カラタチのせい


 ~ 十一月九日(金)

        ヒスイの始まり ~


   カラタチの花言葉 思い出



 どうしてだろう。

 東京というところに来ると、どうしても卑屈になってしまうものだ。


 すれ違う皆さんの。

 堂々とした立ち居振る舞い。

 男性は健康そうに日焼けして。

 女性は体へ張り付くようなスーツで歩き。

 そして、テレビで見た時はまさかと思っていたのですが、本当に高校生の女子は誰もがぶかぶかの靴下をはいている。


 そんな、異世界とも呼べる町から学ぶ貴重な体験。

 修学旅行。


 だと言うのに。

 連日父さんから呼び出され。


 仕事で東京に来ているからと言って。

 取引先の方へ挨拶をさせられるとは。


 最終日の今日も。

 楽しみにしていた班別行動すら行かせてもらえず。


 料亭を後にした僕の手には。

 ホテルまでの道順を。

 赤い線で示した一枚の地図。


 父さんの命令に逆らうことができない。

 赤い線をたどっているうち。

 僕の人生そのものという気持ちになって。


 線から、路地を一本外れてみたのですが。



 ……そこで僕は。

 絶望と、そして同時に。


 天使と出会うことになりました。



「イモだ」

「んとだ! ぎゃはは! いいねえ芋っ!」

「おい、イモ。通行料出せよ」


 道端にしゃがみ込んでいる女子三人。

 派手な化粧をしていますけど。

 中学生くらいでしょうか。


 僕の事を芋と呼ぶ彼女たち。

 そんな彼女たちを前に、立ち尽くした僕。


 でもこれはすくみ上っているわけではなく。

 呆然。

 自失。



 ……僕は。



 一瞬で、恋に落ちていたのです。



 自信に満ちた目元。

 凛と引き結ばれた唇。

 艶めくほどの長髪が風に揺れる。


 一部の隙も無く、かっちりとブレザーを着こなした彼女。

 その腕には『生徒会』と書かれた腕章。

 

「ちょっとあなたたち! 今、恐喝行為を働いていましたね?」


 しゃがみ込む三人の向こうに仁王立ちする、彼女たちと同じ制服を着た女の子。

 僕の目は。

 彼女の美しさに釘付けだったのです。


「げ! うるせえのが来た……」

「そんなことしてねえよウゼぇなあ」

「そうだよ。イモが通ろうとしてたから話しかけてやってただけだって」

「なんて失礼な言い方をしますか! 彼に謝りなさい!」


 黒髪の君が、僕と彼女たちの間に壁になるように立ってくれたのですが。

 そのことが気に入らなかったのでしょう。


「んだよその態度!」

「あたしらが暴力でも振るうって言いてえのか!?」

「だったら望み通りにしてやるぜ!」


 一人が、銀色の棒状のもので黒髪の君へ襲い掛かる。

 僕は、無我夢中になって彼女を庇い……。


「ぐあ!」

「イモが鬼ババアのこと庇いやがった! てめえこの! どけ!」

「ぎゃはは! 恋にでも落ちればぁ?」

「つまんねえ。……おい、鬼ババア! てめえ覚えてろよ?」

「明日っから、刃物には気を付けな!」


 痛む背中の向こう。

 まるでヤクザのような捨て台詞を残して。

 彼女たちは、雑踏の中へ消えて行きました。


「……すいません、うちの生徒が。お背中、大丈夫ですか?」

「ええ……。これなら、母のお仕置きより幾分ましなので」


 心配そうに見上げるお嬢さん。

 でも、僕には君の方が心配です。


「すいません。僕のせいで、なにやら酷いことをすると宣言されてしまったようですが」

「そんなのは今に始まった事ではありませんからお気になさらず。返り討ちにしてやります」

「でも……、ほんとに、ごめんなさい」


 僕がもっと強ければ。

 僕がもっと頭が良ければ。


 きっとこんなことには。

 ならなかったはずなのに。


 でも、悔しさに唇を噛む僕に。

 彼女は、凍り付くほど厳しい視線を向けながら声を荒げたのです。


「男が往来で頭を下げるなど、なんとみっともない! あれしきのこと、自力でなんとかできる男にお成りなさい」

「……ごめんなさい」

「はあ……、やれやれですね。そこは謝るところでは無いでしょう」

「え?」

「必要以上に卑屈な男性は許せません」



 ……美しき少女は。


 優しいのか冷たいのか。

 僕には判断のつかない言葉を残して、雑踏の中へ消えて行きました。




 ~🌹~🌹~🌹~




「エッチでスケベなエロ久君は、ついてこないで欲しいの」

「もう勘弁してくださいよ。散々謝ったじゃないですか」


 昨日の事を根に持って。

 ぷっくり膨れたままのこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、珍しくカールにして。

 頭の上に真っ白なカラタチを一輪、帽子のように乗せていますが。


 バカには見えますが。

 今日はそんなことを思ってはいけない日のようです。


 不機嫌な穂咲は、学校帰りにまっすぐ電車に乗ることも無く。

 駅を横切って反対側の商店街を目指すようですが。


「なにか買い物ですか? 俺も雑貨屋に用事があったので助かります」

「そんなとこには寄らないの」

「じゃあ本屋さんですね。マンガの新刊、間違えて購入済みの品を買わないように俺がチェックしてあげます」

「そんなとこには寄らないの」


 穂咲が寄りそうなお店二つを封印してしまったせいでしょうか。

 こいつはムキになって、行ったこともない裏路地へ入っていきます。


「……なんだか物騒な感じの所ですね」


 ビルに挟まれて見通しの悪い道は。

 ちょっと薄暗くて、怪しい気配。


 でも、そんな予感が。

 まさか現実になるとは思いませんでした。

 


