Ⅶ.作家の意地、読者の好み

21.編集者はパンケーキがお好き。

「さ、どれでも遠慮しなくていいよ。僕がおごるから。ああでも、あれだな、きちんと食べきれる量にはしてね。ほら、多分ここ、持ち帰りとか、そういうのには対応してないと思うからさ」


 一息ついて、


「ちなみに僕のお勧めはこれかなぁ。キャラメルバナナ。パンケーキも勿論美味しいんだけど、このバナナがまた美味しくて。きっといい物使ってるんだと思うんだ。だから、他のものにしようかなって思っててもつい、これにしちゃうんだよね」


 更に一息ついて、


「後ここね、朝はなんと食べ放題やってるんだよ。パンケーキの。驚きだよね。僕も朝には来たことが無いんだけど、興味があったら来てみるといいよ。何せ食べ放題だからね。うん」


 更に更に一息ついて、


「まあ、ゆっくり選んでくれていいよ。僕はもう、今日はやることないからさ」


 そこで漸く星生ほっしょうが口を挟む。


「読むものがあったんじゃないの?」


 男は痛い所をつかれたといった具合に頭を掻き、


「まあ、あるんだけどさ。ちょっと、読んでばっかだと疲れるから。今日はもう、おしまいなんだ。うん」


「……この間みたいにならないといいけど」


「あっはははは。まあ、気を付けるよ」


 一連の会話(八割がた一人で喋っていただけだが)を見ていた天城はつくづく思う。


 一体どうしてこんなことになったのだろう。



          ◇     ◇     ◇



 事は数時間前に遡る。


 星生から連絡を貰った天城は、久遠寺に一つ断わりを入れ、言われるままに門山出版の本社ビルを訪れていた。ちなみに以前天城がアポもなにもなしに、身一つで文句をつけに行ったのは違う出版社である。


 出版社にたどり着くまでは順調だったのだが、そこからが問題だった。


 何しろ天城はまた、アポもなにも無い状態で乗り込んでいたからである。


 いや、一応、あると言えばあるのだ。天城がここに来たのも、元を正せば星生に呼び出されたからであり、その星生は門山に高頻度で出入りする、いわば常連のような存在なのであり、その星生から指定されて来ているのだから、当然話は通っているものだとばかり思っていた。


 しかし、


「そのような話は承っておりませんが……」


 これである。


 天城は受付の人に追い返される運命なのだろうか。


 しかし、前回とは状況が違う。天城も食い下がる。


「いや、でも、直接呼ばれたんですけどね……ほら」


 天城は動かぬ証拠でも突き付けるようにして、スマートフォンの画面を提示する。そこには天城と星生のやりとりが映っている。それでも、


「と、言われましても……」


 駄目だった。


 元々、そんな気はしていた。


 そもそも天城が提示したのは無料通話アプリの画面に過ぎず、いくらその名前が天城と星生になっていて、そのやり取りが「星生が天城に対して門山出版のビルを指定した」という事実を指し示していたとして、それだけでは証拠しては不十分なのだ。


 星生という名前は別に本人を示すとは限らず、たまたまそういう名前で通話アプリを使っている友人がいるのだろうと言われてしまえばそれまでだし、もし、仮に本人とのやりとりであっても、その待ち合わせがビルのどこでなのかについては明記がない。極端な話、エントランスなのか、ビルのどこか会議室なのかも、ここからでは全く判断が出来ない。そして、そんな話は一切聞いていないときた。


 そうなってくると受付係としては天城を通すわけにはいかない。


 所詮は一出版社だが、されど一出版社なのだ。


 作者の作品から、新連載の情報まで、あらゆる情報を取り扱っていることに変わりはないし、そこに「絵師の友人かもしれないけど、違うかもしれない男」を、正式なアポもなしに通してしまうことは、当然受付としての責任問題にもかかわってしまうかもしれないし、首が関わらないと断言する事も出来ない。

 

