。彼女は”purplehawk”ってアカウントで投稿してたんだよ、昔はね」
「パープル……って、名前まんまですね」
二木は苦笑して、
「そうだね。多分、そんなに真剣には考えなかったんじゃないかな。まあ、最初は得てしてそんなもんだと思うよ?凄く綺麗なペンネームを最初から持ってる人なんてそんなにいない気がするな。僕はね」
そこまで言って、再びコーヒーに口を付ける。今度は熱くなかったようだ。
天城は疑問をぶつける。
「でも、何で名前変えたんですか?やっぱり気に入らなかったから、ですか?」
ところが二木は首を横に振り、
「いいや。別に特段気に入ってた訳じゃなかったみたいだけど、それでもわざわざ名前を変えるほど嫌いでも無かったはずだよ。だから、嫌いだったから変えたとか、そういう事は全然無いと思う」
「それじゃあ、どうして変えたんですか?」
「それはね」
二木が話を続けかけて、
「そういえば、天城くんもおかわり要るかい?」
余りに突然の事に驚き、
「え?あ、えっと、はい」
対応が雑になる。二木はそんな事は気にもとめずに店員を呼び、天城の分のおかわりを頼む。店員は嫌な顔一つせずに注文を受けつけ、天城の前にあったカップを持って下がっていく。二木はそれを見届けることなく、
「で、なんだっけ」
随分とマイペースである。
再び
「鷹瀬のペンネームが変わった訳」
二木はポンと手を叩き、
「そうだそうだ」
そのまま自然な流れで会話を再開する。
「彼女がペンネームを変えた理由はね、家庭環境にあるんだ」
「家庭……環境ですか?」
随分とまた、意外なワードが出てきたなと思う。
鷹瀬
二木は続ける。
「そう。家庭環境。ホントはあんまりぺらぺらと喋るものじゃないとは思うんだけど、まあ天城くんなら、ある程度は大丈夫だろうしね」
天城は、意外な信頼に驚き、
「俺なら大丈夫って……何でまたそんな信頼を?」
「うーん。何だろうな。こういうのはなかなか説明しづらいんだけど、何となく、大丈夫かなって気がするんだ」
なんとも曖昧だった。しかし、それだけでは駄目だと思ったのか、
「後はまあ、星生くんが信頼してるみたいだから、まあ、大丈夫かなって」
天城は相も変わらず会話に参加してこない星生に、
「信頼してる?俺を?」
星生は手元の飲み物に半分くらい意識を置いたまま、
「うん」
一応の肯定。天城は余り納得をしなかったが、二木はそれでよしと思ったのか、
「っていう訳だから、話しちゃう。あ、一応、本人には内緒ね。僕が喋ったの知ったら、多分数日は僕と口すら聞いてくれないから」
駄々っ子かと突っ込みたくもなる一方で、「数日間口をきかなくなった鷹瀬の姿」が容易に想像できてしまったので、何も言わなかった。
どこかで複数の椅子が動く音がする。店員がパタパタとレジの方へかけていく。
「多分イメージ通りだとは思うけど、鷹瀬くんは割と裕福な家の生まれなんだ。お父さんが会社の社長さんでね。だから、彼女はいわゆる”良いところのお嬢様”として育てられた」
言葉を切る。
「ところがね、彼女がネット小説大賞を取った頃、そのお父さんが亡くなった」
いきなり話が重くなる。天城は何かを押し流そうとして、飲むものを求めたくなったが、手元にコップは無い。
二木は続ける。
「自殺、だったそうだ。この辺の詳しい話はちょっと省くけど、ようは経営が全く立ちいかなくなってたらしいんだよね。だけど、そんな事を妻にも子供にも話せずに、そのまま亡くなった。遺書も残ってたって話を聞いてるよ」
天城は両手を握りしめるように合わせる。気が付かないうちにその手には汗がじっとりと浮かんでいる。
二木はさらに続ける。
「そこからは大変だった。まあ大変だったと言っても、多額の借金が鷹瀬や、そのお母さんにのしかかったとか、そういう事は無かったんだけどね。だけど、まあ、事後処理がとにかくね。幸いその頃にはもう鷹瀬がネット小説大賞を取ってて、僕が編集としてついたころだったから、うん。僕が色々立ち回ったりもしたんだけどね」
