10.信者になっては並べない、追い越せない。
一方、久遠寺は納得がいかないようで、
「で、でも、既にものがあるんだぞ?それを直してった方が早いんじゃないの?」
「そう思うか?」
久遠寺はうんうんと頷く。天城はホワイトボードに引っ付いていたマーカーを手に取り、その蓋をとり、
「例えばだ、」
ぬぐいきれない汚れの目立つホワイトボードに数字を書き込んでいく。
50/100
5,000/10,000
50,000,000/100,000,000
久遠寺が怪訝な表情で眺め、
「……なにそれ?」
「ちょっとした例えだ。さて、この三つの分数だが、数字としてどれが一番大きいと思う?」
「数字として、」
久遠寺は数字の並びをじっと見つめ、
「……どれも同じじゃないの?」
天城はわざとらしく頷き、
「そうだ。どれも数字的には同じだ。全て約分してやれば1/2になる数字を意図的に三つ並べた」
久遠寺は口をとがらせ、
「それが、小説と何の関係があるんだよ」
「まあ、そう結論を急ぐな。それでだな、この三つの数字はどれも約分してしまえば同じものだ。だが一方で意味を付与させればどうだ?」
「意味?」
「そうだ。意味だ。例えばそうだな……50/100という数字は100点満点のテストで50点だったという意味で、5,0000/10,000という数字は10,000人収容できるスペースに5,000人の人間が入ったという意味で、50,000,000/100,000,000は、ある国の総人口中なんらかの集団がそれくらいの数いたという意味にしよう。そうするとどうだ?」
「……全然違う数字になる」
再び大きく頷き、
「そうだ。どれも同じく約分すれば1/2という数字になるし、全体における分子の割合は50%ということになる。しかし、意味が付与されればその数字は三つとも全く違ったものになる」
「……何が言いたいんだよ」
どうやらじれったいらしい。何となくもう少し引っ張りたくもなったが、そういう訳にもいかないだろう。天城は自慢げな笑いを浮かべながら、
「つまり、いかに約分した形が同じでも、その意味が違うのならば全く異なる作品になる、と言いたいわけだ」
ところが久遠寺は未だに呑み込み切れず、
「どういうこと?」
「つまり、久遠寺の作ってるものは約分した形は当然既存の作品と一緒だし、持たせた意味もほぼ一緒になってるってことだ」
久遠寺はすぐさま反論し、
「でもそれなら意味を変えればいいわけだろ?だったら、」
「勿論、そういう事にはなる」
久遠寺は途端に元気になり、
「ほら」
「それが、難しいって言ってるんだ」
「どうしてよ」
「さっき言ったろ?絡まってるって。約分された数字に持たせられる意味は何も一つとは限らないんだ。例えばだな……」
天城は再びマーカーでホワイトボードに、
「異世界転生?」
「そうだ。名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
「まあ、一応。あれでしょ?現実だとしょーもないやつが、異世界行って無双するやつ」
「……お前、人のこと言えないぞ」
口が悪すぎる。勿論異世界転生ものを悪く捉えればそういう言い方も出来なくはない。普通はもうすこし言葉を選ぶものだとは思うし、そもそもそんなものばかりでもないとは思うのだが、久遠寺の中ではそういう認識なのだろうか。無意識の毒舌とは何とも恐ろしい。
「まあいい。その異世界転生も様々な作品があるようには見えるが、約分した形はそんなに種類がない。あれなんかは”意味を持たせる”ことで別の作品にしている典型例だろうな」
「そうなの?」
「多分な。例えばそうだな……主人公は何の変哲もない高校生男子だったとする。その高校生男子が異世界に突然転生するわけだが、ここで質問だ。この高校生はどんな特技を持っている可能性があると思う?」
久遠寺は眉根をひそめて、
「そんなの、色々あり得るんじゃないの?何の変哲もないっていうくらいだから、とんでもない特技は持ってないかもしれないけど」
天城はびっと指さして、
「そう。その通りだ」
「何がよ。後指さすなや」
「何の変哲もない高校生が持つちょっとした特技は色んなものが考えられる。例えば、」
後ろから「無視かよ」という声が聞こえるが、右から左に聞き流し、
「射的?」