 だからこそ、ここで門前払いする。その選択は決して間違ったものではないはずである。


 ただ、それでは天城が困る。


 とはいえ、このままここでゴネても結果は見えている。


 だから、取り敢えず、星生に連絡を、


「いた」


「お、彼かい?星生くんが言ってたのは」


 声がする。


 天城は思わず振り向くと、星生は、


「すまない。ここで待っているつもりだった」


 一人の男性と一緒に天城の元へとやってくる。


「いやぁ、僕からも謝るよ。ゴメン。星生くんとの話がちょっと長引いちゃってね。すまない」


 そう言って頭を下げる。


 誰だろう。


 少なくとも天城とは面識がない。ただ、向こうはある程度天城のことを知っている風だった。受付にも一言謝りを入れたうえで男は続ける。


「あ、そうか。自己紹介がまだだったね。ちょっと待ってて」


 懐をごそごそと捜索し、


「あったあった。こんなもので僕の紹介になるかは分からないけど、」


 発掘された名刺入れから一枚、名刺を取って天城に差し出す。天城は思わず、


「は、はあ。どうも」


 軽く会釈しながら、両手でそれを受け取り、


二木ふたき浩平こうへい……?」


 まじまじと眺める。


 まず最初に名前に目がいく。


 二木浩平。


 どこにでもあるような名前だが、どこかで見たような気がするし、脳裏にそんな記憶が潜んでいるような気もする。どこで見たのかはちょっと思い出せない。


 続けて役柄に目線を移す。そこには大きく編集者と書いてある。なるほど。確かに出版社から出てくるとなれば、可能性としては作者か編集者の可能性が高いだろう。星生と共にきて、天城に挨拶をする編集者というのはちょっと想像しがたいが、漫画家や小説家はもっと想像しづらい。


 更に周辺の情報に意識をやる。そこにはキャラクターのデフォルメ絵が描かれている。恐らく、彼が担当した作品のメインキャラクターだろう。しかし、このキャラクターどこかで……


「あ」


 思い出した。


 間違いない。この子は『Live&Life』の主人公。白里あけさと愛理あいりである。久遠寺ほどではないものの、天城もこの作品は気に入っているし、評価もしている。そして、同時に、何故“二木浩平”というどこにでも有りそうな響きが、妙に耳になじみがあるのかも思い出した。


「一応、編集者やってます。最近だと、『Live&Life』とかにも一枚噛んでたりするんだけど……知ってるかな?」


 なんてことはない。二木浩平は、その筋ではかなり有名な編集者だったのだ。



          ◇     ◇     ◇



 時は現在に戻る。


 天城にとって、二木浩平との出会いはそれなりに衝撃的であったし、編集者としても興味のあった存在との突然の邂逅に面食らっていたところもある。それでも、平生は保てていたと思うし、天城と星生の話し合いに、彼が飛び入り参加すると言われても、そんなに驚きはしなかった。


 では何に驚いたのかといえば、その場所である。


 天城はてっきり、門山出版の会議室を使うか、そうでなかったとしても、その辺の喫茶店で適当に済ませるくらいのつもりでいた。時期が時期なので、流石に外でというのは想定していなかったし、星生も、二木も、そのつもりは無かったはずである。


 ところが、二木が、


「そうだ、ねえ天城くん」


「えっと、なんでしょう?」


「パンケーキとか好きかな?」


 突然こんな話をしだしたのだ。余りの突拍子の無さに天城は思い浮かんだ言葉をそのまま口にする。


「あ、えっと。まあ、それなりに」


 二木はそんな言葉を賛同と捉えたのか、幾分楽しそうに、


「そうか、よかった。それじゃあさ、ちょっとついてきてくれるかな?この辺にお勧めの店があるからさ。奢ってあげるよ」


「はぁ」


 この時点で天城の思考回路は全く追いついていなかった。


 そもそものはじまりは、天城が星生に連絡をし、星生が天城を門山出版に呼んだことが始まりだったはずだ。にも拘わらず、いつのまにか話の主導権は二木に移っていたし、行く店もあれよあれよという間に決まってしまった。


 正直な所、反論しても良かったし、普通に二木の参加を突っぱねても良かったとは思うのだが、


「そこにしよう」


 天城をここに呼んだ当事者がこのノリなので、すっかりそのタイミングも逃してしまった。もっとも、天城が知らないだけで、二木には何か話す事があり、それが天城や星生にとって益となるのではないかという判断も確かにあったと今になってみると思う。


 と、いう訳で、天城たち三人は、出版社から少し歩いたところにある、パンケーキ専門に来ていた。二木によれば、パンケーキ好きのみならずスイーツ好きからもかなりの評判で、休日には行列が出来ることもあるくらいの店であるという。


 今日は幸いにして平日で、時間も日が沈むか沈まないかという夕方だったこともあってか、並ばずに入ることが出来たが、それでも店内の人口密度は結構なものだった。


 ちなみにその客層は半分以上が女性だけの来店で、残りはカップルと、家族連れが主で、間違っても学生二人と、恐らく40歳はいっていると思われる、パッと見は有能編集者というよりは、うだつのあがらない中間管理職といわれたほうが納得しそうな二木を合わせた三人組は、凡そ浮いていると言ってよかった。最も、このメンツに、そんな事を気にする人間が混じっているのかと言われれば間違いなくノーであるが。


