3.「嫌い」だって興味だ。
久遠寺文音という人間は、基本的に天城征路と正反対の人間である。
まず、学校での立ち位置が違う。
学内でも評判の美少女である久遠寺は、どういう訳か男子だけではなく、女子にも人気が高かった。その理由は様々だが、モテるという事に興味がないからというのが一番の理由らしい。
勿論モテるだけで多少嫉妬されるという事はあるだろう。しかし、何故モテる美少女が同性から嫌われるのかというと、それだけ自分のパイが減るからである。もし久遠寺が恋愛自体には興味があるとなれば、学校中の男子で久遠寺に対するアピール合戦が繰り広げられ、他の女子はそれだけ厳しい戦いを強いられたはずである。
ところが、どうしたことか、当の本人にはそういう気が全くない。恋愛をしたいという事も無ければ、時々「恋って良く分からないんだよね」などと言っては何か申し訳なさそうに笑う。
そして、男子からの告白はきちんと断って、女子と仲良くしているのだ。初めのうちは大変だった。これだけモテるものだから上級生からのやっかみもあったらしい。
しかし、暫くすると「久遠寺は攻略できない」という噂が流れるように広まり、いつしかそれが定着し、憧れではあるけど、恋愛対象にはならない完璧美少女というイメージが醸成されていたのだ。
一方天城には基本的に友達と言える存在が少ない。本人があまり人と仲良くなる気が無い上に、かなり口が悪いというのもあるが、それにしても少ない。挨拶など最低限の会話をする相手ですら数人で、それ以上の仲となれば、
また、その毒舌は同性だろうが異性だろうが関係なく発揮されるのだが、基本的に男子からの評判はまあまあで、女子からの評判は下の中という感じだった。唯一久遠寺と共通しているのは、恋愛に対して全くと言って良いほど興味を示していないことくらいだった。だ元々、二人は仲良くなるはずもない、水と油なのだ。
だから、
「あの……何のことでしょう?」
これである。
ちなみに声は作りに作った可愛い声だ。地声より大分高い。
久遠寺に共闘を断られた次の日。とにかくアタックしなければ状況は変わらないと思い、学校で話しかけてみたのだが、その反応は昨日と全く違った。これが久遠寺の「学校での素」である。ちなみに話しかけた瞬間、小声で「うわっ」っと呟いたのも、ふりむいた瞬間の不快感を隠しきれない笑顔も確認済みだ。天城はあくまで平常運転で、
「いや、だから昨日の事だ」
久遠寺は相変わらず困惑を含めた微笑を浮かべながら首をかしげて、
「昨日の事……さあ……何のことでしょう?」
嘘つけやコラ。
「そんな事はないと思うがな。まあいい。それなら思い出させてやろう。あれは昨日の夕方の事だったな。俺がどこぞの編集長が書いた全く参考にならないハウツー本に文句を付けにいったら、なんと久遠寺も居るじゃないか。聞けば久遠寺はそのどうしようもない本に感銘を受けて小説を書いたという。それならば読んでやろうという事で初めの方だけ読んでみたら、既存作のパクりにならないように気を付けた結果出来た劣化コピーじゃないか。だが、良いところもある。だから俺と手を組めばきっと成功できる。そう思って協力しようといったような気がしているが、覚えてないか?」
「……記憶違い、じゃないでしょうか?」
久遠寺は今にも掴みかかって殴らんばかりの怒りを必死に押し殺して笑顔を浮かべる。心なしか顔も赤い。
天城はポケットに手を入れながら更に続け、
「そうか……残念だ。仕方ない。それでは、その時に受け取った久遠寺の書いた物語を音読して、」
ガシッ
手首を掴まれて視線を向ける。久遠寺がいっそ清々しいくらいのさわやかな笑顔で、
「そういうのはちょっと……良くないな」
怖い。
めっちゃ怖い。
そして素が出てる。最後の方めっちゃ声低いし。脅しでしょこんなの。
この場での久遠寺は確かに「完璧美少女」だ。天城がいくら煽っても応戦はしてこないし、肉体的な攻撃にうつることもないだろう。しかし、だからといって余り弄りすぎると、後が怖い。帰り道、突然襲われないとも限らない。天城もそこまで運動神経は悪くないが、流石に久遠寺には負ける。追いかけられたらまず逃げ切れない。
そこで、
「そうか。ならやめておこう。しかし、本当に分からないのか」
久遠寺は手を放し、
「そうですね。ちょっと分からないですね」
にこやかな笑顔。どうやら、しらを切るつもりらしい。これ以上ここで頑張っても状況は変わらないだろう。
だから、
「分かった。また、出直すとしよう」
撤退する。背後から「出直すなや」という突っ込みが聞こえるが、それは無視する。自分の席へと戻る天城の横を数人の女子が通り過ぎ、
「文音おはよ~。どしたの?」
「おはよう。いや、ちょっと天城くんと話してただけ」
女子の一人が明らかに嫌そうな声で、
「えっ、天城?だって文音振ったよね、確か」
「そうだけど……それとは関係ない話」
「そうかなぁ……まだ諦めてないんじゃないの?無理なんだから、諦めたらいいのに」
違う女子がちょっと笑いながら、
