シラタマホシクサのせい


 ~ 十一月七日(水) 気弱なスカーフ ~


   シラタマホシクサの花言葉 純粋な心



 久しぶりの正座とお小言。

 たっぷり二時間コースを堪能した俺の足は。

 一晩経ったというのにまだ痛みます。


 このお説教の原因。

 俺の足の平穏を奪い去った怪盗の名は。

 お隣で、珍しく単語帳などぺらぺらとめくる藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を頭のてっぺんでお団子にして。

 そこに、長い茎の先に小さな綿毛玉のような花を咲かせるシラタマホシクサを一本揺らしているのですが。


 今日の穂咲は、リモコンロボに見えます。



 さて、そんなロボとの下校路で。

 俺はなんとなく暇を持て余し。


 勉強の邪魔をしてはいけないと分かっていながらも。

 ちらりと単語帳を覗くと。


 『ホシ』などと書かれているのですけど。

 いくら何でも君。

 小学生?


 呆れて穂咲の横顔を見ると。

 真剣な表情で、一つ頷いて。


 単語帳をめくった、その裏側には。


 『犯人、または容疑者』


 ……脳天にチョップしました。


「痛いの。ホシに叩かれて、ちょいとホシがでたの」

「うるさいのです。まじめに勉強しているかと思えば、何の真似です?」

「探偵用語って、難しいのばっかなの。デカチョーとか、チャカとか」

「探偵関係ないですし。しかし君、用語も知らずに毎晩刑事もののドラマ見てたのですか?」


 そんな突っ込みに、口を尖らせて返事もしない穂咲さんですが。

 ほんと、おばさんの言った通りなのです。


 最近のこいつは、役者さんの表情だとか、かっこいい動きばかりを見て。

 肝心のストーリーをまるで把握していないらしく。


 こんなことで本当に大丈夫かしらと。

 やっぱり昔、頭を床にぶつけすぎたせいかしらと、おばさんはずいぶん失礼な心配をしていますが。


 ドラマの楽しみ方も、人それぞれ。

 別にいいではありませんか。


 だから今夜も。

 穂咲は覚えたばかりの単語が使われるたびに一喜一憂して。

 おばさんを、さらに心配させることでしょう


 まあ、そんなことより、もっと問題なのは。

 刑事と探偵の区別がついていないという点なのですけどね。



 さて、そんな迷探偵。

 警察用語ばかりが書かれた単語帳をカバンに戻すと、愛用の虫眼鏡を取り出しながら、昨日の話を始めます。


「ママのブローチ作ったの高校生なんだって」

「そんなお話をしていましたね。でもあれ、おじさんのものではなかったのですか?」

「うちではそう呼んでたはずなの。綺麗なブローチだった気がするの。でも、あたしもあんまし覚えてないの」


 穂咲は指で楕円の形を作って首をひねっているのですが。

 俺も全く覚えていませんし、小さなころの話なので仕方ありません。


「……それを作ったデザイナーさん、美人さんだったとのお話でしたね」

「線の細い芸術家肌だって、おばあちゃんがべた褒めだったの。パパもそんとき高校生だったらしくて、同じ歳でここまで違うかっておばあちゃんはへこんだんだって」

「そりゃ酷いのです。じゃあ、おばさんよりちょっと年上ということですね?」

「そうなの。……なんでママ基準?」

「年上かつ線の細い美人さんって、穂咲のとこのおばさんくらいしか思いつかなくて。……なにをそんなに膨れているのです?」

「また負けたの。ママは最強のライバルな気がするの」


 なにやらぶつぶつとつぶやく、まん丸に膨れた不機嫌さんが、つかつかと足を速めます。


 てっきり、怒ってしまったものと思ったのですが。

 どうやら違うようでした。


「年上かつ線の細い美人さん! 確保なの!」

「え!? なに? なに?」


 虫眼鏡を顔の前に掲げつつ、穂咲が向かった先は、なにも植えられていない二つの畑を分け隔てるあぜ道で。


 そこで、ティアードスカートにジャケット姿のお姉さんがゴミ拾いされていたのですが。


「どあーーー! すいません! このバカがバカでほんとにすいません!」

「え? え? え?」


 穂咲に、急に腕を掴まれたお姉さんは。

 野兎のようにびくびくとしながらこちらを見るのです。