 他の学校の生徒、男子三人組。

 それが、うちの制服を着た女の子三人組と一緒にいるのですが。

 語気から察するに、嫌がる彼女たちを強引に誘っているようです。


 そしてよくよく見れば。

 絡まれていたのは、六本木君の取り巻きの一年生トリオなのです。


 こ、これはどうしましょう。

 男子の一人が俺と穂咲に気付いて、指を差しながら他の二人に教えていますし。

 急いでなんとかしないと……。


 でも、おろおろとするばかりだった俺は。

 穂咲の、驚くほどの行動と。

 そして大声のせいでショック死するかという程の思いをしました。


「だれかー!!! 助けて欲しいのー!!!」


 駅まで届くのではないかというほどの悲鳴。

 こんなことをされて、黙っていられなかったのでしょう。

 男子のうち、一人が。

 ……よりによって、一番怖そうな顔をした人が猛烈な勢いで走ってくるのです。


 怖いです。

 でも、どうしてでしょうね。


 俺は穂咲の前に飛び出して、その人を必死で押さえ付けていました。


「道久君!」

「てめえコラ! どけ!」

「いて! うぐっ! ……穂咲! 逃げて欲しいのです!」


 俺じゃ、たいしてもちませんから。

 すぐにのされてしまうのです。


 でも穂咲はすっかり怯えてしまったようで。

 その場で立ち尽くしてしまいました。


 このままじゃ……、え?

 ほえ?


 どういう訳でしょう。

 散々振り回されていた俺が、これだけ強い男子をいつの間にやら地面に押し倒してしまったのですが。


「ぐあっ!?」

「ごひん! 地面に頭打ったのです!」

「我が校の生徒に危害を加えようとは、いい度胸です」


 ……なるほど。

 俺がやったのではなかったようで。

 この男子を後ろ向きに倒したのは。


「生徒会長!」


 あらゆる武芸の同好会。

 そこに所属するすべての生徒を凌駕するほどの武道の達人。

 雛罌粟ひなげし先輩だったのです。


 俺を跳ねのけて先輩へ立ち向かった男子も。

 合気道の要領で二度、三度と地面に叩きつけられると。


「き、今日はこの辺で勘弁してやらあ!」


 一転してコントのような捨て台詞を残して。

 情けない顔をしながら、他の二人と慌てて逃げて行ってしまいました。


 すると、べそをかきながらやって来た一年生トリオが。

 口々にお礼を言うのです。


「ありがとうございました!」

「お花の先輩も! ありがとうございます!」

「あの、お花先輩のお友達さんも……」

「いてて……。俺はいいですから、生徒会長にお礼を言ってください」

「非常識です。もうとっくに、生徒会長は交代しています」

「そうでした、雛罌粟先輩」


 三人娘が改めて先輩にお礼を言うと。

 この武芸の達人は、今更へなへなと崩れ落ちる穂咲を支えながら。


「藍川穂咲はやはり勇気がありますね。声を上げて助けを求めるなど、なかなかできることではありません。あなた方も見習いなさい。そして危険のある所に近付かぬよう心がけなさい」


 優しい声をかけてくれました。


 ……が。


 前々から疑問なのですが。

 あなたはどうして俺には厳しいのです?


「先輩、ほんとに助かりました」

「男が往来で頭を下げるなど、なんとみっともない! あれしきのこと、自力でなんとかできる男にお成りなさい」

「……ごめんなさい」

「はあ……、やれやれですね。そこは謝るところでは無いでしょう」

「え?」

「必要以上に卑屈な男性は許せません」


 渓流を思わせる厳しさと冷たさ。

 そんな言葉でぴしゃりと俺を叱った先輩は。


 どういうわけか、顔を背けてもごもごと何かをつぶやきます。


「……なぜ謝りますか。あなたは立派なことをしたのですよ? ほんとに。あんなに必死になって庇う姿など見せられたら……」

「え?」

「気を付けないと。葉月に夢中になってその雄姿を話してしまいそうです。……こほん。このようなことがあったばかりです。本日は速やかに下校なさい」



 厳しくて、優しくて。

 頼りになって、そして清々しい。

 どんな男子でも惚れてしまいそうな、素敵な先輩。


 そんな先輩に導かれて。

 俺たちはそれぞれの日常へと帰るのでした。



「……あの、道久君、あのね?」

「いやはや、雛罌粟先輩はほんとにかっこいいのです」

「あ……、うん、そうなの。それよりね? あの、あ、あり……」

「どことなくおばさんに似てますよね?」

「へ? ママに? どこが?」

「なぜかそう感じたのですが…………、どうしました? ボーリングの玉みたいな顔になってますよ?」

「やっぱり、ママは最大のライバルなの!」


 ふてくされた穂咲は、ずんずんと先を急ぎますが。


 いや。

 でも、ほんと。


 君くらい、いつでも守れる男になれないと。



 頑張らないと。





 …………頑張らないと。



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