39.今、もう一度手を組もう。

「色々って……お前アイツと話したのか?」


 振り向いた。その顔は怒りではなく驚きで埋め尽くされる。


「一応、な。まあ、とは言っても俺が何かを聞きに行ったわけじゃなくて、アイツの方から話を持ち掛けてきたんだけど」


 本当だった。


 あの日天城あまぎが考えていたことは殆どが久遠寺くおんじに関することであり、間違っても鷹瀬たかせと会うことや、校舎裏でコーヒー片手に言葉を交わすことや、過去について語ることでは無かった。そこに嘘や偽りはない。


 しかし、


「……どうだか」


 天城はあえてその呟きには触れずに、


「鷹瀬に聞いたよ。お前、昔はあんな変な猫被ってたわけじゃないんだってな」


 久遠寺の眉間がぴくりと動く。


「……まあ、昔はね」


 否定しない。恐らく久遠寺は分かっているのだ。鷹瀬が一体何を知っているのか。


 天城はあくまで淡々と、


「何でやめた……っていうか、何であんな猫被るようになったんだ?めんどくさくないか?」


「あ?」


 明らかにみえる不快の色。しかし、言葉はあくまで冷静に、


「……めんどくさいっちゃ、めんどくさいけど。でも、そうするしかないだろ」


「そうするしかないって、どういうことだ?別に貫けばいいじゃないか。俺だってそうしてるぞ?」


「どういうことって……」


 舌打ち。


「別に何でもいいだろ。つか、さっきから何なんだよ」


「何がだ?」


「回りくどいんだよ。何か探ってるだろ、お前」


 バレていた。


 しかし天城は尚も坦々と、


「探ってる……ってことはないな。ただ、気になったから聞いてるだけだ。じゃあ、もう少し単刀直入に聞くが、どうして俺にはそれを貫き通さなかったんだ?」


「あ?そりゃお前が、」


 言葉を切り、俯く。苛立ちをぶつけるように頭をガシガシとかいて、


「お前あれか?もしかして、自分は特別だと思ってるのか?」


 顔を上げる。その表情は意外にも笑顔で、


「勘違いが無いように言っておくけどな、別にお前は特別でも何でもないぞ?ただ単純にお前は素の状態を知ってる。それだけだ。それ以上の感情はねえよ。たまたまお前だっただけで、その相手はお前以外でもありえた。これで十分か?」


 一気にまくしたてる。その笑顔は崩れる寸前で、


「そりゃお前に力があるのは認めるよ。お前のおかげで良いものが書けるようになった。それも認める。だけど、それだけだ。それ以上じゃない。もし、今回のコンテストに通ったとしたら、礼くらいはするよ。でも、それだけだ」


 感情をせき止める防波堤は既に決壊して、


「だから、これ以上付きまとうなよ。言っただろ、お前を信頼してるわけじゃないって。だから、」


「別に特別だなんて思ってねえよ」


「……あん?」


「俺は別に特別だなんて思ったことはねえよ。そりゃ、お前は良いものを作れるだけの力は持ってると思ってるし、俺はそれを引き出せると思ってる。そこは今でも変わらない。けど、特別なのはそこだけだ。後は放課後、部室に集まって部活をする仲間みたいなもんだと思ってたよ。お前だけじゃなくて、星生もな」