「そうだ。射撃でもよかったが、それだとちょっと普通の高校生とはいいがたいかもしれないからな」
天城はひとつ咳払いをして、
「主人公の彼は取り柄らしい取り柄が無かった。寧ろ成績は芳しくないし。運動だってあんまり自信がなかった。ところがそんな彼にも一つ、誇れることがある。射的だ。縁日とかに良くあるインチキくさい射的だろうがなんだろうが、百発百中。これだけは負けるような気がしなかった。けど、そんな特技は生かされない」
言葉を切り、続ける
「ある時、主人公は事故にあった。あっけないな。大したことのない人生だったな。生まれ変わるならもっと楽しい人生が良かったな。そんな事を思いながら意識が薄れていった。本来ならここで話は終わるはずだ。ところがどうしたことか主人公は再び目を覚ます。しかも冷たいアスファルトの上じゃなくて、ふっかふかのベッドの中でだ。主人公は不思議に思って体を動かすと、近くにいた美少女が止めに来る。まだ寝てなくちゃ駄目ですよ、と」
もう一度言葉を切り、更に続ける。
「主人公は不思議に思って訪ねた。ここはどこなんだと。少女は地名を答えるが聞き覚えが無い。そして、聞けば自分は道端に倒れていたのだという。そんな所を見つけて、放っておけず、家に連れ帰って介抱したのだと」
言葉を切る。続ける。
「そして、暫くそこで生活していると色んなことが分かってくる。そこは銃が支配的な世界で、銃を扱えなければ生き残れないような世界だと。そんな世界で美少女は落ちこぼれだ。座学は優秀なのだが、いかんせん実技が駄目だ。ところが主人公はどうだろう。射的というお遊びではあるが、その技術には自信がある。そんなことを言っても信用されなかったが、ある日、それを披露する場……まあ敵だとか魔物にでも襲われるのが妥当か。そういう場が訪れる。主人公は必死になって敵を倒す。美少女はそれを見て驚き、そして、提案するのだった。一緒に学校へ通わないか、と」
締めくくる。そしてちらりと久遠寺の方を見る。そこには今何をしているのかなんてすっかり忘れて話に聞き入る年相応の顔が、
「はっ」
おっと、気が付かれた。
「そ、それがどうしたのよ」
そして誤魔化そうとする。思考が飛んでいるのがバレバレだが天城はそこには触れずに、
「今の話はある程度のあらすじだが、これだって意味付けのうちの一つだ。元の形は”異世界に転生して主人公が自分の何気ない力を使って無双する ”ってだけだ。今やったのは射的だが、それ以外だっていくらでもできるだろう」
星生が唐突に、
「あやとりでも?」
「うおっと、いたのか」
「いた」
天城は思わず星生の姿をまじまじと眺める。その手には文庫本があり、途中指が挟まれていた。どうやらあんまり真剣には聞いていないらしい。それとも文庫本の扱いが適当なのか。
「っていうか、あやとりってなんだよ。のび○くんか。いや、確かに彼は射的も得意だけど」
「連想しただけだ。それで、どう?」
じっと見つめられる。余り感情の変化は感じられないが、何となく「期待」の色が混じっているような気がする。天城は「あー……」と少し考えた上で、
「あやとり……はなぁ……バトルとかにはつながらないからな。出来ないわけではないが、シュールにならないように気を付ける必要はあるだろうな。まあ、それよりも、転生なんかしないで、普通に女の子と仲良くなるためのツールとして使った方が面白いと思うがな」
どうやらそんな答えに納得したらしく、
「なるほど。ありがとう」
「どういたしまして」
天城は。久遠寺に向き直り、
「と、いう訳だ。今の例を見れば分かるだろう。意味付けは一つじゃないし、一見して独立しているように見える意味も、繋がっているってな」
「どういうことだよ」
「例えばそうだな……銃が支配的な世界に転生して戦う作品が既にあったとする。その作品はそうだな……落ちこぼれ警察官が転生することにしておこうか。仮に主人公が高校生と警察官という違いがあったとしても、それが発表されている以上、後から出てきた作品は正直パクりにみられるかもしれない。もし、そうならないとしても、まあ二番煎じに見えるだろうな。じゃあ、銃が支配的な世界を弄ったらいいかといえばそうでもない。当たり前だ。なんでその世界があるのかと言われれば、主人公の特技が射的だったからだ。転生する世界だけ変えたって意味が分からない。だから本来は主人公の特技から変えるのが手っ取り早いんだが、久遠寺がやろうとしている事は、世界の方だけを弄ってなんとかしようというやり方だ。出来なくはないが、正直お勧めはしない」
