30.日常は大体、突然崩れ去るものだ。

 その後の展開はといえば、実に天城あまぎたちにとって都合がいい形で進んでいった。


 赤川あかがわと別れたその夜。天城は“Red0302”が、『私の嘘、あなたの音』にポイントを投じたのを天城はしっかりと確認した。そのポイント数は4。やはりここでも久遠寺くおんじの勝利だった。そして、全体のポイント数は36。ちなみに、この時点で鷹瀬の『memories』が獲得していたのが26ポイント。序盤は鷹瀬たかせがリードする展開だったのだが、すっかりと逆転してしまっていた。


 読者による選考期間はまだもう少しある。ここから逆転される可能性も少なくはない。しかし、なんとなく天城は大丈夫な気がしていた。全くの無名作品であればともかく、今の『私の嘘、あなたの音』は、それなりの評価をされた作品である。もちろん、トップクラスの作品とは開きがあるものの、これだけのポイントを獲得している、というのは、それだけで十分アピールポイントになりえるはずである。現に、週間ランキングを確認したらまあまあいい位置につけていた。これならば、ランキングを上から確認していったとしてもひっかかる可能性は高い。ここまで来てしまえば後は上手く巡り合ってくれることを祈るのみである。


 こうなってくればいよいよ天城に出来ることはなくなってくる。一応、やなぎには勧めてみたのだが、「……時間があったらな」という一言でいなされて以降まったく触れてもこないため、読んだのか読んでないのか、もし読んだのであれば、評価は高いのか低いのかといったことは一切分からなかった。わざわざ聞いてもいいのだが、もしそうしても、答えてくれないような気が天城はしていた。


 そんな、座して待つほかない状況下で、久遠寺はぱたりと部室にやってこなくなっていた。一応現代文化研究部は部活動なわけで、参加をしているのであれば、その活動にも顔を出すべきではある。あるのだが、この部活だかなんだか分からない集団はその活動日をはっきりとは決めていなかったし、星生も特に指定はしていなかった。それ以前に、そもそも久遠寺は形の上では部員でも何でもないわけだから、毎日のように顔を出す必要性は一切ないといえばそれまでだ。


 それでも、今まで毎日のように顔を出していた人間が、ひょっこりといなくなる、というのは少し気になるものだ。天城は一度気になって連絡を取ってみたが、「ちょっと忙しいだけ」という返事が来るばかりで、その真意は最後まで掴み切れなかった。


 座して待つしかない状況に、現れなくなった当事者。


 今思い返してみれば、あの時間は嵐が訪れる前の静寂だったのかもしれない。


 明日は土砂降りだぞ、風だって凄いんだぞと天気予報が声高に叫んでいても、その凄さは当事者になってみないと分からない。翌日の天気というのはつまり遠い未来の話である。


 今現在雨も降っていなければ、風もほとんど吹いていないような天候を間近に見ている側からしてみれば「まさか」という感じがするし、何よりも「平穏無事であってほしい」という願いがその「非常事態」に対する警告を無かったことにする。そんなに降らないでしょ。降ったとしても気を付けてれば大丈夫。そうやって勝手に太鼓判を押し、着々と進行する”大変なコト”に蓋をするのだ。そこに根拠などないのにも関わらず。

 


 数日後。嵐は突然のようにやってきた。


 放課後だった。現代文化研究部にはここ数日と同じ光景が広がっていた。星生は締め切りが近いだとかで、絵を描くのに忙しい。天城は宿題もすっかり終えて、今は適当に、自分が書いたノートをぱらぱらと眺めている。


 正直なところ、天城は試験などどうでもよかった。


 もちろん、赤点は避けなければいけない。赤点ともなれば当然追試が待っているわけで、その前には「生徒が落ちこぼれてはいけない」という先生方のありがたいご配慮により実施されている補修もきっちりと追加されることになる。天城は今のところその補修や追試を受けたことは無いのだが、一度だけ受けた柳によれば、


