3日目の3


 結論から言えば例の有名店には行かなかった。


 行けなかったのではない。想定以上に腹が膨れてしまったのと、電車内でうたた寝してしまうほどにくたびれてしまっていたためにそう決断した。


 娯楽目的の旅行だからと見落とされがちだが、遠出をするのは案外心身ともに負担が大きい。休息を意識しやすい仕事上の出張などよりも、それ自体が息抜きであるためについ無理をして体調を崩してしまうという例は枚挙にいとまがない。旅先ではしゃぎすぎて発熱してしまう子どものパターンである。


 環境の変化、継続する低気圧、食生活の乱れ、エトセトラ。虚弱でなくても体調を崩す条件は揃っている。帰路の船旅も控えていて、無理に食べて何かあったら労わってくれる同行者もいない。


 一人でいることに心細さを感じることは滅多にないものの、一人でいるがゆえに自己責任を強く意識する。いくら旅先で出会った人たちが皆親切だったからといって、自分を甘やかすほど愚かではない。


 と、そこまで深く考えて選択したわけではないものの、リスクとリターンを天秤にかけた結果として訪店を断念した。縁がなかったと思えばそれほどショックでもない。


 フェリー乗り場で二時間半待機の後、乗船。往路よりもマイナーチェンジした船は接近している台風の影響もあってよく揺れた。入浴、食事を済ませてから寝床で荷物をまとめ直し、ようやく人心地がつく。電波も寝室では圏外であり、ワイファイも有料。物語を読もうにも書こうにも、これだけ揺れていると酔うのは必定。今度は早々に諦めた。


 結果やることがなく、体積も重量も行きより増したリュックサックを眺めた。土産物はもちろん、何故か詰め込まれていたバスタオル等のせいで随分と膨らんでしまっている。


 そのずんぐりとしたリュックが、なんとなく「好きだな」と思えた。自分が背負い込んだ重荷をそう感じるのは奇妙だった。後付けで理由は幾つか思い浮かぶけれど、初めに直感した「好きだ」という感覚そのものには説明がつかない。


 きっと全ての感性を単なる言葉で説明するのは不可能なのだ。文学という形態を採って、過程を練り技巧を凝らしたうえでやっと部分的に伝えることができる。実感の伴わない医科学的な知識では、当人が感じた切実さをほかの人に共感させることはできない。


 筆者はまだまだ技量不足だ。このリュックを好きだと感じた、その経緯を整然とした物語にすることは難しい。けれどもこの紀行文を通して、そのための足掛かりを見つけたいと考えるに至った。


 それだけで、この旅には意味があったと思えるのだ。

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