「仲間って、」


久遠寺は拍子抜けしたような笑いを漏らし、


「何、お前そういうキャラだったの?仲間とか、友情とか。その口の悪さで。無理でしょ、そんなの。お前こそ猫被った方がいいんじゃなねえの?」


「違うな」


「何がだよ」


「もし俺が猫を被ってたら、もっと周りに人がいたかもしれない。けど、それじゃ駄目なんだよ。猫被って友達を作ってもな」


 久遠寺が一歩詰め寄り、


「なんだよ。アタシのやり方に文句あんのか?」


 天城は一歩、後退する。あえて両手をひらひらさせながら、


「別にそういう訳じゃないぞ?ただ、俺はやる気がないってだけだ」


 久遠寺は鼻で笑い、


「じゃあ仲間なんて無理だろ。現にお前、友達少ないだろ?」


「まあな」


「ほら」


「でも、部活動をする仲間なら出来たぞ?」


「それはお前がそう思ってるだけだろ」


「違うな」


「何がだよ」


「俺だけじゃないさ。星生ほっしょうは仲間だと思ってるはずだ」


「それは……」


 言葉に詰まる。


 天城はわざと小馬鹿にするような笑いを浮かべて、


「まあ、そうだよな。それを認めるわけにはいかないよな」


「ああ?」


 また一歩歩み寄る。それに合わせて天城も後退する。自由に動けるスペースが狭い関係上、もうフェンスまでそれほど距離は無い。


「鷹瀬に聞いて分かったよ。お前は怖いんだ」


「何がだよ」


 更に一歩詰め寄る、天城も更に一歩後退する。


「本音を出して、それで嫌われたら嫌だ。だから猫を被る。そうすれば嫌われる心配はないからな。でもな、」


 一息。これを言ったらどうなるか。答えはある程度見えている。


 それでも、


「そのままじゃ、ホントの仲間なんてずーっと出来ねえだろうな。仲間は欲しい、けど本音見せて嫌われるのは嫌だ。そんなワガママ、」


 瞬間。


 体全体にとてつもない衝撃が走る。時を同じくして、驚くほど大きな金属音がする。遅れて、その衝撃が「体ごとネットにたたきつけられたことによるもの」だと認識する。余りの衝撃に息が詰まる。いや、違う。実際に首が閉まっている。襟元を思い切り掴まれ、フェンスに押し付けられている。そして、天城を思い切りフェンスにたたきつけるようにして追い詰めた久遠寺は完全に怒りをあらわにし、


「この野郎……好き勝手いいやがって……」


 そうだ。


 天城は元々毒舌で知られているが、その枠を超えるほど、好き勝手な言葉をぶつけた。


「鷹瀬から何聞いたか知らねえけど、こっちにも色々あったんだよ!それをなんにも知らないでワガママだの本音出せば良いだの好き勝手言いやがって!そんなもん簡単に出来たら苦労はしないんだよ!それやって一回失敗してんだよこっちは!だからこうするしかねえんだよ!」


 そう。


 それも分かっている。


 久遠寺だって本意ではない。本当は素のままでいられるのが一番だ。だがままならないもので、それをやると彼女の場合、どうしても人を選ぶ。それは天城と全く一緒だ。だからこそ普段は猫を被っている。あくまで「理想の姿」を保っている。そんなことは分かり切っている。


 だから、


「……分かってる」


「ああ?」


「分かってるんだよ。それくらい。心から望んでやってないことくらい」


 久遠寺は更に強く押し付け、


「分かるわけないだろ。お前みたいに無神経で、毒舌まき散らして、それで満足してるやつなんかにさ」


「分かるさ」


「分からねえって」


「分かるんだよ。俺も同じことをしたからな」


「分からねえ……なんだって?」


 久遠寺の力が緩む。ほんのわずかな隙が生まれる。閉じかけていた扉が開いていく。


「俺はな、昔からこうじゃねえんだよ。中学校の頃はお前みたいに皆に良い面見せて、取り繕って、それで人気者気取ってたんだよ」


 再び押し付ける力が蘇り、


「じゃあ何でやめたんだよ」


「……文化祭」


「あ?」


「……俺ら文芸部はさ、文化祭で小冊子を出すつもりだったんだよ。皆が皆、オリジナルの小説書いてな。そのトップバッターは俺になるはずだった」


 力が緩む。


「はずだった……って、どういうことだよ。書かなかったのか?」


「書いたさ。その時は完璧なものが出来たと思ってた」


「じゃあ、なんで、」


「ちょっと調子に乗ってな。小説の書き方講座みたいなところに行ってな。そこでそれを見せたんだよ。講師として呼ばれてた、ハウツー本でも知られてるプロの編集にな」


 久遠寺は何も言わない。天城は続ける。


「全然だったな。一応、酷評とまでは行かなかったんだが、自分の評価よりは遥かに感触が悪かった。今思えば、それで完全に自信が無くなったんだろうな。部員には書いてる、推敲してる、凄く良いのが出来てるって言いながら、全く進んでなかった。そんで、結局はそこに載るはずだった小説は完成しないまま、お蔵入りだ」


