3日目の1


 寝覚めは割と良かった。初日が船上だっただけに、就寝前は揺れない寝床に物足りなさを感じていたが、実際は眠りの深さが段違いであった。


 起きたら早速温泉へ。これこそ間違いなく旅の醍醐味である。特に朝は夕方以降と比べ人が少ない。うまくいけば貸し切り状態。そしてその目論見は果たされ、湾内を一望できる石の露天風呂でおのが身を労った。やっていたことはその辺をうろついていただけなのであるが。


 サウナに設置されたテレビで安室奈美恵の引退によるムーブメントを聞きかじる。筆者は一つのアーティストを強く推すようなタイプではないのだが、アムラーと呼ばれるファンの方々の止め処ない熱意には憧れた。推しのために涙を流せるその在り方は、胸を張って好きなものを答えられない自分にとってとても眩しいものだった。


 この旅行も、本音を言えば「好きなことをしている」とは思っていない。日常からこうして距離を置くことで、これまで見逃していた何気ない生活のありがたみに気付く――そんなもっともらしい口実ばかりが思い浮かんで、好きだからやっているという実感は伴っていなかった。


 けれど敢えて言うならば。


 誰にも口出しされず、要領なんて度外視して、嫌なことなんてせず、気の向くままに行動できるこの時間は、とても心地の良いもので、筆者は好きだった。


 風呂を出て携帯を触っているうちに予約していた朝食の時間。なかなかボリューミーな海鮮を楽しんだ。野口一枚分でこの満足度はお得である。


 身支度を整え、今度こそはと送迎バスを依頼する。コミュ障のさがで他人と喋るのは苦痛を生じさせるが、背に腹は代えられない。これで一人旅を敢行するのだからつくづく破綻した人間性だと我ながら思い知る。


 運転手さんの心遣いにより、最寄り駅よりもやや目的地に近いほうの駅まで送ってもらうことができた。おかげで道の駅に寄ることができ、電車賃も安くなった。うろ覚えの地名でたどたどしく頼んだというのに、あのときの紳士には感謝しかない。


 自活能力に乏しい筆者がこうして旅を続けられるのも、出会った人々の親切心のおかげだと事あるごとに思う。こればかりは掛け値なしに、疑いようのない真実だろう。

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