「そんなに驚かないでほしいの。だって、お姉さんは犯人じゃないの」

「え? え?」

「すいません、ほんとにすいません。こいつが探偵ごっこに興じているだけなのです。ほら、しっかり謝って!」


 俺が頭を無理に押さえつけようとするのをするりとかわした迷探偵は。

 むっとしながら、指を俺につきつけます。


「犯人はいつも通り、道久君なの!」

「君以外、誰も犯罪なんてしてませんから!」


 そんな即興コントを演じた俺たちを見て。

 呆然とするお姉さんの右手首には真っ赤なスカーフ。

 汗拭き用でしょうか。

 ちょっとかわいらしいのです。


「ああ……、遊んでいたのね? びっくりしました」

「ほんとにすいません」

「線の細い美人さんの話をしてたの。そしたら、本物が現れたからびっくりしたの」

「そうなの? ありがとうね」


 ようやく落ち着いて下さったお姉さん。

 改めてよく見れば、ほんとに綺麗な方なのですけど。


 ……そんな方が。


 ゴミ拾い?


「ええと、こちらの畑の方なのですか?」

「ううん? 高校生たちの通学路だからね。綺麗にしておきたくて」

「綺麗な上に素敵な人なの! 憧れちゃうの! きっと、この人がママのブローチを作ってくれたの!」

「え? ブローチ?」


 もう、何から何まですいません。

 それにそんなことあるわけ無いでしょうに。

 ブローチを作った方はおばさんより年上で。

 こちらの方は……。


「ええと、大学生さんですか?」

「ううん? ちょっと前まで社会人だったの」

「へー、お若く見え……、ちょっと前?」

「うん。会社、クビになっちゃったの」


 てへっと舌を出していらっしゃるのですが。

 笑い事じゃないでしょうに。


「営業だったんだけど、ついおじいちゃんおばあちゃんにはサービスしちゃって。優しさと仕事ができるのは反比例するのかな」

「そうだったのですね。……って、どうした穂咲!?」

「だって……。こんなに優しいのに……、えぐっ」


 ありゃりゃ。

 ボロボロ泣き出しちゃいましたけど。


 今まで迷惑千万だった女の子が。

 急に泣き出したのを見て。


 お姉さんは手首のスカーフを解いて。

 優しく涙を拭ってくれるのです。


「うう、ほんとに優しい人なの。お掃除はあたしがやるの。その間に、お姉さんはお仕事探すといいの」


 穂咲がえぐえぐと泣きながら言う言葉を優しい笑顔で聞いていたお姉さんは。

 ゆっくりと、首を左右に振ります。


「ちょっと疲れていたから、心の休息にちょうどいいのよ。煤まみれになった気持ちが、町と一緒に綺麗になっていく気がするの」


 なるほど、そういうものか。


 いままで、与えられたボランティアしかやったことが無かったけれど。

 自分で探して、自分の為にするのが本当の奉仕活動なのかもしれません。


「じゃあ、お手伝いするの」

「ほんと? 嬉しいわ」

「あ……。穂咲、バイトじゃなかったか?」

「ほんとなの! ……でも、休むの!」


 そう言いながら、穂咲がお姉さんからゴミ袋を奪おうと手を伸ばしたのですが。

 お姉さんはそれを背中に隠して、厳しい目で穂咲を見つめます。


「だめよ? 優しさは大切だけど、お仕事はもっと大切。お姉さんと同じ失敗をしないで」

「うう……。ねえ、道久君! あたしもう、どうしたらいいか分かんないの!」


 再びぼろぼろ泣きだしてしまった穂咲さん。

 このわがまま、素敵なわがまま。

 何とか救ってあげたいのです。


 ……お姉さん。

 急な事態に対応するの、苦手っぽいですし。


 よし。

 良い手を思い付きました。


「はい! 穂咲にトングとゴミ袋渡して!」

「え? え?」

「早く!」

「は、はい!」

「そしてお店まで急ぎますよ! 遅刻しちゃいますから!」

「え? え? え?」


 俺はパニックに陥るお姉さんの手を引いて。

 ナイスアイデアなのと親指を上げる穂咲を置いて、駅へ走りました。


「行ってらっしゃいなの!」


 ……こうして、ワンコ・バーガーに。

 優しいバイトさんが誕生したのでした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る