さらっと言ってのける。
しかし、実際問題としては相当面倒だったのではないだろうか。
鷹瀬の父親は、少なくとも途中までは順風満帆の経営を行っていたはずで、その規模はそれなりに大きかったはずである。それだけの会社を経営していた男が自殺を決意するほどの苦境である。本来、立ち回ったの一言で済まされるようなものでもないはずなのだ。目の前にいる、パッと見何の変哲もない男は、一体どこまでの深さを持っているのだろうか。
二木は話し疲れたのか、手元のコーヒーに口を付ける。
一瞬の静寂。星生は相変わらず我関せずの態度を貫いている。そんな中天城だけが手持ち無沙汰で宙ぶらりんだ。ドアに備え付けられているベルがからんころんと音を鳴らす。店員が駆け寄って挨拶をする。いらっしゃいませ。何名様でしょうか?当店全席禁煙となっておりますが、よろしいでしょうか。それではご案内します。店員がキッチンに一声かけて、新たな客を席へと案内する。どこかで注文が決まったのか店員を呼ぶ声がする。少々お待ちください。ただいまお伺いします。
「失礼します」
どきりとした。声がした方を向くと、先ほどとは違う店員がそこにはいた。手にはコーヒーの入ったカップがある。どうやら先ほど注文したおかわりを持ってきたらしい。
「こちらおかわりのコーヒーになります」
店員はそこまで言って視線を迷わせる。天城はとっさに、
「あ、自分です」
迷っていた視線は天城の前で固定され、
「こちら、どうぞ」
すっと差し出す。天城は軽く会釈する。店員は、
「ごゆっくりどうぞ」
とだけ言い残してテーブルを去っていく。天城はちょうどいい止まり木でも見つけたかのようにカップに手を付け、飲もうとして、
「熱」
二木が笑って、
「だよね。いや、悪い事じゃないんだろうけど、最初はちょっと熱くて飲めないんだよね。ここのコーヒー」
天城もつられて笑う。いや、笑いを顔に貼り付ける。カップはテーブルに置きなおした。
二木は「さて」と仕切り直し、
「南野っていうのはね。鷹瀬のお母さん。その旧姓なんだ」
息が止まった気がした。
「いつだったかな。彼女がペンネームを変えたいって言いだしてさ。最初は僕も基本的には変えない方がいいって言ったんだけど、でも、変えるなら今しかない、自分はこの名前で勝負したいって。そう言ってきてさ。それでも僕は反対したんだよ?でも、彼女がどうしてもっていうから、最終的には折れるような形で今のペンネームになったんだ」
二木は窓の外を眺めながら、
「多分、彼女は空回りをしてるんだと思う」
「空回り……ですか?」
「そう。空回り。一作目は流石に作った後だからそういう事にはならなかったんだけどね。それから作ったものはもう全部。空回りしちゃってる。多分、結果が欲しいんじゃないかな。南野円として、作家として、目に見える結果がさ。それこそ売り上げみたいな形で。だから、売れそうな傾向を見て、話を変えちゃう」
天城は漸く合点がいき、
「……だから、あんな話になってたんですね」
「ん?」
「ああ、いや」
やや言葉に詰まりつつも、
「今ちょっと俺のまあ……クラスメートと、鷹瀬が勝負みたいなことをしてまして、」
説明しようとするが、
「うん、知ってるよ」
「それで……え?」
「知ってる。と、言うか、その話が今日の本題だから。だよね、星生くん」
既に自分の注文したものは平らげ、いつの間にか頼んでいた水をちょびちょびと飲んでいた星生は淀みもなく、
「そう」
とだけ受け答える。二木はそれに続けるように、
「本題はね、鷹瀬くんの空回りが彼女自身だけでなく、周りにも大きな影響を与えてるってことなんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。