「……無駄の極みだな」


 曰く、テストで出た問題を解説するのが補修であり、それをそのままもう一度解くのが試験なのだそうだ。当然ながらこれは、授業についていくことが出来ず、解説をしてもらわないと問題が解けない生徒に対する救済措置でしかないわけで、「ちょっと忙しかった」などと意味不明な供述をして赤点どころか試験をまるまる欠席してみせた男に向けたものではない。だからこそ柳にとって補修は退屈だったし、追試も全く苦労するものでは無かったという。実際、通常時の成績はクラスでも上位にいることが多いのだから、そんなところでつまずくはずはないのである。


 その柳と、負けず劣らず成績がいい久遠寺は今日も姿を見せないでいる。一応、学校には問題なく来ているのを確認しているし、放課後も別に忙しそうな素振りは見せずに友人と話し込んでいた。それだけの時間があるのならば、今までであれば、なんの迷いも見せずにこの部室に向かっていたはずなのだが、まさか試験が近いから部活動もしない、などという殊勝な心掛けを実践しているのだろうか。


 天城はふと部室内を見渡す。こうやって眺めていると、随分と物が増えたなと思う。久遠寺が持ってきたコーヒーメーカーや、なんだか高そうなカップ類は本棚の開いていたスペースに収納されている。その隣にはインスタントコーヒーや、スティックコーヒーも持ち込まれている。後者は久遠寺が、星生の「電気ポットが手に入るかもしれない」という一言を聞いて、喜んで持ってきたものだ。どうやら家に一杯余っているらしい。


 本棚の蔵書も大分増えた。どうやら星生は、読み終わった本をここに置くようにしているらしく、だんだんと本棚らしい空間が拡充されていっている。長机の上には天城が何となく持ってきたデジタル時計が、全く休みもせず時を刻み続けている。元々は母親が目覚ましに買ったらしいのだが、新しいものに買い替えたらしく、要らなくなったところを譲り受け、そのままになっていたものだ。


一応、壁にも備え付けの時計があるにはあるのだが、残念ながら秒針がないものであるし、時間を表記する数字も一切ない、なんともこじゃれた雰囲気を醸し出すそれは、細かな時間を確認するときには全くの役立たずであり、この部屋で時間を確認するときはすっかりこのデジタル時計のお世話になっている。


 忘れもしない。


 嵐が到来したのは、そんな時計が15時45分を示していた時だった。


 ガラリ。


「……ん?」


 音がした。


 天城は、音がしたという事実に気が付いて、その発生源を探り辺りを、


「おお、久遠寺か。どうした。最近来てなかったけど、あれか?試験が厳しいのか?」


 いた。


 音の発生源は部室の扉を開け放ち、そこにただただ立ち尽くしている。天城のからかいには全く反応を示さない。うんともすんともいわないし、肯定も否定もしない。天城は面白くなって笑い、


「どうした。入ってきたらどうだ。そこを開けたままだと誰かに見つかるかもしれないぞ?」


 そうだ。


 久遠寺は元々、現代文化研究部に出入りしているということを、誰かに知られるのを嫌がっていた。


 だからこそ、用事が無ければ現れなくても不思議ではない。そんな事実に、今初めて志向がたどり着く。そして、その事実に真っ向から矛盾する現実に強い違和感を覚える。


 何故、扉を閉めないのか。


「そうだね」 


 やや時間をおいてから、久遠寺はそれだけ言って扉を閉め、鍵も閉める。


 そう、それでいい。そうすればここは隔離された空間になる。久遠寺が椅子の上にあぐらを書こうが、勉強をしながら頭をガリガリと掻いていようが、天城のからかいに対して、口汚く応戦しようが、全ては外界とは関係のない出来事である。