「なんで。別に良いじゃない」
「いや、駄目とは言っていないぞ?銃が支配的な世界には出来ない。だけど、射的が得意なことは残したい。そうなると、射的というかスポーツ的な銃利用がもっと浸透している世界とかになる」
「それでいいじゃない。何が駄目なんだよ」
「そうだ。ただ、これは”銃が支配的な世界に転生する既存の作品”を目指していなかった場合だ。言うまでもないが、今あげた例は、その既存作とはちょっと違った雰囲気を持つ。スポーツだから人は死なない。緊張感の種類も別物だ。それから技術レベルも違う可能性がある。前者は現代よりも時代が遡ったような世界になるかもしれないが、後者は恐らく現代と同じかそれ以上の水準にある世界だろう。全く雰囲気が違うんだよ。そうなると好きな作品に近いものは作れない」
久遠寺は漸く分かってきたようで、
「あー……」
「だから、作り直すべきだと言っているんだ。目標とする作品があるなら、なおさらな。まあ、それ以前に複雑に良いところと悪い所が絡み合ってるのをひとつづつ直すのは、作り直すよりずっと手間だってのもあるがな」
久遠寺は手元のノートとホワイトボードを交互に見つめ、
「やっぱ、一からか」
「そうだな。その方が早いだろう。単純な文字数を稼ぐのに時間がかかるように見えるかもしれないが、既存のものを直すのだって、全編にわたってチェックしなきゃいけないからな。まあ、そんなには変わらんだろうな」
久遠寺は救いでも求めるようかのように星生に視線を向け、
「葵もそう思うってこと?」
首肯。
「おおむね、同意見」
久遠寺は肩を落とし、
「マジかぁ……」
「そうへこむな。書いたものは基本、無駄にはならん」
「そういうモン?」
「そうだ。絵でも小説でも、経験が全くの無駄になることは、そんなにない。失敗だったとしても成功だったとしてもな。さて、」
天城はホワイトボードに書いてあった文字列をざっと消して、新たに
「好きなところ?」
「そうだ。もっと広く、好きな事といっても良いかもしれないな」
「って、どういうこと?」
「単純な話だ。そうだな……件のアニメ……名前なんて言ったかな……」
星生が横から、
「
「そう、それの具体的にはどこが好きなんだ?」
久遠寺は即答で、
「え?全部」
天城は鼻で笑い飛ばし、
「だから駄目なんだ」
「いきなり全否定とは良い度胸してんなオイ。やるか?外出るか?」
「出ないから袖をまくるな。それに俺は全否定している訳ではないぞ?別に『Live&life』だっていい作品だったと思っている」
「あん?じゃあ何で駄目なんだ。いいんじゃないか」
「見る側として、ならな。書く側として参考にするならアウトだ。考えてもみろ。一作品の全部が好きで、非の打ちどころがないと思っていて、それに影響を受けました。さあ、この場合の理想形は何だと思う?」
「そりゃ、その影響を受けた……あ」
「そうだ。その作品そのものだ。勿論、この世の中には完璧な作品なんぞほぼ存在しない。ある一点では完璧でも、それを理解できない層は必ずいる。しかし、少なくとも参考にする段階で、作品を全肯定して、それみたいな作品を書きたいという思いで執筆を開始したとして、出来上がるのはまあ、劣化コピー作品がせいぜいだ。しかも、大本のどこが良くてどこが良くないのかが全く分かってないから、パクりにならないように気を付けるにしても、どこを変えてどこを変えない方が良いのかが全く分からない。結果、苦し紛れに違う作品にしましたという物が出来上がる。これが、久遠寺のやったことだ」
久遠寺は不満げに、
「……じゃあ、どうしたら上手くいくんだ」
天城はホワイトボードの文字を指さして、
「そこで、これが重要になる。久遠寺は『Live&Life』の全部が好きだといったな?」
「う、うん」
「その中で、一番好きなところ、要素みたいなものをあげてみてくれ」
「一番好きなところ……」
久遠寺が顎に手を当てて考え込む。
沈黙。
間に数回、ぱらりと文庫本のページをめくる音がする。
やがて、絞り出すように、
「……ライバル?」
そう呟いた。
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