「そんなに言わなくてもいいでしょ。天城って結構顔いいじゃん」
しかし最初の女子が、
「顔はな。それ以外が駄目だろ、あれは」
「駄目って事はなくない?まあ、ちょっと癖、あるけど」
「それが駄目なんだって。気を付けなよ文音」
久遠寺は少し戸惑いながら、
「う、うん」
天城は鼻で笑い、
「全部聞こえてんぞ。聞かせてんのか、あれは」
自分の席に座る。前の席に座っていた柳は天城の方を向いて
「……聞かせてるんじゃないか?そういうもんだろう、女って」
「そんなもんか。というかいきなり現れたな。さっきまではいなかったと思うんだが」
「……今来たばかりだからな」
「今来たばかり、ねえ」
「……存在感を消していたからな」
忍者かよ。
柳は続けて、
「……教室に入ったらすぐこの席に座って、後は音楽を聴きながら、天城の方を見ていた」
「俺の?なんでまた」
「……天城が久遠寺に話しかけるのが珍しかったからな。あの時以来じゃないか?」
「まあ、学校では、な」
柳の指す「あの時」とはつまり、天城が久遠寺に告白したときにほかならない。
あらかじめ断っておくが、なにも別に久遠寺に恋をしたわけでも無ければ、付き合いたかったわけでもないし、若者らしくデートをしたり手を繋いだりキスをしたりあるいはその先に踏み込んだりしたいという欲望は一切なかったと言って良い。
天城にあったのは久遠寺文音という人間に対する純粋な興味でしかなく、周りから見れば失敗に終わったように見える告白は、天城にとっては完全に成功だったのだ。それで天城と久遠寺の関係は終わりのはず、だった。
柳が疑問の色を含ませて、
「……学校、では?」
「実はだな」
天城は昨日起こったことをかいつまんで説明する。出版社へと赴いたこと、そこで久遠寺に出会ったこと、久遠寺が小説を書いていたこと、その小説は一見稚拙だが、才能を感じるものであること。
「……って事があったって訳だ」
柳は少し考えた後、
「……随分とまた、行き当たりばったりだな」
「そうか?」
首肯。
「……あの時はもっと周到だった」
「そういえばそうか」
思い出す。久遠寺に告白した時は、確かにもっと色々考えていたような気がする。いくら定期イベントと化していたとは言え、同じ人間が何度もアタックするのは不自然感が出る。
しかし、そうでもしないと”目的”が達成出来ない。チャンスは一度か、せいぜい二度。だからこそ念入りに計画を考えたし、だからこそ上手くいったといって良い。
柳は思考をかき集めるようにして、
「……あの時の天城は、単純な、興味本位だった。だからこそ冷静になれた。だが、今の柳はそうじゃない」
「冷静じゃない?俺が?」
再び首肯。天城は手をブンブンと振って否定し、
「いやいや。俺はいつだって冷静だぞ?少なくとも、久遠寺相手に冷静さを失う要素はないと思うがな」
「……冷静じゃない、という言い方はちょっと違ったかもしれない。天城は、久遠寺の才能にほれ込んでいる。それが少し、周りを見えなくさせている」
天城は指さし確認しながら、
「俺が?あいつに?」
みたび首肯。天城は「いやいやいや」といった感じで首を横に振り、
「や、無いだろ。そりゃまあ才能はあると思うけど、そんなびっくりするようなものじゃないぞ?」
「……なら、何故彼女と手を組むなんて言い出したんだ?天城はあまりそういう事をしないタイプだと思っていたが」
「んー……」
もっともである。天城は基本的に人を信用していない。全員をまず疑ってかかるといって良い。柳という例外を除き、人を自分の近くに置くことをしない。
勿論、最低限の交流はする。クラス内で孤立するという事は一切ないし、体育の授業となれば、柳が居なくともペアになる友達はまあまあいる。
しかし、それらの面々とは一定の距離感を保っていた。踏み込まない。そして、踏み込ませない。だから、天城が誰かに頼られる事はあっても、頼る事はまず無かったし、これからも無いはずだったのだ。
天城は肩をすくめて、
「何でだろうな?まあ、ほら。さっきも言った通り、クソみたいなハウツー本を絶賛してるのに、才能はあるみたいだから、その辺が気になったのかもしれねえな」
「……興味本位、か」
「そういう事になるな」
瞬間。
始業のチャイムが鳴る。
その音を待っていたように担任がドアを開け、教室に入ってくる。
休み時間の尻尾を引きずるようにしてクラス中の生徒たちが自分の席へと戻っていく。柳が、
「……まあ。なんにせよ、もう少し慎重に行った方がいい。相手は仮面を使い分けるのが上手なお姫様なんだからな」
とだけ言い残して、前に向き直る。天城は「おう」とだけ答え、鞄を机の横にかける。クラス委員が「起立!」と号令をかける。生徒たちがばらばらと立ち上がる。そんなさなか、ずっと向けられていた視線と、その視線を向けていたせいで立ち上がるのが遅れた久遠寺に、天城は最後まで気が付かなかった。
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