「……さて」


 三人ともがパンケーキを食べ終わった頃合いを見計らって二木が話を切り出す。


「どこから話そうか。順番が難しいね」


 星生がすかさず、


「鷹瀬の話からがいい」


「そうだね。そこからがいいかな」


 天城は膝の上に両手を置いて、


鷹瀬たかせの話、ですか?」


 意外だった。


 勿論、あり得ない話ではない。天城が記憶している限りでは鷹瀬がデビューしたのもこの門山出版であったはずだし、そういう意味では彼女が二木と接点を持っていたとしても何ら不思議はない。しかし、ついさっきまでは何の関係も無かった人物から、同級生の苗字が出てくることが、ちょっとだけ、想像の範疇を飛び越えていた。


 二木は縦に頷いて、


「そう。鷹瀬くん。知ってるかどうかは分からないけど、彼女の担当編集は一応、僕なんだ」


「二木さんが」


「うん。まあ、最初の編集は違ったんだけど……それは、まあ、いいや」


 一つ咳払いをして、


「んで、鷹瀬くんのことなんだけど、今あの子が二作品目を書いている……っていうのは知ってるかい?」


 天城は首を横に振り、


「いや」


「そうか。彼女は今二作目に取り掛かっている……正確には取り掛かっていたといった方が正しいのかな。実のところね、もう一回、完成した原稿を貰っているんだ。僕が」


「それだった、もう書き終わってるってことじゃないんですか?」


「そう、したいんだけどね。本当は。でも、こういっちゃなんだけど、その二作目は凄く迷走してたんだよね」


「迷走……ですか」


 そこまで言われて思い出す。そういえば、鷹瀬は星生に挿絵の依頼を断られていた。その原因は作品の質が良くないから。


「あの、具体的にどういう感じで迷走してるんですか?」


 二木は楽しそうに笑い、


「天城くん。突っ込んだことを聞くね」


 天城は思わず後ろ頭に手をやって、


「す、すみません」


「いや、いいんだよ。僕も話しちゃいけないことは話さないようにするから。えっと、なんだっけ」


 星生が、熟練アシスタントのようなタイミングの良さで、


「どういう風に迷走しているのか」


「そうだ。どういう風に、か……」


 二木は腕を組んで、背もたれに寄りかかる。どこかで笑い声が起こる。やがて、昔の自分にでも重ね合わせるように、


「多分、周りを見すぎてるんだと思う」


 全く要領を得なかった。天城はそのまま、


「周りを見すぎてる?」


 二木は背もたれに預けていた体重を取り戻し、まだ半分ほど中身が残っているはずのコーヒーカップを弄びながら、


「そうだ。鷹瀬くんは周りを見すぎている。というか、周りはこういうのを求めてるんじゃないかってことを考えすぎてる。自分の考えた話はそんなんじゃないのに、周りが求めるように、受けるようにって考えてどんどん袋小路に迷い込んでいく。その挙句に出来た作品は、いい作品になり得たはずの凡作以下のものになっちゃう。今の鷹瀬くんはそんな感じなんだと思うんだ」


 そこまで言って、残っていたコーヒーを一気に飲み干す。それでも足りなかったのか店員を呼び、おかわりを要求する。どうやら無料らしい。天城はそんな二木に、


「……どうして」


「ん?」


 二木がカップを店員に渡し、正面に向き直る。天城は続ける。


「どうして、そんなことになってるんですか?鷹瀬自身が最初に作る作品の原型は間違ってないんですよね?だとしたら何で、」


「そうだね」


 二木が両手を組み合わせる。その姿は少し、祈りにも似ていた。


 やがて、ぽつりと、


「ねえ、天城くん」


「なんでしょう」


「ちょっと長くなるけど、聞いてくれるかな。あの子……鷹瀬くんが、どうしてそこまで受ける事を意識するのか。いや、するようになったのか。その理由について」


 二木の目から冗談の色が消える。代わりに宿ったのは……悲しみ?


 天城は少しだけ考えて、


「……大丈夫ですよ」


 そう答え、星生を確認する。


「……なんだろうか?」


 いかにも甘そうな飲み物を追加注文していた。どこまでもマイペースである。

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