 なのに。


 久遠寺の持つ緊張感が全く消えてなくなってくれない。


 天城は探りを入れるように、


「そういえば、件のやつ、鷹瀬と大分差が付いたな。この調子なら勝てそうじゃないか?」


「そうね」


 その言葉にも色が感じられない。天城は更に探りを入れる。


「ここ最近忙しかったというが、試験勉強でもしてたのか?久遠寺はずっと好成績を保っているから大変、」


「なあ」


 突然ぶった切られた。


 そして、


「私、前言ったよな?実力で勝負したいって」


 突然だった。


 突然のことすぎて、天城は思い出すのにかなりの時間を要した。間違いない。確かに久遠寺はその手のことを言っていた。そして、天城も星生も、決して贔屓で評価をしたりはしない。面白ければ面白い、つまらなければつまらない。そう判断をくだすと、約束をした記憶がじわじわと蘇ってくる。


「言った。けど、それは守ってるつもりだぞ?まあ、まだポイントは入れてないけど」


 久遠寺は天城が言い終わるか終わらないかというタイミングで、


「問題はそこじゃない」


 ここに来て、天城は漸く、久遠寺の顔を見る。


 そして、事の重大さに気が付く。


 そこにあったのは、今まで一度も見たことのない、久遠寺の、


「……この間、ね。アイツの作品にポイント入れてんのはどんなやつだろうなって確認しにいったのよ」


 そんなことしてたのかという言葉は、口に出さずにおく。


 久遠寺が続ける。


「アレって思ったよ。だって見覚えのある名前が並んでんだもん。私は最初、見間違えじゃないかって思った。だから、自分のやつにポイント入れた人も表示して、見比べてみた」


 言葉を切り、


「でも、やっぱり見間違えじゃなかった。何個かのアカウントは、私と、あいつの両方にポイントを入れてた。最初は天城が、あおいじゃないかって思ったよ。でも違う。アカウントを作った日があまりに早すぎる。葵はともかく、天城がそんな頃からアカウントを持ってるとは思えない。それに、二人じゃなくて、三人だった」


 再び言葉を切り、


「だから私は、あいつに確認したんだよ。おい、これはどういう事だって。そしたらあいつは教えてくれた。それは自分の編集と、その知り合いだって。私も良く分かんなくなって、じゃあ何で私にもポイントが入ってるんだ。お前が教えたのかって聞いた」


 更に言葉を切り、


「そしたら違うって言った。それで、もし教えたとしたら葵か、天城じゃないかって言った。最初は何言ってんだこいつって思ったよ。葵はともかく、天城がそんなことするか?って。だけど、その後でさ、一杯ポイントが入ったのに、全然驚きもしてない天城を見て、あれってなった」


 覚えている。


 あの時の天城は確かに冷静だった。それもそのはずである。天城からしてみれば既に二木から評価は聞いているわけだし、その友人にも勧めてみるという話も知っているわけであり、高評価が約束されているのも重々承知の上だったのだ。それ以外の変化があったならばともかく、予測出来るレベルの変化しかなかったのだから、当然、その反応も淡泊になってしまっていたに違いない。あの時は誤魔化せたつもりでいたが、過信でしかなかったようだ。


 久遠寺が星生に視線を向けて、


「だから私は葵に聞いたんだよ。あいつの言い分を全部話した上で、事実なのかって。そしたら、そうだって」


 天城も思わず星生に視線をやる。星生は全く表情を変えず、


「聞かれたから答えた。別に、教えるなとは言われていなかったはず」


 そうだ。


 天城は別に星生に口止めなどはしなかった。そこには「この内容を久遠寺に話したらまずいだろう」という認識が、当たり前のものとして星生にも存在しているという、妙な過信があったからに他ならない。しかし、今をもって思い返してみれば、そんなものは天城の勝手な独りよがりにすぎない。星生は何となく天城たちの味方のようにはなっているが、実際の立ち位置はどちらにつかず、公平な立場からものを述べる審判のような存在なのだ。起こった事を積極的に教えはしても、隠しはしないのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る