 更に力が緩み、


「……それで、他の部員はどうしたんだよ」


 天城は過去を笑うように、


「色々だったな。書けないものは仕方ないって言ってくれるやつもいたし、俺がかなり良いものがかけたって言ったもんだから、友達とかにも思いっきり自慢しちゃっててどうしたらいいんだって言うやつもいた。ただ、それは案外すぐに収まった。問題はその後だった」


 言葉を切り、


「小冊子は基本、ページ数を事前に申請するようになってる。何故かって言うとその分の紙を事前に用意するからだ。勿論、足りなくなるよりは余る方が良いわけだが、俺の分だけでかなりのページ数を取ることになってたからな。それが駄目となると、そのことを実行委員会に言いに行かなきゃいけない。けど、それよりは誰かの既存作でいいから載せた方がいいんじゃないか。そんな意見がいつしか纏まらなくなって、喧嘩になった」


 絞り出すように、


「その時、さ、明日香あすか……俺の幼馴染が部室に来てくれた。まあたまたま、だったんだけどな。明日香は……まず俺の話を聞いた。けど、その時の俺は、最低限の説明もしないで、明日香に丸投げして、逃げ出した」


「……割と最低ね」


 天城は苦笑し、


「そうだな。でも、俺はそういう人間なんだよ。八方美人なんて無理。猫被ったってどこかでボロが出る。人を纏めるなんてできやしない。それが俺なんだよ。だから、高校ではもうそういうのはやめようと思って、同級生が行かないようなところを選んだ」


 久遠寺はぽろりと、


「それって、」


「そうだ。お前と全く同じだ。ただ違うことが一つだけある。俺は既にキャラを作って失敗してる。けど、お前は逆にキャラを作らないで失敗してる。同じなんだよ。だから、どこでも素でいるべきだとは全く思わない。けど、素のままでいられる場所は、あってもいいんじゃないのか?」


 一つ息を吸い、


「星生と一緒になって、一緒に裏でこそこそしてるやつのことなんか信頼出来ないかもしれないけどさ。俺と、多分星生も、お前の素がどんなにひっどくても、気にしないから、」


 軽く吐き、


「また、部室に顔出してくれよ。多分、星生も待ってると思うからさ」


 言い切った。


 これで良かったのか、天城には自信がない。結局のところ久遠寺が天城たちから離れていった原因は天城たちではなく、久遠寺本人にある。だからこそ天城が長々と何かを語っても無駄な可能性はあるし、ここに星生が加わって土下座をしたって徒労に終わる公算の方が強い。


 それでも、と思う。


 今の久遠寺が求めているのは納得なのだ。


 信じないと決めたはずなのに、信じてしまった自分への納得。


 遠ざけなくても、近くにおいても、裏切られることはないという納得。


 だからこそ天城は、


「はぁ~~~~……」


 久遠寺は俯き、頭をガシガシとかき、溜まっていたものを全て吐き出すような、大きなため息を一つついたうえで、舌打ちをし、


あおいも、待ってるんだよな」


「……多分な。余り顔には出さないけど、寂しがってるんじゃないか」


 憶測だった。


 星生は今までずっと一人でいたはずで、むしろ人と接する方がイレギュラーなはずで、今回の出来事で再び元の状態に戻っただけのはずなのだ。しかし、それでも、寂しさを感じているような気が、何となくするのだ。


 久遠寺は天城から手を放し、漸く顔を上げる。その表情は全くの“いつも通り”で、


「……分かった。部室に顔、出すわ」


「本当か?」


「一応な。それと天城」


「ああ」


 久遠寺は首筋を抑えながら、


「正直私はまだお前を信頼する気にはなれない。それは全く変わらない。けど、まあ、お前が何をしたかったのかは、分かった。だから、」


 手を差し伸べて、


「取り敢えず利害の一致ってことで」


 天城を見据えて笑う。その笑みは、これから覇権てっぺんを取ろうとする、不敵な笑みだ。


 天城は差し出された手をしっかりと握り、


「了解。利害の一致ってことで」


 やはり、不敵に笑い返した。


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