ブライダルベールのせい
~ 十一月六日(火)
ヒスイは二度微笑む ~
ブライダルベールの花言葉 花嫁の幸福
穂咲のおじいちゃん、おばあちゃんの家。
つまり、大企業の総元締め。
藍川の本家。
おばさんと穂咲に無理やり付き合わされて。
豪邸の一室で美しいお膳を前にしています。
「なんたる美しさなのでしょうか。お箸をつけるのがもったいないのです」
「まず、目でいただくのは理に適っております。その辺りは穂咲さん共々、正しく教育されたようですね、道久さん」
「おばあちゃんのごはん、ほんと美味しそうなの。盗んでおきたい技のオンパレードなの」
「ええ。存分に藍川の技を盗んで帰ると良いでしょう」
いつも凛々しいおばあちゃんの顔に。
これでもかと皺を寄らせる言葉をかけたのは
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は藍川本家に来るからと、おばさんが朝の三時からセットして。
清楚でありつつゴージャスに、お姫様のような編み込みが柔らかく束ねられ。
そこに飾られたブライダルベールの白い小花がラメのように輝きを放っておりますが。
……学校では、妙に浮かれてはしゃいでいたせいで。
お花が半分ほど落っこちて、俺のポケットをパンパンにしています。
まーくんのブローチを届けるため。
そして、藍川一族の顔見せ会でのお作法を学ぶため。
こちらへお邪魔して、素敵な晩餐をいただく俺たちなのですが。
「
「すすす、すいませんお義母様!」
……おばさんだけ。
緊張しすぎて、ずーっと挙動不審なのです。
「ほっちゃん! このナス、食べていいと思う? 私、試されてる?」
「いいに決まってるの。変なママなの」
「落ち着いて下さいよおばさん。そんなこと考えながら食べたら失礼ですって」
俺たちのやり取りを聞いて。
最近、すこうし険の取れたおばあちゃんが苦笑いなどしておりますが。
「おナスは体を冷やし、お子が生まれにくくなる。あるいは贅沢なものであるなど諸説ありますが。当家の裏で丹精込めて作ったもの。口にしないなどどういった了見でしょう。正座なさい」
足を崩して結構ですよとの優しい言葉が。
あっという間に取り上げられたおばさんなのです。
「では、温かいうちに召し上がれ」
「いただきます」
「いただきますなの」
「うう、お膳まで遠い……」
入り口近く。
割烹着姿のおばあちゃんに見守られつつ。
俺はお膳に挑もうとしたのですが。
「迷い箸などみっともないとは思いますが。これはほんとに迷ってしまうのです」
「お世辞まで上手ですね、道久さんは。作法とは、感謝と尊重から自ずと出るもの。されば、結果として迷い箸になるのであれば、それを失礼とは言いますまい」
おばあちゃんの素敵なお話。
おじさんのお話に似た暖かさ。
懐かしい胸のぽかぽかを味わいつつ。
俺は話しに上がっていた、ナスの揚げびたしに箸をつけました。
「ん! ナス、あまーい!」
「ずるい、私は未だに悩んでるのに! 道久君の裏切り者!」
「知りませんよ、食べればいいのです」
「そうなの、あたしは食べたの」
「ほっちゃんまで!?」
「だって秋ナスは、嫁に食わすナスなの」
「間違ってます!」
「……穂咲さんも正座なさい」
「あれ? あたし、何をミステイク?」
きょとんとしながらも。
穂咲は素直に正座してますが。
これで俺の成績の方が下なんて。
納得いかないのです。
そしておばあちゃん。
俺のことを厳しい目でじっと見ていますが。
「五人組制度ですか?」
やれやれ、連帯責任とは。
とんだとばっちりなのです。
そして三人そろって正座になったところで。
おばあちゃんがふうと一つ息をつくと。
重々しく話し始めます。
「芳香さん。藍川の顔見せ会では、あなたは円卓へ加わらないように」
「え? お、お作法なら本番までには何とか思い出しますから……」
慌てておばさんが悲壮な声をあげましたが。
これにかぶりを振ったおばあちゃんは。
珍しく、にっこりと微笑んだのです。
「いいえ、そうではありません。私のお隣で、ホスト側の者としてありなさい」
「あ……。はい、そのようにいたします。……嬉しいです」
藍川の客人としてではなく。
藍川の家の者としていなさいというおばあちゃんの言葉。
そんな不意打ちに、胸を詰まらせてしまったおばさんが嬉し涙を零すと。
おばあちゃんも、弱々しく鼻をすすります。
……長い長い時間が溶かした氷塊は。
暖かな滴を、これからいくつも零すことになるでしょう。
「……さあ。せっかくの膳が冷めてしまいます。どうぞお食事を続けなさい」
「おばあちゃん、それは無理というものなのです。なにか違うお話をして? それを聞きながら、楽しくいただきますから」
俺ももらい泣きしそうになって。
胸と鼻が詰まったままでは、せっかくの料理が味気なくなる。
聡いおばあちゃんは心得ましたと前置いて。
でも何を話したものやらと小首を傾げます。
「そしたらね? おばあちゃんに、ブローチのお話してもらいたいの」
「お。ナイスです穂咲。褒めてあげます」
「ブローチですか? ……ああ、あのヒスイの事ですね」
「そうなの。家宝なの?」
「代々伝わる品ではありますが、家宝と言う程価値のない、割れた石です」
割れた?
これは面白そうな話が飛び出てきました。
俺はセロリの漬物をかじりながら、前のめりになって続きを聞きました。
「顔見せ会では円卓へ並べますが、割れたままでは情けなく、腕の良い職人に見栄えの良いよう加工させたのです」
「なるほど、正次郎さんのものとは台座も違いましたし、そういう事なのですね」
「あなたの家に持って行った品と違うというお話でしょうか。元々一つの石だったのですが、男兄弟というものは乱暴なものでして」
なるほど。
おじさんとまーくんが悪さして割ってしまったのですね?
いったい、何時間正座させられたことやら。
「一つは職人の手によって見事な細工をされて桐の箱に収め、以降も家で大切に取り扱いました。ですがもう一つは、職人の後継人が作ったとかで、金細工の中央でクジャクの台座に据えられたヒスイが揺れているという品でした」
この言い回し。
おばあちゃんはそっちを気に入らなかったようですね。
「地方の娘様と言いましたか、あなた方と歳も変わらぬ、それは線の細い芸術家肌の女性の仕事。一瞬で心が奪われるほどの品でした」
「え? じゃあ、そっちも気に入ったの?」
「はい。……ですが、当家は細工師の名にお金を払ったのです」
「素敵なものなら、だれが作ってもいいんじゃないのですか?」
「いいえ。……高校生にして、臭い立つほどの女性。その身を清く過ごすなどない事でしょう。後から、その方の名に代金を支払ったとなっては恥になります」
なるほど。
家の名は、そうして護られて行くのか。
実に合点のいく、深いお話です。
「ですので、そちらは受け取ることをお断りしたのです。そして細工師とは、藍川との縁を切らせていただきました」
「厳しいですね」
「……ですが、どういう訳やらその品を、あの子は持ち帰ってまいりまして。……そして勝手に持ち出した、という訳なのです」
なにやら複雑な昔話を耳にしつつ。
俺がほうと息をつくと。
……お隣りから。
まるで、退屈な昔話を聞いて居眠りをしたせいで、お膳に顔から突っ込んだような音か聞こえてきました。
そう、まるでそんな音。
だからそんなことあるはず無いのです。
お願いですからそうであってください。
でないと。
明日の授業に差し障るほどの。
長いお説教が待っていますので。
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